第1節 5
ヴァンは木々の隙間から翼竜の姿を確認しつつ、舗装されていない獣道を慣れた様子で駆けていく。この程度の道ならば、慣れたもの。木の根に足をくじくことなく進んでいき、少し前から目を付けていた巨木の根元にたどり着く。
「これなら大丈夫か」
彼は木の幹の強度を確かめつつ一人つぶやき、しっかりと姿を確認できるほど接近している翼竜を捕捉する。
この距離でも視認できる大きさからして、平均よりも少し大きい成体。5メートル級といったところか。鱗の色は深緑。
翼竜は効率的な狩猟のため、トカゲのように擬態能力を持つ。よく飛翔する個体ならば、青空に近い水色、森林部でよく過ごす個体は深緑、洞窟に篭もる個体ならば漆黒と変わるが、今回の個体は深緑。つまり、この個体は周辺を住処にしていても、森林部で暮らしている個体である。それに、通常よりも少し大きい個体となると―
「産後、の可能性があるな」
彼の言う通り、翼竜は出産、孵化までの間、脱皮の手間すら惜しんで抱卵を行う。その為、時期によっては孵化直後までは脱皮をするはずの外皮の分、体が大きくなる。しかも、一般的なトカゲとは異なり、脱皮する前の皮も相当の硬度を持つため、一般的な成体よりも討伐の難易度は上がる。それ以上に危険なのが―
「…悠長にもしてられないな」
強襲するため加速した翼竜を確認しつつ彼は呟き、右手の角を構える。大きく屈伸して力を一瞬溜めてから、人とは思えない跳躍力で木の枝に一息に飛び乗った。大きくしなる枝をバネにして、その反動を利用して更に高度を稼ぐ。
10メートルはある木のてっぺんまで軽々と登り、その勢いを維持したまま虚空に向けて右手を突き出すと、角が発射される。
その角は虚空をすり抜けていくのではなく、虚空に突き刺さり、支点となってヴァンの体を支える。前方に進みながら右手のリールが巻き取られていき、加速を維持したまま角を回収、巻き取られた角は再装填されて次の目標に向けて構えられる。
右手の角とワイヤーを駆使し、瞬く間に翼竜との距離を詰めるが、翼竜はラセルタにしか見えていない。
―産後の翼竜は、仔竜の分も含め、大量に食事を確保するため、凶暴性が増す。ただその反面、捕食者の頂点でもある故の油断か、獲物を見つけた際の注意力が激減する。
その瞬間こそ、狩りの好機。翼竜の独壇場である空中で襲いかかる敵は本来存在しない。その油断を突き、急接近したヴァンは左手の鉤爪を光らせた。
その左手が獲物を刈り取る寸前にそれを察知した翼竜が、大きな翼を張ることで上昇気流を受け止め、浮遊する。必殺の一撃は空を切り、大振りの勢い余って回転しつつ落ちていくが、その途中で不可視の足場に着地。勢いを殺さずに飛び上がり、再び翼竜へと向かっていく。
今度は奇襲ではなく、はっきりと認識された状態での戦闘。本来ならば人の手の及ばぬ、竜の独壇場である空。
しかし竜狩りは地に降りることなく、空での戦いを望んだ。
得物は左の鉤爪と、移動に使用している角、それと不可視の"魔女の力"。それらがあれば、翼竜にも勝てる自信が彼にはある。
―だからこそだろう。竜とは賢い生き物であり、一切退かないその姿を見て、危険を察知したのか、翼竜は不満げに咆哮してから空へと逃げていった。
ヴァンの本来の目的は翼竜ではなく、安全な道の確保。危害を加えるつもりがないのならば、不必要に追いかける必要はない。ただ、こちらを油断させる演技の可能性もあるため、いつでも追撃できるよう、不可視の足場に立ちつくした状態でじっと、遠くに消えていく翼竜を確認したところで地面を見る。
木々の隙間から見える道を走っているラセルタの姿を発見し、それを追っていくことにした。
翼竜を追い返し、ラセルタに追いつき、先回りをして着地して彼らを待つ。
半狂乱気味に、逃げるように走っていたラセルタがヴァンの姿を見つけ、その意味を理解してようやく落ち着きを取り戻した。それから一呼吸置いて御者席に座っていたドットも彼の姿に気がつき、安堵のため息を吐いた。
遠くから安全を伝えるように大きく手を振っていて、ヴァンも軽く手を挙げてそれに応えた。
その後、彼らと合流して少し疲れ気味のラセルタを労るように、彼の横を歩きながら今朝作った綺麗な水を飲ませてやる。
「お疲れ様です。…本当に、追い払うとは思いませんでした」
ドットも色々言いたいことはあるようだが、一旦全て飲み込んで、一言告げた。
「運が良かった。…恐らく、俺がいれば不用意に近付いてくることはないだろう」
それに対して特に誇ることなく返し、先程の襲撃で翼竜にも十分警戒されているだろうと伝える。それを聞いて、彼も少し安心したようだ。
「それは助かりますね。…装備があるにしても、あんなの相手に、よく立ち向かえますね」
羨望の混じった言葉に、ヴァンは鼻を鳴らした。
「あんなもの、恐れるに足らん。何せ―俺は竜狩りだからな」
「…?」
一瞬、何か言いかけた気がしたが、ただ言葉が詰まっただけかと勝手に解釈し、それ以上聞くことはない。
「…お、そろそろ休憩地点ですね」
ちょうど、休憩地点が近くにあるという看板を見つけ、彼らは歩を進めていくことにした。
―その後は特に問題もなく、順調に進んでいく。日が沈むころには、元々予定していた野営地点にたどり着いた。
人為的に切り開いて作られた広場の中心部、そこに残っていた焚き火跡を目印に焚き火を灯し、ついでに獣避けの香を焚く。そこで手持ちの携帯食料を焼きながら、更に近場の水辺で汲んだ水を煮沸消毒する。
火を囲みながらベルとドットは、ようやく落ち着いたと言わんばかりに大きく息をついた。
「大変な1日でした」
「そうか?」
しみじみと呟くベルに対し、まだ余力を残しているヴァンはいつの間にか作っていた、乾燥野菜をふやかしたスープが入った、木彫りのカップを渡してくる。
「お嬢様は屋敷での暮らしが長かったですからね。かくいう自分も、慣れているわけではないですが」
ヴァンからスープを受け取りつつ、ドットがフォローを入れ、彼は自分の分のスープをすすりながら、そうか、とどうでも良さそうに呟く。なお、彼の隣にはラセルタがべったりとくっついて、ヴァンの空いた手に握られている干し肉を、だらけきった顔でしゃぶっている。
煮沸消毒も進み、ヴァンは受け鍋に溜まった水を水筒に移し替えつつ、思い出したように聞いた。
「ところで、火の番はどうする?」
隣村まで一日で辿り着く距離ではなく、あと2日は道なりに進んでいく必要がある。まずは今夜の寝ずの番について聞いてみると、ドットが提案する。
「それならば、こちらが先にやりますよ」
「そうか。それなら、一段落したら俺は荷車で寝てるぞ」
先に不寝番をしてくれるのであれば、それに甘えることにした。ただ、今の内に水を作ったり、今後のための携帯食料の準備はしておくことにした。
しばらくして、一通り今のうちにやっておくことを終え、ヴァンは兜の蝶番を留め直し、露出していた口を隠してから立ち上がる。
「じゃあ、俺は寝てるぞ。何かあったら起こしてくれ。―っと、これも渡しておく」
荷車の中で寝るため、そちらに戻っていったと思ったらまた顔を出し、ドットに向けて時計を投げ渡す。
「時間になったら起きると思うが、その時計が一周する前に戻らなかったら起こしてくれ」
「分かりました」
ドットも指示に素直に従い、ヴァンは荷車の中に戻って、鍵は閉めていないが、扉も閉めてしまった。
今日1日動きっぱなしだったラセルタも疲れたのか、体を丸めて静かに寝息を立てている。
邪魔者が消えたこともあるのか、ベルは少し待ってからドットの手に被せるように握ってくる。
「…ねぇドット、今日もお願いしていいかな?」
普段とは想像もできないような甘えた声で彼女は聞いてきて、あまりの豹変ぶりにも笑うことなく、ドットはその手を握り返した。
「えぇ、気の済むまでどうぞ」




