第2節 24
その後、食堂できちんとした食事をとり、ルナを知り合いの魔女を紹介しつつ、即席の訓練を頼んでおく。
その間にヴァンは自室にこもり、自分が外回りをする際によく使う道具を紙に纏めておく。自分の荷物と記憶を照らし合わせながら、必要に応じて書き加えている間に、気がつくと結構な時間が経過していた。
夜も更けていき、本部の仕事、娼館も始まる時間になる。忘れないためにも、事前にセットしていた時計が鳴る。その音で今日の仕事を思い出し、時計を止めたあとに準備を始める。
ゆったりしていた服を脱ぎ捨て、まずは仕事用の黒スーツに着替える。髪を留めていた留め具を外し、彼は長い髪をオールバックにして、邪魔にならないようにワックスで固めておく。更に身元をできるだけバラさないようにする黒眼鏡も追加して、さっとボーイ用のスタイルに着替えたヴァンは、指紋防止の白い手袋と、履きなれない革底の靴も履いて、めんどくさそうに部屋を出た。
―彼の仕事は、魔女の護衛。先日、ゴルを狙った襲撃未遂があったこともあり、しばらくの間は警戒を強化する目的で、始まっていたようだ。それ以外にも、ゴルを含めて、交流による勉強もさせる目的で、少し学の疎い子たちも受付に出すことがある。その時のフォローも、彼らの仕事なっていた。
とはいえ、最低限の礼儀やマナーは身に付いているので、余程面倒な者でなければ特に問題となることはなく、両脇で立って監視するヴァンとオルタ、巨漢巨女2人組の圧もあれば、妙な真似をする輩は皆無だった。
何事もなく、仕事を終え、締め作業をしていた時に同僚からのジュースの差し入れもいただきつつ、夜は更けていった。
平和に過ぎていった夜が明け、再び日が昇る。
訓練で相当しごかれたのか、ルナは疲れ気味ではあったが、動けるだけの体力はあったので、そのまま鍛冶屋に連れて行くことにした。
朝食を忘れていたので、朝から活気のある市場でたまたま目に入った屋台で済ませることにする。
空いていたベンチに座り、ホットドッグを頬張りながら、呆けて空を眺めているヴァンに向け、隣で1人分のピザを食べながらルナが聞いた。
「ヴァン兄って、昔はどんな所にいたんだ?」
昨日、ルナの過去を聞いたこともあり、今となっては王国に名を轟かせる戦士でもある、彼の生い立ちが気になったようだ。一緒に頼んでいた、柑橘系の果物を搾ったソーダを一口飲んでから、彼は相変わらずの無表情で答えた。
「俺は、北の小さな村の生まれだ。この辺で暮らす連中と変わらなくて、どこにでもいる両親から育てられて、周りのちびたちと遊び回る、何処にでもいた子どもだよ」
特別な生まれでもなく、なんでもない、ただの子どもであった幼少期。文字通り、武器どころか刃物すらまともに握ることのない、平和な生まれ。ただ、彼の平穏は一瞬で消え去った。
「今、俺がこうやって過ごしてるのは、黒竜によって、一夜で村が滅んだからだ」
きっと、二度と忘れることはない。月明かりすら届かない、炎と酸に焼かれた世界。あの時に見た巨躯は、きっかけさえあれば、いつでも思い出――
「……っと、悪いな」
無意識の内に、飲み物のカップを握りつぶしていたようで、手に伝う冷たい感触で現実に戻される。心の奥のざわつきにも気が付いており、彼はポーチからハンカチと煙草を取り出した。
「悪いな、少し一服してくる」
ルナには、"呪い"についてははっきりとは伝えていない。だが、魔女協会に来るとなれば、ヴァンの事を知らないわけがない。何かを察したルナは、詳しくは聞くことなく、頷いた。
「分かりました、行ってきてください。ここで待ってますね」
「すまないな」
彼はそれだけ言って席を外し、ルナはふぅ、と一息吐いてから少し前、シルからの忠告を思い出す。
『君は、ヴァンの呪いについて聞いているのかな?』
世話を焼いて、一緒に食堂で食事をしている時に聞いてきた。まぁ、知っててもいいんだけどさ、と答えを聞かずに話し出す。
『まぁどちらでも良い。あの人と一緒にいるなら、よく見ていたほうがいい。"きっかけ"なんて、アテにはならない、そういう、厄介なものなんだ。
明らかに目の焦点が合わなかったり、些細でも異常な行動が見えれば、それは呪いの合図だ。
そして、君に守ってほしいのは、不用意にヴァンに近寄らないこと。予兆の段階なら、よほどのことが無ければ、ヴァンは1人で解消できる。
それでも呪いが発動したと思ったら、周囲の味方…特に、魔女は最優先で連れて、逃げること。そして、すぐに魔女協会に連絡して、鎮圧の準備をすること。ヴァンと一緒に行動すると言うなら、この事だけは覚えておいてくれ』
真顔で彼は話し、脅すようなことを話したあとで、付け加える。
『―その呪い込みでも、ヴァンは、素晴らしい人だ。それだけは、僕が保証する。だから、君も彼から学べるものは、しっかり学ぶといい。―それと、君たちの安全を祈ってるよ』
「……」
ぼんやりと街並みを眺めつつ、ルナはシルとの話を思い出していた。そして、気がつくと手に持っていたピザも食べ終わっていたことに気が付き、口直しのお茶を啜る。
そうやって待っていると、少し経った所でヴァンが戻ってきた。
「待たせたな」
「もう大丈夫?」
心配して声をかけると、彼は作り笑いで答えた。
「大丈夫だ。さぁ、さっさとやることを済ませよう。今日は忙しいぞ」
「はーい」
ヴァンが促したと共に、ルナは立ち上がり、着いていくことにした。
そして着いたのは、ヴァンが行きつけの鍛冶屋。しっかり作業中のため、先日来たときよりも熱気に溢れていた。流石の熱気に2人は顔をしかめるも、それ以上は何も言わずに入っていく。
進んだいった先のカウンターには、若い女が暇そうにしていた。跳ねる火の粉で火傷しないよう、全身を覆うつなぎを着込んでおり、頭にはスパークによる視界を保護するためのグラスを掛けている。そばかすはあるが、若さ故か、肌は光沢を保っており、炎の光に汗が光っている。
服装や、ここが鍛冶屋であることを考えなければ、どこにでもいそうな、赤毛の15ほどの娘がいた。
「よう、若頭。店長呼んでくれ」
ヴァンが気さくに話しかけると、彼女は気怠そうにこちらを見たあと、ヴァンであることに気が付き跳ね起きた。
「あ、ヴァンさん! いらっしゃい!
頼まれてたメンテは終わってるよ!」
「それは助かるな。店長を頼む」
最低限の返答を行い、店長に代わるように伝えると、彼女は店の奥へと消えていった。そしてしばらくして、汗だくの店長が顔を出し、ヴァンの顔を確認して声を出す。
「おう、来たな! すぐ準備するが、他に用事はあるか?」
それ聞いて、ヴァンはすぐに後ろで待機していたルナを引っ張って横に並べる。
「それなんだが、こいつの防具を見繕ってほしい。市販の革鎧くらいなら、すぐに用意できるか?」
それを聞いて、店長はルナの体を試すように観察し、そうだな、と答える。
「そこのあんちゃんの体型なら、合わせられるモンもあるはずだ。おいパリス、折角だからお前が見繕ってやってくれ」
突然の指名に、娘、パリスは目を輝かせた。
「親父、仕事していいのか?」
「まぁ、他のやつならまだしも、お得意様の紹介だ。お前にゃ、金色の装備は見せられねぇが、その連れなら大丈夫だろ。…金色、それでいいか?」
勝手に話を進めたあとに許可をもらうが、彼は静かに頷いた。
「あぁ、好きにやってくれ。…ということだ、ルナ」
「拒否権は最初からないし、大丈夫だよ」
少々諦観気味に彼は頷き、パリスに手を握られて奥に連れて行かれた。
代わりにカウンターに立った店長は、ヴァンに話しかける。
「で、随分若い子だな。魔女協会のか?」
「新人だ、名前はルナトリア。まぁ、俺が行きつけだし、今後はここで武具のメンテをするよう言っておくから安心しろ」
「そりゃありがてぇな。…で、お前の"角"の
"爪"だな。メンテナンスも終わってるが、すぐ使うのか?」
店長と話しつつ、元々依頼していた、彼の装備を取り出し、ヴァンはそれを受け取って、爪をすぐに左手に填める。右手は、今指輪を着けていないので、カウンターに置いておくことにした。
「そうだな。明日には出る」
「相変わらず、忙しそうなことで」
「いつものことだ。いつまでも、この街にいると、平和ボケしそうだからな」
真面目な顔でヴァンが言うと、店長は鼻で笑う。
「良いことじゃねぇか。デカい戦争なんかあっても、誰も幸せになんかならねぇよ」
「―そうだな」
尤もな意見ではあっても、彼には平和を享受する資格はない。否、平和という言葉を彼の呪いが許さない。いくら薬で制御しても、些細なきっかけで暴走する感情という呪いは、真っ当な生活を送ることは許さない。
そんなヴァンの胸のうちは知らぬまま、店長は話を続ける。
「それにしても、お前が若いのを連れてくるなんてな。世話焼きって噂だけは、魔女協会の連中から聞いてはいたんだが、こういうのを連れてきたのは初めてだろ?」
「魔女協会の決定に従っただけだ。俺は、単独のほうがやりやすいからな。誰かを連れて行っても足手まといでしかない」
淡々と答えると、店長はカウンターに置かれた爪を見てしみじみと呟いた。
「まぁ、こんな骨董品、見たことねぇからな。これで竜とやりあうんだろ?」
「見たことないのか? その割には最初から完璧に仕上げていたが」
初めて竜狩りの角を見せた時から、自信満々に引き取った上に文句のつけようのないメンテナンスをして返してのを思い出し、意外そうに聞く。
その言葉に対し、彼はバツの悪そうにそっぽを向いた。
「あー、その件なんだが。先代の残したレシピに全部書いてあった」
「黒の竜狩りの専属でもしてたのか?」
「そういうこった。10年近く来てなかったし、もう来ないだろうと思ってたら、同じ機構の角を持ってきたのがお前ってことだ」
10年、師匠がヴァンを拾って、育成していた期間とある程度合致するも、彼はそうか、と空返事で返す。
「そう思うと、店長との付き合いも10年経ってるのか」
「そうだぞ。うちの娘もあんなにちっこくて可愛かったのに…今となって立派になってなぁ!」
2人して昔話を始めた所で、店の奥から不満そうな声がとんでくる。
『ちょっと親父ぃ! 今もかわいいでしょうにぃ!』
「本当に可愛いまま、立派になってなぁ…」
1人泣きそうになってるが、ヴァンとしてどうでもいいので、返しに言っておいた。
「ルナ! 装備の方も問題なかったら会計するから出てこいよ!」
『分かったよ!』
「よし」
「いや、よしじゃないが。やかましいんだよ、店の中で」
店長が冷静にツッコミを入れるも、そもそもの発端が言った所で説得力はない。
「まぁ、それはいい。話を戻すが、あの子用のナイフも見繕ってほしいんだが、既製品での候補はあるか?」
何かあった時の護身具は必要だ。特に使い回しの良い小型の刃物は何かと都合がいい。ヴァンの要望に、店長はそうか、と何やらカタログを取り出して話し出す。
「それなら、良いのがあるぞ。試作品だが、護身具としてデータも欲しいし、テスターになってくれるなら一旦貸し出しできる」
「ほう。なら、それ含めていくつか見せてくれ。
ついでに、自分用のナイフも欲しいんだが」
一緒にカタログを見ながら言うと、店長は怪訝な顔をする。
「お前には少し前にばっちり特注したの回した覚えがあるんだが?」
「あれはサバイバルナイフとした使い倒してるから安心しろ。ただ、刃渡り40cmもあるせいで、その気になったら人の骨まで斬れるからな。俺の爪ならまだしも、何十人も斬るような仕事で、メンテも無しに武器として使ったら一月持たねぇよ。
首を掻っ切ったり、心臓突くのに丁度いい長さが欲しいんだ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ」
彼の言う特注のナイフ―普段から包丁や伐採といった、文字通りサバイバルにのみ使っていることは敢えて触れず、適当に言いくるめておく。
そして2人でカタログを眺めていた結果、果物ナイフ程度のサイズが丁度良かったのでヴァンは安いナイフを自前用で5本だけ先に注文したところ、使い潰す気満々な意図を見抜かれて渋い顔をされた。
「…お前、これは投げナイフなんかじゃねぇんなぞ?」
「道具を大事に使ってほしいのは分からんでもないが、戦場では下手に丈夫な武器だけじゃなく、使い捨てられる武器も何かと使い勝手が良いんだよ」
「そうなのか…?」
文句を言われるも言い返しておき、無理矢理納得させたところで、革鎧を調整してもらったルナも帰ってきたので、そのままルナの武器を見繕うことで誤魔化すことにした。
「俺の買い物は終わったし、ルナの武器も見繕ってもらおうかな」
「……まぁ、いいけどよ」




