第2節 20
―場所は変わり、魔女協会の医務室。
真っ白な部屋のベッドの1つで、シルに一撃でノックアウトされ、気絶したヴァンはキツいアロマの匂いで目を覚ました。
「…………、」
静かに目を開き、沈静のアロマで鈍る頭を働かせ、どうしてここにいるか思い出そうとするが、あの若造をしばき倒したところまでしか思い出せない。周りに感化され、頭の中が歓喜で満たされた直後―
「呪い、か」
そこでようやく呪いに感情を支配されていたことに気が付き、彼は体を起こすと、シルに殴られたこめかみに激痛が走った。
「っっつぅ…!」
激痛はあるものの、辛うじて意識を保ちつつ、周りを見渡すも、カーテンに仕切られており何も見えない。
しかし、カーテン越しの姿は確認されたのだろう。しばらく呆けている間にカーテンを空けられ、存在そのものが暑苦しい、筋肉ダルマことシルが顔を出した。
「ようやく、目を覚ましたね」
「そうみたいだ。…どれだけ眠ってた」
「2時間くらいだね」
2人は淡々と話し、ヴァンはそうか、と続ける。
「世話になったみたいだな」
「そうだね。ただ、皆びっくりしていたよ」
「…俺が笑っていてか?」
普段、無表情を貫いているヴァンの笑顔は確かに貴重なのだろう。ただ、今回のは狂喜に呼ぶに相応しかったが。
「…そう、だね。ところで、きみが寝ている間に起きたことの報告があるけど、大丈夫かな?」
寝起きとはいえ、頭がはっきりしていると判断したシルは、早速事後報告に移る。ヴァンも話を聞けるくらいには目も覚めたので、素直に応じることにした。
「あぁ、大丈夫だ」
「それなら良かった。まずは、君が叩きのめした相手だけど、運の良いことにまだ息があったよ。急遽、魔女協会側で救急処置をしたから、後遺症もなく、一命を取り留めている」
呪いに意識を奪われていた彼には、どこまでやっていたかは覚えていないが、シルの口ぶりから相当な危篤だったのだろう。それでも、死んではいなかったと報告を受けるも、彼には実感がない。
「そうか。それは、良かった」
空返事で返すと、流石のシルも少し困ったように忠告する。
「呪いが原因とは言え、実感がなくとも君がやったことなんだからさぁ、もう少し興味持とうよ?」
「そうは言うが、再三こちらも関わるなと言った上で夜道に奇襲されてるんだぞ。結果として瀕死に追い込んだのは事実だが、正当防衛だろう」
ヴァンの言い分も尤もなのだが、今回については過剰防衛にも当たりかねない。それを聞いた上で、再度苦言する。
「それでも、今回はやりすぎだよ。1回目の時点で立場を分からせないとさ」
「残念ながら、碧の竜狩りたちの前で、叩きのめした直後にこれだぞ」
「えぇ…」
まさか一度分からせた直後の奇襲だったとは思いもせず、流石に擁護のしようがなくなってしまう。
そう言われるとシルもそれ以上は言えず、咳払いして話を変える。
「ごほんっ。…まぁ、それならこっちもツッコめないね。
それで、もう1つ、あの娘に預けていた契約書とスーツだけど」
「……あぁ、あれか」
指摘され、ようやくウルリッヒに魔女協会からの応援を頼む時に渡しておいた荷物のことを思い出し、シルの話の続きを求める。
「とりあえず、契約書は無事に解読できるレベルだったから、大丈夫。でも、スーツの方は…」
ナイフの一突きを受け止めたのだ。無事であるわけがなく、彼は怒ることなく、静かにそうか、と答えた。
「まぁ、ドレスコードを要求されるような堅苦しい会合でもない。今回は残念だったと陛下には話しておけばいいだろう」
彼は素直に諦め、シルはそう? と聞いてくる。
「裁縫の心得はあるし、直そうか?」
「流石にそこまでやってもらうことはないよ。俺は俺なりの正装で行けば良い」
シルの申し出もしっかり断り、ヴァンは気分を落ち着かせるように深呼吸をする。
「…ここは、禁煙だったか?」
「残念ながらね。アロマは3つくらい焚いてあげてるから、大人しく寝ててね」
「…やたら眠くなると思ったら、そんなに焚いてたか」
今更ながら、この強烈なだるさと眠気の原因と、甘ったるい臭いの理由を把握し、彼は再びベッドに横になる。
「まぁ、それなら寝るに限る」
「そうしてくれ。…さて、僕はそろそろ行くよ。ここにいると、寝てしまいそうだ」
話も終わったところで、シルも立ち上がって部屋を出ていこうとする。その前に、ヴァンがその背中に声をかけた。
「シル」
「どうしたの?」
彼は振り返らずに用件を待つ。彼は寝たまま、はっきりと伝えた。
「俺を止めてくれたのはお前だろう?
―ありがとう」
静止してくれたことへの礼を伝えると、彼はふ、と笑った。
「お安い御用さ。何せ、呪い状態の君に対抗できるのは僕くらいだからね」
そうして部屋を出ようとしたが、最後の最後に伝え忘れていたことを思い出した。
「あ、そうそう。傭兵組合の受付の子はちゃんと送り届けたから安心してよ」
「……それは、助かる」
言われるまで、完全に忘れていたことに気が付き、空返事するとシルも苦笑して部屋を出ていった。
「はは…まぁ、ゆっくり休むといい。明日も、用事があるんだろう?」
そのままゆっくりと休み、部屋に充満するアロマの効果もあり、翌朝には呪いによる影響も少なく、クリアな頭で目を覚ました。
腹が空いたので、自室に着替えとシャワーに戻るついでに、残り物を適当に調理して腹に詰める。
昨日買っておいた礼服は使い物にならなくなってしまったので、一応、数年前に買った礼服に袖を通そうとしたが、袖も丈も合わない。あの時よりも身長が伸びていたのもあり、当然と言えば当然か。
仕方ないので、普段通りの無地の白色のシャツの下に肌着を着込み、更に露出している肌にはしっかり日焼け止めを塗り込んでいく。日差しを遮断するように丈の長いズボンを履き、体は洗ったが、念のための香水もキツくならない程度に振りかけておく。長い髪を後頭部で纏めて留め、先日磨いておいた兜を被る。
留め具を固定した後に、念のため魔女の指輪と一体化している指抜きグローブも右手に填め込み、感触を確かめるように何度か手を開いては閉じ、問題ないと判断したところで携帯品が詰めてあるポーチを腰に留め、外に向かう。
武器はないものの、"金の竜狩り"としての正装で、彼は王城へと向かっていった。
いくつかの転送石を繋いでいき、ようやく王城の入り口まで辿り着き、彼はそびえ立つ城を見上げる。
普段はしっかり見ることもない、黒塗りの城。一際大きい、各所に繋がる中心部を含め、大きく5つの棟に分かれている。各棟に国政に関わる事業所が置かれており、先日彼が賞金首の賞金を受け取ったのも、その1つだ。そして、その中に国王が居住し、執務を行う場所があり、恐らく、目的地はそこだろう。
「―金色の。こちらだ」
話を通してある兵士がようやく戻ってきて、道案内をしてくれる。ヴァンは無言で彼の後を付いていき、再び城内にある転送石を伝って移動する。
転送時特有の、世界が揺れるような感覚が収まったあと、いつもの殺風景な転送部屋から出た先は、磨かれた大理石に囲まれた部屋で、天井に吊るされた明かりが、白い壁と深緑色の落ち着いた絨毯を照らしている。そして、大きなテーブルを囲うように4つのソファーがあり、先に1人、こちらに背中を向けた状態で待っていたようだ。後ろを向いたままの姿では誰かは分からないが、その背丈から綺麗な深緑の髪を短く整えた女性のようだ。
そこで、案内してくれた兵士が説明する。
「執務が一段落して、用意でき次第、呼ばせてもらう。それまで待機していてくれ」
「分かった」
特にそれ以上聞くこともないので、素直に従うと、兵士は無言で部屋を出ていく。
その姿が消えた後、ヴァンもソファーに座ろうと、回り込んで座ろうとした時―見覚えのある顔が見えた。
「金の竜狩り、昨日ぶりね」
何処か楽しそうに笑っていたのは、昨日会ったばかりの碧色の竜狩り―マダムだった。




