新生徒会挨拶開幕
五月が終わり、夏気取りの太陽が照らす六月。
黎明学園の旧校舎は昼休みだというのに閑散としていて、その静けさの中に二つの人影があった。
「本当に良いんだね」
「ええ。首尾よくお願いします。夢さんならなんの懸念もないけど」
影の主である奏斗がにっこりと笑う。人気のない旧校舎には二人の声がよく響いていた。
「これで、心が折れたら?」
「これくらいで?」
「……。クズが」
一層不愉快そうに顔を歪めた彼女に、奏斗はニコニコと笑みを振り撒く。
「まぁ、今に始まったことでは無いね。私が見守っているから、頑張れよ」
「はい。叩き潰します」
同刻、大講堂――
「あーあー、テステス。マイクチェックワンツー。ふふっ、これ一回言ってみたかったのよね〜」
詩織の声が楽しそうに響くそこには生徒会メンバーが諸々の最終チェックを行っていた。
「音響、照明ともに問題なしです」
「座席の方も大丈夫でした」
全ての確認を終えてステージ中央へと集まる。そんな中、一つ足りない顔にアキラが玲に尋ねた。
「ところで、奏斗君は?」
「ちょっと前にトイレに行きましたよ」
「奏君のことだから、サボりかもね」
「んなわけねぇだろ!」
声のした方を一斉に振り返ると、開いた大講堂の入口に奏斗が立っていた。
いくら響く場所とはいえ、ステージと入口はかなり距離が離れている。しかも扉越しだ。何故聞こえたのかは誰も突っ込まなかった。
「そーちゃんもしかしてキンチョーしてる?」
「ははっ、かもな」
煽る結月と、ヘラヘラと受け流す奏斗。新生徒会挨拶を前に一年生間の空気は明らかにピリピリしていた。
その空気を誤魔化すように咳払いを一つ、健吾が話し始める。
「これで最終チェックも終わって本番は先週のリハーサル通りにやるだけだ。ただ、その前にやっておかなきゃならんことがある」
「なんですか、それ」
一人だけピンと来てない玲は小首を傾げる。
「スピーチの順番決めよ。二年生は生徒会長である私が最初で、健ちゃん、アキちゃん、あおちゃんの順ってことになってるけど、一年生は候補者同士で決めた方が良いでしょ?」
「あぁ、なるほどです」
こくりと頷いて、玲は愛華と春を正面から捉えた。
まず初めに切り出したのは奏斗。
「とりあえず、稀沙羅は葵先輩の後だろうな。省いて考えようか」
「そうですね。あとは会長候補の次にそのパートナーが来るのが慣習ですので、我々で話し合いを行いましょうか」
お互いを探るような視線の中、春が口を開く。
「単純にコイントスでもすれば良いんじゃないか」
「投げたコインが直立する可能性に賭けられるのならな」
「だったらジャンケンでいいんじゃない?」
「あっ、確かに」
玲の提案に、しかし奏斗は眉根を寄せていた。
「何か問題?」
「いや、ジャンケンって相手の表情とかでも何を出すか読めるし、なんなら手の動きを見切っちゃえば勝てるからなぁ……」
事もなげな奏斗の言葉に理解が追いつかない一同。稀沙羅は頷いていた。
「ってか、そこ、一般人のフリしてドン引きしてる愛華。お前も見切れんだろーが」
「はて、なんのことでしょう?」
「白々しいな。ま、そういうわけでジャンケンも――いや別に、俺と愛華がやらなきゃいい話か」
「あれ、ティアちんは見切れないの」
「私は生憎と一般人よ」
そういうわけでジャンケンをする。
「あ、勝った」
結果は春の一人勝ち。その後、玲とティアのジャンケンは玲が見事に勝利を収めた。
(さて、取るならハナかトリだよな。トリはハナと比べて前の様子を見て発言の内容を変えられるけど、そんなアドリブ力に自信ないし、何より期待値が高まるのが厄介だな……)
頭の中で思考を巡らせ、春は無難な選択肢を選ぶことにした。
「んじゃ、俺らは最初で」
その答えに特に反応は示さず、予定通りというふうに玲も続く。
「となると私達はトリか」
「あぁ、そうだな。そして愛華が二番目、と」
奏斗は愛華を一瞥して小さく笑った。
「そうなりますね。微妙な位置で非常に残念です」
「言い訳作りか?」
「ふふふっ、私の調子を崩そうと必死ですねぇ」
ニコニコと挑発的な笑みを振りまく二人に、健吾は額を押さえる。
「そこ二人、すぐ煽り合うのをやめなさい」
「あっ、はい」
「まったく、中等部の頃もそうだったよな」
困ったように後頭部を掻いてから、咳払いを一つ。
「これで全てが終わった訳だが、誰か確認しておきたいこととかあるか?」
健吾は一同の顔を見渡して反応を伺うが、特に何も無い。
「それじゃ、本番まで解散!」
その言葉を皮切りに生徒会室メンバーは散ってゆく。愛華とティアは二人揃ってどこかへ。玲、稀沙羅、結月はトイレに。先輩達もまたどこかへ行ってしまった。
そうして残された奏斗は観客席の適当なところに座り、ステージ中央を眺めていた。
「ちょっと隣いいか?」
奏斗が視線をそのままに同意を示すと、春は隣の席に腰を下ろす。
「久遠さんとのお泊まりはどうだったよ」
「土曜の朝、玲と同じベッドで目覚めた」
「……お前!?」
わざと誤解を招くような言い方をした奏斗にまんまと釣られて期待通りの反応を見せる。
「安心しろって。夜眠れなくて布団に入って来ただけだろ、多分」
「あぁ……なるほど。って、猫ちゃんみたいだな」
案外言い得て妙かもしれない。更に付け加えるならマタタビに酔いしれる猫ちゃんだ。
春の言葉に思わず笑みが漏れる。奏斗が少しの間笑っていると、
「奏斗、ありがとうな」
突然感謝を告げられ、奏斗は顔をしかめた。
「なんだ急に。気持ち悪いぞ」
春のやけに整った横顔をまじまじと見つめる。彼はステージに顔を向けたまま反応は無い。
「……。春は、なんで生徒会長になろうと思ったんだ?」
半ば勘づいている答えを求めて彼に問いかけた。そして、緩慢に口を開く。
「俺の場合は『なること』じゃなくて『なろうとすること』に意味があるんだ」
ステージの更にその先、遠くを見ながら春は続ける。
「陸上の全国大会で優勝して将来を熱望されたとき、俺は翌年も高等部になっても陸上をやるんだって思ったよ」
それは春がカースト上位たる所以。彼は中等部一年で全国中学校体育大会――いわゆる全中――を優勝する偉業を成し遂げた。そして、それを成すための、彼の常軌を逸した練習量は誰もが知っている。
だがしかし、現実は――
「数奇なこともあるもんだよな……ケガで才能を潰されるなんて」
「まぁそこから復帰できるかっていうのは俺の頑張り次第なとこあるけどな」
笑みを浮かべながら春は言った。晴れやなかものだったが、乾いた笑いだった。
「走れなかったよ……ケガが完治しても恐怖に負けたし心は折れた」
脚の傷は治っているのに身体は元通りにはいかない絶望。いくら走っても身体は鉛のように重く過去の自分は数秒前を走っている。
そこに意味を見出すことは出来ず、心は冷めきったままで思考は虚無に染まっていた。
「でも、そんなときにお前が生徒会の話を振ってくれて加入期間外でも無理を通してくれただろ? 『ありがとう』ってのはそういうこと」
奏斗は「今更そんなこと……」なんて言いそうになったのを堪えた。
春の失意の日常を捉えたのは彼が退院してすぐのことだった。気丈に振る舞ってはいたが、見るに堪えなかった。
だから思わず手を差し伸べてしまった。頑張っている人間は報われるべきだ。或いは、自らを重ねたか――
「それで落ち着いた今、思うんだよ。あの頃は中途半端だったなって。走れないことを紛らわすためだけに冷めきった状態で日々を送ってた」
その声に思わず顔を背けてしまった。
そんな奏斗を余所に春はただ真っ直ぐを、或いは将来を見つめて言う。
「だから今度こそ、ガチになって生徒会長を目指してあの頃の”熱”を思い出したいんだ」
瞳に宿るは諦めきれない願望。彼女と同種の種火。
春が生徒会を目指すのは至極単純。
何もしないのは、気が済まないから
「お兄ちゃーーーん!!」
「奏にぃ!」
突然背後からかけられた言葉に二人が振り返る。
そこでは玲と稀沙羅が開け放たれた扉から手を振っていた。そしてその傍らには結月が気怠そうにスマホをいじっている。
「お呼びだぜ」
「……あぁ」
彼女らの下へ向かおうと奏斗は立ち上がる。
すると、春が拳を突き出して快活な笑みを浮かべた。
「負けねーかんな! 勝ち負けじゃないけどさ!」
「おう」
奏斗を拳を突き出して軽くぶつける。彼は一層笑っていた。
―――
昼休みが終わり、新生徒会挨拶本番。大講堂は嵐の前の静けさと言わんばかりに重く静まり返っていた。
『それでは、定刻となりましたので――』
と、放送部がマイクに声を通せば、より一層空気は静まる。そして、その舞台袖では生徒会役員が固唾を呑んで始まりを待っていた――
「ひゃんっ!?」
のだが、突然嬌声によく似た悲鳴が上がる。全員の視線が玲に集まった。
「ちょっと! お尻揉まないでよ!」
顔を赤くして猛然と奏斗に叫ぶ。奏斗は手をわきわきさせながら言った。
「いやぁ、随分硬くなってたからケツも硬いのかなって」
「「「「キモっ」」」」
女性陣四人の言葉が突き刺さる。詩織は口にしていなかったが同じことを思っていそうだった。
「全く……リラックスしろよ〜。なんなら、ほぐれるまで揉みしだいてやろうか?」
下卑た笑みを浮かべる奏斗はゴミを見る視線を浴びていた。
「お前が緊張感というものを覚えた方が良いんじゃないか?」
「皆さんが緊張してらっしゃるから、ほぐしてあげようと」
「だとしてもですよ。奏君ってば、中等部の選挙本番になってもおちゃらけてましたからね」
愛華のため息に奏斗の笑い声。張り詰めていた空気はすっかり消えていた。
そして――
『まず始めに、今年度生徒会会長の神崎詩織さんから御挨拶です』
その言葉を合図に詩織は深呼吸をする。
「それじゃあ、行ってくるわ〜」
いつも通りふわふわとした雰囲気でそれだけを言い残す。そして、彼女が舞台に姿を現せば万雷の拍手が鳴り響く。
この瞬間から『新生徒会挨拶』は始まった。
神崎詩織が言葉を発する度、会場の空気は弛緩してゆく。1/fのゆらぎ、それが彼女の才能だった。
すっかり重い空気も和やかになったところで、高見健吾が続く。彼の言動は詩織が緩ませた会場の背筋を正した。
如月アキラはフランクな口調で少し笑いを誘いながら、しかし要点は落とさずに語り終える。
続いて二年生最後を飾る小日向葵。彼は柔和な笑みを浮かべ、真面目で模範的にこの先の展望について語った。
そして――
「さて稀沙羅、気分はどうだ」
「至って普通。むしろ良いまであるね」
舞台袖。打ち合わせで決めた通りに稀沙羅の順番が回ってくる。
しかし、彼女は至って平静で緊張してる様子は一つもない。ただ気楽に放送部の声を聞いた。
『続きまして、生徒会庶務の安心院稀沙羅さんから御挨拶です』
ふと、背中に手が添えられた。振り返れば兄がいる。
「頑張れよ」
兄はいつもの微笑み浮かべて言った。心配しなくてもいいのに。
稀沙羅はニカッと笑顔を弾けさせ、ステージ中央へと歩き出した。
「皆さんどうもこんにちは! 今年度から庶務として生徒会に所属することになった不良兄貴の妹、安心院稀沙羅ですっ!」
ビシッと敬礼をして愛嬌を振りまく稀沙羅。会場に笑みが漏れ、一部の生徒は「キャーーー!!」と黄色い声援を上げている。
そして彼女は咳払いを一つ。いつになく真面目な表情へと変わる。
「さて、あたしは他の役員――いや、学園中と比べても劣っているという自覚があります。そして生徒会入ったのも兄に促されるまま、これといった志がある訳でもありません」
運動は得意だ。でもそれ以外、特に勉強はからっきし。入学出来ただけでも一般以上に凄いと言われるが、だからなんだという話である。入学は前提でしかない。
会場は静かに稀沙羅の言葉を待っていた。
「でも、だからといって、頑張らない理由になるんでしょうか。あたしが一番尊敬する大好きな人はお兄ちゃんです。お兄ちゃんって普段はあんな感じですけれど、実はお節介で、甲斐性で、気遣い屋さんなんです。そんな背中を見続けてきたから、あたしも誰かのためになりたいなって常日頃から思います。だから生徒会に入りました。他でもない皆さんのために、この一年間とりあえず頑張ってみます!」
二パァっと晴れやかな笑みを浮かべる。純粋で、何一つ穢れを知らない笑顔だった。会場はその美貌に思わず息を呑んだ。
そして、弾けるように拍手が鳴り響く。己を鼓舞し、奮い立たせるには充分すぎるものだった。
「意外とやるなぁ。流石は奏斗の妹か」
奏斗達とは反対側の舞台袖で健吾は顎を撫でる。
「にしても、純粋すぎて眩しいわね。本当に奏斗君の妹?」
「いや、奏斗君に失礼でしょ」
そんな友人三人のやり取りに詩織は微笑む。
「あっ、そうだ。最後に一ついいですか。あたしがこの世で最も尊敬するのは兄ですが、だからといって盲目的に支持することはありません。あたしは今のところは中立です。三組の中で誰を支持しているという訳ではありませんので」
その発言に会場がどよめいた。この場での中立宣言。それは選挙には関与しないということなのか、それとも牽制のためなのか、ただ見定めているだけなのか。
様々な憶測が飛び交う中、稀沙羅は思う。
(まぁ、何があってもお兄ちゃんを裏切ることはないけど。あたしとお兄ちゃんは”約束”で結ばれてるから)
同時に脳内を駆け巡った思い出にいろいろ混ざった感情が込み上げてくる。
「ご清聴、ありがとうございました」
それを呑み込み、一礼して、二年生が居る舞台袖へと消えていった。
「流石は我が妹」
「あれってそーちゃんの入れ知恵?」
会場を包む拍手の音を聞きながら、結月がいつものニヤけ顔で問うと、「んにゃ」と呟いて首を振る。
「全部アドリブだよ。アイツは器用だからな」
「ふ〜ん、兄妹だし似るのかな」
「いや。アイツと俺はこれっぽっちも似てねぇよ」
壁に寄りかかる奏斗の言葉に続く者は居らず、その言葉が空気に染み渡ろうとすると、間を置かずに放送部の声が響き渡る。
『続いて、生徒会庶務の鳳春さんからの御挨拶です』
春が心を決めて足を踏み出したそのときだった。
「あっくん、なんでも張り合えば良いってもんじゃなーいよっ?」
結月が、スマホを持つ右手をフリフリと振って気軽に告げる。
「そうだな。陸上と同じ、自己ベストを尽くすだけ」
確かに頷いて、舞台袖から踏み出す。
春を出迎えたのは眩い照明と、割れんばかりの拍手と歓声だった。
屋内だというのに、その光景が澄んだ瞳にはやけに拓けて見えた。




