第03話
あれから数日。毎日のように彼らは休憩所で何気ない時間を過ごした。
時にお喋りをし、時に無言でそれぞれの時間を享受した。
お互いがいつも出会えることに疑問が浮かばなくなるほど日常に溶け込んでいく。
それぞれの人生があり、いつか別れることになるかもしれないなんてことは姫廻にもわかっていたはずなのに、いつしかそのことを忘れるほどにその日常が愛おしいものとなっていた。彼と共にいられる時間はとても幸せだった。
魔法少女の活動もまた続けており、その度に彼女の知名度は町に広がっていく。
変身し、黒い化物を追って飛び回り楽しませる。
それはこの数日で不定期に行われるイベントのように人々の中で噂されるようになった。
誰かが目撃すれば吸われるように姫廻の向かう方へと後を追っていく。
その感情に明確な理由などない。彼らははただ彼女の舞うように衣装をはためかせる様が見たいのだ。
それは姫廻にとって、少しずつ重荷に変わっていく。
「ねえ、もっと魔法少女がいたらもっと盛り上がるんじゃないかなっ」
「……なるほど。それはいいアイデアかもしれないね。」
姫廻はひとつの提案をした。それはもっと盛り上げたいという想いもありつつ、自分だけでは限界を感じていた。ひとりで出来ることの限界、集まる人々の規模も自分だけでは収拾がつかなくなるほど増えてきた。
今は有志の観客たちが乱れないように取り仕切っているが、限界もある。
「実はね、魔法少女活動を中心に町の在り方を作って行こうと考えているんだ」
「町の在り方?」
「……町そのものが人々を愉しませる。いつかたくさんの魔法少女が人々を愉しませて、多くの人が集まり、毎日が祭りのように賑やかになって」
「プリンセスの心を取り戻す、だね」
ラビィは強くうなずいた。
「きっとそれは楽しい毎日を過ごせそうだね」
「うん。詩にはもうちょっと頑張ってもらう必要があるけど、大丈夫かな」
「……やってみるよ!」
姫廻は自分の懐から指輪を取り出した。それは自らの指にはめられたものとは別のもうひとつのもの。
「ねえ、指輪ってなんでふたつあるの?」
「……それはプリンセスともう一人の少女が交換したという話を基にしているんだ」
「交換した指輪?」
その物語はもうひとつの世界で行われた話。
プリンセスは森の奥でひとりの少女と出会い、また出会う約束をして指輪の交換をした。
森の奥で暮らしていた少女は人と関わることがなく生きてきて、初めて歳の近い女性と出会う。それがプリンセスだった。
彼女たちは会うたびに惹かれあい、数少ない心の内を吐き出せる親友となった。
親密になるほどにいつか来る別れに少女は恐怖した。
不安を和らげるためにプリンセスはひとつの指輪を贈った。
それは自国に伝わる伝統の指輪。
英雄の伝承になぞらえた婚約指輪。
かつてこの国の王女に送られた指輪が代々受け継がれていた。
一定の年齢になるとその国の王族は自らの手で指輪を彩り、婚約する相手が現れるまで大切に保管される。
それを渡す相手はプリンセスにはいなかった。
厳密に言えば、プリンセスは政略結婚の話から逃げていた。
プリンセスはその指輪を少女に渡したのだ。
別れてもまた彼女の前に会いにくるよと約束をして。
「その指輪がこれなんですか?」
姫廻はその話を聞いて、ラビィに指輪を差し出した。
ラビィは首を横に振る。
「違うよ、プリンセスたちの指輪は今も身に着けているよ」
「そうなんだ。でももうひとつのはどうして? ひとつはプリンセスのものなんだよね」
「もう一つは少女からプリンセスに贈られたものだよ」
交換したという話だった、と姫廻は思い返した。
「つまり、私も誰かに渡すためにあるってこと?」
「そうなるね。あ、適当な人に渡しちゃだめだよ。魔法少女の力にも関係しているからね」
「……わかった」
誰かに渡すという話を聞いて最初に思い浮かべたのは神だった。
彼のことが好きかと言われると姫廻には自信がない。彼のことは気になる男性ではあるものの好きかどうかと問われると考えてしまう。
しかしながら嫌いではない。自分の気持ちに整理がついていない。
「……よく考えて渡すんだよ」
「……うん」
姫廻は持っていた指輪をまた懐にしまい込んだ。
***
「明日のイベント、俺急遽出られなくなったからよろしくな」
「えっ」
「心配するなって、他の人たちにはちゃんと伝えておくから」
仕事が終わったあとの自宅にかかってきた1本の電話。
明日公園で行われるイベントで神は設営などの手伝いを言い渡されていたが、共に働いている伯父から出られなくなったとの連絡だった。
管理員やイベントの運営スタッフは別に彼らだけではなかった。
しかし、神にとってそれは地獄に他ならない。
知らない人物、ましてや大人相手に対応できるほどのコミュニケーション能力は持ち合わせてはいないのだ。
「無理無理無理」
「大丈夫だって、何事も経験経験。何かあったら周りを頼ればいいから」
じゃ、よろしく。と電話が切られてしまった。
その雑な対応に電話が終わった後も呆然として頭の中が真っ白となる。
「神?」
「……明日ヘルプ」
「いいよ。話通しておくね」
その後神がとった行動は友人に助けを求めることだった。
彼は神が仲良くしていて助けを求められる数少ない友人である。
ボランティア活動が趣味の人助け大好き男。
彼をよく知る人物からの評判は「世界を少しだけ幸せにする男」
隙あらば小さな人助けをし、それが理由で約束の時間に間に合わないことも多い。
以前外国人のヘルプに応じたのも彼である。
その行動によって、数年後就職活動が難航するがそれはまた別のお話。
「あ、でもそれだったら知り合い呼ぶから。そういうの得意なんだよね彼女」
「ダメ。無理無理喋れないし」
「じゃあ、自分でおじさんの代わりするのと手伝ってもらうのどっちが地獄?」
「……」
神にとって人との関わり合いは最も避けたいことである。
姫廻詩という女子中学生に懐かれているというのを知られるのはもっと避けたい。いらぬ誤解を招く。彼女は絶対このイベントにやってくる。
「……お願いします」
「オーケー! じゃ、明日よろしく!」
電話を切って、ため息が漏れた。
ああ、どうしたものか。知らない人と話すのも嫌だ。
ああ、胃が痛い。
それにしても。と神は思う。
スマホの画面を見ると通知が届く。
姫廻からのメッセージだ。
あれ以来、しょっちゅうメッセージが届くようになった。
最初は自分の探るように質問が多かったが、いつからかただの日常の報告に変わっていった。神が知っても「ああ、ふうん、そう」としか思わないぐらいのたわいのない話ばかりだ。
散歩をしていたら犬に会ったとか、空がすごく青かっただとか。
写真付きであることも多い。
最近よく会うようになった少女。姫廻詩。
彼女は何なのだろう。異様に懐かれているが、いつか通報されて逮捕されてしまうんじゃないかと考えてしまうほどに先が怖い。
距離を取りたいが向こうから詰めてくる。
神にとって姫廻はよくわからない存在だった。
漫画やアニメの世界ではよく助けられたのかきっかけで好きになるケースも少なくはない。そういう現象を思わせる。
いや、少女は大人に憧れるという。
大人に憧れているだけで自分に気があるわけではないのだ。
そうであってほしい。
自分に好かれる要素はない。
神はそんな考えを頭の中をぐるぐると巡らせる。
どうにか自分に飽きさせる方法はないかと思いながら、神はメッセージを返した。
***
その日もまた姫廻は休憩所に足を運んでいた。
公園内の休憩所に張られていたイベントが今日行われるというのは知っていた。
内容は町を盛り上げるために出店や出し物を披露するだけのもので、特に特別感があるお祭りでもない。
姫廻は神に会う方が先決だった。
連絡を取り合って、毎日のように会話を交わし、彼がイベントに対して意欲的に参加する人間ではないことは分かっていた。
だから彼はイベントの運営側にいるとは考えておらず、いつものようにここに来ると踏んでいたのだ。
しかし、休憩所に入るとそこにはいつも居座っている神はそこにはいなかった。
誰もいない休憩所。初めて来たとき以来かもしれない。
姫廻が休憩所に入ると神が居座っており、寂しさは一切感じなかった。
だが、待てども神は現れなかった。
寂しさを覚える姫廻。
ひとりでいることが苦ではない彼女にとって、神がいないことはさほど問題だとは思っていなかったが、いつもいる人がいないというのは不安に駆られるには十分だった。
不安の中で休憩所にひとりでいるのはすごく時間が長く感じられた。
外に出て、設営途中のイベント会場に足を運ぶ。
そこでは大人たちが何人も集まり、テントを張ったりモノを運んだりしている。
その中で姫廻は神を見つけた。
神の隣に女性がいるのを見て、近寄ろうとする足を止めてしまう。
神と女性ともうひとり以前神と共にいた男性の3人組で何か話していた。
(……あれって)
女性と神の距離感は非常に近く、女性はベタベタと触れて笑顔で神に絡んでいた。
神も腰が引けているものの逃げる様子はなかった。
姫廻の時はすぐ逃げるくせに。
神が振り向きそうになって思わず飛び出した。
不安が強くなり、休憩所に逃げ込む。
いつもの場所に座り、身体を丸めこんだ。
「あれって、もしかして彼女さん……?」
唸り声を上げてゴロゴロともだえる姫廻。
その苦しさに我慢できない。
「……姫廻さん?」
「うわっ!!」
休憩所の扉が開けられ、隙から神が顔を覗かせた。
神が何か言おうとするが姫廻は気づいておらず、休憩所から出て走り去る。
「あれ……」
「どうしたのかなあの子」
神の隣には女性の他に神の友人も立っていたが、姫廻の視界には神と女性しか視界に入っていなかった。
「そんな入り方するからだよ、神くん」
「いや、なんか俺の方が後に入るの初めてだから……」
「なにそれおもしろーい」
神の返答に笑う女性。
「神、追いかけないの?」
「うーん……追いかけた方が良い?」
「追いかけた方が良いと思うなぁ」
神の背中を押す女性。
「こっちはやっとくから、行ってやんな」
「……うす」
友人と女性に言われしぶしぶと言った様子で神は姫廻を追いかけた。
神は追いかけて走っていると、とぼとぼと歩く姫廻の姿が見えた。
「あ、あのっ……姫廻さん……」
「あっ神さ……ごめんなさいっ!」
姫廻の目から大粒の涙がこぼれて頬を伝う。
追いかけてきた神を見て、泣いている姿を見られたくなかった姫廻は神の腕を払いのけてまた走り去った。
その様子に神は何もできず、その背中を見つめるしかなかった。
黒い化物は彼女の事情は汲んでくれはしない。
神の背後を取るように現れた黒い化物。
現れたのはその一体だけではなかった。