棘
やばい、短編もネタが尽きてきた。
わたしが発したのは確かに、相手を傷つけるための言葉で――そしてその言葉は予想以上に相手を傷つけた。
彼を傷つけようと、口に出したその言葉は寸分違わず、それ以上の威力を持って、彼の心を引き裂いた。その瞬間を、わたしはこの目で見た。
放った瞬間に、後悔をした。口に出した瞬間、分かった。
言ってはいけない言葉だった。一番、口に出してはならない言葉だった。
いつもそうだ。
ケンカするときに“こういう言葉”をいうのはいつもわたしの方で、傷つけるのはいつもわたしだった。優しい彼が、そんなことをするはずもなく、いつだってそれはわたしの役割だ。
そして傷つくのはいつもあっちだった。それなのにケンカをしたとき、謝ってくるのはいつだってあっちなのだ。
ただ一言『ごめん』と。まるで自分だけが悪いかのような顔をして。時々それが、無性に腹が立つ。
君は悪くないんだよ、と言外に言われた気がして嫌になる。
悪いのは、あなたじゃなくわたしだと、はっきり分かっているからだ。
自分は何もしていないのに、ケンカの原因が多少あったにしろ、傷つけたのは間違いなくこっちで、加害者はわたしなのに。
それが腹立たしかった。何を謝っているのか分からなかった。だからまた傷つけてしまう。
『何に』謝っているの? ケンカの原因? それなら謝ってもらう必要なんてない。謝ればわたしが笑うとでも思ってるの?
傷つけたわたしが、笑うと?
わたしは傷つけた。一番言ってはいけない、一番彼を傷つける言葉を……わたしは吐いた。自分が彼のにふれたいと思った唇で、その言葉を吐いた。
彼を傷つける言葉を、その唇から吐き出した。なんて、薄汚れた感情の言葉なんだろうと思っているのにもかかわらず、彼が一番傷つく方法で、彼が一番傷つく人間から。
その言葉を吐き出すんだ。
イライラして、感情が定まらなくて、呆気ないほど自分が自分じゃなくなる。
「ごめん」
「何が……」
声が、冷たかった。泣き出しそうなくらい弱く、しかしそんな自分を律するかのように、必死になって感情を抑えているような声。
あぁ、弱弱しい声。女々しい声。……違う、馬鹿らしいくらい弱い声。
「別にわたしは、謝ってほしいんじゃないの」
顔を俯けたまま、表情の分からぬまま、言葉は続く。先程、荒く言葉を紡いだ唇で、小さく言葉を続ける。
「謝らなくちゃいけないのはわたしなのに、謝られると正直イラッとする」
言ってもなお、こちらを向こうとはしなかった。荒く言葉を吐いた後、傷ついたのは多分彼女だ。
言われた自分よりもさらに深く、こちらが感じる痛みを想像してより深く、彼女は傷ついた。
はっと息を呑んで、そして顔を歪める。自分が言われたかのような表情に、言われた言葉より胸を刺された。
「どうして、いつも謝るの……?」
泣く寸前のような顔が、ケンカするたびに瞼裏に浮かび良心を苛むのだ。始めから、ケンカなんかしなければいいのに、と。
「だって、傷つけたのは俺だから」
彼女にそんな顔をさせるのは自分だから。
優しい、本当はとても優しい彼女に、そんな辛い言葉を吐かせてしまったのは自分自身だから。
「言いたくないような言葉を、言わせてしまったから」
誰も傷つけたくないという彼女を、人を傷つけることに慣れていない彼女を、そうさせたのは自分だ。
「バカだなぁ」
そう言って、彼女は初めてこちらを向いた。苦笑いを含んだ顔で、こちらを見る。泣いていないようで、それだけで少し安心した。
「被害者なのに、何、加害者みたいな顔してるの」
そっと近寄れば、『情けない顔してる』と頬に手を添えられた。そして抱きつかれる。
「ごめんなさい」
いつだって泣きながら言うセリフを、今日彼女は笑顔で言った。
「ひどいことを言ってごめんなさい。傷つけるつもりで言ったけど、あなたを刺すつもりはなかったの」
あぁ、そうだ。
けんかをするとき、自分も彼女も、相手を多少傷つけるために言葉を発する。
それは苛立ちによるものだったり、単純な怒りによるものだったりするけれど。
「俺も、ひどいこと言ったね。ごめん」
だけど、もしそれを後悔するのなら、謝ればいい。
人を傷つけておいて、そんな簡単な問題じゃないんだと言われれば、それまでなんだけど。
「仲直りのキスでもしとく?」
「しないー」
ひらり、と彼女は腕から逃げて笑う。
「どうせなら、仲直りのデートしよ?」
にこりと笑う彼女の瞼に、キスを一つ落として笑う。
彼女の棘なら、たとえなんだろうと甘い花に変わるのを待とう。
いつかその蜜に触れることを願って。