1.前世の記憶と五人の兄弟
夜桜もいいが、出来れば陽のあるうちが有難い。
休日に集まって昼から花見を始めた年もあったが、その年は人が集まらなかったため、以来社の花見は平日の就業時間の後が定番となった。
別に夜でも構わないのだが、正直この時期の夜はまだ冷える。
桜越しの東京タワーを眺め、誰かが持って来たカセットコンロで暖を取り、熱燗をちびりちびりと飲む。
「野島課長、そんなに飲んで大丈夫ですか?」
「いや、全然飲んでないだろう? 私が一番飲んでないんじゃないか?」
「ちょっと、誰か水持ってきて! 課長、自分が飲んだ量を把握できなくなっているじゃないですか!」
「いや、私、そんなに飲んでいるかな?」
「はい、野島さん、お水飲んでください。いつもはどんな飲み会も一時間もせずに帰ってしまうのに、今日は付き合いがいいんですね。私達は嬉しいですけど、何かあったんですか?」
「そうですよ、いつも多くてビール二杯で帰宅されるのに、今日はもう一升瓶おひとりで空けてしまっていますよ」
転がっている瓶を見る。どうやら課の者達が言うように、結構飲んでいたようだ。
「あまり飲むと、奥さんに叱られますよ」
「ああ今日、家内は地方から出てきた友人と、明日のイチゴフェアーに乗り込むために、ニューオー〇ニに泊まり込んでいるから、家にいないんだ」
「じゃあ、今家には息子さんたちだけなんですか?」
「息子も、もう高校生と中学生だから、私がいなくても夕飯くらい自分たちで作って食べているよ。さっき、末っ子が作ったガパオライスの写真が送られてきていた」
「え、見たいです、中学生のガパオライス!」
ポケットからスマホを取り出して、五男の素剛が作った夕飯の写真を見せる。
「え、店のやつじゃん! こっそりウー〇ーで取り寄せたんじゃないですか?」
「わあ、パプリカ二色とピーマンと鳥そぼろに、絶対に美味しい黄身の加減の目玉焼きと、スイートバシルが乗ってる! なんかスープもついているし、信じられない! 課長、息子さんを私の婿に下さい」
「俺の嫁に、是非!」
「五男はまだ中学生だからな、何処にもやらんよ」
「ご家族の写真はないですか? 是非見せてください課長!」
「野島さんの、奥さん見たいです!」
「えーっと」
スマホをスクロールして、家族全員が映っている写真を探す。
「ああ、あった。これが一番最近だな」
奪うように、課の二人がスマホを取って、仲良く頭を突き合わせて画面を見る。
「ああ、奥さん美人だ~、課長こんな強面なのに」
「おい」
「ちょっと、息子さんたち、マジイケメンじゃなですか!! 野島さんは堅気に見えないくらい怖いお顔なのに」
「おい」
「あれ、一番小さい子、この子だけ奥さん似ですね。他の子は、成長するとこんな凶悪な顔になってしまうんですかね・・・・・・」
「おい!」
「課長の家、動物は飼ってらっしゃらないんですか?」
話の逸らし方がわざとらしい気もするが「いない」と返事をする。
「ずっとペットが欲しかったんだが、男五人ともなると、殴り合いの喧嘩なんて日常茶飯事でね、そんな中に小さな子猫や子犬を飼うのは、怖くてね。せめて、子供たちより大きくて、強い犬と思って、譲渡会で里親探しをしているところに何回か顔を出したんだが、なかなかいなくてね、ドーベルマンやシェパード、もしくは土佐犬なら、あの子たちの喧嘩に巻き込まれても大丈夫だと思うんだが」
「犬のチョイス」
「そんな喧嘩します?」
「一人二人だと、小突きあいですむんだが、五人一斉にやり始めると、SATの出動をお願いしたくなるレベルだよ」
「男の子って大変ですね」
「そうなんだよ」と水を呷る。
「ああ、課長それ日本酒ですから!」
暫くぶりに酔った。こうやって集まっておおっぴらに飲めるのは本当に何年ぶりだろう。
解散後にタクシー代をケチり電車にして、気分が悪くなり、何度も途中下車の旅を繰り返して、最寄り駅に着いた。
家へ向かうのに近道となる傾斜のきつい階段を登りながら、足もとに積もる桜の花びらを発見して振り仰ぐ。
たくさんの花を付けた見事な枝が、道に張り出している。
ああ、何と美しい。と、そこまでは覚えている。
「ここはどこだ?」
見覚えのある天上。
自宅の自分の部屋の天井だ。だが、いったいどうやって帰って来たのか全く覚えていない。
それと、身体のあちこちが痛む。
記憶があるのは、自宅付近の階段を上っているところまでだ。
そこから、ここまでの記憶がないのがどうにも気持ち悪い。
とりあえず起き上がって、足元を見てギョッとする。
スラックスが破れ、乾いた血が剝き出しの膝から脛に向かってこびり付いている。
かなりしっかりした仕立ての生地がこんなに破れることがあるんだなと、引き千切れたような裂け目を見て、暫し呆然とする。やがて、このままではいけないとベッドを降りようと床を見て、さらにギョッとした。
ベッドの下に、昨日履いていた革靴が揃えて置いてあった。
見れば、桜の花びらと血液が付着し、それが部屋のドアに続いている。
それを見て、昨夜何が起きたのか想像がついた。
家の付近の階段で、桜を見ながら登っていたために、足を踏み外して膝からいったんだろう。その後、なんとか家に帰りついて、そのまま靴で上がってきて、ベッドを玄関か何かと勘違いしてここで靴を脱いで倒れた。
おそらく、そんなところだ。
今日ここに百華がいなくてよかった。
とにかく、速やかにスラックスを捨て、膝を消毒して包帯を巻き、靴跡を消さなくてはならない。
立ち上がると、やはり膝にダメージが残っていた。擦り傷だけでなく、強く打ったようで、痛みが走る。
部屋を出て、そろりそろりと玄関に靴を置きに行くと、ちょうど階段から降りてくる素剛と鉢合わせた。
「おはよう」
「お早う、父さ・・・・・・」
素剛が膝をガン見してくる。
「あ、これは・・・・・・」
言うより早く、素剛は二段ぬかしで階段を駆け上がっていく。
ああ、あれは他の兄弟たちを呼びに行ったな。
二階の部屋がバーンと音を立てて、ほどなく双子が駆け下りてきた。
血だらけの膝を見るなり、仁酉と光輿が口々に「ついにやりよったか」と言ってくる。
「親父よ、何年くらうんじゃ?」
「おう、親父のおらん間、家のことは心配せんでええよ、イセ兄さんには悪いが、大学は諦めてもろうて、マグロ漁船に乗ってもらうわ」
「俺らも、猫カフェで働いて家計を助けるからのう」
「伊世但との差が酷い」
素剛が薬箱を持ってやって来ると、背中を押してきて、風呂場に向かわされた。
膝を洗うように言われ、その間、双子に床掃除と靴の血を拭くよう指示している。膝を洗い終わると、消毒薬を吹きかけて、広範囲の傷を貼るだけで直すタイプのシートを貼り、替えのスエットを渡してきた。
常に誰かしら兄弟が怪我をしているため、こういった応急処置はお手の物なのだろう。
そして一言「酒は飲んでも、のまれるな」と言って台所に去っていく。
「本当に、すみません」
素剛は重度の中二病だが、昔から兄弟で一番しっかりしていて大した奴だった。
断片的にだが、思い出した前世の記憶。
あの東京タワーの光も、富士山の美しさもないが、ここには妻も子供たちもいる。
みなが転生し、そして妻とソゴゥは私より早く記憶が戻っていたという。
馬車がイグドラム国立図書館、通称イグドラシルに到着する。
役職上、滅多に首都から出られないソゴゥに、こうしてこちらから会いに行くのだ。
馬車から降りて公園を突っ切ると、奥に魁偉な建造物が見える。
あの建物は、かつてこの地に生えていた世界樹の残骸で出来ており、天を衝くような巨大樹が倒れ、途中二つに折れた形状のまま、二つの塊となっている。
透明なガラス部分が多く、それを銀色のフレームで固定している。
前世の国立劇場や、オリンピックのメイン競技場のように特別斬新なデザインで、いやがおうにも人目を惹く。
建物入口から、蛇行した広い通路を行くと、その奥がエントランスホールとなっていて、ホールの床は世界樹の破片が風化してできた砂で埋め尽くされている。
またそこは最上階まで吹き抜けで、フレームの部分がホールに日陰を作っている。世界樹の細枝はテーブルや、照明を支える柱として利用され、砂漠の中に木が生えているような奇妙な空間を作り出している。
そして、そこかしこに茶色でモフモフの樹精獣たちがいる。
彼らは、泣いている迷子がいると何処からともなく現れて、子供に付き添い、とても速やかに別の個体が母親を探して連れてくる。
また、目当ての本が見当たらず困っている人がいると、該当の書架まで案内したり、疲れたり、悩みを抱えた人を見分けて、有無もいわさず手を引いてせせらぎの間に連れていき、水の流れを飽くまで見続ける悩み人に、いつまでも寄り添って、撫でてもいいよと、腹を見せたりしている。
樹精獣の言葉はただの鳴き声にしか聞こえないが、樹精獣はこちらの言葉を理解しているようだ。
二足歩行で、茶色やこげ茶の毛皮に覆われ、体と同じくらいの長さの尻尾がある。
その樹精獣が今、目の前で尻尾を投げ出して座り、子供が読む絵本を一緒に覗き込んでいる。
何となく魔が差して、そのフカフカな尻尾に手を伸ばし、むんずと掴む。
途端に、樹精獣は尻尾を取り返すように抱え、とても悲しそうな目でこちらを見た。
鳴くこともなく、ただ悲しそうに見てくる。
とても悪いことをしてしまったと、手を引っ込めようとして、何かに頭を鷲掴みにされた。
「樹精獣の尻尾を掴んでは駄目ですよ。尻尾以外をこうやって優しく撫でるように」と、頭髪をかき混ぜてくる。
見上げると、唯一のレベル7の深緑色の司書服を着たソゴゥだった。
「おや、ノディマー伯爵ではないですか」
ソゴゥは樹精獣モンペとして名高い。
「ああ、ソゴゥ丁度良かった、お前に会いに来たんだ。イセトゥアンやニトゥリーとミトゥコッシーは、休みが取れると家へ顔を見せるが、お前は全然帰ってこないから、こうして顔を見に来たんだ」
「今日は首都に泊り?」
「ああ、セイヴの屋敷にいる」
「なら、図書館の閉館後に屋敷に行くよ」
「分かった、そうしてくれ」
「母さんは?」
「ああ、母さんは元司書仲間と、イチゴ狩りに行っていて、今回は来ていない」
どことなくガッカリした様子のソゴゥに「あれだぞ、決してソゴゥよりイチゴを優先したわけじゃないぞ」とフォローするも、余計薄暗い目をさせてしまった。
「べつに子供じゃないし、ガッカリとかしてないし。父さんと話していると、俺ボロでちゃうから、職場では極力話しかけないで。じゃあまた後で」と、そのまま、こちらを振り返ることもなく歩いて行く。
その背中を追って、女性司書が後ろから、ソゴゥの首に腕を掛けて飛びついていた。
「グエッ」と苦しそうな声がこちらまで聞こえた。
もう一人の司書が止めようとして、さらに事態を悪化させている。
あの二人は見覚えがある。
ソゴゥを預けていた児童養護施設「高貴なる子らの園」にいた子たちだ。
確か、ソゴゥと同じ年のローズとビオラだ。園の子供たちの絆は強い。ソゴゥを特別視しない仲の良い馴染みが側にいて安心した。
そこに、レベル5のボルドーの司書服を着た美女が、二人を叱責しながら引き剥がしにかかる。なんて羨ましい光景なんだソゴゥ、お前もイセトゥアンみたいにモテているじゃないか。
当の本人は、思いっきり苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
未だに異性を前にすると意識しすぎて、平静でいられないのだろう。
動揺を隠そうとして、あんなしかめっ面になっているのだ。
図書館が閉館し、護衛の悪魔のヨルを伴って、父、カデンのもとに行く。
夕飯は外で食べることを、樹精獣たちに伝えることも忘れない。
セイヴの屋敷には、父が使用人を伴って来ていなかったから、作るのも面倒くさいと夕飯を外に食べに行くことにした。
「何か、おすすめの店はあるか?」
「俺より、父さんの方が詳しいって、絶対。俺図書館から、ほとんど出ないし」
「寂しい暮らしだな」
「うるさいな、いつも九人で食卓囲んでるっつーの」
「人類はお前だけだろ」
「えー、差別反対、樹精獣も悪魔も家族ですぅ」
「マスター」とヨルが感動したように声を上げる。
ああ、しまった。ペットも家族の一員です的なノリで言ってしまった。
「ここはどうだ?」と店の前に貝の殻が積み重ねて置かれた、オイスターバーのような店を父が指す。
「いいね、カキ好き」
ヨルもどことなく嬉しそうだ。
「じゃあ、ここにしよう」
ドアを開けると、男女ともにタイトなパンツに白いシャツの店員が、忙しそうに通路を行ったり来たりしている。
入口付近の店員が人数を聞き、直ぐに奥へと案内してくれた。
「今日こちらのテーブルを担当させていただきます、ペロペロネです。ペロと呼んでくださいね! オーダーが決まりましたらペロにお申し付けください!」とポニーテールの店員が、白い紙のテーブルクロスに「ご来店ありがとうございます。ペロです」とペンで書いて去っていく。
「日本にもあったね、こういう店」
「ああ、タメ語じゃないだけ、まだ好感がもてる」
「近所にタメ語の店あったよね、常連じゃないのに。俺はあの店苦手だった、父さんがいつキレるかって、気が気じゃなかったし」
「俺はそんなに気が短くないだろう?」
「いや、家族で一番ヤバいから、マジ瞬間湯沸かし器だし。ところで、ヨルは好き嫌いってある? 何か頼みたいものは?」
「我は、マスターと同じものでよい」
「じゃあ、とりあえずワインは白でいいよな、鮮魚のカルパッチョと、ガーリックポテトと、生ガキは12ピースで、あとサーロインステーキと、チーズリゾット、他何か父さん頼みたいものある?」
「この、コブサラダみたいなやつと、クラブもいっとくか」
「いいねえ、リッチだね、ヨルは? 何か追加する?」
「出来れば、我は甘いものも食べたい」
「もちろん! でもそれは食後に頼むから、食べたいやつだけ決めておいて」
「ペロさん! オーダーお願い!」と声を上げる。
とりあえず来た白ワインで乾杯し、まだメニューを見ながらアップルパイと、チーズケーキで悩んでいるヨルに「両方たのんで、分けあう?」と提案する。
「おお、それはありがたい」
「お前たちが仲良くてよかったよ」
「いつも一緒にいるのに、ギスギスしていたら嫌じゃん。それに、ヨルは文句を言ったり、不満を言ったりしてこないから、付き合いやすいけれど、本当に不満はないのか気にはなるよね」
「我は、思ったことをはっきり言っている、気遣いは無用。それに、マスターの側はとても居心地がよい。我にこんな生活が許されてよいのかと、いずれ取り上げられてしまうような不安はある」
「なんだそれ、もう酔ってるの?」
「我は、基本酔わん」
「そうなんだ。ところで、父さん、第十三領の領地運営は大丈夫なの? ヨドゥバシーはちゃんと生きている?」
「はは、もともとノディマー領だからな、名前に十三が付いただけだ、特に変わりないよ、ヨドゥバシーには、今度会いに行ってやってくれ、領地の獣害に悩んでいるようだ」
「元大司書の母さんに相談したらいいのに。同じ屋敷に住んでいるんだから」
「父さんと母さんは、ノディマー領の運営にはしばらくノータッチだ。ヨドゥバシーには、自ら相談相手を探し、問題を解決する手腕を磨いてもらわないといけないからな」
「でも、本当にヨドゥバシーが困っていたら助けてあげてよ、あいつの長所は、アホで能天気なところだから。思慮深い神経質なヨドゥバシーになったら何か嫌だし。まあ、今度、許可を取って、十三領に行くよ」
「おお、それはヨドゥバシーも喜ぶぞ、こうして父さんが首都に出て来たかいがあった」
「もしかして、ヨドゥバシーに頼まれて来たの?」
「まあ、それもあるが、可愛い息子の顔を見たかったからだ」
「どう思う、ヨル?」
「嘘は言っていないようである。よい親の部類と言えるだろう」
「おお、ヨル君、君は見どころがあるな」
「父さん、ヨルは味方と思った者に対しては、なんでも肯定するんだよ」
「我は、そうであるか?」
「自覚なかったの?」
「ヨル君、肯定ばかりだと、ソゴゥが増長するから、ダメなときはきちんとそう伝えてくれ」
「マスターは、我がものを言わなくても、自分自身をその外側から見て行動を律する、論理的な思考の持ち主だ。心配には及ばない」
ヨルが褒めてくると、なんだか、金脈を掘り当てたような高揚感というか幸福感でいい気分になるから、悪魔って本当に怖い。
「だから父さん、ヨルの俺に対する肯定は筋金入だから、職場には俺をよく思わない者もいるから、そういった人に認められるように努力するよ」
「ソゴゥを認めていない者がいるのか? どんな奴だ? ちょっと特徴を教えてくれ」
「いや、教えてどうすんの? モンペですか?」
一時間半ほどで食事を終え、一件目の店を出て、二件目は王宮騎士をしている長男のイセトゥアンと待ち合わせた店に向かう。
首都にいる他の兄弟、次男ニトゥリーと、三男ミトゥコッシーはタイミングが悪く首都を離れていたため、仕事終わりのイセトゥアンだけしか捕まらなかったのだ。
イセトゥアンが指定してきた、看板の出ていない、一見すると店とは分からない麦穂柄が彫られている木の扉を引く。
店はそれほど広くないが、落ち着いた照明に、入って右側が重厚な木材で出来たバーカウンター、左側の手前に二人席が二つ、奥に四人席が一つある。
カウンターに男性客が一人、手前の二人席に落ち着いた雰囲気の男女が静かにお酒を楽しんでいる。
奥の四人席で、先に来ていたイセトゥアンが、こちらに気付いて片手を上げる。
「いい店だな」
父が好きそうな佇まいだ。
「ホントに、いい店だね」と皮肉を込めて言う。
ここなら、イセトゥアンやヨルがいても、異性が騒ぎ立てることもない。
先の店でも、ヨルはペロさんを始め、異性の視線を釘付けにしていた。そこへきて、さらなるモテ男のイセトゥアンが加われば、会話どころではなくなるため、こうした落ち着いた店が望ましいのだ。
いったい、俺に何が足りないって言うんだ。
こいつらと違うところと言えば・・・・・・あふれ出るエロさ?
カウンターからバーテンダーが「何を作りましょうか」とオーダーを尋ねる。
「私は、モルトで何か作ってもらおう」
「俺は、クラフトビール、白ブドウの匂いがするやつある?」
バーテンダーが俺が好きなビールの銘柄を言ったので、それをもらう。
「我もマスターと同じものを」
バーテンダーが、自分の事を言われたのかと、首をかしげる。
「あ、こいつも俺と同じものでいいです」
最近は、いちいち呼び方を訂正していなかったが、やはり弊害はある。
「おい、ヨル。いい加減、マスターと呼ぶのをやめろって。今度マスターと呼んだら何か罰ゲームでもさせるからな」
バーテンダーがそれぞれの飲み物を運んでくると、ふと、カウンター席にいた男と目が合った。男は疲れ切った、黄色く濁った目をしていた。
楽しい酒ではなさそうだ。
男はスツールから降り、ふらりと立ち上がるとこちらへとやって来た。
嫌な予感がする。
案の定、明らかに絡む気でいるような調子で、男が声を掛けてきた。
「おい、お前人間だな」
男は真っ直ぐ俺を見て言う。
グラスに口を付けようとしていた父とヨルが振り返る。
俺は、肯定も否定もせず、肩をすくめて相手にする気はないと無視をするが、男は俺たちのテーブルに手をついて、なおも「人間だろう」と言ってくる。
「家族水入らずで話をしているんだ。悪いけど構わないでもらえないか?」とイセトゥアンが応じる。
「ほう、じゃあ、こいつの母親だけ人間だったのか?」
「なあ、あんた、いい加減にしてもらえないか」
低い声で応じる父、カデンを見て男は一瞬たじろいだ。無理もない、こんな威圧感をもった強面のエルフはそうはいない。
「俺は、人間なんてもう見たくない、ウンザリなんだ! この美しいエルフの国、イグドラムに、お前たちのような人間は立ち入って欲しくないんだ、年がら年中争いを繰り返し、資源や領土を奪い合って、人間の国だけじゃ飽き足らず、このエルフの国を下見にでも来たのか!」
「あんた、落ち着けよ。俺はもともとこの国で生まれた、イグドラム国民だ」
「関係ない、人間は出ていけ!」
「おいおい、それはちょっと横暴じゃないのか? イグドラムは移民を受け入れている。今は、昔と違い色々な人種が暮らしているんだ」
イセトゥアンが間に入って言うも、男は敵を見るような目で見てくる。
バーテンダーが男に丁寧に、引くようにお願いするが、男はバーテンダーを払いのけて、テーブルを叩く。
このままだと、後ろにいる他の客にも迷惑だと感じ「出よう」と提案する。
ほとんど口を付けることもできなかったグラスをそのままに、勘定をテーブルに置いて四人は席を立つ。
「屋敷で飲みなおすか、酒は置いてある」
父が言い、イセトゥアンも同意する。
「ああ、その方が落ち着いて飲めそうだ」
だが、男は追いかけてきて、しつこく「イグドラムから出ていけ!」と怒鳴り散らす。
エルフであることを告げてもよかったが、この状態で他の人間にまた絡むのは、俺は許しがたいと感じていた。
ふと横を見ると、ヨルが「燃やそう」と呟き、手に黒い炎を纏わせている。
「おいおいおい、ダメだって、俺が相手する」
「ソゴゥ、ほっときゃいいだろう?」
父が男を白けた目で見ながら言うが、俺は真正面から戦うと決めた。
「いや、こういう偏見は見過ごしておけないよ」
イセトゥアンも一歩下がり、俺と男が対峙する形になる。
「さっきも言ったが、俺はイグドラム国民だ。そういう言いがかりは迷惑だから、やめてもらえないか?」
「イグドラム国に、人間はいらない。出ていかないなら、出ていきたくなるようにしてやろう! 人間にしては整った顔も、今日で終いだ!」
男が分かりやすく殴り掛かってくる。
顎を狙った、驚くほど早く凄まじいフックが繰り出される。こちらが避けて、攻撃が空を切ると、男は直ぐに追撃の二手、三手を出してくる。
軍属でもこれほどの実力を持ったエルフは稀だと思われるほど、卓越した身のこなしだ。
しかも、魔法防御と身体強化を無詠唱で攻撃と同時に発動させていた。
「ただのゴロツキじゃなかったのか」
イセトゥアンが感心して言う。
訓練されたものでなければ、目で追うことが出来ないほどの攻撃を繰り出してくるが、それをすべていなして、文字通り相手の鼻っ柱を折るように、カウンターの一撃を顔の中央に叩き込む。
男が吹っ飛ぶことはなかった。一応加減して入れたのだ。
踏ん張るように、堪えた男の目が裏返るように白目になり、その場で膝から地面に落ちて、最後に顔が地面に着いた。
「こいつどうする? ミトゥコッシーに頼んで海に沈めるか?」
「消し炭にして、川に流そう」
イセトゥアンと、男の襟を摘み上げているヨルが物騒な提案をしてくる。
「いや、まずはニトゥリーに引き渡したらいいんじゃないか? あいつなら嬉々として拷問してくれるぞ」と父、カデン。
「いやいやいや」
とりあえず、今出てきたバーに男を預けることにした。
「すみません、何か、かなり酔っていたようで、そこで倒れていました。介抱をお願いしますね」と俺が言う横で、ヨルが男を店の床にポイっと捨てる。
バーテンダーが何か言う前に、逃げるように店を後にして屋敷で飲みなおした。