窓の向こう
見つめるだけの恋、なんて素敵じゃないですか。それで相手も見てるだけの恋、とか思ってたら可愛い。
そんなお話。相手役と一度としてしゃべってないけど、恋愛ものだと言い張る。
「また外見てる」
クーラーの効いた部屋で一つ、声が落ちる。
「……っ。み、見てない!! 見てない!! グラウンドとか全然見てないし!!」
慌てて友人の前で手を振った。行き過ぎた否定は、肯定も当然と言うことを知らないわけではないけれど、それでもせずにはいられなかった否定。
「グラウンド見てたんだぁ」
「あ」
右手に持っていた筆が落ちそうになるのを慌てて握りなおす。ばれてしまった……。自分は何と不甲斐無いんだろう。
こんなに、早々ばれてしまうなんて。
これは絶対、わたしだけの秘密だと思ってたのに。
「だってキャンバス全然変わってないよ。始まってから」
ぐうの音もでずに押し黙ると、横から友人は身を乗り出し、わたしのすぐ隣の窓からグラウンドを覗く。
さらり、と長めの髪が彼女の肩から落ちてきて、その大人びた横顔にかかった。羨ましい、と思うけどあえて口に出さない。自分が惨めになりそうだ。
「この暑い中、何がいいのかねぇ。野球部は」
八月という、一番日が長くて暑い中、彼らはただただ白いボールを追いかける。泥がついてるボールより、なお砂にまみれる。
だけど顔は笑顔で、ボールを追いかける姿は生き生きとしていて、どこか羨ましくもある。どうして、その一つの球に執着できるのか非常に疑問ではあるけれど。
「青春、してるんじゃない?」
少し遠慮がちに言うと、友人はにやりと笑い、こちらを見た。その瞳が恐くて、キャンバスに向かう。青い絵の具を一気に押し付けた。白から青へ。それはまるで、この夏のように。
暑さをも吹き飛ばすくらい、まっさらな青い空。雲ひとつなく、その光は彼らの肌を焼いていく。キラキラ光る、光の粒子がまるで彼らに降り注いでいるみたい。
真反対だけど、雨のように。
「で、どれ? 二十人ぐらいいる中の誰なのよ」
「べ、別に一人を見てるわけじゃないもん。皆頑張ってるから、ちょっと見てて」
二階の窓から見下ろせるグラウンドは、蜃気楼のようにゆらゆらと揺れる。あんな中で走ったら、私はきっと倒れるんだろうな。ただでさえ、走った後は体調崩すし。
こんな暑い中、走っている意味が分からない。いや、分からなくていいとは思うんだけど。
「ふぅーん」
「そ、だから、誰も……っ」
そういい終わらないうちに、がたん、と慌てて席を立つと、こちらに手を上げた人に頭を下げる。やばい、見てたことがばれた。
ひらひらと振られる手に、自分の手を上げるだけで返す。恥ずかしくって、手を振るなんて出来ない。もし、慣れたらして見たいとは思うけど、いまだその勇気は出てこない。
そのうち、そのうちしてみようかな、とか思うけど。
しかし彼はそんなこと気にしていないらしい、ここからでも分かるくらい明るく笑うと、もう一度手を振って走っていってしまった。
その笑顔に、どきりとしてしまったのはわたしだけの秘密。
「一人を見てるわけじゃない、ねぇ。のわりには、過剰反応してない? 真っ赤だよ?」
「う、う、煩い!!」
バッと教室の中を向くと、足早に廊下側に走る。完全にグラウンドが見えなくなってから、へたり込んだ。
心臓に悪いんだ、あの笑顔。わたしとは真反対の、明るい笑顔。ちょっと気後れしてしまうけど、そんなこと関係ないとでも言うように、分け隔てなくわたしにも贈ってくれる彼。
「あれ、隣のクラスの」
「何も言わないの!!」
「付き合ってんの?」
「付き合ってない!」
「じゃぁ、片思いだ」
「……っ」
また何も言えない。
容赦のない追走はなかなか手を緩めてくれず、わたしを追い詰める。まるで警察か何かのようだ。どんなに逃げても、逃げ切れる気は到底しない。
むしろ、いつ捕まってしまうのかと冷や冷やしてしまう。
「青春してるねぇ」
「……」
何も言わない。もう絶対、何も言わない。
何を聞かれても、何を言われても、余計なことは一切言わないようにする。そうしないと、この胸に育ち始めている気持ちを全て吐かされてしまいそうだ。
全部、全部。この胸に灯るわずかな光さえ、隠すことを許されることなく。
「今度のコンクール、野球部描いて出せばいいじゃない」
「……」
「あ~。坂本くんだけ描いて出したいの?」
「……」
「描かないんなら、あたしがモデルお願いしようかなぁ」
「だめ!!」
思わず出てしまう声。
「サイコー!!」
「あ……」
もう、ダメかもしれない。
陥落まであと少し。
「おーい、坂本ー。何手ぇ振ってんだよ」
「別にー。美術室に知ってる子がいたから」
手を振ると、少しだけはにかみながらも、絶対に返事をしてくれる彼女。恥ずかしそうに手を上げて、でもまだ振ってはくれない。
こっちが気付かなかったら、絶対自分からはしなさそうだよなぁ、と一人ごちてみる。
この前まで名前も知らなかった。同級生だということも、知らなかった。だけどこの前、文系クラスとの合同授業で、初めて美術室以外で彼女を見た。
気になって、話しかけたくって、でも理系と文系の溝は意外に広くって。休み時間に、文系クラスが多いところへ行くことさえ出来なかった。
「美術部? お前知り合いなんていんのかよ」
「いちゃ悪いわけ?」
知り合いって言っていいのか分からない。もしかしたら、彼女からみればそんな存在じゃないのかもしれない。
だけど隣のクラスなんだ。今まで一度として気にしたことなかったけど。文系クラスとほとんど授業が違うから、縁のない人たちだとばかり思っていた。
「ん? あれ、隣のクラスの文系じゃん。お前、どーして知ってるわけ?」
「お前に関係ないことだ」
「さてはお前ら付き合って……」
「ないし」
ばっさりと友人の言葉を切り捨てていると、向こう側の彼女は顔を赤くして奥に入ってしまった。残念。もう出てきてくれないのかもしれない。
この暑い日に、カーテンを開けていれば、彼女らは暑いだろうし。
「名前、何て言うの?」
「はぁ? 教えなきゃいけないわけ? それ」
「だって同級生なのに、名前知らないとか」
菊池 優華 忘れもしない、彼女の名前。誰がお前らなんかに教えるもんか。
「なぁ、坂本ー」
「うるさい。練習に戻る」
今日も彼女の顔が見れたから満足。さて、練習に励むか。
「まさか、知らないの?」
「知ってるけど、お前に教えたくない」
手を振って、見つめて、笑って、名前を知って。
次はどうすればいい? どうすれば、君に気付いてもらえるかな? ここに、俺がいて、君を想ってるって。
やっぱり、話したことないのにそう思うって、変なのだろうか。
「お前、彼氏気取りかよ」
「まさか。立候補はしてみるけど」
彼に一つ、笑顔を。
「うわぁ。こいつ、嫌い」
「どうとでも」
今度、文系クラスに行ってみようか。それとも美術室に行くか。どちらにしても、彼女の声が直で聞ける。それだけですごく嬉しくって、つい足早に歩を進める。
「おい、坂本ー」
その声に返事もせず、美術室の方を見上げた。
本物の恋に落ちるのは、もう少し先。
女の子の名前でピンときた人は『drop』読みの方ですね。絵を描くって言ったら、そういうイメージしかないのでした。(笑)
作中の人間は暑い暑いと言ってますが、わたしは今とても寒いです。季節外れで申し訳ない。