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larme ~短編集~  作者: いつき
幼馴染愛好家シリーズ
32/50

St. Valentine's Day

 少女小説もどきとしては、書いておかなければいけない感じのシチュを一つ。年の差が多分、最高潮だったんだろうなと思います。

 そもそも、バレンタインデーと言うのは、日本のお菓子業界の戦略であり、決して日本人がもっているチョコレートが正式なイメージとは言いがたく、むしろ外国では男性から女性というのも珍しくないし、バレンタインデーとは元々一人の司教様が元になっていて…………。

「何ブツブツ一人で言ってんのよ」

 そこで私はうんちくを打ち切った。強制的に終わらざるを得なくなった。

 私の目の前にあるのは、目の回るほど沢山詰まれたチョコ、チョコ、チョコ――。

 どこを見渡したって、その他の商品は私の目に映らない。ついで言うと、その棚と棚の間にいるのは全て女性だ。

 つまりは、チョコレート売り場だ。

「来るんじゃなかった」

 自然とこの言葉が口をついて出てきた。そんな私を、一体誰が責められるだろう。いや、攻められない。が、私をこのチョコ専門店に連れてきた我が友人なら、あるいはするかもしれない。

「本当に、そんなこと思ってるわけ?」

 ほら……。彼女の手にはすでに十数個のチョコが入っているカゴが。

「か、彼氏のチョコを買いに来るだけじゃなかったのか、お前は」

 皮肉にならない程度に、しかし抑えきれない怒りを混ぜて奴に――木村 百合に問う。

 奴は今日、私にこうのたもうたのだ。

『彼氏のチョコが決まらないから、一緒に来て欲しいの。三年目になってるんだから、って思うかもしれないけど、特別なことがしたいから』

 と。

 だから私は、わざわざ用もない、この店に来たのだ。が、しかし、奴はにこりと笑って答えた。

「そんなの嘘に決まってるでしょ? あいつに特別なことがしたいなんて、そんな時期とっくに過ぎたわよ。全てはあんたのためよ」

 今年で三年目と言う奴の彼氏殿は、一体どうやって奴の手綱を握っているのか。

 私は今、それが無性に知りたくなった。ぜひこいつの扱いからを教えてください。彼氏様。

 しかしすぐさま。

『百合の扱い方? そんなのあるわけないじゃないかぁ。もう、沙夜ちゃんは分かりきったことを~~。

百合は扱うものなんかじゃないよ。人を扱うなんて、ありえないだろう』

 というのほほんとした、しかし結構まともな回答が返ってきた気がした。

 今もし、彼がいたなら間違いなくそう答えていただろう。百合の彼は、百合の性格に似合わず天然癒し系だ。

 可愛いというのかもしれない。そんなことを考えながら、私は百合へ向き直った。

「私のためって言うんなら、今すぐこの店から出る。それが望みよ」

 百合の手首を掴み、私はレジへと向かう。が、悲しいかな体格は百合の方が私よりはるかによい。

 ゆうに一六〇㎝を超えているのだ。一五〇㎝ちょいの私が敵うはずもない。

「あんたも買うのよ」

 奴が一回私を引っ張れば、私に抵抗する術はなかった。

「私には必要ない!! 一体誰にあげるって言うのよ」

「そんなの彼に決まってるじゃない」

 『彼』ねぇ?

「もう、沙夜のテレ屋さん」

 そんな言い方されても気持ち悪いんですが。

(はじめ)くんよ~~」

 ウフフって、お前が一番気持ち悪いわ。

「は、一くんって、一さんのこと?」

 何で、何で、何で百合がそんなこと知ってるの?! しかも"くん"付け? 私より馴れ馴れしい気がするのは私だけですか?!

 一さんっていうのは私の家の隣に住んでいる、四歳年上のお兄さん。

 そうただの、お兄さん。

「べ、別に一さんには買わないよ。ってか、何であんたが一さんを知ってるの?」

 平静を装ってみたものの、それが失敗したのは自分でも分かった。

 どもって、焦って、顔が赤くなるのが分かったけれど、誤魔化す術を私は持っていない。

 ふーんという百合がものすっごく憎らしい。

「彼氏の、晴夏(はるか)のお友達なんだって」

 ケロリっと言ってのけた。そうね、世の中結構狭いものね。そんなことも、あるわよね。

 百合の彼氏ってのほほんとして、優しくて、誰にでも好かれるタイプだもんね。友達だって多いわよねって、納得できるかぁ!!

「じゃあ、何で私が一さんにチョコレートをあげる、っていう設定になってるのか教えてくれる?」

「一くんが隣の家の女の子が、すっごく可愛いって言ってたから、何かあるなぁ。と思ってたのよね。そもそもあんたが可愛い、とかどうなのよ」

 そんな、本人に失礼だと思わないんですか? 百合さん。可愛いってどうよ、とか。

「もう、沙夜は本当にテレ屋さんだからなぁ」

 からかうような声で百合は言い、ついで真剣な顔を私に向けてきた。

「そんなことしてると。いくら沙夜思いの、『一さん』でも他の子に取られちゃうかもね」

 わざとらしい言い方。わざと『一さん』と言っているのが、何だか悔しくて……。

 確かに一さんは優しい。ちょっと優しすぎるんじゃないかって思うくらいに、優しい。

 私に甘いのも周知の事実だ。小さい頃から、これでもかというほどに一さんは私に甘かった。自分でも『一さんって甘いよなぁ』と思う。

 だけどそれは少し年の離れた妹を溺愛するようなもので正直、複雑以外の何ものでもないのだ。

 それなら、少し意識して、距離を置かれるほうが余程脈ありと言うものではないだろうか。

 だから今年は、毎年あげていたチョコをあげるのはよそうと思っていた。

 百合が何か言いたげな顔でこちらを見る。あまりにも長い間黙り込んでしまった私を心配しているのが分かったが、あえて気が付かないふりをする。

 百合を構っていられるほど私の心に余裕があるわけではないから。

 少し困らせたいというのが、本音かもしれない。百合のことではなく、一さんのことだけど。

 いつも私の前で穏やかに微笑む顔を崩してやりたかったのかもしれない。

 どうせ私がチョコをあげなかったくらいで、動揺なんかしないだろうけど。そんなこと分かりきっているけど。でも、何かやりたかった。

「そうかもね」

 やっとのことで言葉が出た。その言葉に百合は意外そうな顔をしてこちらを見る。

「沙夜?」

 一さんはただのお兄さんで、私はただの妹で。きっと家が隣でなければ、接点も何もなくて。

 顔を合わすことさえもなかったかもしれない。なのに、なのに、どうして。

 どうして、それが分かっているのに私は今、顔と目頭が熱くて、今にも泣き出してしまいそうなんだろう?

「百合ごめん。私やっぱり帰るわ」

 百合はもう、私の手を掴んではなかった。私は逃げるように店から出た。

 人の喧騒から逃げるように人通りの少ない方へと走る。にぎやかな通りから見えるチョコたちと、それを嬉しそうに買う女性たちがひどくうらめしかった。

 と、その時、見慣れた姿が前をよぎる。

「はじ……」

 声をかけようとして、やめた。

 今まさに考えていた人に、八つ当たりのように恨んでいた人に、話しかけたくないという幼い意地と、一さんの前にいる女の人が気になったから。

 長い髪をゆるいカールにして垂らし、いかにも女の子と言う人。フワンと揺れる髪は柔らかそうで、女の私でも見惚れた。

 遠くから見ても分かる、ケアのしっかりされた髪と顔が、私との落差をうかがわせた。

 可愛らしい、ふわふわとしたコートに短めのスカート。そこから形のよい、長い足がすらりと伸びていた。

 いかにも清楚です、というラインで固めてあり、あちこちの男性が振り返っていた。

 顔を赤らめて……。あぁ、一さんに気があるんだなぁって分かった。一さんと同じくらいの年、綺麗で一さんの隣にいてもおかしくない人。

 違和感なんかなく、つりあっている人。

 私みたいに幼くなくて、十人人並みの顔じゃなくて、素直でひねくれてなくて。

 涙を流すと惨めになるだけだから、それが分かっていたから、唇を噛んでそれをやり過ごす。顔を上げて、零れないようにせき止めた。

「私って、運悪いなぁ」

 何も思い人が告白されてるところになんて出くわさなくても。くるりと踵を返し、駅へと向かう。

 ここで鉢合わせとかになったら、さすがに泣いてしまいそうな気がした。






 ルルルルル ルルルルル

 友から色気も面白みもないといわれる着信音。

 面倒だからと言う理由で買って以来、一度も変えていない。あの子からの電話とメール以外は。

 あの子は嬉々として、自分の好きな歌手の着うたを入れて設定したから。

 それを変えずに、あの子からの電話とメールだけ音楽がついていたら、特別だと皆に知らせているようなものだと思ったが、変えるのももったいなくて結局そのままにしている。

 ディスプレイを見てみると、丁度今考えていた子の友達だった。最近では少し珍しい、着信。

「もしもし?」

「あ、一くん?」

 いつから"一くん"呼ばわりされ始めたのか聞いてみたい。

「何ですか? 木村 百合さん」

 この子の彼氏とは友人だが、電話をされたのは初めてだ。一体何の用なのか。

「あぁ~~。怒らないで聞いてくださいね」

 そう前置きされると、俺を怒らせる何かが起こったのかと危惧してしまう。

 彼氏を振ったとかか? でもそんなんじゃあ怒ったりしないしな。本人たちの勝手だし……。

 後、この子との共通点といえば、あの子しかいない。しかも、俺が怒ることと言えばそれしかないようにも思えた。

「言いにくいんですけど。その、ちょこっとっつきすぎちゃいました」

 ぷつり、と何も言わずに電話を切る。

 これくらいの意趣返しくらい多めに見てくれるだろう。誰を、(つつ)きすぎたなんて言わない、けど分かる。

 彼女はわざとおどけているが、その実とても焦っているのが分かった。すぐさま家に帰ろうとした、が面倒はまだ残っていた。

「ねぇ、伊藤くん」

 あの子より長い髪。あの子のしない化粧を、香水をしている"女"。あの子のするような無邪気な笑い方を知らない人。

 何もかもを比べてしまい、小さな自己嫌悪が自分自身に襲い掛かる。

 上野 沙夜――それがあの子の名前。四歳年下で、現在高校一年生。小さい頃から俺を"兄"として慕う可愛らしい妹。

 小学校低学年くらいの時は「お兄ちゃんのお嫁さんになる」と言って、随分と俺を舞い上がらせてくれた。

「あのね、あたし伊藤くんのことが」

「ごめん」

 彼女の言葉を遮った。何に対しての謝罪なのかは自分にも分からなかった。

 しかし、彼女は小さく笑う。あの子にはない、こういうことが慣れた笑み。

「さっきの、彼女?」

「いや」

 短く答えると、彼女は"そうだと思った"と笑みを深くする。先程までの恥らうような顔は嘘のようにその表情を消していた。

 そして再度、口を開く。

「きっとあなたを射止めるのは、色気があって知識が豊富で。

あなたの隣にいても違和感や、遅れもないような人――だと思ってたわ。今の今まで。でも、違うのね?」

 どこか確信めいた、言いきるような言葉に頷いた。

「そうね、可愛らしい子、かしらね。さっきの惚けた顔からすると。しかも、ちょっと年下。四、五歳ぐらいかしら?」

 事も無げにそう分析した彼女の顔を驚いて見ていると、彼女は俺の顔を見て『バレバレよ』と艶やかに微笑む。

「何か緊急事態なんでしょう? 行かなくていいの?」

 そう言われ、はっとすると彼女は俺の背中に手を置いて小さく押した。

「失恋させた女の前に長くいるのはルール違反なんだからね? 逃げ去るように素早く立ち去りなさいよ」

 強気にそう言う彼女は、泣いているようには聞こえなかったが強がっているようにも見えてしまった。

「俺、もう行くわ」

 言い訳のようにそう言うと、駅の方へと足を向けた。早く、早くと気ばかりが逸る。

 電車を待つのも、家へ歩いて帰るのも、いつもの倍かかった気がする。実際はいつもの半分の時間だったが。

 家の前に着き、そっと隣の家の二階に目をやった。

 あの子の部屋に電気はついておらず、それでも携帯に手をかけた。滅多なことでは自分からしない電話。

 電話帳の一番上のグループは「00」。そこには沙夜のものしかない。

 そのボタンを押そうとして、止めた。強がりの得意なあの子を崩落させるにはどうしたらいいか。

 付き合いの長い自分は分かっているはずだ。分かっているはずなのに、冷静さを欠いている自分がいる。






 もそもそと布団から出る。母も父もいないことが――珍しく夜勤が重なったことが唯一の救いだった。

 こんな風に、泣き出しそうな顔なんて、見られたくない。

 両親は明日の昼以降に帰るはずだから、それまでには何とかなるだろうと勝手に、希望的観測込みで推理する。

 だから、布団から出たくないなら今日はもうこのまま不貞寝もできてしまう。

 しかし布団の中で拗ねるのも馬鹿らしくなった。幼い行動を取り続ける自分に嫌気が差す。

 こんな自分のくせに、一さんの近くにいた彼女へ嫉妬するなんて。馬鹿みたい、馬鹿みたい、馬鹿みたい!! でも、でも、でも!!

「一さんのバーカ」

 少しくらいなら一さんに非があるもん。そうだよ、一さんが、妙に甘いから。

「馬鹿でごめん。沙夜」

 笑いを含んだ声が耳朶をかすめ、思わず『ヒャッ』と声を上げた。一さんの声は普通に聞いても心臓に悪い。耳元なら威力は倍増だ。

「な、なっ……何でいるの?!」

 しかしその問いは、一さんの持っている小ぶりなお鍋と猫のキーホルダーがついた鍵で解決した。

 つまりは両親がいないことを心配したおばさん(一さんのお母さん)は、『お夕飯のおすそ分け』と称して、一さんを私のところへ行くように言ったということだ。

 ちなみにおばさんは変なところで鋭いので、私の気持ちなんてとっくの昔にあばかれている。

 だからわざわざ一さんが帰って来るまでうちには来なかったんだ。

「ふ、不法侵入で訴えてやる」

 苦し紛れに出た一言に一さんは目を丸くする。

 そして、ポンポンと頭を叩き、「沙夜がそんなこと言う年になるとはね」と呟いた。その発言は私の神経を逆なでするのに十分すぎた。

「それ、どういう意味、一さん。私だってこのくらい知ってるわよ!!」

 噛み付くように言い、その幼さに小さな後悔が生まれた。しかし言ったことを撤回しようなんてこれっぽっちも思わなかった。

 その様子を一さんは笑いながら見ていた。実はこの笑顔が大敵だなんて、誰も知りはしないだろう。

「ハイハイ。俺が言ったのは、夕食を持ってきた隣のお兄さんに、不法侵入なんてことを言い出す皮肉屋さんになったんだねってことだよ」

 宥めるようなその口調とは対照的に、その内容は私を馬鹿にしている以外の何者でもなかった。

 私を宥めようとしているにもかかわらず、まるでその気がないような言い方。

 いつもなら、踊らされてるな、と思っても怒れないような言い方をする一さんにしては珍しいことだった。

 それを分かっていながら、一さんにしては珍しいと思いながら、それでも治まるような怒りではなかった。

「お兄さんなら、妹の部屋に勝手に入ってこないでよ。嫌われちゃうよ、お兄ちゃん」

 皮肉半分、自嘲半分。その台詞を搾り出し、私は一さんを部屋から追い出した。

 そしてその扉に背中をつけた。鍵なんてものが付いているはずもないので、背中を付けたままそこにズルズルと座り込んだ。

 コン、と頭を扉に持たせかけ、足を伸ばした。しわくちゃになっているスカートのプリーツと、脱ぎっぱなしのままベッドからずり落ちるブレザー。

 どれもこれも、一さんとの違いを表していて。

 涙が、こぼれそうだ。

「沙夜」

 呼ばれる。この声に、私は抗えない。それは、抗うことさえ許さないと言われているようで。

 背中越しに感じるのは、扉の冷たさ……それと混じる人の温かさ。背中合わせで座っているのに、扉なんてそんなに厚くないはずなのに、体温以外は何も伝わらなさそうだった。

「一さん、なんて」

 一さんなんて大嫌い、そう言ったら、この人は何か反応してくれるだろうか。少しは、動揺してくれるだろうか。

「俺なんて?」

 その声は楽しんでいるようだった。少なくとも私にはそう聞こえて仕方がなかった。

 私に追い出されながら、私が唇をかみ締めているのさえ分かっていながら、まだ私をからかおうとするの?

「嫌い」

 "大"はつけれなかった。私が言いたくなかったから。

「へぇ」

 少しだけ、少しだけ声が低くなったように感じた。いつもみたいな、穏やかそのものの声じゃない。

 怖い、男の人の声だった。一さんは好きだけど、改めて一さんが『男の人』なのだと感じた。

「俺、十年間沙夜を思い続けてきたのに」

 振られちゃったな。一さんはおどけるようにそう言った。

 その言葉がどんなに私を揺さぶるか、どんなに私を傷付けるか知らずに。知らず、涙がこぼれた。






「嫌い」

 沙夜のこの言葉に、ここまでの威力があるとは正直思わなかった。

 多少のショックは覚悟していたけれど、自分の思考回路がとまるようなことは想像もしていなかった。

 どうやらこの病、自分が思っている以上に重症らしい。いや、前々から重症だと自覚はしていたけれど。

 それでもこの()には動揺する自分なんて見せたくなかった。

「へぇ」

 震えそうになった声を押さえ込むように出した。ばれたりはしないだろうか? 

 そしてそれを隠すように、さらに言葉を紡いだ。おどけるように、まるで何でもないように告白まがいの言葉を口から出した。

「俺、十年間沙夜を思い続けてきたのに」

「――っ」

 扉の向こうから、何かを堪えるように声ならぬ声が上がった。"沙夜?"と声をかけると、小さな声が聞こえた。

「一さんは……、さぁ」

 涙声になっていて、びくりと肩を震わせた。

「そんなこと言って――私のこと妹にしか見てないくせに!! 何でそんなこと言うの!!」

 怒りをはらむ声。それでも弱々しく、思わず腰が浮いた。

「分かってるの!? それで私誤解しちゃうよ!? 一さんが私に甘いのは、私が、妹みたいだからなんでしょう?

なら。ならもう、そんなこと言って、私に希望持たせないでよ。お願いだから、もう、やめて。これ以上、甘やかしたり、優しくなんてしないで、お願い」

 涙をこらえるほどに、強くなる声。聞いているこっちが痛くなってきて、それでも沙夜の涙を止める術を知らなかった。

 一番泣いて欲しくない女の子を、泣かしている自分。自分でやったことの始末もできない子どもな自分。

 欲しくて欲しくてたまらないくせに、素直にそれが言えない自分。素直に好きだと伝えることができない、自分。

「一さん、帰って」

「沙夜」

「帰ってってばぁ!!」

 やっと出た声に続く拒絶。その後も続く嗚咽。もどかしくて、痛くて、悔しくて――でもどうしようもない。

 自業自得なうえにこの()まで巻き込んでしまった罰だから。

「沙夜。俺はさ、我が侭言いたくても言えない沙夜が好きだよ? 

優しくて、でもそれを表に出すのは苦手で――でもちゃんと分かってる。沙夜は優しい。そんな沙夜が好きな俺じゃダメ?」

 カチャリと扉が静かに開いた。扉に寄りかかっていたままだった体は、抵抗も何もなく重力にしたがって床に沈んだ。

「一さんのバカ」

「ハイハイ」

 顔を目も赤くした沙夜がいた。ショートカットというには少し長すぎる髪にまだまだ幼さが残る顔。床に倒れたまま、沙夜を見つめた。

 上から覗き込まれ、その拍子に最後の一滴が零れ落ちた。その雫が頬に落ち、それはそのまま流れた。

「それじゃあ、誤解しろって言ってるもんなんだよ? それを分かってて、まだ私をからかうの?」

「からかってないよ」

 今度は割合素直に言葉が出た。そう思い、そっと息を吐き出した。

「誤解、しちゃうよ? いいの?」

「いいよ」

 こくんと頷き返せば、沙夜は再び泣き出しそうな顔をした。

「バカ」

「ハイハイ」

「バーカ!!」

「うん、そうだね」

 俺はバカだよ。そう返すと、沙夜は"そんなことない!"と即答する。

 そして自分が言ったことに気が付き、口元に手を当てた。その顔はほんのりと桃色に染まる。

「本当に、誤解しちゃうよ?」

 それでもしつこく聞いてくる沙夜を黙らせるために、沙夜の腕を引っ張った。

 ポスン、と一回りも、二周りも小さいからだが腕の中に納まる。

 沙夜は急に大人しくなった。

「誤解、でもないけどね」

 呟くようにそう言えば、腕の中で小さく動く気配がした。

「女の人からたくさんのチョコを貰っておいて、よく言うね」

 自分の腕の中から声が上がる。服に顔をうずめたまま、決してこちらを見ようとなんてしていなかった。

 それは、彼女の照れ隠しだと分かっている。しかし、その言葉は照れ隠しゆえの嘘とも思えなかった。

 少しだけふてくされたような言葉の意味を取りかねた。

「はい?」

 そう返すと、キッと沙夜が顔を上げる。その顔は見事なまでの朱色だった。

「きょ、今日、貰ってたもん。キレーな女の人からっ!!」

 最後のほうはもう意地になって言った、と言う気配がにじみ出ている。

 そして、沙夜はそんな自分を恥じ入るようにフイっと顔を背けた。何、この可愛さ。

 どうしよう。すっごく嬉しい。どこまで単純なんだよ、俺。

 と、つっこみながらも緩みそうな頬を引き締めた。いつも穏やかな表情といわれるが、意識して作るなんてほぼ初めてに等しい。

「何、ソレ? やきもち?」

 意地悪をしてそう言うと、赤い顔が一段と赤くなる。

 『ち、違――う、もん』と聞き漏らしそうなくらい小さな声でそう言うも、説得力はない。全く、ない。

「大丈夫だよ。沙夜。俺は沙夜以外からチョコレートなんて貰わないって決めてるし。

実際、もう何年だ? 物心ついてからだから、一〇年以上その決まりを守ってるぞ。俺は」

 ギューっと服を掴む沙夜の力が強くなり、また顔をうずめた。フルフルとその手が震えて、なんだか自分が――犯罪をやっている気がしてならない。

 数十秒たって、沙夜は小さく息を吐いた後ゆっくりと言葉を紡いだ。

「一さんは、私に甘すぎると思う」

 くぐもった声にニヤリと口角が上がるのが分かる。

「ん~。そんなこともないけどなぁ。

結構、沙夜に甘いのは自覚してるけど、ってかよく言われていい加減認めてるけど――甘すぎってほどでもないと思うよ、俺は。多分。

その証拠に、これから俺にチョコを用意していない沙夜にお仕置きしようかと思ってるし」

 俺って好きな子いじめちゃうタイプだったんだ~。と納得したように呟くと、サディスト……と呟くような声が聞こえた。

「どんなこと、して欲しい?」

 そう聞くと、沙夜はガバっと顔を上げた。すごい勢いだった。

「わ、私、Mじゃないもん!!」

 何となく、ずれた回答だったが、そんなこと関係なかった。

「すきあり」

 沙夜の頬に唇を押し付ける。沙夜の全ての行動が止まった。一秒、二秒……三秒。

「は、はははは一さん」

 先程とは比べ物にならないぐらい朱い顔。自分の頬を押さえ、懸命に言葉を紡ごうとして失敗する沙夜が、すごく、すごく――可愛くて。

「あーー。俺、末期だわ。完全に」

 頭を押さえて、上を向いた。まだまだ幼いこの()に、俺は悪いことを教えている気がしてならない。

 いや、教えているんだろう、もうすでに。

 こんなこと考えているなんて、きっと沙夜は知らない。教えるつもりもない。

 だって。

「一さん、何かの病気なの!? 末期って!! 大丈夫なの? ねぇ!!」

 真面目に俺の身体を心配している沙夜にこんなこと言えない。言えるはずがないだろう。

 年上の余裕は結構ギリギリということでしょうか。それともただたんに一さんがむっつりというだけかもしれません。

 女の子→男の子と見せかけて、実は女の子←男の子の構図がツボ。


 あと2話くらいブログに載っているので、ホワイトデーもUPできます。書きだめはしとくべき。

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