第01話
そこは魔法少女たちが人々を愉しませるために活動する町。
彼女らのパフォーマンスが町を盛り上げ、人々が熱中し彼女らを応援する。
町がひとつのテーマパークのような場所。
そこはパフォーマンス特区。
魔法少女たちのパフォーマンスを中心にルールが決められている夢のような場所。
これは特区が出来る少し前のお話。
この町の魔法少女の在り方を決めるための起点となったひとりの少女のお話。
これはひとりの少女の恋を自覚するまでのお話である。
***
この町は現在、開発途中である。
人の往来もまばらで活気づいている様子はない。
そんな町の一角。閑散とする公園。
老人や幼子を連れた大人たち、はたまたペットの散歩。誰かしらが歩いているもののすれ違うことは多くはない。
そんな公園には誰も人が来ないような休憩所が存在する。
その休憩所に少女がひとり。
彼女の名前は姫廻詩。中学2年生。
とある事件をきっかけに彼女はこの休憩所に通うようになった。
そのきっかけとなったのはほんの少し前の出来事であった。
彼女は日課として散歩を嗜んでいた。
その日は普段通らない道を選びつつ、知らない場所を探索するように歩き回っていた。
そうして見つけたこの休憩所。
一息つけるために入った休憩所には、誰も人がいないわりに綺麗に整っていた。
中に入るとそこに広がるのはイスとテーブル、端には自販機が設置されており、反対側には多様な本が並べられた本棚が置かれている。
椅子の上にはちょっとふかふかとした座布団が用意されていた。
その座布団の座り心地に気分がよくなっていると、そこにやってきたのは年上のお兄さんたち。年齢にして16歳頃高校生ぐらいの男たちだった。
複数の高校生を目の前にした彼女は恐怖を感じ、立ち去ろうとした。
しかし、彼らに声をかけられて囲まれてしまい逃げ場を失ってしまう。
少女にお構いなしに盛り上がる高校生。
言動にはセクハラも混じり、身体にも接触され、恐怖で身をすくませることしか出来なかった。
その時だった。
室内放送が鳴り響く。
内容は当時の姫廻詩には恐怖のあまり記憶に残らなかったが、喋り慣れておらず噛み噛みで高校生たちの笑いを誘った。
次の瞬間高校生たちは驚くこととなる。
警官が休憩所に入ってきたのだ。
高校生たちは動揺し、逃げ出すものもいた。
そして、警官により高校生は姫廻詩から引きはがされた。
彼らがその後どうしたのかを彼女は知らない。
気持ちが落ち着いた頃、警官によって通報があったことを知らされた。
その主というのが先程の室内放送をかけた謎の人物である。
声からすると男性。
姫廻詩にとって、彼は見えないところから守ってくれる神のようだと思ったそうだ。
それこそが姫廻詩がこの休憩所に通うことを決めたきっかけの出来事である。
つまり、彼女は神にもう一度会いたいというその一心でこの場に通い始めたのだ。
しかしながらその男は声しか知らず、どこの誰なのかもわからない。
警官は事務所に待機している職員なのではないかと話していた。
職員の出入りは極端に少なく、姫廻詩はその誰とも遭遇することが出来ていない。
今日は先客がひとりいた。
その男は髪が全体的にボサボサで、目元が前髪で隠れていて、座っている姿から見ても高身長であることは分かった。
歳は姫廻よりも上。もしかすると以前であった高校生よりも大人かもしれない。
彼こそが放送の張本人であるのだが、それは姫廻詩にはわかる由もないことである。
姫廻はかれのことが気になり、声をかけてみた。
「こんにちは!」
「……あ、こ、こんにちは」
突然声をかけられて、挙動不審になる男。視線をあちらこちらに向けてまっすぐ姫廻を見ることが出来ない。
「お兄さんもここに来るんですか?」
「えー、あー、まあ……そうだね。来てるね」
「?」
何とも的を射ない回答に姫廻は首をかしげるばかりだった。
彼は会話が苦手で自分と話したくないのだろうと姫廻は解釈し、少し休憩したらこの場を立ち去ることにした。
その間、数分間沈黙が続いた。
その沈黙に耐えられなかったのは姫廻よりも彼の方だった。
常にスマホと姫廻と外をキョロキョロと気にしているようで落ち着きのなさがうかがえる。何を気にしているのだろうか、と姫廻は思う。
「どうかされましたか?」
「えっ、いやなんでもないよ……」
「そうですか」
姫廻は休憩所を後にした。別にその場の空気に耐えられなかったわけではない。
他人の休憩時間の邪魔をするべきではないと感じたからだ。
彼女なりのやさしさである。
休憩所を出て、少し歩いた後に振り返って見ると周りを気にしながら休憩所から出ていく彼の姿があった。ひとりになりたかったわけではないらしい。
その行動を疑問に思いながら散歩道に戻ることにした。
公園を歩いていると突然声をかけられた。
「君、ちょっといいかな」
「はい?」
振り向いた先に人間の姿はなかった。もちろん動物もいなければ遠くで叫んでいるというわけでもない。
目の前にいたのはぬいぐるみのような姿をした謎の生き物。
その耳はウサギのようでいて、身体は首元からお腹に向けてボテっとしている。
左耳の付け根辺りにはリングが二つ嵌められている。
首元と背中にはもこもことした毛が生えていて、もはや何の動物かすらわからない。
「君にお話があるんだけど、いいかな」
「……」
呆気に取られている姫廻。ようやく言葉が出てきたかと思えば、
「これは魔法少女的なやつですか!」
「そうだよ、魔法少女的なやつだよ!……いやまんま魔法少女のお話なんだけどね」
「はい」
「詳しく説明するととても長くなるんだけど、別に興味ないよね。難しい話」
「難しいんですか」
「うん、難しい」
そのぬいぐるみの姿をした生き物はおもむろに浮き上がって姫廻の目の高さに移動した。
「その前に自己紹介かな。僕の名前はラビィとでも名乗っておこうかな」
「名乗っておこうかな……?」
「こっちの世界に来て余り経ってなくてね、こっちの世界での名前は決まってないんだ」
「はあ」
その様子に生返事をするしかない姫廻。
「君の名前は?」
「姫廻詩です。詩でいいですよ」
「じゃあ、詩。魔法少女になってくれる?」
「展開が早いっ! まずは事情説明を……」
「難しくてもいい?」
「ざっくりとでも」
しょうがないなぁとばかりにどこからか取り出すミニホワイトボードとペン。
ラビィはそこに〇を二つ真ん中が重なるようにして描いた
「まず、君たちの暮らしている世界の他にもうひとつ世界があります。簡略化しているだけでふたつだけじゃないんだけど」
「その辺は省略してOKです」
「OK。それでもうひとつの世界から来たのが僕なわけ」
ラビィはペンを自分に向けてそう告げた。
「それでどうしてこっちの世界に来たんですか?」
「簡単に言ってしまえば、君たちの世界がピンチだからさ。ざっくり行ってしまうと向こうの世界がこっちの世界を食べようとしている」
「食べようと……」
ふたつ描かれたうちの片方に口を描き足し、もう片方へと矢印を引いた。
そして円の重なる部分を黒く塗りつぶしていく。
「そして、まさに今食べられようとしているのがこの町というわけだね」
「その黒く塗った部分がここってことですね」
「そういうこと」
「食べられるとどうなるんですか?」
ラビィと目が合う。
「それはまだわからない」
「えー……本当にピンチなんですか?」
「君たちの世界がピンチなのは本当なんだ! 信じてほしい!」
切実に語るラビィ。その眼からは涙が噴き出していた。
「わかりました。信じましょう。世界を救うお手伝いさせていただきましょう!」
「ありがたや~!」
姫廻は自分に任せろと言わんばかりに胸を張ってみせた。ラビィは感謝のあまり土下座のように頭を地につけていた。ぬいぐるみがヘタって倒れているだけのように見える。
「それでどうすればいいんですか?」
「それは……」
ラビィの視線の先、そこに現れたのは黒い獣の姿であった。
四足歩行で見た目は犬のようである。しかしながらその黒は毛の色の濃さではなく、漆黒の闇、手を伸ばせば吸い込まれそうな程の色をしていて、衣をまとうかのように黒い靄に包まれていた。
「あ、もう!」
「えっなに!?」
姫廻が振り向くとその黒い化物は町中へと走り去っていく。
「追いかけて!」
ラビィは姫廻の肩に乗っかり、そう声をかけた。
その言葉に姫廻は黒い化物の後を追って走り出す。
「あれは?」
「あれがこの世界を食らう化物だよ」
「どうやって退治するの!?」
走りながらの問答。ラビィはふたつの指輪を姫廻の眼前に差し出した。思わず姫廻は足を止めてそれを受け取る。
「この片方を君の指にはめて」
「もうひとつは?」
「それは別の時に使うものさ」
「それで、どうすればいいの?」
「指輪に口づけを」
ラビィは自身の腕を口に付けて同じ動作をするようにとジェスチャーする。
姫廻はそれに倣い、指輪にキスをする。
すると指輪についた宝石が光り輝き、姫廻を包み込んだ。
次の瞬間には姫廻の姿は変化していた。
かわいらしいピンク色を基調とした服だ。それが魔法少女の衣装だと自覚するのに時間はかからなかった。
「急いで追いかけるよ!」
「あ、うんっ」
姫廻は飛び出した。一歩ステップを踏んだ瞬間に彼女は気づいた。
羽のように身体が軽く、大きく踏み込むだけで空中を舞うように飛び上がることが出来た。
「うわっあっ、なにこれ!?」
「魔法少女になると思い描いたように身体が動かせるのさっ!」
「…なるほど。こてで退治というわけですか」
「急に冷静にならないで! 落ちる!」
宙を舞うような軌道をえがいていた姫廻の身体が急降下する。
慌てて姫廻が空中を蹴るとそのままジャンプすることが出来た。
「わっ、すごい!」
「言い忘れていたけど、アレを退治することはできないんだ」
「じゃあ、どうするの?」
宙を飛び回り、変身した際に見失った黒い化物を探しながら姫廻は聞いた。
「浄化するんだ」
「それは言い方の問題では」
「……とにかく。退治とは言わないでほしい」
「わかりました」
一度地面におり、あちらこちらと見渡す。
「アレはとある人の負の感情が元になっている。だからそれを浄化すればこっちの世界から消えてくれる」
「つまり?」
「……」
姫廻がラビィに顔を向けると、彼は目を逸らした。
「やり方は……わからない」
「えぇー……でも何かしないとみんなが危ないってことだよね」
「僕もこっちに来たばかりでアレに遭遇するのも初めてなんだ!」
ラビィは隠しきれないほどの動揺を口にした。
「僕たちの世界がとても荒れ果てて、君たちの世界も浸食し始めているからそれを止めないとって!」
「うん、大丈夫! 色々試してみようよラビィ!」
「……ありがとう」
姫廻は微笑んで力強く頷いて見せた。勝算があったわけではなかった。
彼女は人助けが大好きなのだ。
すると、悲鳴が町に響き渡った。
姫廻はその声のもとへと走る。そこには黒い化物ににらまれ動けずにいる女性の姿があった。
「あ! こらーっ!」
姫廻が声を上げるとびっくりしたかのように飛び上がり、少しの間睨みつけるように姫廻を見た後逃げ出した。
「大丈夫ですか?」
襲われた女性に声をかけ、安否の確認をする。驚いたもののただ吠えられただけのようであった。安全を確認したのちまた追いかける。
ステップを踏むように宙を舞う姫廻。その足取りの軽さに高揚感を覚えていく。
彼女は黒い化物を浄化する方法を考えながら、周囲を見渡し探す。
「どうしたら浄化できると思う?」
「負の感情がなくなるには…あっ前!」
「うわっ」
周囲に視線を配らせているうちに前方がおろそかになっていた。
飛び回っているその勢いのままに目の前にいた男性にぶつかってしまう。
どてっ。
「いたた……あっ、ごめんなさい! ……あれ?」
「いつつ……」
ぶつかった男性は今日休憩所で出会った会話の苦手そうな男性であった。
「ま……」
またお会いしましたね、と言いかけて魔法少女であることを伝えていいのか迷い、言い淀んだ。
男性は唖然とした様子で姫廻を見つめていた。
「君こそ大丈夫……?」
「あ、大丈夫です!」
「……あ、あー。何かのイベントとかやっているの? コスプレか」
半分独り言のようにぼそぼそと話す男性。
前髪に隠れた眼が姫廻の顔へと向けられる。
「コスプレ……ではないんですけど、それはおいといて」
「……おいとくんだ」
イベント。コスプレ。姫廻の頭の中でひとつの方法が思い浮かんだ。
そうだ、悲しい気持ちを晴らすにはどうしたらいいのか。
楽しい気持ちにさせればいいんだ!
「……どうしたの?」
「わたし、わかっちゃいました!」
「な、なにを……?」
姫廻は立ち上がり、男性に手を差し伸べた。
男性がその手を取り立ち上がると、姫廻が見上げてしまうほどの身長があった。
姫廻が走り出すと、男性は手を離してしまうが止まることはしない。
「見ててくださいっ!」
飛び出すと周囲の注目を集めるように大げさに動き始める。大きく跳ね、それはまるで妖精のように空中を踊るように。時にくるくると回って、ミュージカルが始まったかのように道をステップ踏んでいく。
動くほどに通りがかる人々は姫廻を目で追い始め、中には一度立ち止まり、彼女を追いかけていくものもいた。
「何かの撮影?」
「何だろう……?」
「すごーいっ」
いつしか姫廻を追う人数は大所帯になっていた。
姫廻は目立つように動きながら黒い化物を探したが、道中で見つけることは出来なかった。しかし、偶然か必然か黒い化物は公園の広場で立ち止まっていた。
姫廻と黒い化物は向かい合い、そこを中心として観客が周囲を囲う。
それはまるでパフォーマーの出し物を待つ瞬間のようにざわついている。
ここからどうするかと考えていたところ、黒い化物は姫廻に向かって駆け出す。
それをかわし、円を描くように避け続けていると観客も少しずつ盛り上がり、声が上がるようになっていた。
「感じていますか、プリンセス。この楽しい感情……思い出してください、プリンセス」
ラビィは誰かに呼びかけるようにそうつぶやいた。
その声は誰にも届いていない。ラビィの言うプリンセスにすらも。
「あれっ」
気づくと黒い化物の動きは鈍くなっていき、その足を止めた。
「姫! とどめの一撃を!」
「ひ、姫っ!? え、えーっと……」
ラビィからと突然の一言が飛び出し、姫廻は動揺する。
これっていわゆる必殺技的なやつだよね!?
姫廻が胸元に手を当てると、手の内から光が漏れ始める。
そして、飛び上がり空中に舞い上がって、手を広げる。
その光は雪のように広がり、周囲を包み込む。
「グ…グルルゥア……ァ…」
黒い化物は光に溶け合うようにしてその身体を自壊させていく。
煙が風で舞って散っていくように、黒い靄も消えていく。
姫廻がそっと地面に降りると観客から拍手喝さいが贈られる。
「ありがとうございました!」
姫廻は一礼すると多くの拍手が広場に鳴り響いた。
周囲の盛り上がりが落ち着きをみせ、人々は散り散りになっていく。
姫廻はその様子をずっと見送っていた。
その中でひとりの男性を見つけ、駆け寄った。
「見てくれたんですねっ」
「ま、まあね」
「ぶつかってすみませんでした。本島に怪我とか大丈夫でした?」
「……大丈夫。君はすごいね。あんな大勢の前で」
男は散り散りになっていく人々に視線を向ける。
「ありがとうございますっ。……と言っても夢中で緊張感じる暇もなかっただけなんですけど」
「……僕には出来ないや」
「そういえばおにいさんはこの辺によく来るんですか?」
「えっ」
言葉に詰まらせた男性。ちょっと悩むそぶりを見せた後、口を開いた。
「……まあ、そのここが職場みたいなものだから」
「えっ」
「ここの事務所で講演や休憩所の管理員代理をしてるんだ」
男性は事務所のある方角を指さした。
「……」
姫廻は驚きの表情で固まっていた。
そう、あれだけ会いたがっていた彼がひょっこりその目の前に現れたのだ。
いや、確証などどこにもない。彼であるという証拠もない。
だが、姫廻にとってそれは正解であるかのように直感が告げていた。
彼があの神様なのだと。
「神様!」
「えっ、……神?」
思わず言葉にしてしまった姫廻。
混乱したまま姫廻の変身は解け、普段の装いへと戻る。
「あ、やっぱり君は」
「わ、わたし姫廻詩って言います! ずっとお礼が言いたくて……おにいさんお前は?」
「……神。神凪睦」
「ジンさんですね!」
これこそがこれから長く続く二人の付き合いの始まり。
姫と神の出会いの物語。
この物語は、姫が神への恋心を自覚するまでのお話である。