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一人の暗殺者の運命が変わった日①

本編を読んだ後に読むことを推奨します。

セリーン視点。微糖。


 オズウェルとヴィエラが再会する約3年前、ルーンセルン城内にて――。


 赤毛の三つ編みにメイド服を身にまとった少女――セリーンは、人気(ひとけ)のない城の廊下を無表情で歩いていた。

 今は、ちょうど日付をまたいだ時刻。人気がないのはある種当然であろう。


 昼間は多くの使用人や政務関係者たちが働く城内はしんと静まり、物音一つしない。

 両脇にかけられた燭台のあかりだけが、ぼんやりと廊下を照らしている。

 幼い頃から暗殺者として徹底的に教育を受けてきたセリーンは、足音を立てることも無くただ目的の場所へと向かっていた。


 (……それにしても、城のメイドになりすます日が来るなんて思わなかったわ)


 物心ついた時にはすでに暗殺者組織にいた。生みの親の記憶さえない。生まれてからの16年間、セリーンは暗殺者として生きてきた。

 そんな自分が、潜入のためとはいえまさかメイド服に身を包む日が来ようとは想像してもいなかった。


 紺色のロングワンピースに、白のエプロン。こんな風にひらひらした服を着るのは初めてで、なんだか落ち着かない。

 いつもはくくってすらいない髪を三つ編みに結って垂らしてみたが、果たして自分は大人しいメイドを装えているだろうか。


 (()()()は、この城の皇帝を殺さないといけない)

 

 暗殺者であるはずのセリーンが慣れないメイドに扮して城に潜入しているのは、オズウェルを殺すためにほかならない。


 永久凍土な氷の帝国・ルーンセルン。その頂点に君臨するは、オズウェル・ウォード・ルーンセルンという名の冷酷無慈悲な皇帝だ。

 敵であろうが味方であろうが容赦をしない彼の政治手腕は見事なもので、即位して数年だと言うにもかかわらず各国からは一目置かれている。


 (はてさて、情報屋の()()話はどこまで本当なのかしらね)

 

 ルーンセルンの皇帝が、氷のような心をもった冷酷な男であることは、大陸に住むものなら一度は耳にしたことがある噂だ。

 しかし、セリーンが城に潜入する前に情報屋から得たものはまた違った噂だった。


 ――ルーンセルンの皇帝は、冷酷なだけではなく狂っている、と。

 

 (噂の真偽は分からないけど、狂人なら殺すのにそこまで罪悪感がわかなくて済む)


 なんの落ち度もない一般市民をターゲットにするよりはまだ気が楽だ、とセリーンは自嘲気味に口元だけで笑った。

 

 これはセリーンにとってはただの仕事。生きていく上でしなくてはならないことだ。

 暗殺者組織に属する以上、長から命じられれば逆らえない。

 

 (身分がある人間っていうのも大変ね。命の危険が付きまとうのだから)


 要人の暗殺依頼など珍しくもない。

 どこの誰が依頼してきたのかは知らないが、策謀渦巻く貴族社会だ。どこかで恨みを買うなり、皇帝陛下を殺して利用しようとする愚か者がいたりしたのだろう。


 (まぁ、関係ないわ。わたしはただ、依頼をこなすだけ)


 城内の構造は、事前の調査で把握していた。

 目的の場所――オズウェルの私室にたどり着くと、セリーンはすぐさま袖口から取り出した細い器具を鍵穴に差し込んで、鮮やかな手口で扉を開けた。


 音をたてぬように扉を開き、隙間からするりと身をすべり込ませる。

 さすがは皇帝陛下の私室といったところだろうか。

 壁一面が本棚に囲まれたひときわ広い部屋の中、質の良い調度品が並んでいる。


 (……?)


 奥へ進みながら、なにか……、少しだけ変だとセリーンは感じた。

 

 (これは、アネモネの花……?)


 白いアネモネの花が、飾られている。

 それだけなら、特段気に留めるようなことでは無い。

 ()()()()であれば、この部屋の持ち主は花が好きな人間なのだ、と納得するだろう。


 しかしこの部屋は、セリーンが納得できるような雰囲気ではなかった。


 暗い夜の部屋に、飾られた白いアネモネがひっそりと佇んでいる。

 机の上にも、暖炉の上にも、サイドボードの上にも。

 周囲を見渡せば、部屋を取り囲むようにアネモネの花があった。


 (これは、まるで……)

 

 ……まるで誰かを弔っているかのようだ。


 思わずセリーンは、足を止めてしまう。

 

 寂しい。

 悲しい。

 言葉もないのに、飾られた花からそう感じ取ってしまった。


 

「まさかメイドの中に暗殺者が紛れ込んでいるとは思わなんだ」



 (……っ!)

 

 低い、男の声がする。

 はっと声のした方へ視線を向ければ、ぼんやりと闇から浮かび上がるようにして現れた青年の姿があった。本棚を背に腕を組んでこちらを見ている。

 薄闇の中煌めく銀の髪。冷たく凍えた冬の海のような群青の瞳。

 まるで、彫像のような男だと思った。それほどまでに容姿が整っている。

 氷の刃のように鋭く研ぎ澄まされた視線がセリーンを真っ直ぐに射抜く。


 (この男が、皇帝……?)


 セリーンが事前に得ていた情報と、男の見た目の特徴は一致する。

 暗殺する前に相対することになるとは思わなかったが……。

 暗がりの中、壁掛け蝋燭のあかりに照らされたその青年は、ぞっとするほど美しかった。

 彼のまとう圧倒的強者のオーラに、セリーンは気圧されてしまう。


 セリーンにできた隙は、たった一瞬。

 その一瞬が、セリーンの運命を決めた。


 (しま……っ)


 短くも濃い暗殺者人生で、遅れを取ったのはこれが初めてだった。

 ごっ、と頭に鈍い痛みが走る。

 どうやら部屋の中に衛兵が潜んでいたらしい。

 横から殴られたのだと気づいた時には、セリーンはすでに床にくずれおちていた。


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