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飾らない君は傾国の美女  作者: ダイズとカツオ
第二章 孤狼、魔性、そして欺瞞
8/24

ウソと思惑

 予想外の対立候補。奏斗は結月の隣の彼に注意を向けていた。


(あずま)か。これまた予想外だな」


 春と言うより夏が似合いそうな少年。彼の名は(おおとり)(あずま)。結月の従弟であり、中等部では陸上部のエースとして名を馳せ、奏斗が副会長をしていた頃に生徒会役員として共に励んでいた仲でもある。


 とまぁ、そんな感じで彼について改めて整理し、再び結月へ注意へ向ける。


 見た目は完全なギャル。腰に巻いたカーディガンに短く折ったスカート、ツインテールの黒髪。この選挙戦において奏斗が危惧していた爆弾。


 彼は内心で歯噛みしていた。


「そーちゃん、そんな警戒しなくてもいいのに」

「はは、警戒ナンテシテナイヨー」

「まー、仲良くやろうよ。同じ役員なんだからさ〜」


 ヒラヒラと気だるげそうに手を振る結月。相変わらず感情の一切が読み取れない表情に奏斗は頬を引き攣らせる。


「さてと、全員集まったし始めましょ〜」


 詩織の呼びかけに反応し各々が会議用の長机に着く。


 いわゆるお誕生日席に詩織が座り、そこから向かって右の手前から順に健吾、葵、愛華、ティア、結月が座り、向かって左の手前から順にアキラ、稀沙羅、奏斗、玲、春が座った。


「それじゃあ、改めて自己紹介から。生徒会長の神崎詩織です。趣味はお菓子作りかしら」


 彼女の言葉を皮切りに一人一人の自己紹介が始まる。


「副会長の高見健吾だ。趣味は……そうだなぁ、筋トレ?」

「書記の小日向葵です。趣味は読書かな」

「同じく書記の桜羽場愛華です。趣味はピアノと弓道です」

「庶務のティア・シュヴァルツシルトです。趣味はゲーム、アニメ、漫画、ギター……っとこんなものかしら」

「庶務の雲類鷲結月で〜す。趣味はファッションだね〜」

「会計の如月アキラよ。趣味は……そうね、特にないわ」

「庶務の安心院稀沙羅です。趣味はゲーム、アニメ、漫画、筋トレ、あとはお兄ちゃんだね」

「はぁ……同じく庶務でコイツの兄の安心院奏斗です。趣味はゲーム、アニメ、読書、映画、それに料理もですかね」

「会計の久遠玲です。趣味は奏にぃです♡」

「庶務の鳳春です。趣味はランニングとかかな」


 読者も飽きるほどの長い自己紹介パートを終え、愛が溢れる自己紹介をした約二名を除いて、一同は頬を引き攣らせていた。


「ところで、奏君の役職についてなのですが……」

「いや、庶務でいいよ」

「ですが一つの役職に特化させた方が効率が良いのではないでしょうか」

「庶務ってのは要するに雑用だろ? 何でも屋ってことで全てを兼ねればいいじゃん」

「器用貧乏にならないと良いですねぇ」

「分からんことがあったら頼ってくれって話だ。なぁ、愛華?」


 淑女の面が剥がれ冷笑を浮かべる愛華と獣のような不遜な笑みを浮かべる奏斗。元パートナーとの煽り合い、絡み合う視線に稲妻が走るのを一同は幻視した。


「さて、戯れはこれくらいにして仕事をしよう」

「そうですね、頼りにしていますよ?」


 ―――


 紙を捲る音とペンを走らせる音を鳴らしながら全員が黙々と書類作業に取り組んでいた。


(流石にみんな優秀だなぁ〜。ただ一つ、心配なのが……)


「稀沙羅? 今のとこなんだけど――」

「ん? あぁ、うん、わかった。ありがとお兄ちゃん」


 稀沙羅のミスを指摘する奏斗。彼の心配事というのがコレである。稀沙羅は正直言って頭が悪い。そして、こういったデスクワークは集中力が続かず向いていなかった。


(体力仕事ならピカイチなんだがなぁ)


 ――と思い悩みながらも手元に意識を戻す。だが、思ってもみない助け舟が出されるのだった。


「そういえば、進路のパンフレットを運ぶのを先生に任されてたのよね〜。それと、図書館に本が入荷したからその手伝いを図書委員に頼まれてるの。稀沙羅ちゃんにお願いしてもいいかしら?」

「ホントですか!? 行ってきますっ!」


 そのままビューンと部屋を出ていく。


「ありがとうございます、詩織先輩」

「ふふふ、いいのよ別に。明らかに気が散ってたしね」

「いつもは俺が行ってるんだがな。力仕事に強い奴が増えて助かるよ」

「僕が稀沙羅の分までやっときますね」


 そうして、稀沙羅が帰ってくる頃には書類の整理が終わり、本日のメインイベントが始まった。


 その場に並べられたのは備品室から持ってきたトランプやチェス盤などのカードゲームやボードゲームだった。ちなみにこの部屋であれば周囲からの目も無いため、生徒会は割と好き勝手やっていたりする。


「歓迎会ってことすか?」

「イグザクトリーだ、春」

「なんか高見先輩のテンション変」


 謎に気分が高揚した健吾はカードゲームの準備に入る。


 玲、稀沙羅、結月、春、健吾、葵の六人でUNOをすることになった。残りは観戦である。


「そういえば、奏斗の趣味の中に料理ってあったよな。こう言っちゃなんだが意外だったよ」

「面倒くさがりなので意外に思われるのも無理はないですね……」


 奏斗は頬をポリポリと掻きながら苦笑いを浮かべた。


「お兄ちゃんは家の家事全てを担ってるからねぇ。少しくらいあたしに手伝わせて欲しいんだけど」

「へぇ、家事を全てやってるのねぇ。親御さんは居ないの?」


 心配そうな詩織に苦笑いを浮かべる奏斗。


「僕が原因で離婚して、すぐに父が事故で亡くなったんです。その後は叔父に引き取られてたんですが、仕事で家に帰ることはほとんどなくて……」

「辛くない?」

「ははっ、まさか。母親は嫌いなのでこっちの方が楽で――」


(あれ……?)


 俺は一体何をしているのだろうか。まだよく知らない相手に自分の触れたくない過去を話していた。今までであれば両親のことも離婚のことも言うはずがないのに。


(玲にも、言ってなかったのに……)


 神崎詩織という女性の恐ろしさに、奏斗は寒気を覚える。彼女と話していると心が、口が、言葉が軽くなる。自分の全てを任せたくなる包容力を感じていた。


「奏にぃ……?」

「ん?」

「いや……別に」


 玲の言葉の後に続くのは沈黙だけだった。そして、重い空気にしてしまったことを奏斗は悔やむ。


(はぁ〜、何やってんだ俺。どうにかこの空気を取り払いたいけど……)


 だがしかし、中々話題が出てこない。無理に話しても空回りするのは明白。それでは余計に悲惨なことになってしまう。すると、思わぬ助け舟が――


「せっかくだし幼馴染三人の話が聞きたいな〜。そーちゃんの昔ってどんな感じだったの?」


 奏斗は話題を振った結月に内心で涙を流しながらサムズアップした。


「確かにそれは気になる。あ、UNO」

「奏斗だけじゃなく桜羽場も興味を唆るなぁ」

「謎に包まれた転校生もいるしね。僕も気になるな」

「んー、そうですねぇ」


 顔に手を当て記憶を探りながら愛華は語る。


「昔の奏君はそれこそ玲さんのような人でしたね」

「私のイメージだと真面目で勤勉、努力を惜しまず常に自分を高めているような人、ってとこかしら」


 幼馴染二人の言葉を聞き、怪訝そうな視線を注ぐ。


「え……それホントに奏にぃ?」

「しんじらんな〜い」


 確かに"神童"と呼ばれ、桜羽場の次代当主として期待されていた頃と比べたら別人に思えてしまうだろう。


「それで言ったら愛華も中々な変わり具合だぞ」

「わたくしは大人になっただけですよ」

「猫かぶってるだけだろ」


 バカ妹に振り回されてきた過去を思い出し頬を引き攣らせる。


「それで、どんな風だったの?」

「天真爛漫で無邪気。イタズラを仕掛けて常に使用人を困らせてたイメージだな……」

「あの頃はめちゃくちゃ振り回されてたわね……」


 愛華の本性を知る奏斗やティアなどからすれば、昔も今も何も変わっていない。むしろ、悪化しているとさへ感じていた。


 だが、それを知らない者達は淑女然とした今とは乖離した姿を想像出来ずに混乱するだろう。


「逆にティアは……何も変わってないな」

「昔もことある事に奏君に突っかかってましたしね」

「そういや俺のライバル気取りだったよな」

「ありましたね、そんなことも。必死に背伸びして対抗してるティアは可愛らしかったです」


 ティアは何も言わずに頬を膨らませこっちを睨んでいた。グーの音も出ないらしい。


「っし、上がり! そういえば年次集会のビンタはなんだったんだ? 元カノなんじゃないかって噂になってるぞ」


 UNOから一抜けした春の言葉に思考が止まる。そして、奏斗は猛然と声を荒らげた。


「いやいやいや!! 俺は玲が初めての彼女だっての!!! 誰だそんな噂流したの」


 春の隣、にへら笑いを浮かべる結月に再度声を荒らげた。


「お前かァ!!! 今すぐその噂を撤回しろォ!」

「いやそんなことしなくていいよ、結月! 私が一瞬でも奏君と付き合ってたことにして!」

「まぁまぁ、一旦落ち着いて。それで、なんでそーちゃんにビンタしたの?」

「コイツ、私が帰国した後一回も連絡を寄越さなかったのよ!? 久しぶりに会ったら会ったで女作って腑抜け切ってるし」


 一同はブツブツとボヤくティアに優しい目を向けていた、その視線に気づかず尚も独り言を続けていた。


「要するに久しぶりの初恋相手に乙女心爆発させて感情的になっちゃったってことですね〜」

「ちょ、ちょっと愛ちゃん!」

「あら〜、可愛らしいわね〜」

「会長までからかわないでください!」


 顔を紅潮させ頭を抱えるティア。愛華と詩織(二人)に弄ばれると抜け出せなそうと思う奏斗であった。


 ―――


 それから幾許の時間が経ち、彼らは変わらず雑談に興じながら様々なゲームに勤しんでいた。


 ポーカーで無双する奏斗、ババ抜きで圧勝する詩織、オセロにてヒロイン対決と称し全染めで玲に敗北するティアなど実に賑やかな時間を過ごしていた。


「あら、チェスもあるんですね」

「久しぶりに見たわ」

「それは負けたときの言い訳ですか?」

「なんでお前とやる流れになってんだよ」

「へぇ? 逃げるんですね」


 奏斗は「あ〜、めんどくせぇ」と露骨な表情を浮かべるが、愛華は特に気にした様子もなくチェス盤に駒を並べていく。


「お前、俺に勝ったことあったっけ?」

「無いですね」

「どれだけやっても勝てないのに、やるんだ?」

「だからこそ、ですよ。少し、選挙戦の話をしましょうか」


 その言葉によって場の空気が変わる。


「今年の生徒会は人手不足に陥っています」

「ああ、そうだな。中等部の頃は――確か一年だけで十六人いたっけか。そして、その全員が候補者」

「ですが、今年は三組。その理由は勿論おわかりですね?」


 駒を動かしながら滔々と語り合う二人。奏斗の一手に愛華が熟考することになってもそれは変わらなかった。


「生徒会長を目指す野心のあるような奴でも、お前には勝てないって思うくらいにはお前の地位は確立されてるってこと」


 実際に多くの生徒が思っていることだ。「桜羽場愛華こそが相応しい」「桜羽場愛華には勝てない」と。


 それだけ中等部での愛華は目覚しい活躍を見せ、生徒達の脳裏に焼き付いた。もっとも、それは奏斗の采配でもあるのだが。


「なんだアレか? 『貴方も勝てない勝負に挑んでるんですよ』って言いてぇのか?」

「ふふふ、違いますよ。どうやって勝負に出てくるのか楽しみなんです。状況的には貴方の方が圧倒的に不利なのに、勝てない勝負に挑んでいるのはわたくしの方なんじゃないかって思うこともあります。ですが、わたくし達は貴方を超えます」


 愛華は嬉しそうに語っていた。何かに本気で挑むかつての兄の姿を期待しているのだろう。そして、今度こそそれを超えてみせると願って。


 ――だが、彼女らは見落としている。


「ありがとう、その言葉が聞けてよかったよ。これで勝てる可能性が高まった。残念だが、チェックメイトだ」

「やはり勝てませんか……ですが、選挙戦はチェスじゃありませんよ?」


 メラメラと沸き立つ二人の競争心に加わる者が一人。


「なぁ、二人で盛り上がってるとこ悪いんだけど俺らのこと忘れてない? それとも俺らなんか余裕ってこと?」

「なわけないだろ? お前らの出馬は俺でも予想外だったからな。なんだったら愛華以上に警戒してるぜ?」


 そういった奏斗の言葉に春は厄介そうな顔をした。まぁ、本当に警戒してるのは結月のほうだけど。


 奏斗が思案していると、玲が立ち上がる。


「ちょっと飲み物買ってきます」

「あ、ウチも行く〜」


 その言葉に奏斗も続こうとしたのだが、口を開く前に部屋から出ていってしまった。


「私のときもですけど過保護すぎますよ。きっと、大丈夫です」

「とは言ってもなぁ……」

「相棒を、恋人を信じてあげなさい」


 そう言われたらぐうの音も出ない。でも何しでかすか分からない奴と二人きりにするのは奏斗にとって不本意なことだった。


 そんな奏斗の不安をよそに玲は結月と共に人気のない廊下を歩いていた。


(気まずい……)


 玲はその幼少体験からコミュ障である。今日の昼食のときだってプルプル震えながら努と勇人を誘っていた。ちなみに奏斗は爆笑してた。


 そんな彼女にこの状況は最悪であった。初対面で感情がちっとも読めない生粋の陽キャ(ギャル)。ずっと気だるい顔でスマホを見ているので不安になった。


(何か話しかけるべき? でも話題とかわかんないし)


 話を切り出すべきか悩んでいると、先に結月が口を開いた。


「ほら、自販機着いたよ。 玲ちゃんは何飲むの?」

「えっ? あ、えっとメロンソーダかな」

「ウチもメロンソーダかな〜」


 初対面でいきなりちゃん付けされたことに「これが陽キャ……!」と慄いていた。


 そんなことは露知らず、静かな廊下にプシュッという爽快な音が響いた。


「メロンソーダ好きなの?」

「いや、あんまり飲んだことないんだよね。でも、奏にぃが好きで、彼がいつも決まって飲んでてね」

「ほぉー、アツアツだね〜」


 そう言うと結月は再度口に運んだ。それにつられて玲も一口飲む。


「実は話したいことがあってさ」

「私に?」

「これ、持ってて」


 そう言われてペットボトルを受け取る。結月は少し俯いて何かをしていた。


 その何かが終わりこちらに向き直る。すると、彼女の瞳は空色と琥珀色のものへと変わっていた。


「実は見ての通りオッドアイでさ。しかも、日本人には珍しいブルーとアンバー」


 彼女は困ったような笑みを浮かべていた。


「昔にね、イジメって程じゃないんだけど嫌なことがあって。それから特別扱いというか浮いてる感じがしててさ。黎明に来てからカラコンを着けるようになったの」


 悲しそうな結月の姿に玲は当惑していた。


「なんで私に……」

「玲ちゃんなら分かってくれると思ってさ」


 ドライな笑みを浮かべながら、なんだか申し訳なさそうな結月。


 が、しかし――


(ま、ウソだけどね)


 脳裏でそんなセリフを吐き捨てながら舌を出す結月。


 何を隠そうこれらは全て嘘である。彼女のオッドアイこそがカラコンであり、普段は普通に焦茶色である。


 つまりは彼女と似た境遇であると嘘を吐き、親近感と信頼を得ることで選挙戦で利用できるなら利用する算段だったのだ。


 要するに腹黒である。


(さてさて、上手く釣れるかなー)


「私は、なんでこの体で生まれてきたのかよく分かんなかった。虐待もされたしいじめもされた。この火傷だって父親と中学の人達がしたものだし」


 玲の告白に結月はさも当然そうな顔をしていた。何せいじめられていた確信がなければこんなことはしていない。


「だから、何か辛いことがあったら私を頼って欲しい。私はあなたの助けになりたい」

「ありがとう、玲ちゃん! 玲ちゃんも何かあったら、ね? そーちゃんに言いにくいこともあるだろうし。それと、この事は二人の秘密だよ」


 彼女はとことん嬉しそうな笑顔を作り、玲の手を握る。


 演技は彼女が最も得意とするところで、彼女はそれを利用して人の心まで握ることに長けていた。


 だが、そんなことは一切知らない玲は彼女を信用しきり、先程までの気まずさは消えていた。おそらく、初デートでの奏斗の言葉を覚えていたとしても結果は変わらなかっただろう。


「前に、奏にぃになんでこの体で生まれてきたのか聞いたことがあるの」

「へぇ、それで?」

「そしたら、『君に似合う色がこの世にはまだ無いから』だって言ってくれてさ。グッときたなぁ〜。私の事大好きじゃん! って 叫びたかった」

「な〜る。玲ちゃんの美しさを飾れる色は存在しないからってことか〜。回りくどくてキザだねぇ」

「奏にぃらしいよ」

「――()にはなんて言ってくれるかな」


 先程までとは違う純粋な瞳でポツリと呟いた。


 ―――


 完全下校時間が近くなったので歓迎会は終わりを迎え、今は帰路についていた。


 月と街灯が照らす仄暗い夜道を歩きながら軽いため息を吐いた。


(はぁ……絶対なんか吹き込まれたよコレ)


 奏斗から見たら玲の変化は明らかだった。スッキリした顔つきで自信に溢れているような、そんな感じだった。そして、何より嬉しそうだった。今の彼女に水を差すことは奏斗の本意では無いのだが訊かなければならない事があった。


「……何かあった?」

「何かって?」

「その……結月と」

「いや、別に無いよ」


(嘘、だな……)


 彼女の返答に奏斗は表情を曇らせた。これは結月に対する危惧よりも、玲が自分に嘘を吐いたことに対する憤りの方が大きかった。


 俺は、いつからそんなに面倒な男になったというのだ。


「ただ、嬉しくてさ」


 これ以上、奏斗の口からは何も言うことが出来なかった。


「そんなことより、何で両親のこと黙ってたの」

「自分の身の上の不幸を君に話せると思うか?」

「まぁ、確かに」

「だとしてもお兄ちゃんは自分のことを語らなすぎ」


 あんな過去を語って何になるのだ。何より彼女の様な醜悪な過去でもない自分が、ここまで引きずっていることに嫌気が差す。彼女はそれでも前を向いていたというのに、自分は些細なことで逃げ出した。


 ぐちゃぐちゃの感情のまま、いつもの曲がり角に辿り着いた。


「それじゃ、また明日。おやすみ」


 そのまま見えなくなるまで彼女を見送り、歩きだす。


「やっぱりお兄ちゃんは背負いすぎだよ」

「自業自得の結果だろ」

「だから玲ちゃんには関係ないって? あのさぁ、お兄ちゃんが玲ちゃんをどうやって立ち直らせたか知らないけど、これから一緒に歩んでくんだよ? それと、さっき玲ちゃんの嘘にショック受けてたでしょ」

「お前、嘘がわかってたのか」

「わかるわけないでしょ、エスパーじゃないんだし。でも、お兄ちゃんの反応見れば自ずとね。まぁ、要するにもっと甘えたら? 玲ちゃんは彼女なんだからさ」


 その言葉を聞いて何も言えなくなる。今日は稀沙羅には勝てる気がしなかった。


 ゲンナリしながらも家に着き、ノブに手を伸ばすと鍵が開いていた。一応、警戒しつつ扉を開けると目の前に広がっている光景に目を剥く。


 そこには紅く染まって倒れている愛華。開けっ放しになったリビングの扉からはティアの物らしき腕が微動だにせずはみ出ていた。


「愛華ァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

「なっ、なんで、、、こんな、っこと」


 悲痛に叫び膝から崩れ落ちる。訳が分からなかった。混乱していつもは無駄に役に立つ脳が働かない。


 すると、ぬるりと包丁を持った女が姿を現した。


「お前が、、お前がァァァァァァァッ!」

「はい、ストップ」

「なんだよ、これからだろ」

「いや、二人にはここまで付き合ってくれてホントに嬉しいよ。でもさ、妹が死んでんだよ? 抱き抱えたりしないの?」

「血糊つくじゃん」

「薄情もんが」


 ケッと唾を吐きながら愛華は立ち上がる。帰宅したら茶番が求められる家ってなんなんだろう。


「お帰りなさいませ、奏斗様」


 そう恭しく告げたクラシカルでロング丈なメイド服を身に纏った女性。彼女は九条(くじょう)(うめ)。愛華と奏斗の幼少期からの専属メイドである。いつの間に着替えたのかは不明。


「お風呂の準備は出来ております」

「いつもありがとね。血糊に塗れてる二人、ついでに稀沙羅も風呂に入れ。俺はその間に飯を作る」

「おにぃ、今日のお夕飯は?」

「すき焼き」

「なんでだよ」


 風呂場から三人の笑い声が聞こえてくる。


 ティアが来てからというものの本当に賑やかになった。前は愛華が居るときに限って風呂場から笑い声が聞こえてきていた。でも今はそれが毎日聞こえてくる。奏斗は夕食を作りながらのこの時間が好きだった。


「「「「「いただきます」」」」」


 グツグツと煮え立つ鍋に盛られた沢山の食材を囲みながら手を合わせる。


「兄者、聞いてほしいんだ 」

「どうした、妹よ」

「稀沙羅ちゃんのおっぱいがまたデカくなってた」


 奏斗は呆れた。呆れのあまり愛華の顔を鍋にぶち込むところだった。


「アレはおそらく――Gカップ!」

「え、マジで言ってる?」

「そういえばフロントホックが外れて銃声みたいな音出てたわね」


 アメリカで暮らしていたティアが言うと重みが違う。


「今度買いに行くぞ。豆腐あっづぅ!!」

「いやまだ着れるしいーよ」

「そうは言ってもな……」

「いつも居心地悪そうにしてるくせに」


 稀沙羅の指摘に奏斗は口ごもる。今日は稀沙羅に勝てる気がしなかった。


「だったら私が行くけど」

「「その手があったか!」」

「玲さんも呼んだら?」

「なんでよ、私一人で充分よ」

「なんでって奏にぃの好みの下着知っとかなきゃまずいでしょ」

「だから私一人で充分って言ってんの!」

「俺から言っとくわ」


 奏斗のことをすげー睨んでいるティアを梅が優しい目で微笑んでいた。


「というかティアちゃんは久しぶりでも何一つ変わっていませんね」

梅姉(うめねえ)だって、変わらずで何よりよ」


 その後も鍋をつつきながら他愛もない話が続いていく。奏斗は昔の四人で食卓をを囲めるのがただただ嬉しかった。騒がしいのも悪くは無い。


「あ、闇鍋すんの忘れた」

「するかバカ」

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