あの日、満月が昇った日
花火が終わって闇夜が静寂を取り戻した頃、僕たちは屋上を離れて自室へと繋がる通路を歩いていた。
こちらの道は明るいライトで照らされている。
外で祭りが続いているからか通行人は少なかったが、時折浴衣を着た若者を目にすることがあった。
「楽しかったな」
まっすぐに伸びる通路の先を見てシオンが呟いた。
「祭りのおかげで、少し満月が好きになれたよ」
「それはよかった」
左側の壁に等間隔で並んだ窓ガラスに視線を移す。
先ほどと比べて人数は減っているが、相変わらず屋台周辺は賑わっていた。
キャラクターのお面を被った二人組が、台に乗り出して射的を楽しんでいる。
「満月を見ると当時の記憶が蘇ってきて辛かった」
ポツリとこぼしたシオンを横目で見る。
シオンが亡くなったのも満月の日だ。
僕が知ったのは数日後だったから月の形などは曖昧だったが、十年以上前にエリカから送られてきたメッセージにそう書かれていた。
その日は特別星空が綺麗で、寝る寸前までシオンと電話をしていたらしかった。
「あの日は、そこらじゅうに違和感が潜んでた。本棚の背丈は普段よりも高く感じたし、どんな飲み物を飲んでも味のない水にしか思えなかった。エリカと話したこと自体はぼんやり覚えてるけど、内容なんてこれっぽちも記憶に残ってない」
「そんな感じなんだ」
「誰かに操作されてる気分なんだ。ゆっくりと終わりに向かっていく感じ」
話しすぎたと思ったのか、シオンは咳払いをして笑みを浮かべた。
「ありがとな、カンナ」
「だから、感謝されることなんて」
「幽霊になっても、一緒にいてくれて」
シオンの言葉が僕の声を遮った。
一緒にいることに対して感謝されたのはこれが初めてのことだった。
シオンが幽霊であろうとなかろうと関係ない。
この瞬間も、出会ったあの日の延長線上にあるように思えた。
「生きてるうちにカンナに会えてよかったよ。おかげで、当分は寂しい思いせずに済む」
「……そっか」
すぐ手前に迫った自室の扉を見て、小声で呟く。静けさの中で発した声だったが、はっきりとシオンに伝わったかどうか定かではない。
それほどか細い声だった。
ポケットからルームキーを取り出して隙間に滑り込ませる。
カチッと音が鳴って、部屋の鍵が開いた。
軽くなったドアノブを捻ると、見慣れた部屋の景色が視界に飛び込んできた。
「またな」
「うん」
部屋に入り、背後を向いて視線を合わせる。
シオンの瞳に、固くなった表情で凝視する僕の姿が映った。
軋む音を立てて扉が隙間を埋めていく。
喉元まで迫った言葉を吐くよりも先に、部屋の中と外とが分断された。
扉の奥にあった気配が足音と共に遠のいていく。
「僕も、シオンに出会えてよかったよ」
届くことのない感情が口からこぼれ落ちた。
内側から鍵をかけてため息を吐く。
シオンのように感情に忠実になれれば、今以上に幸せになれたのだろうか。
ゆっくりと足を進め、引き出しにルームキーを戻して椅子に座る。
ボタンに手を伸ばして、パソコンの電源を入れた。
真っ暗な画面に大きなロゴが写り、パスワードの入力画面へと移行する。
メールボックスを開くと、長々とした文章で書かれた一件のメッセージが画面に表示された。
数日前に、エリカから送られてきたメッセージだ。