第1節 23
今日も赤い月が輝く夜、ヴァンはヌシたちの住処を後にした。2頭は寝ているのか、本当は寝たフリをしているのか、呼び止められることなく、出ていけた。
外に出て、眼前に広がるのは赤く染められた暗い森。行き先は決まっている。大半の鳥は眠り、空にいるのはごく一部の夜行性の生き物のみ。それらさえ、翼竜が空を支配するようになってからは、高く空を飛ぶことは許されない。
その中で、ヴァンは自分こそが翼竜よりも"上"であると言いたげに、高く飛び上がり、空を駆けていった。
最早隠密行動はいらない。ここで見つかったとして、拠点は分かっている。ならば、報告するよりも早く潰すだけ。翼竜にも劣らぬ速度で空を駆けるヴァンに、この山道、悪路の地上から追いつける人間はいない。
仮に翼竜が出迎えたとしても、今度こそ息の根を止めれば良いだけ。翼竜もいなくなれば、村の防衛はより安定するだろう。
こちらの計画は完璧であるが、ただ1つの懸念点がある。それは、ヴォルガがこちらの動きを先読みし、拠点を捨てた上で既に村への侵攻を始め、こちらの到着よりも早く制圧されること。
ヌシと共に行動していたおかげで、ヴァンの痕跡でもある暴力の痕跡のほとんどは、ヌシが肩代わりしている。唯一、翼竜の傷だけは言い訳が出来ないが、それが裏目となるかどうかはあの拠点にいるであろう調教師次第となる。翼竜の意思疎通、そこからヴァンとヌシの関連付け、更にヌシに殺されたであろう部下たちの荷物を漁られた上、方位磁針の存在に気付いて既に偵察を終えていること―この1日の中で彼の存在を確定するにはクリアされるべき条件が多すぎる。
それでも、完全な奇襲であった1年前の襲撃でさえ、逃げ延びたヴォルガの第六感は侮れない。警戒するに越したことはないが、その思考の"隙"が致命傷にならないためにも、必要以上に考えるのは悪手だろう。まずは、目先の目標である、ヴォルガの拠点の殲滅を優先するべきだ。
余計な懸念は振り払い、ヴァンは目の前の足場に集中することにした。
昼間に白色と共に確認した滝壺付近に着地し、ヴァンは木に隠れつつ、侵入前に周囲を警戒するが、見張りのような者はいない。警戒も重要だが、警戒しすぎても自縄自縛するだけだ。人影がないことを確認し、滑り込むように滝壺の裏に潜り込み、その奥にある洞窟に入っていく。
じめじめとした洞窟の壁には、松明がかけられており、視界は良好。ただ、一本道の洞窟で、誰かと出会せば逃げる道はない。
滑る足元に気をつけながらも、彼は素早く通路を進んでいくと、いくつもの道に分岐する。一瞬、進む方向に迷ったが耳を澄ませ、反響する物音が大きな方向へと進んでいく。
だが、この時点で想像よりも遥かに静かな内部に違和感を感じ始める。ヴァンの恐れていた懸念が現実になる可能性を考えながらも進んでいくと―大きな広間に出た。
そこは、数十人は眠れそうな広い空間であり、高さは3メートルほどとそれなりの広さだ。そして、この洞窟の広さを考えても、物理的にも有り得ない広さである。だが、それを現実に行える"魔法"ならば、ヴァンも知っている。
「…………、」
その広間の先、真ん中に2つの影が松明に照らされながら立っていた。
1つは人間。背丈は160cmほどで、顔に刻まれたシワから、40代ほどに見える。山賊たちの仲間なのは確定だろうが、身なりは程々に整えられており、髭も剃っており、適度に髪も洗っているのだろう。そこまで汚いという印象は見受けられない。ただ、その黒い目は暗く淀んでおり、闇が見え隠れしている。
そしてもう1つは、小さな翼竜。背丈は1mほどで、餌をしっかり与えられていたのだろう、体格はしっかりとしており、小柄ではあるがその爪や牙はは紛れもなく、翼竜そのものだった。鱗は洞窟で長く過ごしていたのか、暗闇に擬態できるよう、漆黒に輝いていた。
(―黒い、鱗、か)
ヴァンはそれらに気付いても立ち止まることなく、臨戦態勢を構えて近付いてくる。そして、いつでも襲撃できる距離に届く寸前に、男が制止した。
「お前が竜狩りか?」
洞窟によく響く低い声で話しだし、ヴァンは足を止める。
「そうだと言って、何になる?」
今すぐ襲いかかってもよかったが、その前に一言答える。すると、彼は話が通じると思ったのか、話しだした。
「1つ、聞きたいことがある」
「そうか」
山賊どもの戯言に、余計な時間を使う必要はない。ヴァンはそれ以上の会話を拒絶し、一気に間合いを詰めてまずは邪魔な男の首を切り落とす。
奇襲は間に合わず、男が咄嗟に後ろに引き、それをカバーするように小竜の尻尾が叩きつけられる。
かわされることを見越して、既に右手を上げており、空振った身体の代わりに右腕を犠牲に後方に飛ばされる。
勢いよく飛ばされたものの、軽々と着地し、赤く腫れた右腕は小指の指輪の力を使い、即座に治療する。
「…話に聞いた通り、聞く耳を持つ気はないのか?」
「お前らに話す言葉は持ち合わせていない。
それとも、そこまで俺と話そうとするのは、何か目的があるのか?」
はっきりと言葉の真意を聞くと、彼は小竜を宥めながら答えた。
「お前の―"金の竜狩り"については風の噂で聞いていた。だからこそ1つ、聞きたくてな。
―お前は、黒い竜を知ってるか?」
黒い竜、その単語を聞いて全身の血液が沸騰するような錯覚に陥る。
―忘れるものか。あの恐怖を。
一夜にして、故郷を滅ぼされた絶望を。
忘れられる訳がない。あの日、本当の自分は死んで、竜狩りとして、あの竜を追うことを宿命付けられたのだから。
暴れ出す感情を必死に抑えつけながら、彼は平静を装って答えた。
「―黒竜を、見たのか?」
「さぁ、どうだろうな」
男は、こちらが求める情報をはぐらかし、話を続けようとする前に、今までの冷静さは何処へと消えたのか、突然叫ぶ。
「答えろ!! 奴を、黒竜を何処で見た!?」
豹変して怒号を放つ彼に一瞬驚いたものの、精神的に優位に立ったと思ったのか、余裕ぶって煽ってくる。
「なら、吐かせてみろ。翼竜に勝てるんならなぁ!!!」
―刹那、男の体が消失した。否、ヴァンの拳が突き刺さり、部屋の反対側まで吹き飛ばされたのだ。
突然の攻撃に唖然としている翼竜の首に、左手の鉤爪を振り下ろすが、その首を切り落とす寸前で退避される。
「…………」
息を荒くして、必死に感情を押し殺しながらも、一度湧き出した殺意を抑えきれない。
―翼竜とは、一般的に生態系の頂点であり、天敵と言える生き物は、それこそ正しい意味で"竜"と呼ばれる生き物のみである。だからこそ、"狩られる側"に回った時の感情を知ることはない。
目の前にいる生き物は、こちらを狩る者であると初めて認識した小竜に、その感情に対処する経験値はない。だからこそ、半狂乱になりつつ、目の前の狩人を倒そうとする。
小竜故に飛翔能力は十分に獲得していないものの、大の大人3人分ははあるだろう体で動き回れるだけの筋力はある。それに、飛翔するための助走をつける必要もあり、翼竜の足腰は、その名前に反して非常に強靭である。重さと筋力と速度が乗った打撃は、簡単に人を死に至らしめる。
敵の一撃の恐ろしさは、ヴァンもよく知っている。だが、かわすまで体勢を整えられてもいない。
小竜の全力の蹴りをその腕一本で受け止め、彼も木の葉のように吹き飛ばされる。端までとは言わないが、大きく吹っ飛んだヴァンは空中で受け身を取って土を滑りながら着地する。鱗に裂かれ、その威力によって赤く変色した腕は、治癒の指輪の力でまたたく間に修復する。
確かにヴァンは狩人ではあるが、翼竜もまた、人間に対しては絶対強者。いくら相手が異常な人間であっても、翼竜が幼くとも、自然の摂理は覆らない。
今の一撃でそれを再認識した小竜は平静を取り戻し、逆に狩ってやると言わんばかりに吠えた。
表情の見えない兜の下、小竜をやる気を見せたところで彼はほくそ笑む。
戦いに歓喜しているわけではない。ただ、この愚かなトカゲが、逃げずに自ら死地へと残ったことに対する安堵だ。
ここで逃せば、後の未来に残る禍根となる。ならば、この場で摘み取っておくのが竜狩りの仕事だろう、と。




