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迷い子

『今を支えてくれている相手に、感謝を』

 

連なった文字を読み上げてメモ用紙を閉じると、広い会場が拍手の音でいっぱいになった。

ワインの入ったグラスを持って乾杯の音頭を取る。

大きなテーブルを囲むたくさんの人たちが楽しげな表情で、手に持った酒やらジュースやらの入ったグラスを掲げた。

 

広々としたパーティー会場に目を向けて階段を降る。


舞台の正面には飾り付けの施された豪勢な両開き扉があり、両壁際には模擬店が並んでいた。

左側には酒や料理などの店があって、右側には絵画や音楽、写真集など創作物を売り出す店がある。

真ん中には、幾つものテーブルと椅子が置かれていた。


「お疲れ様」


「ありがとう」

 

階段を降りたすぐ先に、シオンと女性の姿があった。


「お疲れ様です」

 

女性はそう言って、目を合わせたまま会釈をした。

 

外に跳ねた髪の毛がゆったりと揺れる。


切り揃えられた前髪の下で、透き通った黒い瞳が僕の姿を映していた。

ピンと張られた背筋や清潔感のある見た目から、女性の性格や人間性を予測することができる。

硬い印象とまではいかなかったが、比較的穏やかな人なのだろう。


「虎尾ユリです。今日はよろしくお願いします」


「カンナです。こちらこそ」

 

二度目のユリさんの会釈に合わせて、こちらもゆっくりと首を上下させた。

 

わずかな静寂が僕とユリさんの間に生じた。


船に乗る前から、初対面の相手とコミュニケーションを図ることが苦手だった。

静寂の中で、探り合うように会話を交わすことに気持ち悪さを覚えてしまう。

だからこそ、乗船した幽霊と進んで会話をするシオンには感謝をしていた。


彼がいなければ、船の乗客がここまで増えることはなかっただろう。


「とりあえずなんか食べようぜ。詳しい話は席に座って」

 

シオンが左手を腹の下に当てたまま、近くの椅子に腰をかけた。


四人がけの席で、先約はいない。


真っ白なテーブルクロスがかかった丸テーブルの中心には、フォークやスプーンなどが入ったカトラリーケースがあった。


「祭りに参加するの初めてなんですよね?」

 

三人がそれぞれ食事や飲み物を手に取りテーブルに着いた頃、僕はユリさんの顔を見て訊いた。


「はい。幽霊になったのはずっと前なんですけど、この船に乗ったのは最近なので」

 

ユリさんがカトラリーケースに手を伸ばしながら言った。

皿の上には、薄切りされた赤身の肉が三枚とフランスパンが乗っている。


「私、生まれたのは三十年も前なんです。十六歳で幽霊になったから、だいたい十四年間くらいこの世をウロウロしていました」


「三十年ってことは、ちょうど同い年だ」


「そうなんですか?」

 

ユリさんが僕たちの顔を見た。


「うん。俺が幽霊になったのは二十の時だけどね」

 

同意を求めてか、シオンがこちらに視線を向けた。


「まあでも、俺もウロウロしてたから辛さはわかるよ。この船に乗るまでの四年間は毎日が地獄だったから」

 

続けて、シオンは船に乗る前にあった事柄を述べた。


孤独な夜を何度も超えたこと。

幽霊が出ると噂され、居心地の良い場所に留まり続けることができなかったこと。

成長していく友だちの姿をただ眺めていることしかできなかったことなど、たくさんあった。


「あっちでは生きていることが普通だから、幽霊は受け入れてもらえないんだよな。友だちは旅行に行ったりクリスマスを祝ったりしてるのに、俺は何もできなかった」

 

だいぶ昔の話をしているからか、シオンの口調から寂しさや悲しさのようなものは感じない。


「だからこの船と出会えて本当に良かった。これがなかったら、俺は成仏するまであの生き地獄で孤独に彷徨い続けることになってたからな」

 

シオンが横目で僕を見て、「まあ、俺自身は生きてないんだけどな」とニヤッと笑って言った。


「ところでさ、あの頃にホラー映画がめちゃくちゃ流行ったの覚えてる?」


「覚えていますよ。よく友だちがよく話していました」

 

二人が話題にしているホラー映画の内容は、僕自身も鮮明に覚えていた。


今から十年以上も前に上映された主人公の視点で作られた映画だ。

大学生の主人公たちが肝試しをするために幽霊屋敷へと忍び込み、様々な怪奇現象に遭遇するといったものだ。

メディアの過剰な売り出しもあってか、当時の世間はその映画の話題で持ちきりだった。


「よく考えたらあれも酷い話だよな。呪った幽霊が悪役みたいに書かれててさ。悪いのは幽霊の大切な居場所に勝手に入ってきた人間の方じゃないか?」


「そうですよね。幽霊の方だってきっと迷惑していたと思います」

 

意気投合した二人は、ゆっくりと手と口を動かしながら懐かしい思い出を語った。


「……あの、あれ」

 

皿の上の料理がなくなった時、ユリさんが二つ先のテーブルの奥を指差して呟いた。

 

彼女の細い指の先には、数字の入った水色のキャップを被った子供の姿があった。


背丈はテーブルよりも頭一つと半分ほど高い。


幽霊が寒さや暑さを感じないからか、それとも気に入っているからなのか、白を基調とした長袖の服を着ていた。

首からぶら下げているのは、ペンダントだろう。

チェックのスカートをキュッと指先でつまんで立ち尽くしている。


「迷子かな?」

 

子供は周囲をキョロキョロと見回していた。

辺りにいる人たちのほとんどは、パーティや会話に夢中になっていて子供に気がついていない。

定まらない視線や近くに親がいないことから、どうやらはぐれてしまったのだと予測がついた。


「ちょっと行ってきます」

 

ユリさんが席を立ち、子供の方へ向かっていった。


人と人の間をすり抜けてホール右へと進んでいく。


気配に気がついた人々は、こくりと首を上下に動かして道を開けた。

 

二つ先のテーブルを超えたユリさんが、小さな肩にそっと手を置いた。

子供はハッとして振り返り、頭二つ以上離れた女性を不安げな表情で見上げた。

二人の距離が微かに開いたのがわかった。子供が後退さったからだ。

 

ユリさんは膝を折って視線を合わせた状態で、少しの間子供と会話を交わしていた。


異変に気がついたのか、近くを行き来する人々の視線が二人に集められた。


子供は忙しなく首を縦に振ったり横に振ったりしていた。

子供のペースに合わせて口を動かすユリさんの横顔からは、年下への慣れのようなものを感じ取ることができた。


しばらくして、子供の手を引いたユリさんがテーブルの前に戻ってきた。


子供は、視線を床に向けたまま眉間にシワを寄せて立っている。


不貞腐れているというよりかは、緊張しているといった様子だった。


「どした? 迷子になったのか?」

 

シオンの質問を聞いた子供は何にも言わずに首を縦に振った。


「そっか。ちょっと待ってろ」

 

そう言うとシオンは勢いよく席を立ち、ホールの左側へ小走りで向かっていった。


屋台の前にできた列の最後尾に並ぶ。

アイスの屋台だ。

張り出されたポップには、コーンに乗ったストロベリーアイスの画像が貼り付けられている。


「はいこれ。食べな」

 

シオンはテーブルに帰ってくるなり、塞がった左手を子供へと伸ばした。


「……ありがとう」

 

差し出されたアイスを手に取り、口元に運ぶ。

同じ食べ物のはずなのに、持つ人によって大きさはまったく違って見えた。


「イチゴっていうの」

 

アイスを食べ終えるなり、子供はポツリと呟いた。


「イチゴ、ちゃん?」

 

言葉を詰まらせたのは、子供の輪郭や指がスラッとして長かったからだ。

服こそ女性のものを着ていたが、身体はどう見ても男の子だった。


「……うん」


「そっか」


「イチゴちゃんはそういう服が好きなの?」

 

ユリさんの質問に、イチゴちゃんは恥ずかしげに首を縦に振った。


「そっか。いいね、可愛くて。お姉さんもそういう可愛いスカート、子供の頃大好きでよく履いていたよ」


「……変だって思わないの?」


「思わないよ。好きなことをやっている人は素敵だもん」


「そっか」

 

イチゴちゃんが帽子のつばを指先で掴み、目元を隠して緩やかに頬を釣り上げる。


強張っていた肩の力が徐々に抜けていった。

首をそっと動かしてイチゴちゃんが顔を覗き込むと、ユリさんは首を左に傾けて柔らかい笑みを浮かべた。


「それじゃあ、行くか」


「どこに?」


「その子の親を探しにだよ。どうせ屋台回るわけだし、ちょうどいいだろ」

 

同意を得るように、シオンがイチゴちゃんを見た。


目を背けて唇をギュッと結ぶ。


陽気なシオンが少しだけ苦手なのかもしれない。

初対面の相手と会話を交わす難しさは僕にだってわかる。


もし僕が同じ立場だったなら、きっと人見知りしてしまうだろう。


「それでもいいかな?」

 

ユリさんが小さな肩に触れて首を傾げると、イチゴちゃんはコクリと僅かに頷いた。


「決まりだな」

 

シオンは二度頷くと、手のひらを叩き合わせて立ち上がり、会場右側にある創作ブースへと向けて足を進めていった。

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