3.十三領の獣害
セアノサスから託されたものを持って、母のいる十三領へ帰省することになった。
帰省と言ったが、ノディマー伯爵領の屋敷へ行くのはこれが初めてだ。
首都セイヴから出る許可を王家へ申請し、馬車と飛行竜を乗り継いで二時間ほどで到着する。道すがら領地を観察してみると、自然豊かでありながら、農業や畜産などに向かない土地なのか、畑もなく、家畜どころ領民を全く見かけない。平らな土地は森か湿地で、残る土地は山ばかり。貧乏貴族であることは間違いないだろう。
ノディマー家の増改築を夏までに終わらせるから、遊びに来て欲しいと、俺の一つ上の兄、ノディマー家当主であり四男のヨドゥバシーが言っていた。あの時は、イセ兄がプール、ニッチがバーカウンター、ミッツがサウナ、俺が大きな犬がいるなら行ってもいいと冗談で言っていたが、獣害に悩んでいると父から聞き、きっとそれどころではなくなっているだろう。
ノディマー家への最寄りの竜舎に飛行竜を預け、そこからは馬を借りて領地を散策しながら、屋敷へとやって来た。
「迎えを寄こすって言っていたのに、ヨドゥバシーのやつ」
城のような屋敷まで馬で乗り付けて、正面手前の馬留で降りて、そこから建物入口へ向かう。
「思っていたより、デカい屋敷だな」
三階か四階までの高さの建物に、屋根は角度があり、また尖塔がいくつもある。
外壁は煤けた黒の煉瓦積みで漆喰などが見られず武骨な感じがするが、森林の中にひっそりと佇む感じと相まって、ドラキュラの棲んでいそうな不気味さがあり、ソゴゥ的にはかなりの好印象だ。
これで、不気味なオブジェやガーゴイルが設置されていたら雰囲気があって、なおいいのだが、正面は余計なものがなくスッキリとしている。
階段を上がりきると、建物入口手前に何かがいるのが見えた。
「犬がいる」
灰色で毛並みの良い大きな犬が、前足をそろえて行儀よく座りこちらを見ている。
ソゴゥは犬を避けるため、大きく孤を描くように迂回しながら玄関へたどり着く。ヨルもソゴゥについて歩き、犬から距離を取って玄関へ向かう。
その間、犬はソゴゥを、ソゴゥは犬を見ていたため、互いに今後ろを振り返るようにして見つめあっている。
「あの犬、ずっとこっち見てくる」
「いや、たぶんあれは狼だと思うが」
「そう言えば、俺、ヨドゥバシーに大きい犬を飼えって言ったな」
「いや、狼・・・・・・」
ソゴゥは玄関の門扉にある鳥の意匠に「ソゴゥだ、開けろ~」と来訪を告げる。
直ぐに内開きにドアが開き「おう、遅かったのう」とニトゥリーが顔を出す。
「ソゴゥ、久しぶりよのう、ヨドの家督継承以来か?」と奥からミトゥコッシーが顔を出す。
「ところで、ヨドゥバシーは、なんであんなところで犬になっているの?」
「なんだ、分かっとったんか」
「普通の犬だったら、撫でまわしているところだよ」
「ミッツは『よーしよしよし、いい子じゃ』って撫でまわしとった。よく考えると気持ち悪いのう」
「ニッチのやつはのう、いきなり、逃亡犯を確保するみたいに、ヨドの首に腕を回して横倒して押さえ込んでから『俺の方が上よ、覚えておきや』って、初対面それって、本当の犬だったら二度と近づいてこんわ」
「そんで、ソゴゥがどんな反応するのか、中から見させてもろうとったんだがのう、ガッカリじゃ」
「ガッカリやな」
「あ、じゃあ、ちょっとやり直してくるから、もう一度チャンスをください」
ソゴゥは言うなり、ヨドゥバシーの前にしゃがんで、手を出した。
「ヨド、お手」
お手をするヨドゥバシーに、途中で拾った松ぼっくりを与えるソゴゥ。
「100点満点中、5点じゃな」
「9点くらいやろうや」
「低っ、ちょっと厳しすぎない?」
松ぼっくりを咥えて付いてくるヨドゥバシーと、屋敷の中へ入る。
屋敷の中は北欧と和モダンをミックスしたような、ゴシック感ゼロの、明るい居住空間が広がっていた。ヒャッカやヨドゥバシーが内装を担当したら、恐らくこうなるだろうといった、居心地の良い、クセのない空間だ。
いい感じのソファーが沢山あるリビングルームでそれぞれが、思い思いの場所に座り、ヨドゥバシーはウロウロして、ソゴゥの横に落ち着いた。
ソゴゥはそのフカフカな毛並みを撫でようとして止め、撫でようとして止めを繰り返している。
「ヨドゥバシー、もう分かったから、いい加減元にもどったら?」
「戻れんらしいんよ」と、ミトゥコッシーが言う。
「は? 何で? っていうか、そもそもなんで犬になってんの?」
「それがのう、ヨドゥバシーが言うには、ノディマー領の貴重な資源である、リシチという湿原に咲く花が壊滅的な被害を受けているらしくてのう、その元凶の鹿を追い払うために、狼に変身してみたはいいが、昨日から戻れんらしいんよ」
「マジか、父さんが言っていた獣害っていうのは、鹿だったのか。リシチは確かに高級な香辛料として知られているけど、湿地で採取できる植物だったんだ」
「鹿は花を食べるだけでなしに、湿地を踏み荒らして草や根をダメにしてしまいよるから、何とか、湿地帯に近付けんようにするにはと考えての、犬なんじゃと」
「狼じゃ、言うてるで」
「もしかして、ヨドゥバシーの思考を読んでいるの?」
「ああ、狼の声帯で会話は難しいからのう、ヨドに思考を読むから、強く言葉を思い浮かべや言うたら、受信できた。おそらく兄弟間なら成功しやすいようじゃ。ソゴゥも何か思い浮かべてみ? 兄ちゃんが当てちゃろ」とニトゥリー。
ソゴゥはニトゥリーを見つめながら、言葉を思い浮かべる。
「ほう、ソゴゥ。久しぶりに、どちらが上かちょっと本気で殺りあおうや?」
「よせ、ニッチ、お前が兄弟で一番足が短いのは事実よ」
「ごめん、ニッチ、マジで通じるとは思わなかったんだ。本当は思ってないよ?『ニトゥリーが兄弟で一番足が短い』なんて、いや、本当に」
ニトゥリーが立ち上がり、ソゴゥの襟首を掴む。
ニトゥリーの腹に、ヨドゥバシーが頭を擦り付けて、引き離そうとする。
両者の間に、モフりとした感触が伝わる。
ニトゥリーはヨドゥバシーの首周りをモフりながら「今回は、ヨドに免じて許してやろうかのう」と手を忙しなく動かしている。
「ニッチ兄さん、アザッス。ところで、そもそも、鹿は何処から来たんだろう? もともとこの土地にいたのが、最近になって湿地帯に出現するようになったのかな?」
「ここら辺の森林にいた狼が、最近姿を見せんようになったせいだと思うって、ヨドが」
「天敵がいなくなったおかげで数が増えて、生息域を広げているのかな」
「ヨド、狼は何でいなくなったんかのう? ヨドや親父どのが駆除したんか?」
ヨドゥバシーは首を振る。
「まあ、ヨドのその勇ましい姿を鹿に見せつけてちょっと脅してくれば、生息地を変えるかもしれん」
ヨドゥバシーは耳をピンと立て、賢そうな顔で任せろと言わんばかりに「ウォフ」と返事をしたところへ、屋敷の使用人がお茶を運んで来た。
兄弟の前のローテーブルに紅茶を用意して、ヨドゥバシーの前にはスープ皿で水を置く。
ニトゥリーは天井を見上げ、ミトゥコッシーは腕で顔を隠して横を向いている。
使用人が至極真面目な顔で、何もおかしなことなどないように振舞うのが、かえって笑いを誘うようだ。
彼女はピリカと言い、いつも気難しそうな顔をしているが気は優しく、エルフにしては低身長の身でありながらかなりの武闘派であり、また楽器演奏が得意なのだそうだ。
ヨドゥバシーからの手紙には、この屋敷で働く人達のことが詳しく書かれているため、初めて会うのに、ずっと前から知っているような気分になる。
「ソゴゥ様、ヒャッカ様が客室へお越しくださいとのことです」
「わかった。直ぐに行こう」
ソゴゥはお茶を飲み干すとが立ち上がり、ヨルが続く。
「なら、俺たちは、ヨドと鹿を追い払いに行ってくるわ」
ヨドゥバシーは尻尾をピーンと立たせて、やる気満々だ。
そう上手くいくとは思えないが、水を差すのも悪いと思い黙っていた。
客室には、母ヒャッカと、イグドラシルの前司書長のジャカランダ、それに見知らぬエルフの女性がいた。
「ソーちゃん久しぶり、ジャカランダさんと、こちらはカルミアさん。私の前に大司書をされていたのよ」
「ジャカランダさん、お久しぶりです。カルミアさん、初めまして、ノディマー家五男の、ソゴゥ・ノディマーです。イグドラシルの第一司書を務めさせていただいております」
「お久しぶりですね、ソゴゥ様」
ジャカランダは薄紫色の髪と同色の瞳で、エルフのトラディショナルな長髪は乱れなく、冷たく見え過ぎない怜悧な印象の男性エルフだ。
「初めまして、私、ヒャッカとはお友達なのよ、イグドラムのご当地スイーツを食べ歩くのが趣味なの」
その横にいる、ふんわりとした印象の薄ピンクの巻き髪に同色の瞳の女性が、先々代の大司書で、エルフは百歳を超えていても見た目の年齢は人間の三十前後に留まり、なおかつ精神年齢や魔力量に影響されて更に若く見えることもあるために、カルミアは少女のようにさえ見えた。
「母と仲良くしていただきありがとうございます、こちらは護衛のヨルです」
「カルミア・・・・・・?」と、ヨルがカルミアを凝視する。
「ヨル?」
ヨルは声を掛けられても、思案顔でカルミアを見つめ続けている。
「あら、どこかでお会いしたことがあったかしら?」
おずおずとカルミアがヨルに尋ねる。
「ああ、いや、すまない。たぶん気のせいであろう」
「こんなに素敵な方に見つめられたら、年甲斐もなく照れてしまいますわ」
ジャカランダはわざとらしい咳払いをして「さあ、座って話をしましょう」とソゴゥとヨルに椅子をすすめた。
「ソーちゃんからもらった手紙を読んで、二人に来てもらったの」
「ありがとう母さん、すみませんお二人にはご足労をおかけいたしました」
ソゴゥは極東の赴任先から帰ってきたレベル5の司書であるセアノサスの話を、三人に話し、そしてセアノサスから預かった物を取り出した。
「これが、セアノサスさんが極東で少女に渡されたものです」
テーブルに小さな靴下を置く。
「あら、可愛い靴下ね」
ヒャッカはそっとそれを持ち上げて、しげしげと眺め、横に座るカルミアに手渡す。
ジャカランダはカルミアの手元を見て「片方だけなのですね」と、尋ねる。
「はい、預かったのはこれだけです。イグドラシルに少女の霊体を見かけた者達がいて、少し騒ぎになりました。セアノサスさんが言うには、その霊は極東で、その靴下を渡してきた少女だったとのことです」
「ソーちゃんも見たの?」
「僕は見てないんだ。気配は感じていたんだけどね。ヨルは見た?」
「いや、駆け付けたときはいつも既に消えた後だったからな、それにこの靴下をマスターが預かってからは、気配も消えた」
ソゴゥは靴下を手にしたカルミアの様子がおかしい事に気づいて、母に視線で知らせた。
ヒャッカはそれに気付き「カルミア、どうかしたの?」と尋ねる。
よく見ると、カルミアの手は小さく震えている。
「カルミアさん?」
「これは、この靴下は私の娘の物です」
「え?」
ソゴゥとヒャッカは顔を見合わせた。
ジャカランダは驚いた様子で、カルミアを気遣わしげに見つめている。
「もう六十年ほど前になるかしら、私がイグドラシルの大司書をしていた際に、誘拐された娘の物です。この靴下の片方は、私がずっと持っていたので間違いないわ」
「これを託されたセアノサスさんは、少女にイグドラシルの大司書に渡して欲しいと言われたそうです。これは僕宛に託されたのではなく、カルミアさん宛だったのでしょう」
「この靴下、幼い娘がいつもポケットに入れて持ち歩いていたの。自分にこんな小さな靴下を履いていた時期があることが不思議だって、その時もまだ、十分小さかったのよ・・・・・・」
「極東の少女に渡されたと言っていたわね、カルミア、直ぐに極東へ行ってみましょう!」
「ええ、そうね、極東へ行きましょう!」
「早速、準備をいたしましょう」とジャカランダは立ちあがると、こちらに一礼をして、カルミアと共に応接室を退室した。
「ソーちゃん、ヨド君の事お願いね、母さんたちは直ぐに出発するわ」
「ちゃんと極東の事を事前に調査してから行った方がいい。セアノサスさんからは、かなり厳しい場所だと聞いた」
ヒャッカは頷き、驚きの速記で手紙をいくつか書くと、それがオレンジ色のフカフカした丸い鳥になって、窓辺からそれぞれ飛び発っていった。
ジャカランダとカルミアが泊まる予定で客室に置いていた荷物を取りに行っている間、ソゴゥはヒャッカに疑問に思っていることを尋ねた。
「以前、母さんがイグドラシルのレベル6の司書の子供はみな誘拐されていると言っていたけれど、その一人はカルミアさんだったんだね」
「そうよ、カルミアは私の師で、教育係をしていたの。もうその時には、お子さんは誘拐された後だったけれど。歴代のレベル6の司書の子供が誘拐されたことを危惧して、カルミアは王宮の伝手を頼って、セキュリティレベルの高い王宮に子供を預けていたのだけれど、結果子供は行方不明となってしまったの」
「そうだったんだ。なら、今回の事で手掛かりが見つかって良かった。でも、気を付けて」
「どうしたの、ソウちゃん、そんなに深刻そうな顔をして」
「ねえ母さん、六十年前、イグドラム国はどういう時代だったの? 極東の島、当時はまだ国だったその場所は六十年前はどういう時代だった? どうして九千キロ以上離れた場所に消えた子供の持ち物があったの? イグドラムと極東の関係はどうだった? 王宮にいたのに何故幼いエルフの子供は消えたの? 母さんたちが、極東へ行くことで不都合な人はいない? 逆に都合のいい人は?」
「ソーちゃんたら」
「俺は、もう家族がバラバラになるのは嫌だよ。だから・・・・・・そうだ、父さんも連れて行って。今夜、この屋敷に帰ってくるって言っていたし、それまで出発は待って」
「ソーちゃん」
ヒャッカは感極まったように、ソゴゥをギュと抱きしめた。
その後ろで、時折頭痛を耐えるように頭を押さえているヨルの様子に、ソゴゥは気付かなかった。
鹿を追い払いに行っていた三人の兄弟達が、屋敷に戻って来るのと同じタイミングで、父、カデンと長男イセトゥアンが首都から屋敷にやって来た。
玄関口に倒れ込んでいるボロボロの三匹の狼を、カデンが踏みつける。
「なんじゃ、この小汚い狼の敷物は」
「ああ、親父、それは弟達だ」と、イセトゥアンが慌てて止める。
イセトゥアンがそれぞれに触れて変身を解くと、戻れなくなっていたヨドゥバシーを含め、三人とも人の姿に戻った。
そこへちょうど階段を降りてきたソゴゥが、裸で項垂れる三人を発見した。
「ついに服を着るという文化を放棄したのか」
その末っ子の声と視線の冷たさに、三人は身震いした。
「服は、狼に変身したときに破れてしもうたんじゃ」
「俺は、脱いでから変身したんじゃが、置いてきてしもた」
「俺は、もともと昨夜から真っ裸だった」
ヨドゥバシーに同情的な視線が集まる。
「とにかく、風呂に入って服を着てこい」とカデンが、息子三人の背中を手形が残るほど叩いで退かせる。
「あの三人どうしたんだ?」
イセトゥアンが降りてきたソゴゥに尋ねる。
「鹿を追い払いに行っていたんだけど、どうやら芳しくないようだね」
「鹿の数が、思いの外多かったんじゃないか?」
「一日中鹿を追い回していたんかい、暇か、あいつら」
「ヨドのアイデアだよ父さん、天敵作戦だって」
風呂から上がってきた三人が、それぞれ顔を青くしながら、報告する。
「ありゃあ、俺の知っている鹿とちごうとったわ」
「鹿やない、魔物じゃ」
「口から赤い霧の様なものを吐き出して、ヴオオオオオオッて、地獄の底から響いてくるかのような唸り声を上げて襲ってきたんだよ。それに、この部屋の天井に角が付くくらいの大きさで、それがものすごい数いて、ずっと追っかけ回されたんだ」
それぞれが、恐怖体験を口にする。
イセトゥアンは真剣に話を聞き、ソゴゥはソファーにこれ以上ないほど寛いで横たわっている。カデンはここにはおらず、ヒャッカの部屋に向かっていた。
ヨドゥバシーが手打ちうどんを捏ねるように、両手でソゴゥを揺さぶる。
ソゴゥは面倒くさそうに起き上がり、片足を膝に掛けて肘をついた体勢でため息を吐く。
「例えば、鹿が通り掛かったタイミングで、大きな音や、風、雷の魔法が発動するように罠を仕掛けたら?」
「それは昔、父さんがやったらしいけど、鹿が、実害が無い事を学んで、効果が一年で薄れたって」
「雷や、風は実害があるだろう?」
「進化して克服したって」
「おい、今のあの鹿の形態は、そのせいやないんか?」
「そんなにおっかない鹿だったの? よく逃げてこられたね」
「おう、数キロを全力疾走よ」
「途中、ニッチが先頭で『お前ら、俺に構わず、先に行けや』って言うて、その後も相変わらず先頭をぶっち切りで走っとったわ。ヨドが狼の姿なのにギャン泣きで、そろそろ反撃したろうかと思ったところでな、鹿らが、急に追ってこなくなったんよ」
「ああ、湿地帯の東側の森で、まるで空壁でもあるのかと思うくらい、ピタッと寄り付かんようになった」
「実際に、魔獣避けの障壁魔法装置があったんじゃないのか?」
「イセ兄さん、そんな高価なもの、このノディマー領にはないよ」
「いいアイデアが浮かんだ! ヨドがダンジョンで魔獣避けの障壁が買えるくらい稼げばいいんじゃない?」とソゴゥ。
「相手は鹿ぞ、いくら見た目が魔獣に近くても、おそらく障壁をすり抜けよるわ」
「それよりも、ヨドがダンジョンから戻って来られるとは思えないな」
ヨドゥバシーが床に膝と両手をついて項垂れた。
「イセ兄、真実は時に人を傷つけるんだよ」
「クソ兄が、ヨドはなあ、やればできる子なんや」
「クソ兄が、ヨドに謝りや」
「いや、一人、こっちサイドの意見言っている奴いましたけど!」
ソゴゥは考えるときのクセで、そばらく天井付近を見ていたが、やがて「その東の森を調べてみよう」と提案した。
夕食は屋敷に滞在している者全てがテーブルに着き、その後、ヒャッカとカデン、それにカルミアとジャカランダは、カデンとイセトゥアンが乗ってきた飛行竜で出かけて行った。
兄弟五人とヨルは、夕食をデザートまでしっかり食べ終えてから、大人達が慌てて出て行くのを見届けて、東の森の調査へと赴いた。
春とはいえ、夜はかなり冷えるが、針葉樹の間に広がる夜空は明るい。
肺いっぱい森の空気を吸って、少しの緊張とそれ以上のワクワクで、足取りが弾みがちなソゴゥ。普段は図書館に閉じこもっているため、冒険に飢えているのだ。
ソゴゥは横を歩くヨルを見て、いつもと違う様子を不審に思い尋ねる。
「どうしたんだ? 人型が保てないのか?」
珍しく黒い翼と角と尻尾を出している。人の大きさを辛うじて保っているが、それもかなり気力を要しているようだ。
「改めてその姿を見ると、確かに悪魔だとわかるな」と先頭を行くイセトゥアンが、ヨル振り返って言う。
「イグドラシルに保管されている召喚の書と離れているせいか、だんだん魔力の制御が上手く出来なくなってきているようだ」
「それって、何かマズい?」
「魔力が暴走したりする感じではないから、問題はないであろう」
ソゴゥの問に、ヨルは翼を静かに開閉して動作を確認しながら言った。
イセトゥアンは視線を道の先に戻し、針葉樹の森の奥、そこにある岩山から何か大きな存在を感じて足を止めた。
「この先に何かいるようだ。鹿が寄り付かない理由も、その存在のせいかも知れないな」
「確かに、何かおるような気がするのう」
「伝説の三觭獣かもしれん」
「まさか、あれはウィドラ連邦国の山に棲息報告が上がっていた。三觭獣は唯一の個体だから、この森にはいないよ」
イセトゥアンの言葉に、ヨドゥバシーが安心したように息を吐く。
ソゴゥは瞬間移動の時に使用する視点の切り替えで、周囲の危険な場所を探る。
エルフの森は間伐などが適度に行われ、整備されているため、枯れ木や倒壊した木は取り除かれ、丁度よい隙間が開いているが、それがあまりに綺麗に揃っているのが、ソゴゥの目には不気味に映った。
「のう、ミッツ、さっきあそこに人がおったの見たか?」
「はあ?」
「あの木の陰じゃ、こっちを恨めし気に見とる髪の長い女子がおった気がするんじゃが」
「ああ、それはイセ兄さんのストーカーじゃ、よくあることよ」
「おいおいおいおい、いないからな、そんなの!」
「ミッツ、ちょと幽体離脱して見てきてくれん?」
「いやじゃ怖い、刺されたらどうするんじゃ」
「霊体は刺されても、害はないじゃろ」
「心が死ぬる」
「なら仕方ないのう」
「いやいやいやいや、いないから! って言うかなんで俺のストーカー、凶器持っている前提で話しているんだよ、マジやめて!」
「ちょっと、イセ兄うるさいよ、場所の特定が出来ないから静かにして」
「霊のか?」
「違う、鹿が逃げた原因の何かだよ、何処に居るか今調べてる」
ソゴゥは、再び集中を切らしてヨルを振り返る。
「ヨルも、さっきから翼がバサバサいってて気が散るんですけど」
「すまない、無意識に動いていた」
「ところでソゴゥ、お前ひとり楽してないか?」
ソゴゥの尻の下には、ヨドゥバシーがいる。
正確には、狼に変身したヨドゥバシーがソゴゥを乗せて歩いている。
ソゴゥの尻の下には、畳んだヨドゥバシーの服がクッション代わりに敷かれていた。
「ヨドが、さっきより大きな狼に変身できるって言うから、見せてもらったら、乗るのにちょうどいい大きさになったんだよね。ヨドも嬉しそうだよ」
ソゴゥがヨドゥバシーの頭を撫でると、尻尾を振りながら「ヴォフ」と返事する。
「まあ、ヨドがいいなら、いいけど」
ヨドゥバシーに乗ったソゴゥが案内するように、先頭を歩く。
ソゴゥが示す方向へ歩き続けていると、山道の傾斜が強くなったところで、切り立つ崖に洞窟を見つけた。
「この奥みたいだ」とソゴゥが皆に告げる。
洞窟の入口付近に六人が集まり、イセトゥアンが皆に向かって言う。
「入る前に、兄弟の能力を確認しておきたい」
イセトゥアンが腰に手を当て、弟たちを見回す。
「まず俺は、高度な変身能力だな。お前らのカスな狼とは、クオリティーが違う」
「おう、われ、やるんか?」
「やったろうや」
息巻く双子を、イセトゥアンが慌てて手で制す。
「落ち着け、悪かった、お兄ちゃん言い過ぎた。次に、ニトゥリーはミトゥコッシーとかなりの距離が離れていても意思疎通ができる能力と、相手に任意の映像を見せる能力。主に、警察機関に勤めるニトゥリーが、凶悪犯やテロリストの拷問に使用」
「おい、人聞きの悪い事を言うな、国家のために役立てているくらい言えや」
「国家のために、罪人を壊しまくっている」
「壊さんわ! 寸前で止めとるわ!」
「おっかな」とミトゥコッシーとソゴゥが引き攣った顔でニトゥリーを見る。
「で、次にミトゥコッシーは俯瞰の能力。言わば幽体離脱だな」
「そや、って俺もなんか弄らんかい!」
「普通過ぎて弄るところがない」
「おい!」
「ん-、海軍に勤めるミトゥコッシー青年の軍艦で唯一の娯楽、それは女子のシャワーを堂々覗けること。利用用途は、そんなとこか?」
「お前といっしょにするなや! 見や、ヨドとソゴゥが軽蔑しきった目でこっちを見よる! どうしてくれるんじゃ!」
ヨドゥバシーがソゴゥを乗せたまま、三人の兄と距離を取る。
「あー、今のは冗談な。次に、ヨドゥバシーは特殊能力未開化、ソゴゥは瞬間移動と、立体映像ってところか」
「ヨドへの気遣いで、ソゴゥの尋常じゃなさをサラッと流したのう」
「ようやく気遣いというものを、学ばれたようじゃ」
「皆の能力を確認したところで、このまま闇雲に突っ込んで行くのも芸がないからな、作戦を練ろうと思う」
「作戦も何も、先ずはミッツが幽体離脱で中の様子をニッチに伝えて、状況が分かり次第乗り込むんでいいんじゃないの?」とソゴゥ。
「よし、じゃあそれで」
ミトゥコッシーが幽体離脱を始め、ニトゥリーが静かに報告を待つ。
ヨドゥバシーは落ち着かない様子で、洞窟の前をソゴゥを乗せたまま行ったり来たりしている。
「狼がいるようや」とミトゥコッシーが伝えて来て、ニトゥリーが皆に告げる。
「何匹くらいだ?」
「今のところ、二匹やて」
「狼はどんな様子なんだ?」
「寝とるらしい。というか、死にかかっとるようや、あ、ミッツこっちにもう戻るようや」
ミトゥコッシーが目を覚まして起き上がる。
「それで、何で狼は死にかかっているんだ?」
「それがのう、暗くてよくわからんのじゃ、幽体離脱時にも暗視が出来るよう精度を上げんといけんのう。とにかく、気配が希薄なんよ、ひどく弱っている生き物のそれじゃ。一匹はおそらく怪我か何かじゃろうが、もう一匹はツレが死に掛けて、生きる気力を失っておるようやったわ」
「様子を見に行ってみるか。見てみない事には、対策が取れないしな」
イセトゥアンの提案にヨドも頷く。
イセトゥアンが洞窟入っていく後ろをヨドが付いて行くため、ソゴゥも連れていかれる形で洞窟の奥に進む。
当然ヨルがその後に続き、やれやれとニトゥリーとミトゥコッシーが殿となる。
「わあああああああ」
ソゴゥの悲鳴が洞窟内に響き渡る。
「わわわ、ミトゥコッシー、なんでこれの事を言わないんだ!」とイセトゥアンも壁から飛びのいて、ソレから距離を取る。
「言ったら、みんな洞窟の中に入らんかったやろうが」
兄弟達が灯す明かりから逃れるように、洞窟の壁を埋め尽くす黒いフナムシに似たウサギくらいの大きさの虫がササササっと移動する。
「こいつらは、死肉に群がる屍出虫じゃ」
ソゴゥはフーフー言いながら、ヨドゥバシーの背中に顔を埋めて、目と耳を塞いでいる。
入口で待っているから後は任せると言い出して、瞬間移動でいつ離脱してもおかしくない。
「ミッツ、狼は、まだ先なんか?」
「いや、もうおるよ」
「はあ?」
ニトゥリーは当たりを見回すが、それらしき影が見当たらない。
「惜しい、もうちょい上やな」
地面に横たわっている姿を想像して、床を探すが見つからず、ミトゥコッシーに促されるままに正面に目を向ける。
「嘘やろ」
「うおっ」
ニトゥリーとイセトゥアンが靴音を鳴らして後退る。
突き当りの壁と思っていた全てが、一体の狼だった。
「サプライズや、驚いた?」
「ミッツ、お前、情報にサプライズかませるやつがあるか!」
「そこが、ミッツの長所や」
「アホが、弟たちを見てみろ、驚きすぎて口がきけないようになっているじゃないか!」
「いや、ヨドはそもそも狼になっとるし、ソゴゥはさっきから何も見とらん。ヨルにいたっては、無反応じゃ、だいたい想像していましたけどね、みたいな顔しよる」
巨大な狼の周囲を黒いフナムシモドキが取り囲んで、狼が息を引き取るのを、今か今かと待ち望んでいるようだった。
「ヨル、虫を追っ払ってくれ」
弱弱しいソゴゥの声に、ヨルは嬉々として黒い炎で辺り一帯を焼き払った。
燃焼による臭気すらも残さず、付近の虫は消え去り、少し離れていたところに居たものは、洞窟の奥へと逃げ去って行った。
「あの虫、あそこまで大きくなかったはずなのに、なんかおかしいなこの森」
「狼がこんなに大きいのも異常だよ」
ジ〇リに出てくる山犬みたいだとソゴゥは思いながら、ヨドゥバシーの背中から降りて狼を見上げる。
こちらに顔を向けている一体は、毛並みは荒れ果て、肋骨が浮き上がり、涎や目脂がこびりついて腐臭を放っている。
辛うじて腹の動きで呼吸をしているとわかる。
「奥におる方が、もっとヤバそうだった」
「これは、もうどうしようもないな。ここまで衰弱していたら、どうにもできない」
「治癒魔法はどうや?」
「これを回復させる治療魔法となると、オスティオス先生でも難しいだろう」
「高等治癒魔法を使えるのは、イグドラムでも数人。そのほとんどが王宮の許可なく連れ出すことは出来ないからね。ヨルも、自己修復は出来ても、他人の治療は無理だよね?」
「ああ、だが、樹精獣なら高等治癒魔法が使えるであろう?」
「樹精獣は、イグドラシルから離れることはできないんだ」
「そうか」
「確かに樹精獣の力が借りられたらよかったよ。俺も高等治癒魔法の魔法書を、イグドラシルから持ってくればよかった。閲覧はガイドからできても、現物の本がなければ魔法は発動しないからな、取りに戻るか・・・・・・」
ヨドゥバシーがイセトゥアンの手に鼻を擦りつける。
「何だ、ヨド」
イセトゥアンがヨドゥバシーの首をワシワシとかきまぜる。
「ヨドが、狼の変身を解いてくれって」
「わかった」
イセトゥアンがヨドゥバシーの変身を解除すると、ソゴゥがヨドゥバシーの服を渡した。
ヨドゥバシーは服を身に着けると、狼の方へと歩いていく。
「おいヨド、危ないだろ!」とイセトゥアンが焦って肩を掴んで止める。
「俺が治療するよ」
「治療? ヨドが?」
「できるんか?」
兄三人がヨドゥバシーについて行く。
ソゴゥは離れたところに残り、兄達にマーキングして、いざという時は瞬間移動で強制的に狼から遠ざける準備をした。
通常の治癒魔法を使えるエルフはかなりいるが、それは、相手の魔力や体力を増進させて、回復を早めたり、止血、毒の中和、傷の洗浄といった応急手当ての範疇である。
「ヨド、お前、治癒魔法でもこれはどうにもならんぞ」
イセトゥアンが説得を試みるも、ヨドは決意を固めた目で、魔法の詠唱を始める。
ヨドゥバシーの掌から、白い泡の様な光がホロホロと溢れ出し、光の泡は狼へと移動しながら、やがて狼の体を覆いつくした。
「あれは前に我が見た、樹精獣がマスターの傷を治したのと同じ高等治癒魔法だ」とヨルはソゴゥを振り返り興奮気味に告げる。
「腹をザックリやられた時のか」
ソゴゥは思い出して、腹を擦る。
あの時は生死の境を彷徨っていたが、うそのように傷痕もなく治っていたのだ。
みるみる、狼の毛艶が良くなり、酷かった臭気もおさまり、清涼なものへと変わっていく。
「何てことだ、まるで魔法のようだ」
イセトゥアンのセリフに、両サイドの双子は無視を決め込む。
「なんとかなりそうであるな」
「そうだね、呼吸が変わった」
ソゴゥは緊張を解かず、ヨドゥバシーを見守っている。
回復した狼が襲ってこないとは限らないからだ。
ヨドゥバシーは半眼で狼の輪郭を見据えるように、治療を続け、やがて何か納得したように、息をついて終了した。
「こいつはもう大丈夫、もう一匹は後ろか・・・・・・」
大きな狼をよじ登っていくヨドゥバシーと、それについて行く兄三人。ソゴゥは、兄達を見届けてから、後を追って狼を飛び越える。
狼の背中には、隠れるようにして一回り小さな狼がいた。
屍出虫から守るように、手前の狼が小さな狼を背中に匿っていたようだ。
後ろにいた狼の胴体には、血がこびりついていて怪我を負っていた。
ヨドゥバシーは直ぐに治癒を始める。ヨドゥバシーの掌から溢れて来る泡が、狼の傷口に集まって吸い込まれていく。
背後の巨大な狼が身じろぐのを感じ、ソゴゥはその場の兄弟全員をいつでも移動させられるようにして警戒を強める。
やがて、狼は首を巡らせてこちらに顔を向けた。
イセトゥアン達が、ヨドゥバシーと狼の間に立ち塞がる。
ヨドゥバシーは狼の治療に集中していて、背後の様子にまでは気が回っていない。
エルフの頭ほどもある眼が、こちらを見ている。
充満していた血の匂いと、腐臭が消えて、森の木々が発する気持ちの良い空気に置き換わっていく。
大きな狼は耳をピルルっと動かし、こちらを黙って見ている。
ヨドゥバシー以外は緊張して、大きな狼の動向に気を配っている。
ヨドゥバシーは、手の泡が小さい狼に吸い込まれなくなると、その手を下ろして兄達を振り返った。
「こっちも、もう大丈夫・・・・・・」
ヨドゥバシーが後ろの巨大狼の視線に気付き、悲鳴を上げる前にイセトゥアンがヨドゥバシーの口を手で覆う。
野生動物を刺激しないの方がいいとの判断だ。
ソゴゥは全員を大きな狼の向こう側、洞窟の入り口のほうへ瞬間移動させて、大きな狼から距離を取る。
「ヨド、もうすることはない?」
「ああ、俺が出来るのはここまでだよ」
「いや、十分や、傍目から見とっても、これ以上の治療はないとわかるで」
「治療というより、復元のようだったぞ」
大きな狼が立ち上がるのを見てヨドゥバシーが「餌をちゃんと食べれば、良くなるぞ、出来れば鹿肉がいい」と声を掛ける。通じてはいないだろうが。
「とりあえず、じゃあ撤収しようや」
「襲ってこられたらヘコむしのう」
「ヨド、それでいい?」
「おう、撤収しよう」
「じゃあ、全員洞窟入り口まで、一気に移動させる」とソゴゥが言い、明るい星空の元へと瞬間移動で洞窟を脱出した。
「また、しばらくしたらあの狼たちの様子を見てみるよ」
「兄弟がおるときか、母さんか親父を連れてにせいよ」
「わかった」
「じゃあ、屋敷にもどりますか」
「そやな。それにしても、ヨドが高等治療魔法の使い手だったとはのう」
ニトゥリーが感心したように言う。
「俺は、イグドラシルの本を読みまくって、高度な治療魔法を三年かけて習得しようとしたけど、一般的な水準止まりだ。ヨドにこんな才能があったなんて」とソゴゥが感心する。
「そもそも、どうやって取得したんだ? ヨド」
イセトゥアンが尋ねると、ヨドゥバシーが気恥ずかしそうに、首の後ろに手を当てて、言うか言うまいか逡巡した後に、兄弟達の視線の圧に負けて話し出した。
「俺とイセ兄さんとミッツ兄さんが、誘拐された事件があったよね」
「ああ、十年前だな」
「あの時、ミッツ兄さんが俺たちの居場所をニッチ兄さんに知らせてくれたから、救助が早く来たでしょ、それに、イセ兄さんの変身能力で、誘拐犯たちの気をそらしてくれたおかげで、人質にされていた俺は解放された。ソゴゥは魔獣の腹の中からみんなを瞬間移動で救い出したよね。あの時、俺だけが何もできなかった。それで俺も、皆の役に立てるようになりたいって思ったんだよ。皆は無茶しがちだから、きっと治癒魔法が役に立つと思って、魔法の習得に励んだんだ。向いていたのか、割と上手くできるようになったけど、園では先生たちが、絶対に子供に怪我をさせないようにしていたし、園を出てからも特に使う場面が無くて、知らせることもなかったんだけれどね」
無言で、ヨドゥバシーの頭を掻きまぜていく兄弟、それを少し後ろでヨルが眩しそうに見ている。
「ところで、ソゴゥ」
「なに?」
「貴族書はいつもらえるんだ? 俺待っているんだけど」
「は?」
「は?」
「いや、うちも十三貴族になっただろ、だから貴族書を王様よりもらえるじゃん」
「そう言えば、そうだね」
「そうなんだよ、それで、貴族書はイグドラシルが、その貴族に相応しいものを最高位の司書に示し、その魔法書を司書から王様へ渡して、王様が十三貴族に渡す流れなんだよ。当然知っていたよな」
「知らん。貴族書に興味なかったから。何か、俺がやらなければならないことがあるのかもしれないな。ごめん、勉強不足だった。イグドラシルに帰ったら司書長に確認してみるよ。そもそも、数字持ち貴族って、そんなにポコポコ増えるシステムなのかな?」
「建国当初は四大貴族だったらしいよ、その後数千年の歴史で十二になったらしいけれど、その間隔はまちまちみたいだ。最後の十二貴族が追加されたのは五百年も前だから、一番新しい数字持ち貴族でも五百年の歴史があるわけで、うちのような新参の数字持ち貴族は格が違うとかいって、きっといじめられるに違いないよ」
ヨドゥバシーが弱気な声を出す。
「なんや、楽しみじゃのう。ヨド、何か言ってくる貴族がおったら、俺に知らせや」
ニトゥリーが悪い顔で嗤う。
「ヨド、先ずは親父、その次は俺にしておけ」とイセトゥアンが慌てて釘をさす。
「それにしても、うちはどんな貴族書がもらえるんか、楽しみじゃのう」
ミトゥコッシーの言葉を聞き、改めて目を輝かせてこちらを見てくるヨドゥバシーに、引き受けたとソゴゥは頷き返した。
東の森の洞窟から一時間程歩いて、ひっそりと佇む不気味な黒い屋敷にたどり着く。
我が家であるその屋敷へ入り、それぞれ宛がわれた部屋へ戻っていく。
まだ、ジャグジーやプールやバーカウンターなどの増設に取り掛かっていないため、風呂は客室にあるシャワーで済ませる。
イグドラシル内のソゴゥの住居としている第七区画の一室には、キッチンとリビング、寝室が同じ空間に高低差を付けて存在する。一段階目のロフト部分のような場所にソゴゥの寝室スペース、二段階目の階段がないと上がれないような高所に洞穴のようにあいた秘密基地のような空間に、ヨルの居住スペースがある。さらにキッチンの横から通路が伸びていて、下の階に続いており、そこに風呂やトイレ、洗濯物が干せるテラスがある。
いつもは、そうした同じ空間にいるヨルも、ソゴゥとは別に用意された客室を使っていた。
ソゴゥがそろそろ寝ようかと思っていると、部屋のドアがノックされた。
開けると、ヨドゥバシーが肌掛けを持って寝間着で立っていた。
ソゴゥは無言でドアを閉める。
「いやいやいや、なんで閉めるんだよ」
「嫌な予感しかしない」
「久しぶりだから、一緒に寝ようって思っただけだよ」
「嫌な予感的中したよ。お前いくつだよ、二十一だよな? いい大人が何しているんだよ」
「何を言っているんだよソゴゥ、二十一はまだ幼年期じゃないか」
「お前の図体を見て言え、そんな図体をしたエルフを子供とは呼ばない」
ヨドゥバシーは二十一、ソゴゥは二十と前世なら完全に成人している年齢だ。
それにヨドゥバシーの身長は185㎝、エルフでも高い方だ。ちなみに、ニトゥリーとミトゥコッシーが190㎝で、イセトゥアンがヨドゥバシーとほぼ同じ。ソゴゥは一人エルフの平均身長に満たない178㎝だが、ソゴゥ自身はまだこれから伸びると思っている。
枕と、肌掛けを部屋から持ってきたヨドゥバシーが、ずかずかと部屋に入り、ソゴゥより先に、客室のベッドに寝そべり、そして瞬時に寝た。
「噓だろ・・・・・・秒で寝やがった、こいつ」
すでに寝息を立て始めた兄に、呆然とするソゴゥ。
灯を消して寝入るまでのあいだ、近況とか、離れていたこれまでの事とかを訥々と話す流れじゃなかったのか。
ただ邪魔な185㎝が転がっているだけのベッドを見下ろし、ソゴゥは長い溜息を吐いた。
眠る前に水を飲もうとして、水差しの分を飲み切っていたことに気付き、廊下へと出る。
すると、隣の部屋のドアがゆっくりと開いた。
ヨルがふらりと出てきて、こちらを見る。
また角や尻尾、翼も出ていてヨルの事を知らないエルフが見たら、腰を抜かすほど禍々しい悪魔そのものの気配を濃くしていた。
「おい、どうした、体から炎が上がっているぞ」
ヨルは宙に浮いた状態で、まるで立体映像を見ているように、時折その像を崩した。
「マスター、我は消える・・・・・・思い出したのだ、ここにはいられない・・・・・・」
「ヨル?」
「我は悪魔ゆえ、その理から逃れることが出来ない・・・・・・」
「イグドラシルから離れたせいか?」
ヨルは首を振る。
ヨルを包む黒い光は増すのに、ヨル自体は希薄になりその像が薄れていく。
「あの人を救ってほしい、どうか・・・・・・ソゴゥ」
「ヨル!」
「我の存在を代償に・・・・・・あの人の名は・・・・・・」
「おい!」
ヨルは一人の名を告げると共に、完全に消えた。
「俺は悪魔じゃないから、人助けに代償なんて必要ないぞ、ヨル」
あまりの唐突な出来事に、本当に今目の前にいたのがヨルだったの分からなくなる。
ヨルに割り当てられた部屋を確認する。部屋は誰もおらず冷え切っていた。
ソゴゥはヨルの召喚に使用された、第七指定書の魔導書をガイドで検索する。召喚の魔道書の存在が、イグドラシル書庫から消えていた。
どういうことだ? すぐにイグドラシルに戻って、魔導書を確認しなくては。
ソゴゥはすぐに、イグドラシルに棲む樹精獣のジェームス宛てに「今から戻る」と手紙を書いて、それを客室の窓辺から放った。手紙は白いフカフカした丸い鳥になり、イグドラシルへ向けて飛び立っていく。それを瞬間移動でソゴゥは追いかける。
鳥のすぐ側に移動すると、飛行魔法でその場に待機し、鳥がまた遠くまで飛んでいくと、そのすぐ側に瞬間移動をする。これを繰り返して、イグドラシルがある首都セイヴへ向かう。
途中、首都の境にある空壁で通行許可申請を行い、これを抜けてセイヴへ入ると、そこからは土地勘があるため、一気に鳥を追い越して瞬間移動を繰り返してイグドラシルへ向かう。
ソゴゥの瞬間移動は、視認できる場所にマーキングを行い、その場所へ移動するといったものであるため、基本は見えている場所にしか移動できないが、マーキングを先んじて行っておけば、見えていない場所にも移動できる。このマーキングには数や有効期限があるが、ソゴゥの研鑽により上限は増え続けている。
ソゴゥは寝間着のままで戻って来ていたため、レベル5に会わないように第七区画に一気に瞬間移動して、魔導書の置いてある自室に向かう。
ドアを開けると、樹精獣たちが集まっており、魔導書が置いてあったソゴゥの机の周りを囲んでいた。
樹精獣はソゴゥに気付くと、「キュッ、ギュエ!」と訴えかけてくる。
「ジェームス! 魔導書は燃えたのか?」
「キッチュ!」
「皆に怪我や、火傷は?」
「キュッ、ニュエ」
「そうか、良かった、ヨルが消えたんだ。それで、魔導書がどうなったか確かめに戻ったんだが」
「ニュッ、ニャ」
ヨルに当たりが強かった、小さな樹精獣のハリーが特に落ち込んでいる。
オレグに、スミス、ナタリーとジェームスの大人組は理由を探るように思案顔だ。小さい樹精獣のハリー、ソルト、イーサンは戸惑ったり落ち込んだりしている。
ヨルが来て数か月だが、彼らにとって一体ヨルはどんな存在だったのだろう。
毎朝、毎晩一緒にご飯を食べる。
昼はそれぞれ、お気に入りの場所で思い思いにランチを楽しんでいる様だったが、それは家族のようだったのではないだろうか。
「クソッ、なんだよ、何で急に・・・・・・」
樹精獣たちが集まってきて、ソゴゥによじ登る。
フカフカの毛並みを顔に押し当てて、これで元気を出せと言っているようだ。
流石に七匹は重たいが。