名もなき本屋
拍手で載せたやつ。
オムニバス形式にしようと思って、1話書いて終わりました。まだネタはいくつかあるんで、書いたら連載モノにしようと画策中。
いらっしゃいませ。ここは名もない本屋です。
あなたにぴったりな本をご紹介させていただきます。
ここへ来たということは、何か大切なものを失くしてしまわれましたか?
それとも初めから持ってなかったのですか?
ここは不思議な本屋です。幸せな方はご来店いただけないかもしれません。
しかしどこの誰でも持っていそうな、何気ない悩みを一つでも持っているのなら。
きっとここへ招かれるでしょう。
二人の店員が、温かいお茶を用意してあなたのご来店をお待ちしております。
ぜひ一度、足をお運びください。
その店に入ったのはほんの偶然。
いつも通っているはずの町並みに、異変を見つけたのは定時上がりの帰り道。
珍しく早く帰れて少しだけ浮かれていた帰り道。
いつもは目に入らない店が見えた。
古びたというほどでもない、しかし年季の入っていそうな外観。
本屋の看板らしく『あなたにぴったりの本をお探しします』とある木の板が下げられている。
そんなに大きくないけれど、どことなく雰囲気が気になった。
いつもなら足を踏み入れない。だけどどうしてだろう、吸い寄せられるようにその店に入った。
日の長くなったせいか、この時間でも十分明るい町並みが遠くなった気がした。
扉を押せば、カランと涼しげなベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
明るい少女の声が聞こえた。紺色のエプロンをし、少し長めの髪は後ろで纏めている。可愛いというよりも、美人だと思った。もちろん、私なんか足元にも及ばない。
野暮ったい、だけど仕事のしやすいひっつめ髪。フレームのごつい、レンズも厚いままのメガネ。化粧っ気のない顔。しかも最近忙しいから肌なんかボロボロもいいところ。
気後れしてしまって、一瞬後ろへ下がった。しかしその後ろからも声がかかる。
「いらっしゃいませ。どんな本をお探しですか?」
振り向くともう一人、店員らしい人がいた。こちらも紺色のエプロンを身に着けている。書店員、というよりも、図書館司書といったほうがいい気がする雰囲気の人。
穏やかそうな青年だった。多分、年は私と同じくらい……二十後半だろう。人の良さそうな、人畜無害そうな顔立ちだった。柔らかな瞳で、顔立ちは地味……失礼だけど。
でも整っていないわけでもなく、ここの店員さんは綺麗な人が多いと思った。
「えっと、どのような」
「すみません、気になって入っただけで」
なかなか返事をしない私に戸惑ったのか、男の店員さんは質問をしなおす。それを遮るように私は言葉を紡いだ。本なんて、探していない。
「いいえ、いいんですよ。本を探しに来るのが目的の人なんて、ほとんどいませんから」
いつの間にか少女はお盆を持っていて、その上のカップが湯気を立てていた。そしてこちらへどうぞ、と言い、店の奥まで入っていく。
「店長。お客さん、案内してください」
少女の言葉に男性店員――店長さんらしい――は私に向かって笑いかけた。笑顔が素敵な人だと思う。何となく、警戒心を抱かせない人だ。
「お客様、こちらへどうぞ」
少しだけふざけるように笑い、次いで小さく片目を瞑る。この人、かなり茶目っ気があるのかもしれない。
店の奥は先程の入り口と変わらず、落ち着いた内装だった。店員さんの性格が出ているのだろう、まるで我が家のように落ち着いてしまう。
小さなテーブルに案内され席に着くと、すっと茶が差し出された。ほんのりと黄色の……見たこともないけれどたぶんお茶。紅茶でないことは確かだけど、日本茶でもなさそうだ。
匂いは少しだけ、りんごに似ていると思った。きつい甘い匂いではなく、仄かに香るだけ。
「カモミールティーです」
にっこりと、少女が笑った。聞くところによれば、大学生でバイトさんなんだそうだ。口に含めばハーブティーとは思えなかった。
もっときついのを想像していたし、あまり好きなものではないはずだから。それでもこれは呑みやすく、『おいしい』と素直に言えば、笑顔を返される。
「ここは、あなたにあった本をお選びするところです」
店長さんが笑って言う。おいしそうにカップを傾け、こちらを見て、また笑う。
「かと言って、無理矢理買ってもらおうとかではありません。買うも買わないもあなた次第。お気に召していただければ、僕たちも嬉しいということです」
席を立ち、さらに奥を示した。
「あなたの大切なもの、いいえ、あなたが大切だと思うものをお探ししましょう」
大切なもの……?
「あなたが失くした、あるいは初めから手に入れてないものをお探ししましょう」
私が、失くした?
本がきれいに並んでいる。それでも普通の本屋などとは雰囲気が違った。まずベストセラーとかは一つもない。最近人気の携帯小説なるものもなければ、漫画もない。
あるのは古びた本と、いくつかの見知った作家の本だけ。あとは異国の本が多かった。絵本も多いと思う。だけどあまり見たことがないものばかり。
店長さんはその中をすべるように歩き、一つ、また一つと本を抜き取っていく。流れるような所作を目で追うと、隣にいた少女がため息をついた。
「店長……、久しぶりだから張り切ってる」
「え?」
「久しぶりなんですよ。この店にお客様が訪れること」
あまりに――人が忙しすぎるから、人は多分一番大切なことを失ったことにさえ気付かない。
「私も、このお店、見たことなかったです」
自分はそこまで余裕のない生活をしていたのか。
「いえ、このお店、多分普通に生活している人たちの目に映りにくいんだと思います」
わたしも客としてこの店を訪れるまで、この前を何度も通ったはずなのに全く気がついてませんでしたから。
「あなたもお客さんだったんですか」
「そうなんです」
大切なものを、失ってしまったときにここへ来たんです。
「まぁ、失くしたものは戻らなかったんですけど、代わりになるものは手に入れられました」
あなたは、どうでしょうね。
少女の言葉が嫌に耳について、私は失くしたものについて考えた。
「これくらいですかね」
どさりと目の前に積まれたのは十冊程度の、様々な大きさの本だった。正直、これに全部に目を通すのは嫌なんだけどな。
「大丈夫。全部読むわけじゃないですから」
しかし店長さんはそんな私の気持ちが分かったように笑った。穏やかだけど、油断できない人だと思った。この人は鋭い人だ。
「ただ、少し眺めてみるのがいいかもしれません」
もしかしたら意外に早く見つかるかもしれませんよ。そう言って、二人は私から離れた。
「ごゆっくり、お選びください」
二人が離れて、やがて周囲から音が消えた。たった一人になって、とりあえず本を眺めてみる。上から順番に、一つずつ手にとって見る。
特別何かを感じるわけもなく、どれから目を通そうか迷っているときだった。一つの絵本に目が留まり、そしてそこから離れなくなった。
『見つかるかもしれませよ』
その言葉の意味が分かった気がした。
かわいらしい表紙のその絵本は、ありきたりといえばありきたりで。だけど女の子なら一度は憧れた物語だった。
継母にいじめられる少女が、魔法使いの力を借りて美しく変身する。
王子とすばらしい時を過ごすが、その魔法の期限は午前零時だった。
慌てて帰ろうとする少女を王子は止めるが、少女は行ってしまう。
残ったのは一つ。
ガラスの靴だった。
その靴を手がかりに、王子は少女を探し出す。
たった一人の少女へ出会うため、町中を尋ねる。
そして少女に出会って、めでたくハッピーエンド。
私も幼いころ憧れたものだった。こんな人に出会いたいと、何度思ったことだろう。だけど、結局、こんなこと起こらないと知ってしまった。
最近まで、信じていたと言ったら笑われるだろうか。いつかは、誰かやって来て、そして幸せになれる。そう思っていたことを、誰かに知られたら。
『無理に決まってるでしょ』
『あんたの容姿で、誰がそんなことすんのよ』
そのときは、笑って済ませることができた。
「だよねー。ありえない」
そう友人に合わせることだって、できた。だけど、家に帰ってから落ち込んでた自分がいた。
『そうか、いないのか』
と当たり前のことを確認した。
私が失くしたもの。
多分ソレは……。
恋への夢だろう。
小さい頃から憧れていて、ずっと信じていた。
だけどそんなのは、ただの憧れでしかなくて、可哀想な私はずっと信じていた夢に裏切られた。
「失くしたもの、見つけた」
失くしたことにさえ、気がつかなかったものを見つけた。
「見つかりましたか?」
「ええ。おかげさまで」
少しだけ、努力してみるのがいいかもしれない。もう少しだけ、待ってみるのもいいかもしれない。
「これ、買います」
「ありがとうございます」
私はその本をぎゅっと握り、そして笑った。ひっつめがみを流して、メガネも外して。そして、帰ったら肌の手入れでもしようかなと思いながら。
「また、来てもいいですか?」
「ぜひ、お越しください」
こちらは名もない本屋です。
あなたにぴったりの本をお探ししましょう。
あなたが失くした、もしかしたら初めから持っていないものを一緒にお探しします。
失くしたことにさえ、手に入らないということさえ、気付かないモノをお探しします。
ですからどうぞ、ご遠慮なく、見つけたらすぐさま。
お越しくださいな。
「店長」
「うん?」
「わたしも結構、憧れてたんですけど」
「そう? でも残念だね。僕が迎えに行く前に、君がここへ来たから」
「もし、ここへ来てなかったら、店長迎えに来てくれてました?」
「それは分からないね」
抱きしめる腕も、何もかも、ここへ来るまでは知らないことばかりだった。
「君はここへ来て、失くしたものの代わりに何を手に入れたの?」
「聞いてたんですか?!」
聞いていたはずもない発言を聞かれていて、びくりと肩をそびやかせた。
「家族の代わりに……、恋人を手に入れました」
素直にそう言うと、その人は優しく笑った。見とれるほど、優しい笑顔でこちらもつい笑い返してしまう。
「あの人も、出会えるといいですね」
「そうだね。美人さんだったからね」
まぁ、事実は事実だから認めるけど、こちらとしてはあまり面白くない。
「ああいうのが好みですか?」
「う~ん、あんまり好みは分からないな」
君が好きってだけだよ。
そういう彼は、本当にきれいに笑った。
一度でいいから書いてみたい、オムニバス形式小説。
あとこういう雰囲気が好きなんです。