世界を失う
バッドエンドです。お気をつけて!! ちょっと不思議な世界観。いつか違う時間軸で書いてみたい雰囲気を、小さい区間で切り取りました。
悲しくも美しく、を目指しましたが、あえなく撃沈。いつか綺麗に雰囲気を切り取れたらいいなぁ。
I cannot lose a world for thee,
but would not lose thee for a world.
(by Byron)
バカらしいと、君は言うだろうか。
そんなのは自己満足だと、苦く眉をひそめるんだろうか。
俺の行動は、正しくないと、君は言うんだろうか。
世界を失う
昔、本当に昔、聞いたことがあった。君がどういう役目を負ってここに来ているのか、俺はもうそのとき知っていたから。
君は知らないと、思っているんだろうね。自分の役目など、小さな神が知っているはずもないと、そう思っていたんだね。
『ねぇ、もし、俺と世界とを選ぶとしたら、どっちを選ぶ?』
分かりきってはいたんだ。君は俺を選ばない。君が自分の役目を、放棄するはずがない。
『世界を選ぶと言ったら、あなたはどうするの?』
君は、俺のために世界を失うことは出来ない。
世界のために、俺を失うようなことはあっても、その逆はきっと出来ない。
『どうもしないよ。ただ、世界のために死ぬだけだ』
どうして、俺を選ばないくせに、君は悲しそうに笑うんだろうね。
世界のために死ぬなんて、真っ平ごめんだと思うのに、何故か口をついて出てきた言葉は重かった。重くって、喉元に引っかかって、それでも飲み込むことは出来ずに吐き出した。
なんと愚かしい言葉を口走っているのだろうか。
世界の真理は、こんなにも愚かで残酷だ。
『あなたは、どうなの?』
わたしと世界、どちらを選ぶの。
『そりゃ、君だろうかなー』
子供っぽいと言われてしまえばそれまでで、世界と人の命など天秤にかけるものでもないのかもしれない。
それでも、世界よりたった一人の命のほうが重いと思うんだ。
どの命よりも、君の命が尊いと言えば、君はきっと眉をひそめるんだろうね。
たかだか人間の命一つの重さが、そこまで大差あるとは思えない、とでも言って。まるで神の命なら、尊いとでも言うように。
それは違うと、君にどうやったら分からせてあげることが出来るんだろうか。
どうしたら、この命は、君たちの命とそう変わらないと教えることできるだろう。
『君のために、世界を失うことはあるかもしれない。
しれないって話だから、そんなにびっくりした顔をしないでよ。いざとなったら、あっさり世界を取っちゃうかもしれないから。
それでも、世界のために君を失うことなんて、きっとないんだろうね』
世界のために、君とつないだ手なんて放せないだろうと思ってた。
たとえ全世界の人間が、それは正しくないと言っても、間違っていると言っても、自分はその手を放せないと、そう思っていた。
自分たちの命一つで、世界が救えるなら安いものだと、君は考えるのかい?
『あなたは、変ね』
『そうかな』
『変よ。世界とわたしの命なんて、天秤にかけるものじゃない』
それなのに、君はどうして今頃になって、世界と俺を天秤にかけたんだろう。
そんなこと、する必要はないのに。
天秤にかけられる価値が、俺にあるわけじゃないのに。
『逃げて』
声が響く。
『早く逃げてっ!!』
どうして、君は傷だらけなの? どうして血にまみれて、こちらへ走ってくるの?
『世界のために、あなたを失いたくはないっ!!』
それは俺のセリフで、君のセリフじゃない
『世界のために、俺は死ぬだけだ』
あぁ、だから、どうして君はそんな顔をするの? 最初に言ったのは君なのに。どこまでも美しい世界を愛するのは、君なのに。
『世界を、失うことになる。君はそれでいいの?』
顔が歪む。そういう顔をして欲しくて、俺はここにいるんじゃない。
『それとも、神殺しの罪が、怖くなった?』
傷つく君を見るのは嫌だ。それでも、俺はもう選択肢を持っていないんだよ。
君は俺を殺すために毎日、毎日、『その日』が来るのを待ち望んでいた。世界のために、『神』を殺すのが、君の役目だと初めから分かっていたよ。
多分、君の瞳を見たあの瞬間から。
『そうじゃ……』
『なら、君は』
君は俺を殺さなくちゃいけない。
だってね。俺が生きるということは、世界を失うということ。その世界には、君も含まれてるんだって、気付いてるかな。
言ったはずだよ。世界のために君を失いたくはない。世界はこの場合、俺自身のことなのかもしれないね。
俺のために、君を失いたくはない。
君のために、世界を失うことには、何の躊躇もない。
『いっ』
いやだ、と彼女の声が遠くなる。もう、涙でぐしゃぐしゃになった顔もぼやけていく。
『いやだっ!!』
どうして? 美しい世界は、君の愛する世界は、守られるはずだ。
何よりも美しいのは、君だといったら、『変ね』とまた笑ってくれるだろうか?
あの、愛しさと切なさを混ぜ合わせたような、少しだけ悲しそうな笑顔をくれるだろうか。満面の笑みは、いつだって見たことがないから。
一度くらい、見たいと思ったけれど、俺の存在自体が君の笑顔をなくしているんだよね。
『失いたくないのっ』
でも、世界を失うことに比べたら、たった一人の神など、天秤にかける価値もないだろう?
安いものだと、思うだろう?
『あなたをっ』
バカらしいと、君は泣くんだね。
そんなの自己満足だと、嗚咽をこらえるんだね。
俺の行動は、正しくないと、君は縋りつくんだね。
紛れるように、名も知らぬその人は消えていった。
名の分からぬ、神は光の粒子となり、その粒子さえ空気に溶けて消えていった。
『神様は、名前を教えはしないんだよ』
どうして、教えてくれなかったのか、今少し分かった気がする。だって自分は今、その人の名を叫んでは泣けない。
その名を呼んで、縋りつくことは出来ない。
あんなに、人と神は同じだとあなたは言ったのにね。
『何の力もないよ。だって、死と引き換えにしか、世界を守れない』
自分はあのとき、何と言っただろう。
『神様は、死んだらどうなるの?』
あぁ、そうだ。
『神様は、死んだら……そうだな。世界になる』
溶け込むんだよ。境目さえ分からないくらい。自分の前の神様と同じように。世界となり、空気となり、木となり雨となり、雲となり、火となる。
世界のありとあらゆるものになって、世界を巡る。巡って、人々を包み込む。
「溶け込んだら……、もう会えない」
世界の崩壊を免れたのは、間違いなくあなたのおかげだよ。たった一人の、偉大な神のおかげだ。長い間生き続け、消える寸前だった神。
だけどね。
「わたしが泣いてるのも、あなたのせいだよ」
血のにじむ体を起こした。
彼を守ろうとして、彼を殺すことを決めた『場所』から逃げてきた。自分の役目を放棄するのは、そのまま死と同じだと、幼い頃教えられた『場所』から逃げ出した。
息を吸うのと同じくらい自然に、『神殺しは正当だ』と言い続けているとろこから逃げ出した。彼と出会うまで、わたしもそれを疑ったことなどなかった。
たった一つの存在で、世界が救われるなら、それはなんと安い代償だろう。たった一つのもので、幾億の命が救われるのなら、その『たった一つ』は喜んで消えるべきだ。
そう単純に考えていた、過去の自分が恨めしかった。
そのたった一つが、かけがえの一つだと分からなかったあの頃の自分はなんと幼く、愚かだったんだろう。
かけがえのない一つが失われる痛みは、こんなにも痛いのに。
これが、当然なの?
今更になって痛む傷は、きっと大切なものを失ったからだろう。
「本当は……」
本当はね、聞いて。本当はね。
「あなたを、失いたくなかった。世界を失っても、あなたを一人で逝かせたくなかった」
この世界が、どれだけの重さなんか知らない。自分の命を含めた、人の命の重さなんて、知らない。
それでも、あなたの存在の尊さは知ってたの。
どんなにかけがえのない『神』なのか、あなた自身から教わったの。
「あなたの代わりの神様は、もういるかもしれない」
もうどこかで、次の代の神様は生まれているのだろう。
そしてまた、死に近づいた神のもとへ、また一人、その神を殺す役目を負った人間が訪れるんだろう。
それは無限に繰り返される、ただの『行為』なんだろうけど。
それはこれまで以前に繰り返された、なんでもない『行為』なんだろうけど。
だけど。
「あなたの代わりの、話し相手は『わたし』にはいないんだよ」
幼い頃、あなたと会ってすぐの頃、あなたは聞いたね。
『ねぇ、もし、俺と世界とを選ぶとしたら、どっちを選ぶ?』
あのとき、わたしはもう、自分の役目を知っていた。
いずれ彼が、世界のために死ぬべきだと分かっていた。そして彼を、この手で殺すと知っていた。
だからかな。
『世界を選ぶと言ったら、あなたはどうするの?』
そんなことが、言いたかったわけじゃないと、言い訳が許されるなら言いたかった。
『どうもしないよ。ただ、世界のために死ぬだけだ』
それが悲しかったと言ったら、あなたは笑いますか?
「どうして、いなくなるの……」
確かに、わたしたち人間は、世界が続くことを望んではいたけれど。ずっとずっと、この優しく美しい世界が続くことを、望んでいるけれど。
「それでもわたしは」
あなたのいない世界を望んだわけじゃなかった。
あなたのいない、この世界が守りたかったわけじゃなかった。
世界は美しくて、儚くて、でもどこか強い。簡単なことで壊れるくせに、いつもはそんなこと微塵も感じさせない。
「世界に、あなたはいるのかもしれないけど」
もう、あなたとは話せない。
些細なことでも、嬉しそうに教えてくれたあなたはもういない。
わたしの顔を見て『君は本当に世界を体現しているねぇ』と笑うあなたはもういない。この森の中、ときどき見当たらないあなたを探し歩く時間はもう存在しない。
見つけたとき、『見つかったな』といたずらっ子のように笑うあなたは、もうこの世界のどこにも……いるはずがないんだ。
世界のためになんて死にたくないと言いつつ、いざとなったらサラっとやってのけるあなたは、ズルイ。
「どこかで、信じてたのかもしれないね」
もしかしたら、世界もあなたも存在する世界もあるかもしれないと。
あなたが死ななくたって、この世界は当たり前のように存在するかもしれないと。
「人は愚かだね」
愚かな人間を、あなたは愛していたけれど。
今日、わたしは世界を失いました。
鮮やかな、美しい世界はもう、わたしの目には映らない。
何の色も映らず、モノクロの世界で笑う人はいない。わたしの頬を撫でる人もおらず、いるのはただ『神殺し』の少女を、神聖視する人たちだけ。
世界のために、幾億の人のために大切な人の手を離したわたしの選択を、『正しかった』と笑う人たちだけ。
ああ、彼なら、『それは本当に正しいの?』と聞いてくれるのに。
彼がいるから、わたしの世界はあんなにも色鮮やかだったんだ。神様のいない世界は、空虚で色をなくし、ただただ虚しいだけの『存在』。
わたしの一番守りたかった、世界は彼と共に消えた。
ねぇ、わたしの選択が正しかったなら、この世界は色鮮やかなはずじゃないの??
わたしの愛した世界は、美しかったのに。この世界は、もうその美しさを失ってしまった。
あなたの手を離してしまったから、この世界は色を失ったの?
『ねぇ、君の選択は、正しかったよ』
風に運ばれた言葉は、空気は確かに彼で、ここにいないはずの彼を探して目をさまよわせた。
神様は、死んだら世界になる。……あなたは、本当にこの世界にいますか?
『君の、近くにいるよ。君の愛した世界になってるよ。それのどこが不満なの?』
前よりもずっと、近くに。
前よりもずっと、深くに。
君の側に、いるのに。君は気付いてないんだね。
「あなたのために、世界を失いたかった」
もう遅いと分かっていて口に出すと、風がふわりと頬を撫でた。
まるでそれが、『分かっているよ』と言っているように聞こえて、また涙を流した。
『俺は、君のために世界を失いたかった』
それだけだよ。
彼の声があまりに優しくて、瞳に世界を映した。この世界が彼ならば、色鮮やかに瞳に映るはずなのに。この世界は、あまりに空虚すぎた。
そなたのためにたとえ世界を失うことがあっても、
世界のためにそなたを失いたくない。
(by バイロン)
変な出来です。すみません。とりあえず、バイロンの言葉を使いたかっただけです。
うーん、何と言うかこういう痛々しい悲恋が大好物なんです。