第2節 6
リングに立つ少年の身長は150cmほど。顔にも幼さが残っており、高く見積もっても10代前半だろう。動くのに邪魔にならないよう、短く刈り上げられた青い髪。少し生意気そうな釣り上がった目は、綺麗な碧色をたたえている。人間不信を拗らせ、随分と昔にその光を失ったヴァンには、少し眩しすぎるほどに、その目は期待と希望に満ちて光っていた。
肉付きも細すぎず、太すぎず、健康的。それなりに顔も整っている。地味な白い胴着を着ていてもなお、人目を引く見た目をしており、こんなところではなく、真っ当に生きていれば引く手数多だった―
―観察を続けていたヴァンは、見覚えのある白い胴着に気が付いて思考が止まる。
実際、彼はこの胴着に見覚えがある。そして、その理由こそ、彼がこの少年を紹介された理由なのだと理解した。
そしてこの組手は少年の敗北であり、軽々とあしらわれて、床に転がった。
「…いよっし、こんなもんだな」
肩で息をしながら、少年に付き合っていた仲間はそう言って周りを見たところで、ヴァンと目が合った。
「おう、ヴァンじゃねぇか! ようやく帰ってきたか!」
その言葉に周囲も反応し、今まで後方で野次馬をしていたヴァンに視線が集まる。それを受け止めた上で、彼は苦笑しつつ手を上げて答えた。
「あぁ、帰ってきた」
それと同時に、人々が待ってましたと言わんばかりに割れて道を空け、一直線にリングへの道が開く。
「……相変わらず、お前らのその団結力はなんなんだ」
これもいつもの事なので、ヴァンは渋々と言わんばかりに道を進み、その途中で多くの仲間たちとハイタッチを交わしつつ、リングに軽々と上がる。そして先にリングに上がっていた仲間と再度ハイタッチをして入れ替わり、その間に体を休め、ようやく体を起こした少年と相対する。
「はぁ…はぁ…」
怪我はしていないようだが、疲労が色濃く出ているものの、今、目の前にいるのが、新たな相手だと理解して、ふらつきながらもしっかりと構えをとる。片手を前に突き出し、残る手を引く―ヴァンもよく知る、柔術の構えだ。それを確認してから、ヴァンも自然な動作で同じ構えをとると、少年は彼の正体に気が付いたようだ。じっと見てくる少年に何も声はかけず、彼はすり足で接近する。
身長差から、ヴァンの方が圧倒的に有利。道着の懐に伸びていった手を、少年は流れるように掴んで自分の前に抱え込み、その勢いを利用して、背負投の要領でヴァンの巨体を投げ飛ばす。
大きな音と共に床にぶつかるも、引き手なしで彼は受け身を成功させており、衝撃を分散させるように転がって改めて距離を取る。見事なまでの一本背負いに、周囲は沸き立つ。彼らに調子に乗るな、と言いたそうに一瞬睨見つけている間に少年は接近している。この狭いリングの中に逃げ場はない。既に体勢を整えているヴァンはそれを迎え入れ、足を払って重心を崩そうとしてくるよりも早く、先に軸足を弾き、バランスを崩した少年の腕を掴んで床に激突しないように支えてやる。
一瞬、何をされたか分からずに呆けていた少年も、ヴァンに支えられていた事に気が付いて、すぐにその手を弾いて数歩、距離を離す。素直に相手の気遣いを受け入れられない、思春期特有の複雑さに懐かしさを感じつつ、今度は彼から仕掛ける。
再度接近し、一歩早く、腕の届く距離。再び、彼の服を掴もうと腕を反応させると、その動きに釣られて意識が一瞬向く。だが、それはフェイント。伸ばすつもりだった右手を引き込みながら体を捻って力をためる。すぐにその力を使って、返しの左が彼の腹に突き刺さる。
鈍い音がして、少年の嗚咽が漏れる。別に振りは大きいが、加減はした。腹をぶち抜かれて息が止まったくらいなのだろう。それでも追撃をしたら大怪我をさせてしまうと判断し、周囲に声をかける。
「誰か! この子をリングから降ろしてやってくれ」
彼の一声に、大人たちはすぐに動き、元々用意していた担架に乗せてリングの脇に移動させてやる。
「ヴァン〜? 子どもにも容赦ねぇなお前はよぉ〜」
リングの下で、野次馬が茶化してくる。そんな安い挑発に、彼は敢えて乗ってやる。
「リングに上がったからには、手加減したら失礼だろ? なんなら、子どもでも容赦なくぶん殴る"悪者"を成敗するか?」
ヴァンがわざとらしく放った言葉に、周囲の大人たちは顔を見合わせて、その意図を理解する。そして、我先にとリングに上がってきた。
その内の1人が、拳を突き合わせて聞いた。
「じゃあ成敗させてもらおうかね? 良いんだろ?」
「あぁ、"いつも通り"に、頼むよ。
ま、シルが居ねぇなら負ける気がしねぇけどな!!」
ヴァンはさっさと来いと言わんばかりに中指を立てて挑発する。
「言うねぇ。―そのキレイな面吹き飛ばしてやんよ!!!」
その言葉を皮切りに、ヴァン1人を標的にした大乱闘が始まった。
大人数にも関わらず、一方的に仲間たちをなぎ倒していくも、1人がリング外に飛ばされる度に周囲の野次馬たちが参加していく。なんなら、この騒動を聞きつけた、周囲の仲間たちも参加し始める始末である。
「――うん…?」
リングの外で痛みに悶えていた少年は、ようやく回復して目を覚ますと、最初に組手の担当をしていた男が横で待機していた。
「お、目が覚めたか。ヴァンも、疲れてる子ども相手をぶん殴るとは随分と容赦なかったなぁ」
文字通り他人事なので、ヘラヘラと笑う男にムッとするも、反論する元気はない。じわじわと痛む腹を押さえて体を起こすと、視界の前にあったリングでは、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。
たった1人の男をボコボコにするために、次々とリングに上がっていく男たち。それに対して、攻撃を避け、殴り飛ばし、あるいは誰かを捕まえては投げ飛ばすといった、やりたい放題してリング外に吹き飛ばしていくヴァンの姿。
「…何やってるんです、あれ…?」
至極当然の疑問をぶつけると、あー、と男は説明を始める。
「"歓迎会"、的な?」
「どう見てもただの集団暴行なんですけど」
少年のツッコミに、説明を続ける。
「まあ、あいつにも色々あんだよ。
あいつは俺らをぶん殴ってストレス解消できる、俺らはあいつをぶん殴って鬱憤を晴らせるっていう訳で、あいつから提案してきたんだ。一応、ウチの中じゃ"百人組手"っていう体で認められてるしな」
ヴァンは、魔女協会に所属して長い。その間に彼が呪いを使った後の精神的に不安定な状態を、薬だけでは抑えきれないこともあった。その対策の1つとして、彼のストレス発散も含めたこの乱闘が提案された。
彼自身、それで抑えられるのであれば喜んで受け入れ、参加する者たちも合法的にヴァンの顔面を殴っても許されるという、互いの利害が一致し、ヴァン本人の申し出があった時のみ、この乱闘を行えるように許可された。その頻度も多くはないものの、所属期間が長くなれば当然開催頻度も多くなり、参加経験のある魔女の騎士団も相対的に多くなり、今の状態に至る。
今となっては歓迎会のような感覚で参加する者も多く、ヴァンも対多人数での模擬戦として楽しんでいる節もあり、割と彼らの中では楽しんでいるイベントであったりする。まぁ、当然彼への恨みも持って参加する者もいるが―
「…なんで、結構一方的なんですかね」
ヴァンの戦闘経験の豊富さだけではなく、呪いを起動したあとは、しばらくその影響―常人離れした身体能力も多少残っており、常に3人は相手している状態でも、彼への有効打は全くと言っていいほどなく、一方的な戦闘が続いていた。
その光景を見たがら、少年は改めて聞く。
「ところで何も聞いていなかったんですけど、何者なんですか? あの人って」
今更と言えば今更な質問に、知っている前提で話していた男は知らなかったのか? と確認してから教えた。
「アイツは、魔女の騎士団最高の戦力、"金の竜狩り"って言われてる。一部では"黒の継承者"なんて言われてる、お前の言う師匠、"黒の竜狩り"の正当な後継者だ」
「…あの人が?」
少年も話だけ聞いていた、金の竜狩りの話。だが、実際の顔や見た目については聞いていなかった。先ほど対峙したときも、構えから自分と同じ出身であるとは思っていたが、ようやく見つけることができた。
「―あの戦いが終わったら、声かけてきていいですか?」
「ん? あぁ、大丈夫だろ。付き添いはいるか?」
初対面で、あの大男に声をかけるのは割とハードルが高いのではないかと心配して、男が気を利かせてくれるが、少年は首を横に振った。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。同じところで育った者なので」




