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6.巨悪

暖かい毛布に包まれている様な心地だった。

ここは地中で、自分はすでに形を失っていることを知っていた。

自分の近くには、ほかの生物だった死骸があり、それすら仲間のようで、楽しくさえあった。

息をしていないから、息苦しくもなく、温度を感じないから寒さも暑さもないのに、温もりのようなものが纏わりついている。

私は自分が人間であったことを覚えていた。どんな人間であったのか、私は、多くの人間の上にあった。私は無辜の民草とはいえ、何も成しえなかった群衆とは、一線を画する者。

神代の国にふさわしい選ばれた者であり、ほかの生命とは異なる次元にある生命体であったことを思い出した。

その途端、私は自分のありようを思い出し、自分の場所を知覚した。

私は灰色の空の下に横たわっていた。そこには私以外の多くの人が横臥し、等しく空を見上げていた。そうすると、天使の様に光をまとった人間が空から降りてきて、臥せた人の手を取って、共に天へ昇っていく。

私のもとへは、私の母がやってきた。とても美しい光をまとって、私に手を差し伸べた。私も、その手を取ろうと母へ手を伸ばしたが、私の形は人のそれではなく、手も足もなく、頭もない。繭のようで、横たわっていた地面の網目構造に吸い込まれるように沈んで行く。

それでも、懸命に手を伸ばそうとしたが、私の手は母の手に届くことはなかった。

私は雫のように網目から落下して、繭が犇めく暗闇に着地した。

うごめく繭のほとんどが、闇と境のない色をしていたが、その中に薄っすらと白く発光しているものがあった。見ていると、暗い空から、先ほどとは違う、強く圧倒的な光が雷光のように射して、薄く光る繭を摘まみ上げた。そうして、その場にいた発光した繭はすべて大いなる手により闇から摘まみ上げられ、暗くよどんだ繭だけが残された。

私もその暗くよどんだ繭だった。

人間としての役割を終えた、あるいは生命としての終わりを迎えた。そんな恐怖が去来して、諦観に沈みそうになる意識が、最期に不思議なものを見つけた。

薄く赤く光る繭。

この空間にいくつか存在しているそれらは、大いなる手を拒むように、何度も絶対的な光を避けるが、ついには捕まり、摘まみ上げられた。

私の隣にも、そんな赤い繭があった。それは身を捩って救いを拒み、自らを罰してさえいるようだった。大いなる手が再びそれを捕まえようとしたとき、私はその赤い繭を押しのけた。


部屋がノックされ、悪魔が入室してくる。

ソゴゥは顔を洗い、服を着替えて身支度を済ませる。

ソゴゥは考えていた。いつ、魔法ロックが自分に掛けられたのか。おそらくは、この地下の空間へやって来る際に大きな扉に触れたときに、体内に自分の魔力と魔法を繋ぐ回路を阻害するウイルスの様な物が仕掛けられたのだろう。

そして、そのウイルスは数日すれば自然と消滅し、治癒する類のもので、悪魔が魔法ロック解除を行わなくても、今日あたりにもとに戻るものだったのだ。

「おはようございます、ソゴゥ様」

「ああ、お早う。悪魔も眠るのか? 俺の知り合いの悪魔は眠っていたようだが」

「悪魔にもよるのでは? 我々は便宜上悪魔という種族のような括りをされますが、一個体が唯一で、共通点は課せられた角と尻尾と翼を持つという特徴のみです。この星の神が決まった際、その他の同等の力ある存在は悪魔とされただけにすぎません。我々に課せられたのは、無償で人を救ってはいけないという事、それが出来るのは神だけの特権なのです」

「そう聞くと、神様は嫌な奴だな」

「我々が神より弱かったのですから、仕方がないのです。棲み分けが必要なのでしょう。神は、とても人を救いたがる性質があります。そして、我々も似た性質を持っております」

「そうか、全員を救うことが出来ないというルールは、そのため?」

悪魔は、わざとらしくパチパチと瞬きをして、軽く握った拳を顎に当てて首を傾げる。

「今回の、私と、私の契約者とで取り交わした約束が、救える人数を決定したのです。つまり契約者は、救うのは一人で十分と考えたようですね。大勢を救えという願いなら、それ相応の対価とともに叶えることも可能ですが、今回契約はそうではなかった、ということです」

「あんたに名前はあるのか?」

「私には、人に名乗る名はありません。名を持つ悪魔は、それだけ人と深く付き合っていたという事でしょう、悪魔を名で呼ぼうなどと普通は考えませんから」

「まあね、長い付き合いになるとわかっているならいざ知らず、そうでないなら悪魔と呼ぶのが普通だろうね」

「ソゴゥ様になら、私の名を教えても良いですよ、貴方は大変面白い。この先も側で見ることができたら楽しそうです」

いつの間にか傍らに来ていた魔獣が、威嚇音を発して悪魔に飛び掛かるのを、空中でキャッチして、後ろのベッドにリリースする。

「悪魔は一体で十分だよ、そろそろあいつも元に戻るだろうし」

「そうですか、では、また縁があったら私を呼んでください。その時はとびっきりの美女となって現れますので」

ソゴゥは悪魔が用意していた、朝食を喉に詰まらせそうになり、紅茶で流し込んだ。

「今の姿のままでいいよ、あんたが造ったこの屋敷を見ていたら、悪魔が定義する美女に恐怖しかない」

「フフ、残念です。さて、残り二人となりました。二人は屋敷の最下層で待っています。今からそちらへご案内いたします」

朝食を終え、悪魔の後について廊下を進む。

最下層と言っていたが、何故か階上に上がり、滝の真上に出る。

悪魔が滝つぼを覗き込んで、こちらか降りるのが手っ取り早いと言う。

ソゴゥは不敵に笑い「俺、もう魔法使えるし、落とされても悲鳴一つ上げないからね」と余裕を見せる。

「まさか、いくら魔法ロックが解除されたからと言って、お客様をここから突き落としたりいたしませんよ、ちゃんと私がお連れ致します」

悪魔が翼を広げ、金色の目を光らせる。

「いや、大丈夫」と言い掛けるソゴゥの腰に腕を回し、滝の中に飛び込み、弾丸の様な勢いで急降下する。

悲鳴一つ上げないと言っていたソゴゥの悲鳴が、滝音にも負けないほどに響き渡った。

脳天から超高速の垂直落下を経験したソゴゥは、地下空間に辿り着いた時には、言葉一つ発せずにびしょびしょになって床に四肢をついて項垂れていた。

どうやってついてきたのか、魔獣がソゴゥの腕や足の間を行ったり来たりしている。

「おい、お前、人というものを勉強しなおせ、身体が無事だったらいいというわけではない事を、まずは学べ、頼むから」

ソゴゥは濡れた頭を振り、鼓動が落ち着くのを待った。

「あの、よろしかったらこれを使ってください」

両腕を掴んで、助け起こされて、ハンカチが手渡される。

ソゴゥは呆けたように、正面の人物を見る。

爽やかで人のよさそうな青年が、心配げにこちらを見ていた。

その後ろには性別は不明だが、身の毛もよだつほどの美貌でありながら、違和感だらけのものが控えている。

「ああ、すみません、直ぐに乾くので大丈夫です」

ソゴゥは青年にハンカチを返し、魔法で髪や服を乾かす。

ここは、あの建物を縦割りにする大滝の滝つぼの更に下の階で、上の階から水路を巡って、ワンフロア分の高さを幅の広いスクリーンのように静かに落ちる滝がある。

滝の周辺にだけ明かりがあり、奥は暗くて、この地下空間の果てがどこまで続いているのか分からない。冷えた闇に何か得体の知れないものが潜んでいたらと、ソゴゥは思わず首を竦める。

静かな滝の前に、二人の亡者の他に、オーグル、ジキタリス、オレグ、サハルそれとオーナーが、滝の方を向いて椅子に座っている。

「ここで濾過され浄化された水が、亡国の民の唯一の水源なのです。この屋敷の中で、唯一現実の物です」

悪魔が言い、亡者達の中央にある椅子をソゴゥにすすめる。

ユウと紹介された亡者が、滝の前に進み出る。

あの性別不明の美貌の亡者だ。

「ボクが得意な水劇を見て。滝で出来た水膜と、共振石があれば広範囲に同時刻で、同じ情報を伝えることが出来るんだ。ボクのこの声も、姿も、この国中の皆に見てもらえるの。ボクの歌を、ボクの踊りを、皆が褒めてくれた、誰もが愛してくれた。」

ユウが滝へそのまま向かって歩く。

滝へと触れ、そのまま分け進むように滝の裏へと消えると同時に、水面が変化して立体的な人の形になる、中性的だったユウの姿が女性的に変化して、水の中を自在に動き、飛んでいるように円を描き正面を向く。

美しい少女が歌い出す、その歌詞は平和を願うものだ。

何気ない日常の大切さ、恋の歌、損なわれてから気付くのではなく、今ある平和を守っていこうという強いメッセージ。

争いの虚しさ、残酷さ、平和への願い。少女の透き通った声は、とても上辺だけではない、そう思わせる強い感情の揺らぎを感じさせる声だ。

歌が終わると、少女は裕福な家庭へ戻り、わがまま放題で人を見下し、貧しい者、弱い者をみて嫌悪の表情を見せる。とても同じ少女だったとは思えない。

その少女の代わりに、ユウの姿が男性的に変化して、美しい青年が、差別、貧困、止まない紛争への怒りを露に、歌を歌う。その憤り、悲しみ、苦悩は熱く、魂を揺さぶるように響いてくる。傍観は罪だと、行動で示せと、この不条理に立ち向かえと、声高に歌う。この差別を是正するために、今立ち上がろう。

また、ユウの姿が少女へと変わり、平和を歌う。その自身の生活を、金満主義が浮き彫りとなり、歌の力は失われ、白々しい印象を与える。

片や、青年の歌は、崇高で、次々と戦い、美しく名誉ある死をロマンティックに演出していく。だれもが、こんな死に方なら悪くないと思わせるような、仲間や、恋人の腕の中で永遠となって散っていく。

この平和な国で目的もなくただ無為に日々を殺していくよりも、この崇高な戦いこそが生きる意味だと。

少女の屍の上で、武器を持った青年が、腕を振り上げる。

水はやがて光を失い、ただの滝となって、その奥からユウがこちらへとやって来る。

「どうでしたか、ボクの劇は。この国の人はね、大勢が向く方へ向く習性を持った、人形たちなんだよ、醜悪で恥知らずな恥ずかしがり屋さんの寄せ集め」

ユウの顔は崩れ、濃い化粧が落ちたように、剥げたマスカラが眼球を覆うように白目を黒く塗り潰し、黒い涙を流している。

ソゴゥは吐き捨てるように「虫唾が奔る、結局は・・・・・・」と言い掛けたところで、ユウに正面から抱きしめられる。

「ああ、ボクはキミのことが気に入ったよ」

「放せ」

扇動者の罪状を手の甲に浮かび上がらせ、思いの他強く抱きついてくる。

虐殺や、爆弾魔あたりから今見せられた水劇に対する非難や野次が飛んできそうなものだが、皆口を閉ざしている。

「おい、いい加減放せ」

そごうの手でカルミアの指輪が光る。

背の高い男が、少女と対峙している。

男の方は、あの水劇の青年に少しだけ面影があった。

「君には、平和の歌を歌っていて欲しい、君を貶めるデマや悪評が広がっていることは知っている。だけど、国の言う通り、戦争へ駆り立てる歌を君の口から歌ってほしくないんだ」

「でも、これ以上は、いまだってお父さんやお母さんと妹、それにおばあちゃんも、みんなが怖い目にあっているの、私のせいで、これ以上家族が不幸になってしまうのやだよ」

「この国を守るためなんだ、戦争なんて絶対に起こしてはいけない。君には影響力がある。君の言ったことを、歌った歌を妄信的に信じる人たちにとって、君が戦争を肯定してしまったら、この国はどうなるだろう」

「でも、でも」

「お願いだ、平和を、平和の歌を歌ってくれ」

水劇で見た少女はみるみる窶れていく。

国が、彼女と彼女の家族を陥れ、結果、家族を失い、彼女が飛び降りた地面の先で、絶望と後悔に苛まれ発狂していく男、それが扇動者こと憂だった。

彼は、水劇の技術者で、彼女のプロデューサーのような役割を果たしていたが、その後は、狂ったように非戦闘パフォーマンスをゲリラ的に行い、国家からテロリスト認定され追われ続け、そして当時民主主義だった国が独裁政権となるきっかけとなったある男の命令で殺された。

その男は、自分が国家であり、国民はコマであると謳った。

この国が長い夜を迎える、最期の夕暮れだった。

「もう十分だ。わかったから」

ソゴゥはユウの背に両手を回し、優しく擦った。

この国の悲劇を終わらせる。この国の人を、もう誰一人戦争で殺させはしない。

ソゴゥはユウにだけ聞こえる声で言った。

ユウはソゴゥの体を放し、深々と頭を下げた。

ソゴゥが振り返ると、席から最後の亡者が立ち上がった。

「最期は彼の番ですね」と悪魔が彼の名を告げる。

人懐っこい笑みを浮かべて、青年がこちらへとやって来る。

「エルフの国から来られたとか、イグドラム国の移民の方でしょうか? 見たところ我々と同じ民族のようです、貴方のご出身はこの極東なのでは?」

「さあ、どうでしょう」

「私には、あまり秀でたものが無く、楽器演奏でもお聞かせしようと思うのですが」

「いえ、おもてなしはもう十分です。貴方の人となりも、既に先ほどハンカチをお渡しいただいたときに見させていただきましたので」

「そうですか、それは残念です。でも私の下手な演奏をお聞かせせずに済みました」

彼は爽やかに笑う。

ソゴゥは悪魔の方を見る。

「一人を決めたのですね?」

「ああ、もう決まった」

「では、ソゴゥ様、皆さま、こちらへおいでください」

悪魔が後ろの闇を、細い光を灯して先導する。

何処まで続いているか分からない空間を、奥へ奥へと向かって行く。やがて、目の前に宇宙の様に、際限なく広がった星空が憶の星を瞬かせている。

明滅する光に囲まれた空間の中央に、墓標の様な石碑がポツリとあり、その上に一冊の本が開いた形で置かれている。

悪魔はその本の前に立ち、ソゴゥに示す。

「これは、契約の書です。貴方が告げた名の一人の亡者を私が救う代わりに、その他の亡者を地獄へと落とします」

亡者の一人が、ソゴゥに言う。

「ここに居る亡者は皆、地獄が妥当な者ばかりです。ただ一人、殺しも、それに類する罪をも持たない潔白な者が居りますことを十分考慮なさってください」

ソゴゥはその亡者を一瞥する。

「私が選んだ七人の亡者の方のうちの、一人の名を告げても?」

ソゴゥが悪魔に確認する。

亡者に囲まれ、ソゴゥはその名を口にする。

「私が救いたい亡者の名は『アサ』だ」

「は?」

「私が選んだのは、アサさんだ。この亡国の母と呼ばれる女性であり、あなた方の娘と言うべき人物です」

亡者達の顔に、安堵の色が浮かぶ。ただ一人を除いては。

「どういう事です、なんでここに居ない者の名を選ぶのか、契約は七人の亡者のうちの一人となっていたではないですか!」

正しい年の取り方をしてこなかった、わがままを隠しもしない子供の様な顔をした青年が抗議の声を上げる。自分を国家と宣う男だ。

「ここには、七人の亡者がいます」

「その亡国の母を入れると八人になる。それは認められない、契約違反となるでしょうが」

悪魔が、青年を見て小首を傾げる。

「ここに亡者は七人しかいませんよ」

「そんなはずはない」

ソゴゥが呆れたように青年に言う。

「そこにいる、ジキタリスさんは生きているから、亡者とカウントされないだろ?」

「え?」

「彼女はエルフだ、そうでしょうジキタリスさん」

ソゴゥの問いかけに、ジキタリスが応えるように馬の骨を首から外す。

白く長い髪の下には、若く美しい紫と桃色のオッドアイと、エルフの特徴的な尖った耳をしていた。

「フフ、こう見えて、まだ成人して間もない若いエルフですの」

悪魔が目を眇め、壮絶な笑顔を見せる。

「では、契約を執行するとしましょう」

「待て!」

青年が止める間もなく、目の前にアサの霊が呼ばれてその姿を露にする。

その姿は、若い頃のもので、ソゴゥがここへ来て病床に臥せっていた彼女の面影を持ち、黄色に輝く美しい瞳は、左に一つ、右の頬に二つあった。

その彼女の前に、突如、彼女の友人と言っていた魔獣が躍り出てその姿を変えた。

そこにいるのは、ソゴゥが探していたヨルだった。

「貴方、どこかへ消えたと思ったら、こんなことを画策していたなんて」

アサが愛おしそうにヨルを見つめる。

「私の魂を受け取るのが、そんなに嫌だったの?」

「そうではない、いや、そうなのだ」

「うふふ、どっちなの?」

ヨルがおろおろと、親にしかられた子供の様にしおらしくしている。

「ヨルばかりをしからないで、半分は私の企てでもあるのよ」

ジキタリスがヨルを庇う。

「この子が、どうしたら貴方の死後に貴方の魂を奪わずに済むか、試行錯誤して自分を魔導書に自ら封印して、イグドラシルへ届けさせたのよ。別の契約者が現れれば、貴方との契約を上書きできるかもしれないって考えたのね。結局、貴方の死期が迫ったら、魔導書が焼けて貴方のもとへ引き戻されてしまったようだけれど。彼が、アサを選んでくれてよかったわね」

「選ぶも何も、最初から救える魂は彼女しかいなかったからね。他の魂はもう救われていたし」

「おや、ご存知だったのですか?」

金目の悪魔が、彼の癖なのか目をパチパチとさせる。

「ヨルを信じていた。ヨルが俺に救ってほしいと告げた名はアサさんだけだった。なら、他の亡者たちは、救う必要が無いという事だと思った。そうだろう?」

ヨルは、やっとソゴゥと目を合わせ、照れたように言う。

「我は、そこのオルグに呼ばれ、アサの命を守るよう契約に応じ、アサを守っていた。だが、このアサは我が悪魔と知ると、そして、我がアサの側にいるのが自分の魂と引き換えにした男の願いだと知ると、その者を含め、この戦争の被害に遭って死んだ全ての魂を救ってほしいと願い、死後に己の魂を差し出すという契約を我と交わしたのだ」

「つまり、ヨルの契約は、アサさんを除く彼ら全てを救う事」

「そうだ、そして契約はなされた。今、アサの魂を手にし、この者達を救う」

アサさん以外の亡者たちが、輝く一億の星に見えた光である人々と同じ、眩しい光を纏い在りし日の姿へと戻っていく。

「では、私の方も契約を、ソゴゥ様が選んだ名のものを救い、我との賭けに負けた男の魂だけを持って地獄へと参りましょう」

今度は、アサさんの体が温かい光に包まれる。

「ソゴゥ様、私の子供たちをどうか助けてください。皆には貴方様について行くように伝えてあります。ですので、この先たとえ、彼らを救い出せなくても、それは私の責任なのです」

「心配には及びません、俺は誰一人死なせない。それにヨルだって手伝ってくれる」

「我は・・・・・・その、契約がないゆえ」

「おい、俺はお前の願いを叶えたぞ、彼女の魂を救ったろ? だったら、その代償にお前は一生俺に仕えて、俺の役に立たないとなあ?」

「よいのか、我がそんな」

「あら、よかったわね、お友達を独りにするのは気掛かりだったの、それと、貴方が言うのなら、きっとあの子たちは助かるのね」

「必ず助ける」

ソゴゥは言いきる。

アサの姿が薄くなるころ、何かが頭を撫でて「よくやった小僧、俺の娘を助けてくれてありがとうな」とオレグが言い「あの者に一矢報いることが出来てなによりです」というオーナーの声が聞こえ、「私が妻と娘のところへ行っていいのでしょうか」と戸惑いながらも喜ぶサハラの声が聞こえ「食べ物を分けてくれてありがとう、あんなに美味しいものは初めて食べた」とオーグルが言った。

「本番はこれからです、どうかこの国の民をすくってください」と最後にユウはソゴゥの手を握り、そして光の中へ消えていった。

皆が、星の中へ引かれ消えていくと、そこにはソゴゥとヨルとジキタリス、そして金目の悪魔ともう一人の青年の亡者「巨悪」だけが残った。

「なぜ、天の国は私に門を開かない、何故だ!」

「おや、貴方は賭けに負けたのですよ、貴方は選ばれなかった」

「ですが、そっちの悪魔とあの亡国の母と呼ばれる人間とで、戦争被害者の魂をすべて救うように契約したと言っていたではないですか!」

「お前のどこが、戦争被害者なんだよ」とソゴゥが口を挟む。

「お前の過去を見た。戦争を始めた首謀者はお前だ。権力に酔い、腐るところまで腐っていた。権力という万能感に酔いしれて、外道を極めながらも表沙汰にならないよう、若い娘から幼い子供まで手を出して使い捨てにしては部下に殺させ、あるいは家族を人質に取って、やりたい放題よ、その後の国民のほとんどは戦争ではなく、悪政で飢えて死んだ。お前が、国民をなぶり殺しにしたようなものだ。お前は、この世界に転生し、前世で出来なかった事を、この国でやりつくした。クソ異世界人だったわけだ。お前が死んでいて残念だ、俺は、お前が生きながら、どれだけの苦痛を味わいながら死んでいけるか、その方法を、そればかりを考えている」

ヨルが、ソゴゥの肩に手を置く。

「マスター」

「ヨル、俺は酷い顔をしているだろう? 幻滅したか」

「いや、マスター、我なら、その魍魎に千万の苦痛を与えることが可能である。我に任せるがよい」

「これは、私の獲物ですよ、まったく」

呆れたように金目の悪魔が言う。

「何を言い出すのか、エルフの国に寄生している移民如きが、何の手も打たず賭けに興ずる愚人と侮っておられるようですが、賭けはこれからですよ」

巨悪の顔が、黒い靄に包まれ、青年から全く別人の初老の男の顔に変わる。

「この島国にいる全ての人間の命は私が握っています。これらを、一人残らず殺されたくなければ、私を天の国へ向かい入れるよう力を貸すのです」

「どういう事です?」

金目の悪魔が興味深そうに、男を見る。

男の顔は、初老の白髪から、また別の砂色の髪の頭髪の薄い壮年の男へ、そして狡猾そうな太った中年男性から、神経質そうな女性の顔に変わった。

一巡すると、また元の青年の顔に戻る。

「今の顔は、現在この島を取り囲む人間の国のトップの者達です。この者達には、不安と恐怖、そしていつか仕返しをされるという強迫観念を植え付けておいたのですよ。島の人間を、島の外へ出すな、他国の支援を受け付けさせるな、力を付ければいずれ武器を持ち、島の外へ出て、各国に取り付いて姿を隠しながら転覆をもくろむ、獅子身中の虫となり、国に災いを齎すこととなるでしょう。そう枕元で囁き続けてきたのです。時に彼らに、利益となる知恵を授け、この私の声を天啓と捉えるよう育ててきた者達です。私の一言で、彼らは、四か国全ての軍艦をこの島へ、あっという間に出撃させるでしょう」

「この島にいる人たちを、島の外へ逃がす」

「あははは、まあ、そんなことは万に一つもないとは思いますが、貴方の要請でイグドラムの軍艦が救助に駆け付けたとして、エルフの国の軍艦は十数艦がいいところ、どうやってこの海を制する四か国の千を超える艦隊を突破しようというのですか。物を知らないというのは恐ろしい事ですね。ああ、当然空も無理ですよ、四か国上空を通らず、この島へは辿り着けませんし、西側より回り込んでも、空壁と艦隊の砲撃の餌食となるだけですからね」

「なるほど、それは厄介ですね」と金目の悪魔が面白そうに、ソゴゥと巨悪のやり取りに口を挟む。

「それで、俺にどうしろと?」

「そちらの悪魔に貴方の魂を与え、私の魂を救いなさい。そうすれば、この島へ攻撃は致しません。断れば、即時出撃を命じるよう、先ほどお見せした者達に語り掛けますよ」

「すでに、怨霊と化していたのか。だけど、まあ、想定内だな」

「どういう事です、負け惜しみですか?」

「人間の国の四か国が、この島の人達の救済を拒んでいたことから、この島の人達を外に逃がすのはとても難しそうだってことは、とうに分かっていた。亡国の母が、どこかの国に援助を求めたりしたら、それを機に言いがかりをつけて一気に殲滅を企てようとしていることも予想していた。この島周辺の海域の資源を、四か国が貪り始めてから、この島の人達は彼らにとって邪魔でしかなかっただろう。だが、この島に人がいたおかげで、四か国はやりたい放題出来ていたのだが、そこまでは思いやりを持たないお前たちには、気づけなかったのだろうな。あとは、亡国の母が俺を信じて、助けを求めてくれさえすればよかった。そして彼女は、俺に助けてと言った」

ソゴゥはニヤリと笑った。

「俺の勝ちだ」

「一体貴方が、何をできるというのです」

「俺の国の外交はすごいんだ、王が賢王だからね。だから、お前の賭けには乗らない。乗る必要が無いからな、お前は地獄へ行っとけ」

「だそうです。では、私の考えたメニューをこなしてもらいましょうかね。とりあえず、戦争で亡くなった方の一億回の死を、貴方に体験してもらいましょうか。飢えの苦しみが多いようですが、凄惨な拷問を受けて亡くなった者、嬲り殺しに会った者、人体実験なんかも多いようですね」

悪魔の瞳が金色に光る。

「おい、人間! いいのか! この島への攻撃を命令したぞ! すぐに、千の艦隊がここへ到着する。今ならまだ、撤回を命令することが出来る! 死ぬぞ! この島の全ての人間がお前のせいでだ!」

「責任を転嫁するなよ、お前のせいであって、俺のせいじゃない。それに、何度も説明したくないんだが、心配には及ばない、島の人達は誰一人死なないからな。じゃあな、怨霊。みんなの苦しみを味わえよ」

ソゴゥは悪魔に一礼して、踵を返した。

「ヨル、行くぞ! ジキタリスさん貴女も一緒に来てもらいます。何が何でも、貴女をカルミアさんのもとへ送り届ける」

「ああ、マスター、千の艦隊など一瞬で燃やし尽くしてやろう」

「あらヨルったら、途端に元気になって」

「とりあえず、この島の人達が集まっているところに行こう」

背後から、壮絶な叫び声が聞こえる。

もはや人の声とは思えない、おぞましい悲鳴に振り返り、こちらは声にならない悲鳴を上げた。

「あの悪魔の正体、凄まじいな。暫く魘されそうだ」

「私は好きですよ、あの方のおかげで、私達の恨みも晴れるというものです。アサを助けるため、私に、イグドラシルの最も力あるエルフをここへ呼ぶように助言したのは彼なのです。彼は、あの怨霊の考えを読んでいたのかもしれませんね」

来るときは封じられていた魔法で、出鱈目な屋敷を抜けだし、庭を突っ切って貯水池の上を飛行して崖を上がり、暗い通路の先の扉を魔法で破壊して通り抜ける。

亡国の民の居住区に繋がるその通路へ出ると、こちらに駆け寄って来る者があった。

「館長! ご無事ですか、怪我はありませんか!」

「館長、食事はどうされていたんですか、直ぐにご用意しますよ!」

スキンシップ激し目なセダムとクラッスラの二人だ。

「どうしてここへ? 図書館はいいのか?」

「館長が戻って来られないので、心配して様子を見に来たのです。亡国の母も亡くなられ、葬儀にも立ち会いました」

「彼女は、今日亡くなったのか」

「いえ、もう七日も前です」

「え? 私はここにどれくらいいたのだろう?」

「十日です、館長がこの国の民に連れられて、その日も翌日も戻って来られないので、私が様子を見にここへやって来たのです」

「その間に、小さな図書館に、前大司書のヒャッカ様から大陸最東の人間の国で、館長を待っておられたセアノサスさんや護衛の騎士の方々共々、拘束されて監禁されているとの連絡が来まして、これはただ事ではないと、本国と、イグドラシルに連絡を取り続けているのですが、ヒャッカ様の連絡を最後に手紙が何処からも届かず・・・・・・」

「館長をこちらの扉の前で、ずっとお待ちしていたのです」

二人の司書は、不安と安堵の入り混じった様子でソゴゥに告げる。

「そんなに長い間、私はこの扉の中にいたのか」

「はい、人間の国が何かきな臭い動きを見せていると感じ、図書館は閉鎖して、イグドラシルの若木周辺に、強固な魔法と物理攻撃を弾く防御魔法を展開させ、館内の水や食料、医療品などをこの地下へ運び込みました。

ソゴゥは思わず、目の前の司書の頭をワシワシと撫で、その判断を評価した。

「館長、そいつだけずるいです」ともう一人も頭を差し出すので、撫でておく。

どちらもソゴゥより年上で、ソゴゥよりも背が高い。

二人は、やっとソゴゥの後ろにいるヨルとジキタリスに気付き、驚いた声を上げる。

「護衛の悪魔殿ではないですか、それと、そちらのお美しいエルフはどなたですか?」

「カルミアさんの娘さんだ」

「大司書をされていたカルミア様のご息女ですか!?」

ジキタリスが微笑み「お二人にはよく、本を読んでいただきましたわ」と、ジキタリスが幼い姿へ変身する。

「耳は髪で隠していましたし、亡国の者には白髪もおりますから、私がエルフとは気が付いておられなかったのでしょう」

「あの少女が、貴女だったのですね。良かった、ここに居る皆の中にあの少女がいないので、心配だったのです」とセダムが言う。

「ともかく、これから起こることをここに居る人たちに告げなくてはならない」

「わかりました」

ソゴゥは二人に続き、居住空間の中央にある広い空間へと向かった。

そこには、来るときにははっきりと姿を見せなかった、一万近い人々が、もともと亡国の母がいた場所を囲むようにして待機していた。

ソゴゥが司書たちとやって来ると、皆が一斉に服従を示すように身を低くして頭を下げている。

本来なら、こういったことは嫌いだが、今皆が同じ方へ向いてくれるのはありがたいと、ソゴゥは彼らの中央に立ち、良く通る声で自分を見るように言った。

「私は、イグドラシル第一司書ソゴゥ・ノディマーといいます。亡国の母、アサさんとの約束により、これからしばらくの間、皆さんの命を預かりたい。私を信じて、私についてきて欲しい。不都合の有る者はいるだろうか?」

ソゴゥは一万の人々を見渡す。

かなり長い間をとって、沈黙を肯定と解釈する。

「この島には今、周辺諸国からの千の艦隊が向かっています。狙いは、我々の命です。彼らはこの島から、ただの一人も出すことを許さない気でいる」

やっと、ここに一万の人間がいるとわかるように、人のざわめきが生じた。

ただ、今ある危機に際しても、怯えや怒りはなく、耐え、そして極めて冷静に受け止めているようだ。

「私は、ここに居る皆を誰一人欠けることもなく、島から脱出させ、イグドラム国へと連れていく。この島の汚染が、生き物が暮らせるようになるまでにはあと百年は掛かるだろう。ここに居る皆は、もうここへ戻って来ることが出来ないかもしれないが、その子、その孫はいずれここへ戻って来られる日が来るかもしれない。だから、どうか、私と一緒にイグドラム国へ来て欲しい」

一人の青年が、ソゴゥの前に進み出て膝を折る。ここへ案内してくれた、あの青年だ。

「私たちの事を考えてきただき、ありがとうございます。私たちは、貴方から差し出された救いの手を取りたいと思います」

ソゴゥは頷く。

ソゴゥは二人の司書と、ジキタリスを振り返り、治癒魔法が使えるかを確認し、この場に居る者で体調が悪い者がいたら、長旅となる今後の事を考え、体力を付ける補助を行ってほしいと告げる。

あとは、青年と数十人に、一万人の班分けと取りまとめをお願いし、ソゴゥの指示があるまでここで待機すること、そしていつでも逃げられるように大切な物は身に着け、大切な人の手を放さないように言うと、ヨルを伴って地上へと出た。

外は夜で、星さえ霞むスモックの大気が暗闇の膜を下ろしていた。

かなり上空へと飛びあがり、周辺の真っ暗な海を見渡す。

ソゴゥがイグドラム国を出て、十七日ほど、ゼフィランサス王との打ち合わせで、イグドラム国の海軍が二千人を輸送できる民間の客船を携えてここへ到達するには、あと十三日必要となる。乗り切れない人たちは、戦艦の甲板で飛行竜に乗せて、輸送を繰り返し、四か国の手の及ばない土地へとひとまず避難させるという手はずになっていた。

だが、近隣の人間の国の戦艦が、この島へ到達するのに半日は掛からない。近い所なら二三時間でやって来るだろう。

十三日間、ここをヨルと二人で守らなければならない。

「四か国全艦が、揃った状態で包囲網を形成してこられたら、大分排除の難易度が上がるな。立体映像で、リヴァイアサンでも出現したように見せて追い払うかな」

「全艦、燃やし尽くしてやればよいのだ」

「それは、最後の手段にしよう。愚かなのは、怨霊の言いなりになっているトップの人間たちだけだ」

少し冷える上空で、ヨルと背中合わせにぼんやりと水平線を眺めながら、何かいい方法がないかを考える。

ソゴゥはガイドを開き、人間の国が所有する戦艦の規模や搭載している兵器について、最新情報を検索する。イグドラシルには、世界各国の思想、経済、軍事力や情勢などの最新情報などの取り扱いがあり、それらは日に二回更新され、週に一回担当司書と各省庁の情報取り扱い担当部署とで精査される。

外事と軍部より齎された情報をもとに作成された四か国の戦艦について、最新鋭の追尾型砲弾、魔力拡散砲、魚雷などが記載され、その砲弾格納数、弾道の飛距離、威力などが解析され数値化されている。

ソゴゥはそれらを確認してため息を吐く。

カ〇ブの海賊のような、中世の帆船が大砲を打ち合う程度だろうと高を括っていたが、相手取らなくてはならないのは、近代兵器を搭載した駆動力のある戦艦のようだ。

「ヨル作戦を言うぞ、まず、相手の攻撃が砲弾であった場合、俺が弾をマーキングして大気圏外へ瞬間移動させて爆発させるから、ヨルはマーキングが漏れて島に着弾しそうなやつと、砲弾以外の攻撃を弾いてくれるか?」

「任せるがよい」

「島に近づき過ぎている船は、俺とヨルの魔法で、周囲に分かりやすく甲板に炎を上げて燃やして、退却させる。最初の一日は、これで凌ぐ。あとは砲撃が止んだら、他の司書と交代して、俺が休憩出来ればベストだ、そうやってイグドラム国の応援を待つ」

ソゴゥは島周辺の三段階の空壁の位置を確認する。

黎明の靄に、薄っすら空気の層が出来ているのが確認できる。

いずれにしても、人間の国が設置したこの空壁は、戦艦が島を攻撃する際に全撤去されるだろう。

せめて、人間の国ではない第三国が設置した物なら、少しは艦隊の足止めになっただろうが、この空壁は、海底鉱石採掘の汚染水が、大陸に漂着しないためといった理由で設置されているものだ。

やがて夜が明け、周囲が明るくなってきた。

「マスター」

「何だ?」

「悪い知らせがある」

「どうした?」

ヨルが、確認を担当していた西の海を見るように言う。

「あの船影が見えるか?」

ソゴゥは西側の大洋に船団を発見して、驚き目を見開く。

「嘘だろ、何で」

「我の目には、五隻見える」

「あれはイグドラム国籍の船だ」

暗い海では確認できなかった、イグドラム海軍の軍艦三艦が、民間の巨大客船二隻を護衛しながら、島へと真っ直ぐ向かってくる。

「直ぐに、引き返すように伝えないと、四か国の艦隊と鉢合わせてしまう!」

ソゴゥが軍艦へ瞬間移動しようと、視界を切り替えるとそこに、千を超す艦隊がすでにイグドラム船団の周囲を取り囲んでいることが分かった。

そして明かりを落として、暗闇に紛れ進行して来た千艦が一斉に点灯した。

島の周りの海を、千の光が漣のように広がっていく。

イグドラムの船団は今、一番外側の空壁に到達しようという位置にある。

「空壁が解除された瞬間、攻撃が開始されるでしょう」

ソゴゥの言葉に答えたのは、ヨルではない悪魔だった。

「先ほどの作戦、私も混ぜてはいただけませんか?」と、大きな蝙蝠の様な翼を羽ばたかせて、金目の悪魔がソゴゥに言う。

「私なら、貴方の能力と相性がいいですよ。私には時間操作が出来ますから。とはいえ、前準備なしには精々、ソゴゥ様の一人の時間を細切れに操作できるくらいですが、どうされますか?」

「力を貸してくれ、対価は後で聞く。今すぐイグドラムの戦艦に移動して、砲撃をすべて打ち落とす、ヨルはこの島を守れ!」

「承知した」

ソゴゥはガイドの装丁からカギを外してそれを元の大きさへと戻して手に取る。

もともと化け物じみた魔力を保有するソゴゥだが、保険のためにイグドラシルからの魔力供給の回路を開いておいたのだ。

手にした魔法具から光が広がり、魔力が行き場を探すようにソゴゥの周囲を取り巻いて輝いている。

「いくぞ、ついてこい」とソゴゥは金目の悪魔に言った。


ヴァーグ・パイシースは軍艦の船首に立ち、目前の島の東側より回り込んできた船団の数に、人間の国が全勢力を投入してきたことを察知した。

絶望的な戦力差だ。

イグドラムの全戦艦をこの場に差し向けていたとしても、戦力的には何の足しにもならないであろう。

「全艦戦略的防衛措置を開始する! 副長通達!」

音魔法を得意とする第三貴族ジェミナイ家の副長スオーノは、通信機関を使用せず直接他の軍艦にも魔法にて通達した。

全艦に緊張が奔る。

程なくして、目の前の空壁が三つとも消失し、イグドラム船団を取り囲む四か国の戦艦から開戦の印となる旗が掲げられた。

「来ます!」

ヴァーグの後方で、船員が叫ぶ。

一斉砲撃が開始され、まるで雲霞のごとく空を黒く砲弾が埋め尽くす。

初撃着弾秒読みに入り、全船員に低頭防御姿勢を取るよう指示した瞬間、ヴァーグ・パイシースの目の前から全ての砲弾が搔き消えた。

先頭の海将が指揮する第一戦艦の右舷後方の第二戦艦船首にいたミトゥコッシーは、イグドラムの船団の真上に夥しい魔力の流れを感じ、そこに弟の姿を見つけた。


イグドラムの船団真上に瞬間移動して来たソゴゥと金目の悪魔は、一斉砲撃が開始されると、金目の悪魔の能力で時間操作を開始した。

打ち合わせなどしていなかったが、まさにというタイミングで悪魔が時間を止め、ソゴゥの目には砲弾が上空で留まっているように映った。

ソゴゥは自分と悪魔以外の時間が止まっている間に、見えている全ての砲弾をマーキングしては大気圏外へ移動させる魔術を延々と繰り返した。

やがて、時間が戻り、あれだけあった砲弾が全て音も聞こえないような遥か上空の宇宙に近い場所で炸裂した。

着弾を想定していた、ヴァーグは一瞬で砲弾が消えたことを信じられずに、何が起こったのだと周囲を見回して、砲弾の残滓を上空の成層圏に発見した。

第二、第三と繰り返される砲撃も同じような、イグドラム船団に到達する目前で消えて、次の瞬間には上空で炸裂していると言ったことが起きた。

島の方に向かった弾は、着弾する前に黒い炎にかき消されている。

見ると、島を取り囲むように黒い光の魔法円がいくつも浮かび上がり、攻撃を阻止している。

ミトゥコッシーはソゴゥの様子を見て、悲鳴に近い声で叫ぶ。

ソゴゥの瞳は黄緑色に発光し、両目から血を流していた。

「艦長!」

ミトゥコッシーは、各艦でやり取りが可能な通信機関から、第一戦艦のヴァーグ海将に訴えるように叫ぶ。

「決行!」とヴァーグは叫び、第一戦艦の副長と第二戦艦のミトゥコッシー、それに第三戦艦の船員がそれぞれ各戦艦に設置されている法螺貝のような巨大な装置に息を吹き込んだ。

金目の悪魔が、フッと笑みをもらし、ソゴゥの肩に軽く触れる。

「特等席で、これが見られるのを期待していたのです」

悪魔が言い「もう、大丈夫そうですよ」と小刻みに瞳孔を動かし続けている、ソゴゥの目を手で覆った。

海中から夥しい数の船が浮上して海面に出現し、人間の国の艦隊を取り囲んだ。

その数は千をはるかに凌駕し、海の様相は一変した。

その万はあるかという潜水艇は、イグドラムの同盟国ニルヤカナヤ国と、この東域の海洋人の国家アトランテス国の一団であった。

四か国の艦隊の魚雷は、海洋国家勢力によって撃墜されており、艦隊の船は海中からスクリューを破壊されて推進力を失っていた。

「もう大丈夫だ」とソゴゥは悪魔の手をはがし、何が起きたのか周囲を見て思わず「おお!」と声を上げていた。

「ソゴゥ! こっちに来んさい!」

ミトゥコッシーが軍艦の甲板から呼んでいるのを聞き、ソゴゥは自分自身を取り巻く魔力を抑え、悪魔を伴って瞬間移動する。

「ミッツ、よかった無事で」

「お前が無事に見えん、ヨドも来とるから、治療してもらい、中央の民間客船におる」

「それにしても、良くこれだけ集まってくれたね」

「おう、同盟国のニルヤカナヤはともかく、アトランテスまで引き込むとわ、流石よ。ニルヤカナヤの人たちが、ここまで俺たちの船を牽引してくれてのう、予定の半分近い速さで来られたんじゃ」

ミトゥコッシーがソゴゥの目の周りの血を拭きながら、説明する。

突然船が大きく揺れ、ソゴゥのいる艦隊付近の海面が隆起しだした。

やがて、第一戦艦の前方に海中からゴ〇ラもかくやと言う程の巨大な海竜が姿を現した。

「わわわ」

ソゴゥがミトゥコッシーに抱き着いて、「わ」を連呼している。

横では、金目の悪魔が瞳をキラキラと輝かせていた。

ミトゥコッシーは苦笑しながら「俺も、最初に海王様にお会いしたときはそうなったわ」とソゴゥの背を擦る。

プレシオサウルス類のような長い首をこちらに向けており、その顔は恐竜やドラゴンのようで角度によって白や紫に見える鱗に覆われ、口から動くもの全て捉えて食べそうなギザギザした牙が覗いている。

『もっと早う、呼ばんかいワレ』

何か違う。

ソゴゥはミトゥコッシー越しに、アトランテスの海王を見た。

ヴァーグは海王に敬意を示し、感謝を述べている。

こうしている間にも、海洋人の船は、人間の国の戦艦に攻撃を加えて、砲台を破壊したり、粘着質なもので砲管を塞いだりして戦力を削いでいる。

『凄まじい魔力を感じたが、そこの坊はイグドラム人か?』

海王と目が合う。

ソゴゥは間違いなく、自分に向けられている言葉だと理解し「イグドラシル第一司書のソゴゥです」と答える。

『可哀そうに、坊は目を怪我しておるではないかい、ほな、ワシが舐めて治しちゃるけ、こっちこい』

海王が口をグアーーと開ける。

ミトゥコッシーがソゴゥを背中に隠し、ソゴゥはミトゥコッシーの背中に顔を押し付けて震えている。

『冗談や』

放射能を吐いてくるかと思った。

「アトランテス王、我々はこのまま島へ行き、島の人間を乗船させてから離脱いたします」

『さよか、ほな、ワシらはあんたらが無事島のもんを、その船に乗せてこの海域を離れるまで守ったる。その先は、いよいよ待ちに待った、ワシらの棲み処を汚したあれらを、こうして、こうして、こうしたったる』

アトランテス王が、長い首を右に、左に空を叩きつけるように振り、手で海面を叩いた。

船縁に達するような大波が発生し、船が大きく揺さぶられる。

島に海洋汚染とは無関係な人間がいたせいで、攻撃に踏み切れなかったアトランテス国は、これでやっと、諸悪の者達とぶつかり合うことが出来ると王自らやって来たのだ。

『まずは、この先にある地下資源を掘削している施設を破壊してやろうかのう、海洋、陸上の各国へは、ワシに代わりゼフィランサス王が既にこの海域への百年追放宣言をワシの名のもとに行っておるからの、海洋に進出してくるあれらの国の船を徹底的に排除したるわい』

ともあれ、海洋人の連合軍により、すでに海面に漂うだけの人間の艦隊は、すでに戦意を折られ、アトランテス王の出現に絶望を感じているようだ。

四か国の艦隊が島より遠ざけられたため、イグドラムの船団はただちに島に接岸した。

一足先にソゴゥは島の人間の元に向かい、船へ避難誘導を開始した。

極東の人達は、外で起きていたことを、見張りをしていた仲間から聞き、この機会を作ってくれたエルフと海洋人たちの好意を真っ直ぐ受け止めて、速やかに退避を行った。

イグドラムの大型民間客船と、ヴィドラ連邦より借り受けた大型客船の二隻とニルヤカナヤ国の巨大潜水輸送船に、一万人をそれぞれ分けて全島人を乗船させる。

ものの三十分と満たない間に、乗船が完了すると、海域の離脱を開始する。

ソゴゥは最後に、イグドラシルの若木に島の事を任せ、小さな図書館にカギを掛けた。

「いずれ、また」

司書二人とジキタリスを伴い、最期に乗船する。

「私との約束ですが」と金目の悪魔が、ソゴゥに耳打ちする。

「そんなのでいいのか? 分かった、探しておく」

ソゴゥは言い、ヨルと一緒に金目の悪魔の見送りに手を振って別れる。

そしてようやく、イグドラムの船団と、ニルヤカナヤ国の一団は共に、また九千キロの帰路へと着いたのだった。


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