第3節 13
翌日。シャワーを浴びて、一応兜と爪と角を装備したヴァンは、人気のないエントランスで、ベンチに座ってルナを待っていた。
集合時間の5分前になったところで、装備を整えたルナが部屋に入ってきた。
「おはよう。…ヴァン兄、結構待った?」
「それなりにな。まぁ、それはどうでもいい。昨日話していた、報告書の書き方について教えるぞ」
正直に待っていたことは伝えるも、どうでも良さそうに立ち上がり、歩き出す。一拍置いて、ルナもそれに着いていった。
「―何処に向かうの?」
階段を登り、3階の部屋を進んでいるところで、ルナが聞いてきたので、自然に答える。
「資料室だ。何年か忘れたが、報告書を保管している部屋がある。書き方について、そこを見て参考にした方が手っ取り早いからな」
しっかりと説明し、ルナも納得した様子で着いていく。
そしてヴァンが足を止めたのは、2枚の扉で閉ざされた、他よりも大きな扉。何処からか、事前に用意していた鍵を取り出して差し込んで回すも、手応えがない。ヴァンは特に考えず、取っ手を掴んで引っ張ると、それは簡単に開いた。
「誰か使ってるのか?」
「そうみたいだな。まぁ、別に誰でも構わんが…戸締まり位はしてほしいものだ」
鍵の閉め忘れという不注意を指摘しつつ、2人は中へと入っていき、しっかりと扉を閉め、鍵を掛けた。
中はとても広いはずなのだが、所狭しと並べられた本棚に圧倒され、実際よりもかなり狭く感じる。辛うじて、入り口付近にある大きなテーブルのお陰で、入った直後にその物量に押しつぶされることはない。
ヴァンは慣れた様子でテーブルに向かい、近くにおいてある椅子を2つ引いて寄せ、それに座る。ついでに邪魔な兜を外してから、残る1つに座るよう、彼は目で合図した。
ルナもそれに促されるまま、隣に座り、テーブルに置いてある、それぞれの棚に収納されている報告書のガイドを一緒に見る。
「結構種類はあるが、雑務系は割と適当に書いて問題のが多い。よほど内容に困ったときに見るくらいだから、基本的には無視でいい。
今回のパターンだと、外回り、特に魔女の救出関係の棚が参考になるだろう。まずは。そちらから適当機いくつか引っ張り出すか」
棚の読み方を説明しつつ、目当ての棚がある場所を指で指し示しつつ、彼も一緒に立ち上がって同行してくれる。
そして目当ての棚の目次を流し見しながら、いくつかの資料を引っ張り出した。
「大体、この辺りだな。ちゃんとマスターが精査した上で必要に応じて添削としているから、きちんと文にもなってるはずだ。自分でも参考になりそうなのを見つけてみろ。俺も少し、調べたいものがあるからな」
ヴァンはそれだけ言って、自分の作業に入ってしまい、いくつかの資料をさっと抜き出して、早々にテーブルの方に向かっていってしまった。
ルナが内容をチェックしながら、自分の時と似たようなシチュエーションの事例を探していると、後ろから声が聞こえた。
「君ぃ、なーにしてるの?」
それと共に、背中に体重がかけられ、重いものと柔らかいものが同時に襲ってくる。
ここは魔女協会。敵ではないものの、不意打ちには咄嗟に武器を振り回しそうになるも、その前に肩を抱えられ、両腕の動きを制限されてしまう。
「――!!」
「あぁ、そんなに暴れないで。私だよ、私」
「……資料室では、静かにしろ。資料に傷がついたらどうする?」
騒ぎを聞きつけてすぐにやってきたヴァンが、呆れ気味に指摘すると、ルナの頭に顎を乗せた彼女はのほほんと答えた。
「やっほ。こんな所に来て新人教育かい? 精が出るねぇ。ま、昨日は沢山出してもらったんだけど」
「年増特有のつまらん冗談は程々にしとけ」
「……教官?」
ようやく落ち着いたルナが名前を呼んで振り返ると、名残惜しくルナから離れた彼女が手を振ってきた。
見た目としては身長170cmほどの、20代後半の女性。ヴァンと同じくらいの年齢に見える。服装はシンプルに、無地の黒いシャツと青いジーンズ。当然と言えば当然だが、装備は特に着けていない。
肩に届かないくらいに伸ばした、まっすぐな青いショートヘア。しゅっとした顔つきに、鋭い目元はここにいる多くの魔女とは異なり、凛とした印象を感じるが、その口に染み付いた薄ら笑いが台無しにしている。
彼女は魔力を宿した魔法道具の扱いを教え、教官と呼ばれている。昨日の任務においても、即興で装備の使い方を叩き込んだ本人であり、魔女協会の中でも広く慕われている人物である。
「スピネ、久々にちゃんと話したけどお前は変わらないな」
「君は随分と変わっちゃって…。あの時みたいに無邪気だった頃が懐かしくて仕方ないよ」
教官、スピネと呼ばれた彼女はよよよ、とわざとらしく目元を隠すが、ヴァンは呆れ気味に返す。
「気持ち悪い幻覚を捏造するな。
で、要件がないならさっさと仕事に移らせてほしいんだが」
「まぁまぁ、君の教える仕事は代わりにやってあげるからさぁ、ルナ君を私に貸してよ。大丈夫、ナニもしないから」
「ルナの尻をまさぐりながら何言ってんだこの小児性愛者」
―いつぞや、ヴァンが話していたように、魔女というのは体の時間の進みが遅い。それにも関わらず、彼女が他の魔女に比べてかなり年上のように見えるのは、"継承"することで生まれた魔女ではなく、ヴァンが言う通り、極端な年下好きという性癖を拗らせ続けた結果、真っ当な相手を見つけられずに今の今まで続いて来たからである。少なくとも、ヴァンが知る限り、彼女に特定の相手ができたことは無い。
ただ、年齢を重ねている分、その教育方法は誰もが認めるものではある。それを知っていたからこそ、ヴァンもルナを預けたのだが―彼女の性癖のことを完全に失念していた。彼自身、目をつけられるような時には既に1人で外回りに出ていたので、実害を受けていなかったのが理由でもあるが。
それはさておき、確かに教育者とは信頼ができるが、ルナという好みの獲物を与えて調子に乗らせるのも面倒くさい。ヴァンは間に入るようにしてルナを引き戻した。
「こいつの教育係は俺だ。勝手な真似はやめてもらえるか?」
確かに彼女は変態ではあるが、公私を完全に混同させる程、理性を欠いているわけではない。こういう時ははっきりと伝えるのが効果的なのは分かった上で伝えると、想定通り彼女は引き下がった。
「もう、そこまで言うなら仕方ないなぁ。
でも、専門分野はちゃんとお姉さんが教えてあげるからまた来るんだよ?」
「必要に応じてちゃんと回してやるからさっさとどっか行け」
面倒そうにヴァンが追い出そうとすると、そこは渋られた。
「それは出来ないかな。私と調べものがあって来たからさ。それに、ヴァンと実は一緒かもよ?」
「…お前、何か、情報を持ってるのか?」
予想外の言葉にヴァンも反応するが、彼女は薄ら笑いを浮かべたまま聞いた。
「さあてね。何の情報か、はっきり言ってもらわなきゃ、言えないねぇ」
「……お前、」
馬鹿にしてるのか、と言いたかったが、彼女の意図―それならルナも仲間はずれにせず、情報を共有しろという狙いを察知し、彼はそれ以上は何も言わず、仕方ないと言いたそうに舌打ちした。
「…ちっ、仕方ねぇ。ルナ、悪いが俺はあっちで調べ物の続きをやってる。何か分からないことがあれば聞いてくれ」
そう言って、帰っていったヴァンの後ろ姿を見つつ、スピネは面白そうに笑った。
「本当、甘いねぇ、あの子は」
「?」
ここで、彼は引き下がった。それはルナを余計なことに巻き込みたくないという意思表示。それを分かっていた上で、スピネは意味深なことを話しており、予想通りだったことも含めて…笑っていた。
上機嫌なスピネを不思議そうにルナが見るが、彼女は何でもない、と適当にごまかしてルナと一緒に資料を漁ろうとしていたところで、先ほどチェックしていた資料が見当たらない。この場でそういう資料を持ち出しそうな客人は他にいるわけがなく―いつの間にか、テーブルに大量の資料を広げて確認しているヴァンの姿があった。
それに気がついたスピネはすぐに詰めに行く。
「ヴァーンーー?? 何で全部資料持ってくのぉ!?」
明らかに不機嫌そうな彼女に向け、ヴァンはわざとらしく鼻を鳴らした。
「なんだ、お前も欲しい資料があるなら、さっさと取っておくべきだろう。まぁ、今は俺が読んでるから少し待ってろ」
嫌がらせと言わんばかりにゆっくりと報告書のページをめくりながら答えると、彼女はそれ以上言い返さず、少し怒りながら戻ってくる。
「もう! 本当に陰湿なんだから!!」
「あはは…」
無駄話している間に、やることをやっていればそれを回避できたのでは? と正論でツッコまないようにして、ルナは合わせるように苦笑するしかなかった。
結局、暇になったスピネの指導を受けながら報告者を書いてみて、ヴァンに下書きを提出した。
「―ふむ。よく書けてるな」
昔の報告書を参考にした上で、報告内容にも問題ないことを確認し、ヴァンは頷いた。
「これなら次からは1人でも大丈夫そうだな。
それと1つ、忘れないでほしいのは、お前が書いてるのは報告書だ。自分の記録ではなく、相手がいて成立するものだから、書く時もしっかり意識すれば問題ない筈だ」
「お姉さん的には魔女の子に魔力供給する時の様子も詳細に書いて欲しかったな!!」
勝手にこちらの会話に入ってきて、全力でセクハラ発言をしているスピネを、冷ややかな目で見た。
「そこの生き遅れのセクハラは無視していいぞ」
「ヴァンくぅん! 流石にライン超えでしょそれはさぁ! 表出なさいよ!」
「模擬戦のお誘いか? 受けて立とうじゃないか」
思った以上にヴァンもストレスが溜まっていたのか、当然のように売られた喧嘩を買い、一触即発の状態になるが、そこでルナが仲裁する。
「…あの。2人とも、報告書の提出に付き合ってほしいんだけど…」
申し訳なさそうに口を挟んだのを見て、2人も子供の前で大人気なかったことを理解して、落ち着いた。
「――悪かったな。ガラでもなかった」
「ごめんねぇ、こんな大人で。勿論、ルナきゅんの用事を優先するからね!」
真面目に謝ったヴァンに対し、しれっととんでもなく痛い呼び方をしていたスピネは2人ともスルーし、立ち上がる。
「それなら、善は急げだ。資料を片付けたらさっさと向かうか」
「じゃあ私のも片付けておいてー!」
「自分でやれ」
先程までの反省は何処へやら。早速調子に乗った発言をしたスピネを、ヴァンはばっさりと切り捨てた。
「けちー!!」
「……一回り以上年上の姿がこれって、本当なんですか」
「諦めろ。ダメな人間はどれだけ歳を食っても変わるもんじゃない。…俺等は、よく知ってるだろ?」
「あっ…………そう、だね」
年齢は分からずとも、少なくともヴァンよりも年上なはずの女性の振る舞いに絶望しつつも、それ以上にどうしようもない黒の竜狩りの前例を指摘され、全てを察したルナだった。




