第1節 18
断末魔の聞こえた先に向かう途中、獣道を走りながらも先行する彼らを見失わずに追跡していたヴァンは、物音が消えたことを察して足を止めた。
少し先、木々の隙間から見えた人影は、別の仲間と合流したようで、話をしていた。
「―さっきの、なにがあったんだよ」
息を切らしながら、追跡していた片割れが聞くと、合流した仲間の1人が答える。
「原因はわからないが…ブイユが喰われた」
喰われた、その単語を聞いて、片割れは恐る恐る聞く。
「まさか…翼竜か?」
「いや、分からん。ただ、相手は相当デカい獣だ」
「……、」
影に身を隠しながら、昨晩の巨大な獣を思い出す。はっきりとは見えなかったが、人くらいなら一息に食えそうな程には大きかった。
のほほんとそんな事を考えているヴァンの事は知る由もなく、彼らは話を続ける。
「じゃあ、もしかして…ヌシか?」
「あのヌシって翼竜が仕留めたんじゃないのかよ!?」
焦りながら話している様子から、そのヌシとやらは、本来は居ないものとして扱っていたらしい。そして、その原因は翼竜にあると。ただ、彼らの祈りは届かず、少し離れたところから、よく響く遠吠えが聞こえた。
「――!!? やべぇぞ!」
きっと、それがヌシと呼ばれる獣の鳴き声なのだろう。彼らは蜘蛛の子を散らすように道を戻って逃げていく。ただ、ヴァンはそれを静かに聞くのみで、微動だにしない。
人気がなくなり、森のせせらぎと川の水音だけが聞こえる世界。余計なモノが消えたところで、ヴァンは動き出し、断末魔の元へと向かう。
近付くにつれ大きくなっていく、何かを砕くような鈍い音。そして、濃くなる血と獣の臭い。それに釣られるように、彼が進んでいくと、昨夜見たものと同じらしき大きな獣がいた。ただ、昨夜とは違い、日に照らされたその体をしっかりと見ることができた。
返り血や土で汚れているものの、元は白かったであろう体毛。キツネのように細長い顔、そして下顎が2つに分かれた口は、目の前の死骸を欲望のままに貪っている。つん、と尖った耳やフサフサの尻尾を見るに、イヌ科に近い生き物なのだろう。ヴァンが近づいてきたにも関わらず、その獣はこちらに微塵も興味を示さず、ヴァンが真隣に歩いてきてやっと、真紅の目を開き、横目でこちらを見てから、興味のなさそうに食事を再開した。
そして、食われているのは、恐らく人間。首を毟り取られ、絶命したのだろう。首から上はなく、腹から食い荒らされたせいで、原型はほぼない。辛うじて残っている服のような切れ端が、彼か人間であったと証明している。
その食事にはヴァンも興味を示すことはなかったが、その死体の腰についているポーチが気になった。
「おい、そこの」
言葉が通じるとは思っていないが、意思疎通のために横に立って声を掛ける。反応はない、と思いきや、目はこちらを確認しており、要件だけは聞いてくれるようだ。
「そいつに興味はないが、その腰に着けてるのを見せてもらってもいいか?」
指を差しながら聞いてみると、思った以上に話の通じる奴だったようで、上半身を引き千切り、取りやすいように分けてくれた。
「ありがたい」
感謝を込めて一礼したあと、遠慮なく千切れた下半身からポーチを取り外し、中を見る。中にはヴァンが使っているものとはまた違う、虫除けの香、木の皮で作った水筒代わりの水袋、それと―
物色を進めていると、こちらが何をしているのか興味が湧いたのか、獣はしきたりに口周りを舐めながら、鼻を近付けて臭いを嗅いでいる。というよりも、今、彼の手に持っている水袋に視線が送られていた。
「喉が渇いたのか?」
ヴァンの手持ちの水筒には、まだ残りがある。わざわざ死体から漁った水を飲むほど飢えていない。それに、"獲物"を仕留めたのは紛れもなくこの獣だ。彼は特に躊躇うことなく水袋を顔の前に持っていってやると、飲ませてくれると理解したのか、血なまぐさい口を大きく開いた。
ヴァンはそのまま水を少しずつ飲ませてやると、喉を鳴らして飲んでいく。そして、袋の口を逆さまにして中身を全て飲ませた事を伝えると、獣は再び残った肉に向かう。
それで気が済んだと思い、ポーチの中身の物色を再開し―その他には煙草、今度はちゃんとした水筒。また水が入っているのかと思いきや、中には酒が入っていた。腐っていないか確認するために匂いを嗅いだヴァンは酒の匂いに当てられ、小さく呻く。それが聞こえた獣も再びこちらを向くが、ヴァンが確認のために差し出したところ、同じく呻いてしまい、そっぽを向いた。
その他には携帯食料を見つけたが、獣の方が物欲しそうにこちらを見るも、渡しても食べようとしない。食べないで欲しい、という視線での訴えを受け止め、彼は手を付けずにポーチの中に戻した。
そして、ポーチの奥底に手を伸ばし、最後の遺物を取り出すと、それは小さな方位磁針。
「…?」
確かに、広い山の中で方角を把握することは重要だ。ただ、それは山から脱出するときの手段。山の中で生活するはずの彼らに必要とは考えにくい。ヴァンは気になって自分の方位磁針を取り出して見比べてみると、壊れているのだろうか、全く違う方向を指し示した。そして、気になったのは、この方位磁針から僅かに感じる魔力。
もしや、と思い少し歩くと、それに応じて2つの方位磁針は別々の、決まった方角を指し示した。
「これはもしや…大当たりかもしれんな」
思いがけない拾い物をして、こちらの動きを見て首を傾げている獣の方を向き、改めて先ほど見つけた方位磁針を差し出す。
「これはもらっていいか?」
言ってる意味はある程度理解してくれており、獣はすんすん、と臭いを嗅いで、食べられるものではないと分かった時点でばう、と鳴いた。
「感謝する」
ヴァンは許可をもらったところで心置きなくそれを自分のポーチにしまい、改めて獣に残ったポーチの中身、乾燥して保存がきくようにした果物や肉の食料を渡そうとしたが、獣はヴァンが漁った残りの下半身を咥え、ついてこいと言わんばかりに鼻先を振ってから歩き出した。
「着いてこい、か」
ヴァンはそれに逆らうことなく、獣の後ろを着いていった。
しばらく、比較的通りやすい獣道を進んでいくと、少し開けた場所に辿り着いた。
「―ここは…」
そこは、崖の下の洞窟前。絶壁と地面の境目に人3人分ほどの大きめの穴があいていた。その先は暗闇が広がっており、奥に何があるかまでは分からない。踏み出した時、足元が少しぬかるんでおり、それに気付いて地面にも注目すると、洞窟の入り口の脇に泉が湧いていた。ただ、自然に作られたものではなく、雑に掘り起こされたような痕跡があり、恐らくこの獣が掘り当てたものなのだろう。
既に洞窟の前に進んでいた獣は再びばう、と鳴いて、ヴァンの意識が戻された。
「今行く」
彼も前を向いて歩き出すと、獣もそれを待ち、彼の隣に着いた所で体を押し付けくる。ヴァンもそれに促されるまま、彼の背中に手を伸ばすと、壁にぶつからないように導いてくれた。
真っ暗な道、夜目の効くヴァンでも完全な暗闇では方向感覚も狂ってくる。ただ、それほど遠くない距離を歩いたところで、光が見えてきた。
洞窟の奥、外の光が差し込むおかげで洞窟とは思えないほど明るい空間。砂ぼこりはあるものの、綺麗にされた環境から、ここが住処なのだろう。ただ、この住処には1人と1頭だけではなく、奥で休んでいるもう1頭の獣がいた。
見た目こそ大きく変わりないが、隣にいる獣とはまた異なり、灰色の毛並みをしており、遠目でもこの獣よりも一回り小さく見える。そして、横たわったまま、小さく胸が動いているため生きているのは分かるが、かなり消耗しているようだった。
白い獣は先ほど狩ってきた獲物を咥えたまま近寄っていき、目の前でその肉を食いちぎり、咀嚼して柔らかくしてやる。そして、それを口移しで食わせてやる。しかし、灰色の獣は微動だにせず、目を閉じたまま。
だから、他の食料も持ってくるように促していたのか、とヴァンも理解して灰色の獣に近付き、様子を見る。口の中に少し乾燥も見られており、脱水を起こしている可能性がある。
ヴァンも迷わず自分の水道を開け、その口にゆっくり流し込んでやる。その水が気つけ代わりにもなったのか、灰色の獣はピクリと反応し、ゆっくりと水を舐め始める。
白色もこの反応は意外だったようで、びっくりしたように少し跳ねた後、キュンキュン鳴きながら駆け寄っていく。
目は覚ましたようだが、消耗が酷いように見える。一旦、周りをウロウロする白色を無視しつつ灰色の体を観察すると、腹から下半身にかけて、大きな傷が見えた。既に止血はしているものの、傷口が大きすぎて治癒が遅れているように見える。そして、その傷口から細菌が繁殖してしまったのか、大きく腫れて、傷口からは膿が漏れ出ている。
「…これのせいか」
動けない原因を理解し、彼はすぐに治療に取り掛かろうと、ポーチに手を伸ばすが、手元にあるのは、自分の傷に使う予定だった最低限の薬のみ。まずは、この膿を綺麗にしてやるところから始めるべきだろう。
ポーチを置いて何処かに行こうとしたのを見て、白色は何かしてくれると理解したのか、駆け寄ってくる。手伝ってくれるのは助かるが、人間の手のほうが治療には向いている。しばらく考えた後、彼は水筒の口を開いて渡した。
「これに水をいっぱい汲んでおいてくれ」
指差ししながらの指示を理解して、白色は走って外へと向かっていった。
そこでヴァンは空を仰ぎ、光の差し込む、大きな隙間を見つけた。
「…あそこからなら、外に出られるな」
まずは、消毒からする必要がある。ヴァンは煮沸消毒用の鍋や薪を集めるため、右手を上げて、角を射出する。壁に深く突き刺さった角は、彼の体をしっかりと支え、そのまま急速にリールを巻き取り、彼の体を持ち上げ―加速したまま、外の世界へと出ていった。




