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larme ~短編集~  作者: いつき
彼と彼女の距離
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ドア一枚分

 現代モノがそんなに得意ではないことにやっと気付いたこの頃。いまどきの子ってどんな風に恋愛してるんですかね。

 彼女までの距離 ~ドア一枚分~




 抱きしめた彼女の体は僅かに震えていて、懸命に抑える声も痛々しかった。

 彼女をこれほど傷つけることが、自分への罰なのだとしたら、自分にとって一番辛いことを神様は知っているのだろうと思う。

 自分の中途半端な決意が、想いが、彼女に涙を流させている。泣かせている。

「ごめん、咲。本当に、ごめん」

 泣いている彼女の名を呼べば、『みな、とくんのせいじゃ、ない、よ?』と途切れ途切れに言葉が返ってきた。

 謝るという行為は、許しを強要することなのだと、初めて知った。彼女に許されたくて、自分を許してほしくて、謝罪の言葉を口にしているのかもしれない。

 優しい彼女なら、許してくれるだろう。……心の中はどうであれ、許してしまうんだろう。

 それでも、少なからず俺を許せない部分が残って、許せない咲を自分自身で責めるのかも知れないと思うと、抱きしめる腕に力が入った。

 許さなくてもいいと言えない自分は、どこまでも自分の勝手で彼女を縛り付ける。

「湊くん、ごめん、ね」

 応援してあげられなくて? 素直に見送ることができなくて?

 何について謝っているのか、よく分からなかった。彼女が謝ることなど、何一つないというのに。

 早く『行く』ことを伝えればよかったのに、迷っていた自分は怖くて彼女に言えなかった。自分一人では何も決められない自身がもどかしくて、何度苛付いたことだろう。

 引き止めて、ほしかったのかもしれない。

 いや、『かもしれない』というあやふやな表現ではなく、自分は引き止めてほしかった。

 彼女に相談して、『行かないで』と止めてほしかった。絶対、彼女はそんなことしないと分かっているのに。

 自分も彼女も、そういうことを求めて付き合っているわけではないと、知っているのに。

 引き止められたら、自分は行くのを止めたとでも言うのか?

  本当に、彼女が行かないで、と言えば自分は。自分は一体、どうしていたんだろう。彼女が縋りついて、引き止めたら。

「……逆に、覚悟決めたかも」

 なんて勝手なんだろう。

 引き止めてほしいくせに、いざ引き止められると、その腕を振り解くなんて。抱きしめたまま、そんなことを考えているとき、新幹線の到着を知らせる、甲高いベルが鳴った。

 そして続いてアナウンスが流れる。

 どこへ行くか、なんて言わないで。彼女に聞かせないで。

 今更ながら、自分たちの距離を思い出すから。これからどんなに離れるか、なんて知りたくもない。

 耳障りなその音に抵抗なんてできはしないのに、彼女の耳を塞ぐように手を当てた。せめて、彼女に届かなければいい。

「いってらっしゃい」

 顔を上げた彼女は、赤い目のまま優しく笑った。

 もうその目から涙は零れることなく、ただこちらの門出を祝っているようにも見える。そんな彼女に、もう謝罪の言葉も何も言えなくて、背に回していた手をそっと離した。

 離したくない。

 放したくない。

 逃げ込むように新幹線へ乗り、そのまま振り返ることができなくなった。振り向いたら、そのまま戻ってしまいそうだった。

 行きたくない、と彼女を目の前にして言ってしまいそうだった。

 自分も彼女も、『付き合う』なんて初めてだから、こういう場合どうすればいいのか分からない。どうするのがいいか、なんて誰も言わなかった。

 何が一般的で、どうすれば最善なんだろう。

 距離が広がれば、それはそのまま『別れ』に繋がるんだろうか。物理的な距離は、そのまま精神的な距離を表すんだろうか。

 『遠さ』は別れを誘うのだろうか。

 不安になって、今度は無性に彼女の顔を見たくなる。まるで彼女の顔さえ見れば、その不安も解消できるとでも言うように。

 彼女の顔さえ見れば、全て上手くいくとでも言うように。

「湊くんと、遠距離恋愛だね」

 苦笑いのような、泣き笑いのような、何とも言えない表情が振り向いた瞬間目に入った。そのときドアが閉まって、声も何も届かなくなる。

 自分は大切なことを何一つ、伝えてはいないのに。大切なことは全て、いつも言わずにいるだけの自分が小さく思えた。

『す、き、だ』

 そう口を動かして、彼女に伝えようとする。彼女に伝わっているのかさえ定かではなく、ただその行為を続けた。

 初めて彼女に伝えて以来、数度しか口にしていなかった、だけど確実に心にあった想いが、後から後から溢れてきて、そのまま口を動かし続ける。

 こういうとき、別れる? と聞くべきなんだろうか。

 それとも、付き合い続けよう、と言うべきなんだろうか。

 そのどちらとも言えず、彼女の意見も聞かなかった自分は、やっぱり腰抜けなのかもしれないけど。それでも今更、聞く気になれず、ドア越しに彼女を見つめる。


 ドア一枚分の、彼女との距離。


 数字にしても、たかが知れている距離。だけどその距離は、彼女の声が届かない距離だ。

 今から、それよりずっと遠くへ離れるというのに、ドア一枚分でさえ我慢できない自分がいた。

 咲、今だけ許して。

 ……今だけ、君から離れる決断をしたことを、後悔させて。今だけ、だから。

 いつか間違ってなかったと、そう思える日が来ると信じているから。だから、ほんの数秒だけ、『離れるべきじゃなかった』と思わせて。

 離れたくないと、行きたくない、と。



 今のままの関係は、ちゃんと続くんだろうか。物理的な距離に、心は負けてしまわないだろうか。

 自分たちなら、大丈夫。

 そんなことを言えるほど強くないからせめて、彼女は大切な人だと言い聞かせる。

 泣いてしまいそうな自分を叱咤して、身勝手にも彼女が少しでも幸せであるようにと祈る。どうか泣かないで、笑って見送って。そんなこと言えないけど。

 ……祈るしか、できなかった。

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