第2節 11
翌日。少し日が昇った頃に目を覚ましたヴァンは、まだ眠っていた少年少女たちをスルーして、体をしっかり洗ってから部屋をあとにした。
寝直す気にはならないが、服は着替えたかったので部屋に寄る。その後、残っている報告書でも片付けようと、受付に向かうと、今日はマスターではなく、入り口で護衛をしていた大女が作業をしていた。
「オルタ、休まなくていいのか?」
カウンター越しに聞くと、彼に気づいた彼女、オルタがこちらを見る。だからと言って何か言うわけではなく、首を横に振った。
「そうか。今日は休憩はいらない、と。昨日のお陰か?」
カウンター側に回り、引き出しから常備している報告書を取り出し、ペンを片手に彼女の隣に座る。
隣に座っていても、彼女のヴェールに包まれた顔は見えない。その表情は読めないが、それを言えばヴァンも似たようなものである。
2人は黙々と作業を始め、しばらく時が流れた。
ヴァンも簡単に報告書を書き上げ、軽く伸びをすると、こちらを向いているオルタと目が合った気がした。何事か、と思っていると、彼女は突然ヴァンの胸を手を当てた。彼も特に振り払うことなくそれを受け入れていると、何だか胸の奥に残っていた、モヤが晴れるような気がした。そして、頭に直接、低いが女性らしい声が響く。
『―呪いを使ったのでしょう? 少し、残っていましたよ』
「それは、有り難いな。というより、そんな事出来たんだな、貴方は」
ヴァンの素直な感謝と質問に、彼女は気恥ずかしそうに手を引っ込める。
『呪いを使った後に、2人きりになったことがなかったですからね』
「そうだったか? …そうだったか」
そう言われるとその通りで、ヴァンは純粋な質問をぶつける。
「よく分からないんだが、お前にとって俺の呪いはどんな味なんだ?」
―オルタ、またの名は"心臓の魔女"。彼女の権能は、"感情を糧とする"。他の魔女と異なり、異性との交わりを必要とせず、強い感情を糧に活動を維持できる特性を持つ、魔女協会の中でもとりわけ特殊な魔女。この特異体質は彼女の過去に原因があるのだが、それはまた後の話。
感想を聞かれると、彼女は暫く悩む素振りを見せてから、とても言い辛そうに答えた。
『とても、からい』
「……そうか。変なものを食べさせて悪いな。
とても、助かった」
感謝と謝罪を述べ、彼は書き上げた報告書を手に立ち上がる。
「―さて、俺も一段落したし、一旦これを提出してくる」
そして、彼は困ったように笑った。
「もう一度言うが、さっきは助かった。でも、貴方が喜びそうな贈り物が思い浮かばないんだが、何か希望があるかな?」
別に礼がほしくてやった訳では無いのは分かっている。それでも、受け取るだけでは彼の気が収まらない。真っすぐに聞くと、彼女も困っているようだ。それも織り込み済みで、ヴァンは彼女の手にそっと手を重ねる。
「じゃあ、君が必要な時に呼んでくれ。その時に、力になろう」
オルタはその手を握り返した後、呆れ気味に聞いた。
『……その申し出は有り難く受け取るけどね。キミ、それで何人の女の子手籠めにしてきたの?』
「さぁ? 数えてないから分からないな」
冗談っぽく言う彼に、オルタはため息混じりに続けた。
『いつか、刺されても文句言えないよ?』
「よく言われる。男からも、女からも悪い噂しか聞いてないから今更だろ。
流石に目が合ったらホテルに連れ込まれるとか言われたのは呆れたが」
彼は手を離し、背中を向ける。
「でも、さっき言った言葉は冗談じゃないからな。俺のできる範囲に限るが、また何かあれば声をかけてくれ」
最後にそれだけ言って、彼は転送室に向かっていった。
「――おや、そこにいるのはヴァンじゃあないか!」
城下町。やることを終えて、いい時間になったのでどこかで昼食を済ませようと思っていたところで、聞き覚えのある声に呼び止められた。
声の主のほうを向くと、折り畳んでいるにも関わらず、人の背丈ほどある巨大なクロスボウ―バリスタを担いだイニスが近寄ってきた。
「大層なものを運んでるな。どこかに配達にでも行くのか?」
軽々と運んでいるものの、その重さは並の人間で持てるものではない筈。それを軽く指摘しつつも、彼女は気にした様子はなく話を続ける。
「こんな所であったのも何かの縁だ、食事を奢るから付き合ってくれたまえ」
「何を食いに行くんだ?」
答える前に内容を聞くと、彼女は自慢げに答えた。
「自分も知らないよ。何せ、ケイが勝手に展開した店だからね。私も行くのは初めてだ」
「…ということは、ケイ絡みの話か。着いていくよ」
彼女の真意をすぐに読み取って返答すると、彼女は満足そうに笑った。
「くふふふ…。キミは相変わらず話が早いねぇ。
そういうところが、自分は好きだから誇りたまえよ」
「ええ、光栄に存じます」
どこか偉そうに言うイニスに合わせてやると、彼女は上機嫌に笑いながら、ヴァンの手を引いて先導した。
彼女に連れられるまま進んでいくと、ダウンタウンの暗い路地にある、小さな看板だけで案内をしている店に辿り着いた。暗いうえに看板も小さいため、店名は読めない。イニスに引かれるまま、やたらと高い扉を潜ると、小気味いい鈴の音と共に店の内装が目に入る。
見た目通り、狭い店で、席はカウンター席5つだけ。その奥のカウンターの棚にはえんじ色のチョッキを着た、ケイが待っていた。
「おや、イニスだけじゃなかったのか。
それはともかく、今日は珍しく開けている日なんだ。是非とも、座るといい」
彼女は分かっていたような表情で、白々しく言い、二人を席に案内する。それに従って席に着いた所で、背後に薄ら寒い気配を感じると―イニスの背負っていたバリスタが何処かに消えていった。
「食事に関係のない配達物は、預からせて貰おうかね」
彼女は闇色のペンダントを懐にしまいつつ、悪戯っぽく笑う。そして、カウンターの下を漁りながら聞いた。
「今日は、いいお肉が手に入ったんだ。ヴァン、君の希望はあるかい?」
「いや、何も聞かずに来たんだが、何の肉を提供しているんだ?」
当然の質問に、ケイは驚いたように目を丸くしてから笑って説明した。
「イニスから何も聞いてなかったか。それは失礼。
うちは、希少取引所の仕事の一環で、本来ならば利用価値がない故に廃棄する肉を提供する店だ。
当然、人に提供できるものに限るけどね」
それを聞いて、ヴァンは心当たりがあったことを思い出した。
「もしかしてそれは…」
「そう、特に新鮮なのは君に仕留めてもらった翼竜の肉さ。製法は企業秘密だけど、きちんと鮮度を保つ方法を使ってるから、シメた時となんら変わらない状態だから安心してくれ」
彼女は自慢げに話し、脂の乗った、霜降り肉を取り出した。
「今のところ、まだ告知もしていないから、誰の予約も入っていない、翼竜のロース肉だ。一足先に味見はしているけど、買い手がつけば金貨1枚は下らない。
折角だ、食べていくかい?」
大事な取引先であるケイの好意を無碍にするわけにもいかず、ちょうど良く腹も空いていることから、ヴァンが頷くと、彼女は笑ってカウンター奥の蓋を取り外し、鉄板が現れる。
「じゃあ、今から作り始めるから少し、話でもしようか」
包丁を取り出しつつ、彼女は話を始める。
「まずは報告だけど、君が頼んでいた、翼竜の回収はちゃんと済ませた。まあ、この場に肉があるから知ってると思うけどね。
それと、昨日の内に村の再興についての話も通したし、ベルちゃん主導の取引まできちんと結んでおいた」
手際よく肉をスライスしながら彼女は報告を続け、その作業を見ながら聞いた。
「再興させる資金は足りそうか?」
「大部分は翼竜の売却で賄えるんじゃないかな。でも、あちら側からの要望で、防衛兵器の注文もあったから、それは分からないね」
防衛兵器、その単語に先ほどのバリスタの存在を思い出す。
「さっきのバリスタは、注文の品か?」
「そういうこと。国軍から取り寄せたものだから、質は保証するよ」
仕入先に言及はしていなかったものの、彼女は聞かれるまでもなく話し、適度な厚さに切った肉の下味をつけている。
「それで、翼竜の素材も買い手は付きそうなのか?」
「今日、卸に情報も流したところだけど、買い手はもうしばらくしないとつかなそうかな。
でも、産後特有の脱皮しなかった皮については、もう王立研究所でサンプルとして納品するのは決まってるかな。それに、脱皮前だったから、その内皮…と言うのかな。本来の表皮はほぼ傷無しだし、密林色の保護色をした翼竜は珍しいからね。きっと良い値がつくよ」
「そうか。それは良かった」
ケイの話を聞いて、少し安心したように彼は深く息を吐き、ケイはそれを見て意地悪っぽく笑う。
「その安堵は、どちら向けのため息なのかな?」
「…どちらでもいいだろう」
ヴァンとしてか、金の竜狩りとしての言葉なのか指摘されたが、彼は不機嫌そうに一蹴する。彼女はそうかい、と軽く返し後に肉を焼き始めながらそういえば、と聞いた。
「君、"神面孤"と接触したんだって?」
「……あぁ、あいつらのことか」
神面孤、という名前に聞き覚えはないが、先の仕事で出会った、2頭のヌシの事だろうと理解して答えると、彼女は釘を刺した。
「君のことだから大丈夫っていう前提でも言っておくんだけど、あの子たちもボクらの獲物…いわゆるレアモノだ。
他所に危害を与えなきゃ狩っちゃいけない生き物なのはよく知ってると思うけど、どこも合法的にやってるところとは限らない。敢えて、こちらから手を出して被害を出して、討伐を合法化させる狡い手を使う同業もいる。
ここまで言えば分かると思うけど、余計な情報は流さないようにしてあげてね。あの子たちも平穏を望んでいるはずだから」
「……随分と、詳しいんだな」
まるで会ったように肩を入れ込むのを見て、疑いの目を向けると、彼女は当たり前のように答えた。
「盗賊たちの残り物でも回収しようおしていた所で、たまたま出会してね。あの時は誰も被害は出なかったけど、今後、人の往来が増えれば余計な事も起きかねない。その余計な面倒の1つにならないよう、色んなところで釘を刺してきたからね。あと、刺してないのは君くらいだったから話したんだ。
―さて、そろそろ良いだろう。まずは何もなしで食べてみてくれ。付け合わせのソースはそれから使うといい」
そんな話をしている間に肉が焼け、彼女は皿に乗った、とても良い香りを立てる肉を出した。他に余計な付け合わせもなく、パンとソースのみ。そのソースも5種類用意されており、色々な味で楽しめるようにしたのだろう。
「じゃあ、いただこう」
「そうしてくれ」
話も程々にして、ナイフとフォークを手に、一旦目の前のご馳走に集中することにした。




