第1節 4
追手は来ていない、と確認してからもヴァンは外への警戒を強めており、奇襲もないだろうと確信したところで緊張を緩めた。
「もう、大丈夫そう?」
「恐らくな。必要最低限の警戒だけは忘れるな」
ただし、何かあった時にすぐ対処できるよう、ヴァンは右手の角のセーフティは既に外しており、片膝をついて、すぐに立ち上がれるようにしてる。
「ところで、ヴァンさんは魔女の力を使ってるんですか?」
話しかけられる雰囲気になったところで、ドットがおずおずと聞く。その質問に、ドットの視線を外しつつ、はぐらかすように答えた。
「そうだな。一部は魔女由来の力を使ってる。
ただ、どうやって使ってるかは企業秘密だ。こちらもこの力で飯を食ってるからな」
当然と言えば当然の反応で返し、ドットもそれ以上は触れずに話を切り替える。
「そうですか。でも、魔女の力ならば―」
「そうだな。魔力の補充が必要だ」
ドットの言葉を遮って答え、2人の視線がベルに向けられる。
「つまり、それはお嬢から?」
「そういう事だな。―ただ、俺としては魔力だけ分けてくれればそれでいい。
確かに金も貰っているが、お前らに安全な旅を確保するための対価でもある。妥当だろう?」
少し警戒するベルとドットの2人に安心しろ、と断りを入れる。それでもなお警戒を解かない2人に向け、彼は呆れたように続けた。
「悪いが、魔力補給のために無駄な体力を使わされるのはこちらから願い下げだ。もう一度いうが、魔力を補充してくれるならそれでいい。その過程については好きにしてくれ」
そこまで言って、ようやく納得したのか、2人の警戒が溶ける。それを見て、ヴァンは面倒そうに大きくため息をついた。
―ベルは、"魔女"である。
この世界に存在する魔女というのは、魔力と言われる不可視の力を操り、超常現象を起こす、謂わば現人神。その力の対価として、他人の生命力を食らう必要があり、魔女と2人きりの任務では、専ら護衛の片割れが餌食となるが、今回に関しては丁度よく気心知れた仲の相手がいる。
前回の任務で消耗していたヴァンとしても、それは非常に助かる案件であり、任務直後でもこの依頼を引き受けた理由でもある。
それからは他愛のない会話を続け、そろそろラセルタの休憩地点も近付いて来たところで、助けを求めるようなか細い鳴き声が聞こえ、誰よりも早くヴァンが気付き、前方の扉を開けると―代わり映えしない山道の木々の隙間から、まだ距離が離れているため、小さいものの明らかに鳥類とは思えない、翼を持った生き物の姿が見える。
「…翼竜? こんな僻地に?」
翼竜。竜の名前は冠するものの、伝説に語り継がれる竜とは似て非なる存在であり、飛行能力を持った、ラセルタの仲間が近い。
4m前後の体躯に、腕のかわりに大翼を持ち、二足歩行をする肉食性の爬虫類の一種。自力での飛行をするわけではなく、発達した大翼をグライダーのように広げ、上昇気流に乗って飛翔する。
安定して飛翔するためにも、確かに山間部にも生息すると報告されているが、この一帯での目撃例はヴァンも受けていない。つまり、今見えている個体は縄張り争いに負けたはぐれか、僻地故に報告されていなかった個体の二択となる。
地上歩行に特化したラセルタにとって、翼竜は天敵であり、本能的に危険を察知しているのだろう。不安のため歩みが遅くなっているラセルタの隣にヴァンが向かい、静かにその体に触れてやる。今は孤独ではなく、守ってくれる相手がいることを示してやると、ラセルタも少しずつ歩みを進めるようになった。
(あぁいう、然りげ無い気遣いをするのが秘訣なのでしょうか)
あまりにも迷いのない行動に、ドットは勝手に感心し、開けられた扉から顔を出して聞いた。
「こちらができることはありますか?」
ドットの気遣いに、ラセルタと並走しつつ、翼竜の動きを観察しているヴァンは悩むことなく。答える。
「特にはない。ただ、場合によっては俺があれを叩き落とす。その時はラセルタが錯乱して道を外さないようにだけ頼む」
「分かりました」
短い指示を受け止め、ドットもすぐ動けるように扉を固定したまま中に戻り、ベルに説明する。
「ベル、聞こえたと思うけど、そう遠くない位置に翼竜がいる。
場合によっては揺れるかもしれないから、構えるだけはしておいてくれ」
ドットの説明に彼女は少し不満げに、しかし不安なのか、震えた声で聞き返した。
「聞こえてたわよ。…でも、人間一人で何とかなるものなの?」
「それは―」
流石にドットも言葉に詰まる。魔女協会から太鼓判を押されて紹介された護衛だとしても、実際の実績は知らない。それに、相手は本物の竜ではないにせよ、"竜"の名前を与えられるだけの理由がある生き物。真っ当な人間が一人で敵う相手ではない。事実、1頭の翼竜を討伐するために1師団が壊滅するなんて珍しい話ではない。
その不安を感じ取ったように、扉越しに声が聞こえてきた。
「安心しろ、あんな翼竜1頭に負けやしない。
"色付きの竜狩り"の話くらいなら、聞いたことあるだろう?」
―竜狩りとは、国が竜をも狩れるであろうと戦士に与える称号であり、実際に竜を狩った竜狩りはほとんどいない。
なぜなら、まず竜という生き物自体が希少であり、大半の個体は人里離れた場所で静かに暮らしていることが多い。無闇に刺激することで、近隣一帯が壊滅するというのは珍しくない話であり、それ故に竜狩りであっても竜を討伐することは国が許可しない。
だからこそ、"本物の竜狩り"とその他多数を区別するために与えられたのが、色付き。国に竜を狩れるだけの実力を認められ、尚且つ国の正式な指令で竜を狩った者だけに与えられる栄誉の称号。
彼はその色付きであると名乗り、2人は混乱する。
「色付き…!? 魔女協会が保有してる色付きなんて、欠番除いて3人しか…」
ありえないと言いたげなベルに、さもどうでもよさそうにヴァンは答えた。
「……あー、確かに3人か。別に隠してる訳じゃないが、俺がその1人だ。
少しは安心したか?」
「…困惑の方が強いわよ」
驚きのあまり、素のまま答え、ヴァンはどうでも良さそうに前を、空を見据える。
彼らの祈りは届かずに、翼竜は一行を、ラセルタを発見したようだ。一直線に向かってくるのを確認し、ヴァンはドットに指示をする。
「先に行っている。ラセルタが順路から離れないようにしっかり握ってやってくれ」
そう言って手渡されたのは、緊急時に使用するラセルタの手綱。普段は鞍から取り外されているものを、いつの間にか装着してくれたようだ。
それをドットは受け取って、空いていた御者席に座る。それを確認したヴァンは片手を挙げて、散歩にでも行くようなノリで周囲の林へと消えていった。恐らく、奇襲するつもりなのだろうと理解したドットは何も言わず、荷車前方の扉を閉め、ラセルタの操縦に集中する。




