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飾らない君は傾国の美女  作者: ダイズとカツオ
第二章 孤狼、魔性、そして欺瞞
21/24

52Hzの白鯨

 目が覚めると、暗がりの中に居た。


 ――いや、目が覚めたのではなく、ここは夢の中か。つまりは明晰夢というやつだ。


 ふと周辺を見回せば大きな水槽があって、生い茂る水草の中をアロワナやグッピー、その他諸々の魚が雑多に泳いでいた。


 アクアリウムの照明が仄かに暗がりを照らす。


 "これが明晰夢なら、一体どういう記憶(イメージ)だ"


 目の前をアルビノのアロワナが横切った。気づけばアクアリウムの中に切り替わっている。


「呑気なもんだなァ?」


 声がした方を振り返ると、視線の先には一際(ひときわ)魚が集まっていた。


 その魚の群れの中には少年が居た。シルエットはぼやけていて、顔はさっきから顔の近くをうろつくアロワナのせいで見えない。


 "誰だ?"


「俺が誰かわからないのか? ハッ、寝言は現実で言うもんだぜ」


 やっぱり夢なのか。それにしても魚のせいでよく見えない。


「だからお前は変われねぇんだろ」


 "何言って――"


「それはアイツのための優しいウソだ」


「お前は演じてるだけなんだよ」


「変わった気になるな」


「気持ち悪い」


 ―――


 頭が痛い――目を覚ました奏斗は朦朧とする意識の中、まずそう思った。


 そして次に、自分が何かを抱き締めていることに気づく。


 それがなんなのか疑問に思いながらも、起きるのが億劫な奏斗は二度寝をキメ込もうとそれを更に強く抱き締めた。すると、


「ぐ、、ぐるじぃ」


 すぐそばから蛙が踏み潰されたような声が聞こえた。


 蛙は好きだが、流石に潰れた蛙がベッドにいるのを看過できない奏斗は目を開く。


「うわっ、びっくりした」


 目の前は蛙の死体ではなく、苦しそうに喘ぐ玲がいた。


 強く締められ結構苦しそうな玲。奏斗は力を緩めて彼女を抱き寄せる。


「おはよう、ダーリン」

「おはよぅ……ハニー」


 ただでさえ普段から低めでハスキーな二人の声が寝起きのせいでしゃがれている。


 玲は自分の声を気にしつつも奏斗の声にときめいていた。一方奏斗は眠気のせいでそれどころでは無い。


「ところで奏にぃ。私のことを抱き寄せてくれるのは嬉しいんだけど、その……当たってる。硬いのが」


 下腹部からヘソの辺りにほんのりと感じる熱。玲は頬を赤らめる。


「まぁ、あさだからな……」

「ちょっ――」


 眠そうな奏斗が身体を丸めて玲の胸に顔を(うず)める。


「もぅ、お寝坊さん。まだ六時過ぎたばっかだけど」


 玲は彼の頭を優しくそっと撫でる。すると、彼の頭がモゾモゾと動き出し――


「んぅ……かたい――痛っデェ!!!!」


 側頭部に鉄拳がめり込み、頭を抱え悶える。


「貧乳で悪かったね!! 稀沙羅ちゃん起こしてくる!!!」


 バタン!! と音を立ててドアが閉まるのを寝ぼけ眼で見送る。奏斗は顔を洗って頭でも冷やそうと思い至るのだった。


 それからしばらくして、時刻は十時半頃。


 愛華と梅は朝食を食べ終えると早々に帰宅し、家に居るのは四人だけとなった。


「それで、今日はなにする? 昨日みたいにゲームか?」


 ソシャゲのデイリーを消化しながら奏斗は言った。


 すると、玲は何やら自信ありげな表情で「待ってました!」と言わんばかりに胸を張っている。


「今日はね、デートをします。でもただのデートじゃない。貴方が休日何をしているのか、どこへ行ってるのか、それを教えて欲しいの」

「ふむ、なるほど」


 奏斗は思わず手を止めて玲に向き直る。


「思えばデートって一回しか行ってなかったな」

「へぇ、私の方が多いのね」


 ドヤ顔でメガネのブリッジを押し上げるティア。二人の睨み合いが始まった。


「俺は付き合ってもない異性と二人で出かけることをデートとは認識してない」

「私は認識してる」


 ティアがニヤァっと笑う。飛びかかりそうな玲を抑えて奏斗は紅茶を呷った。


「それにしても、なんでデート行かなかったの」


 奏斗の肩にもたれ掛かる稀沙羅が、奏斗の顔を少し見上げた。


「奏にぃは用心深すぎるんだよ」

「用心?」

「ほら、私達が付き合ってるなんて知られてなかったでしょ。悪評が私に波及するのを気にしてた奏にぃがデートはバレてからって。学校で話すのも最低限だったし……」


 頬を膨らませながら、玲に非難がましい視線を向けられる。


「ってことでデートに行く訳だが、二人はどうする? 留守番か?」

「二人が出かけるならあたしはジムにでも」

「私もそうしようかしら」

「一人は寂しいもんね」

「それはアンタもでしょーが」


 二人は仲良く連れ立って部屋に戻る。その姿が完全に部屋へと消えてから、玲は言った。


「私達も準備をしなくちゃね」

「あぁ、そうだな」


 そうして約三十分後。


「それじゃ、あたし達はもう行くけど――お兄ちゃんその服で行くの」

「モード系?」

「いや、そういうのは考えてないかな」


 そう言ってソファでくつろぐ奏斗。


 彼は大きめのリムレスメガネをかけ、黒のブルゾンを羽織り、その下には白のワイシャツとループタイ、そして袴パンツを纏っている。


 更に右手の親指と中指以外、左手の薬指以外にシルバーの指輪が着いており、右手の中指と薬指にはネイルリングも着いていた。


「というかピアス増えてない?」

「これ、イヤリングだよ。ちょっと前に買ったやつ」


 奏斗が耳を指さすと、チェーンピアスとイヤーカフの他にいくつかのイヤリングが右耳で揺れた。


「制服でも胡散臭いのに、これはとんでもないわね」

「でも玲ちゃんは好きそう」

「まぁ、それなりに意識してますし」

「なになに〜、なんの話?」


 奏斗が声のした方向を振り向くと着替えを終えた玲が反応を伺うように姿を現し、思わず瞠目した。


 彼女は白いブラウスにネクタイとチェックのスカート、その上からスタジャンを羽織っており、ブラウス以外は紺色に統一されている。


 彼女の大人らしさと幼さが同居したその姿はまさに――


「「可愛い!!」」

「そのスタジャン前も着てたわね」

「お気に入りなの。似合ってるでしょ」


 玲がニコッと笑うと、ティアは顔を逸らしてぎこちなく言った。


「ま、まぁ、そうね」

「あぁ、よく似合ってる」


 ティアの言葉に奏斗が続く。


 彼の姿を見た玲はみるみるうちに表情を緩ませ、弾かれるように彼に近づいた。


「キャーーー!! 私の好みドストライク!! ヘアピンで留めていい!?」

「お好きにどぞ」


 言うやいなや赤いヘアピンを取り出して片側の髪を留める。


「それじゃ、後はお二人で楽しんで〜」


 鼻息を荒くする玲の背後で、稀沙羅とティアがジムへと出かけた。


 その背を見送りながら、なされるがままの奏斗。気づけばチョーカーも着いている。


「これ、プレゼント」

「……ありがとう」

「肌身離さず着けてね♡」


 ニンマリと笑う玲。すると、「今度は私の番」と呟き、ソファに座る奏斗の前にペタンと座り込んだ。


「髪、結んでよ」

「希望はある?」

「奏にぃのお好みで」


 奏斗は彼女の髪を高めの位置でポニーテールにして、リボンバレッタで留めた。


「うん、可愛い。それとも綺麗って言った方がいいか?」

「"愛してる"と"大好き"は?」

「大好き。愛してるよ」


 右耳に囁くと、玲は全身を身震いさせた。


「あ〜、恥ずッ」


 ―――


 黎明学園とは反対方向へと進む電車に揺られること数十分。


 都心部ということもあって駅前の広場には沢山の人が往来していた。


「そのカメラ買ったの?」


 奏斗は広場を歩きながら、玲が肩から下げているカメラケースを一瞥して言った。


「そうだよ。奮発しちゃった」

「ちょっち見して」


 玲は立ち止まってケースからカメラを取り出し、奏斗に手渡す。


 そして、奏斗はそのカメラを翻したり手の上で転がすように観察する。見たところ二、三万円はする小型のデジカメだ。


「なんでデジカメ?」

「レトロって可愛いじゃん」

「それはそうだけど、本音はそこじゃないだろ?」

「まぁ、そうだねぇ」


 そして、彼女は「えへへっ」と笑って数歩歩くと、くるっと振り向いた。


「貴方は私とのこれからの日々、鮮明かは私には分からないけれど、全てを覚えていられるんでしょう? でも、私にはそれが出来ない。だから、せめて形には残そうかなって」


 恥じらいもなく語る玲に可笑しさを感じつつ、そんな彼女に歩み寄り、抱き寄せ、体を密着させた。


「わっ――ちょっ」

「ただでさえ目立ってるのに――ってか?」


 奏斗は手に持っていたデジカメを自分に向けて空に掲げた。


「これが俺と君の、最初の一枚だ。撮るぞ――」


 緩慢にシャッターボタンを押した。カシャリと音が鳴ると、奏斗はそっと体を離した。


「いきなりは困るというか……」

「その方が可愛い顔が撮れる」

「あ、そ……」


 少し紅潮した頬でそっぽを向く。奏斗はまたシャッターボタンを押した。


「ちょっと! 私を撮ってちゃ意味無いでしょ!」

「ははっ、ついね」


 奏斗からカメラをひったくり、玲は先に歩きだしてしまう。


 しかし、すぐに止まり、踵を返した。


「これからどうするの」

「ちょっち早いけどランチかな」


 そう言いながら、玲の手を掬いあげて恋人繋ぎで歩く。


「ところでピクルス食える?」

「ピクルス? 食べれるけど」

「じゃあ、決まりだな」


 奏斗に手を引かれるまま歩いていると、十数人の列が形成された飲食店が見えてくる。


「この時間に、もう列が出来てるのか」

「ハンバーガーショップ?」

「あぁ。ずっと来てみたかったんだ」

「もしかしてピクルスがどうって……」

「俺がピクルス食えないからだよ。今まで来れなかった理由でもある」

「取り除いて貰うか、残すのはダメなの?」

「それは心が許さないんだ」


 奏斗はキメ顔で、玲は呆れ顔で列へと並んだ。


 雑談をしているうちに三十分程度の時間が過ぎ、ついに店内へと案内される。


 初めての入店ということで無難にハンバーガーセットとチキンナゲットを選んだ二人。注文からまもなく、二人の前にボリューミーなバーガーとポテト、ナゲットが届く。


 それなりに混んでいるというのに、なかなか手際が良い。


「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

「の前に、ピクルス」


 奏斗がバンズを開けて、玲がピクルスをつまみ取る。


「では改めて」

「「いただきます」」


 二人はハンバーガーを同時に頬張り、数度咀嚼。そして、思わずため息を漏らした。


 ふんわりとしたバンズを土台に、肉々しく分厚いパティがチーズを絡めて口の中で(ほど)ける。そして、トマトの酸味とレタスの瑞々(みずみず)しさが、やや脂っこくてくどい口の中を爽やかに洗い流す。


 やはりバーガーは完全食だ。調和の上に成り立つ逸品。ティアの言う本場のバーガーは如何程のものなのか。


 奏斗は大口を開けて脇目も振らずにかぶりつく。これを前に味わうのも無理な話。あっという間にバーガーは無くなり、口内の残留物をメロンソーダで流し込んだ。


「ふぅ」


 奏斗は再度ため息を吐く。すると、目の前でクスクスと玲が笑っている。


「食べるの早いね。そんなに夢中になっちゃって、美味しかった?」

「最高……」


 彼女は再度微笑んでバーガーを一口かじる。その一口は奏斗の半分くらいしかなかった。


「ところで、ティアとよく出かけるの?」

「あぁ。大体稀沙羅もいるけどな」


 玲が口に運ぶタイミングで奏斗もポテトをつまむ。


「何しに?」

「あいつ、古着好きなんだよ。だから古着屋巡ったり、あとはコスメショップに連れてかれたりもするな」

「へぇ……」


 玲は窓の外を見ていた。奏斗も彼女と同じ所を見る。


「ところで、しばらく手が止まってるけど食べないのか」

「思い出したことがあるの」


 手には残り四分の一程度のバーガー。しかし、至極深刻そうな玲。その表情に奏斗は苦笑を浮かべる。


「私ってバーキンのワッパー半分も食べきれないんだよね。少食なの」

「無理すんな。俺が食べるから」

「ありがと。ごめんね、せっかくなのに」


 奏斗残りのバーガーを受け取ってペロリと完食。そして、続けざまにテーブル脇のベルを押した。


「ご注文お決まりでしょうか」

「ベーコンチーズバーガーとフィッシュバーガーをそれぞれ単品で。あとオニオンリングもお願いします」

「ご注文承りました。少々お待ちください」

「まだ食べるの。店員さんちょっと引いてたよ」


 確かに「マジかよこいつ……」みたいな雰囲気は出ていた。そして、目の前は呆れ顔。


「昨日も思ったけど、稀沙羅ちゃんと奏にぃって大食いだよね」

「まぁ、そうだね」


 二人はナゲットをひとつまみ。玲はマスタード、奏斗はBBQソースをディップする。


 ポテトとナゲットとドリンクを行き来することしばし、追加で注文した品も届く。


「うわ。さっきのよりボリューミーじゃん」

「こりゃたまらんな」


 奏斗は頬張る。


 ベーコンの香ばしさとチーズのバランス。ふんわりとした白身魚とマヨネーズの酸味。どれも一級品だ。


 そうして奏斗は、すでに一個食べ終えたとは思えない速度で残りの二つを食べ終えた。個人的にはオニオンリングが優勝。


「それじゃ、お会計だね。割り勘で」

「いや、俺が払うよ」

「え、いや、そんな。申し訳ないし」

「誰かさんが食いすぎて値段が馬鹿みたいなことになってる。ランチの値段とは思えん」


 伝票をボーッと眺める奏斗に、「せめて自分の分は……」と言いかける玲。


「君のお金は自分のために、洋服とかそういうのに使いな。何がなんでも俺が払うよ」

「うぅ……わかった。それじゃあ、お手洗に行ってくる。お会計終わったら先に出てていいよ」


 現金主義の奏斗は大雑把に一万円札を出し、お釣りを受け取って小銭は募金箱に入れて外に出た。


「あと一個は食えたな」


 そう独り言ちて店の対面にある防護柵に腰掛ける。そして、なんとなく空を見上げた。


 良い天気だ。快晴とは呼べないまでも、澄み切った青。空に浮かぶ綿のような雲。あぁ、綿飴食べたいな。


 奏斗はポッケから飴玉を取りだして口に放り込む。


「レモン味か。悪くない」


 しかし、奏斗は眉間に皺を寄せる。先程から視線を感じていたのだ。


(そういえば、ここの近くに女子高あったな。土曜授業かな。時間的に終わってるけど)


 舌の上で転がしながら、視界の端に映る二つの人影に目を向けた。


 すると、その二人は何かを示し合わせてこちらに歩み寄ってくる。


「あの……私たち秀麗高の生徒なんですけど、良ければ一緒にお茶したいな〜って」

「でも、お兄さんイケメンだから彼女さんに怒られちゃうかな?」


 人好きのする笑みを浮かべる彼女ら。


 簡単にあしらうことは可能だが、それではつまらない。奏斗は少しだけ彼女らをからかってやることにした。


「お兄さん? 私、、女だよ」


 若干声を高くして言った。奏斗は声域が広く声真似も上手かった。


 目の前の二人はあからさまに狼狽えて目をぱちくりさせている。


(確かに……言われてみれば?)

(いやでも、ガタイが……)


 彼女らが混乱している様を心の中でせせら笑っていると、バーガーショップの扉が開く。


「誰よその女ァ!!!!!」


 その甲高い叫びに肩をビクつかせ、通行人も思わず足を止める。


 絶対零度以下(マイナスケルビン)を纏わせて、己が恋人に(たか)る不埒な蝿を睨みつける玲。


 奏斗は視線の先、周囲の空間を歪ませる玲にヒラヒラと手を振る。


 一瞬、目を見開いて怒気や威圧が弱まるが、またすぐに戻る。


「私の彼女。可愛いでしょ」


 そう言っても返事は返ってこない。


 滴る冷や汗が空中で凍りつき、地面に打たれて四方に砕け散る。


「その人たち……誰?」

「んー? なんか、お茶したいんだってさ」


 奏斗が玲の元へ駆け寄ると、玲が所有権を主張するようにしがみつき彼女らを睨む。


「「――!」」

「彼女も一緒で良ければ――って、あっ、ちょっと、行っちゃった……」


 別れの言葉もなしに猛然と駆けてゆく二人。その背はこの上なく必死だった。


「奏にぃ、からかいにしてもやりすぎだよ」

「やりすぎたのは君の方だろ」


 いつもの声音に落として言った彼に、玲は肩を竦める。


「一瞬、奏にぃじゃない別人かと思った」

「君の目からも女に見えたか。演技上手いだろ」


 玲は心の中で頷いた。アレが本当に演技ならアカデミー賞受賞モノだろう。


 声音、仕草、視線、身振り手振り、その他一切合切が自然と行われていたのだ。しかし、玲の片目にはその自然さが逆に不自然に映った。


(演技というよりかは、成り代わってる感じ……)


 そして何より、彼の自然に溶け込む不自然が、よくよく考えてみればいつも通りだったということだ。もしかしたら、普段の彼は――


 思案顔を隠す玲の隣、奏斗は内側を向いた腕時計の文字盤を一瞥して呟いた。


「……行くか」


 ―――


 昼食を終え、ナンパを撃退し、奏斗に何も知らされていない玲はとある建物の前に立っていた。


「へぇ〜、水族館かぁ」

「ここ、結構大きくてお気に入りなんだよ。小さい頃にもよく来てたし、今でもよく来てる」


 そう言って年パスを掲げる奏斗は、玲に意外感をもたらした。


「一人で?」

「あぁ。稀沙羅はこういう場所飽きるしな。でも、たまについてくるな」

「一人映画とかも好きそう」


 玲がそう言うと図星だったのか奏斗は小さく笑った。


「ふらっと立ち寄って名前も知らない監督のクソみたいな映画とかよく見るな。アニメ映画とか洋画なら稀沙羅やティアも見るんだけど」

「クソみたいなって……それ面白いの」

「それがたまにあるんだよ。退屈な内容なのに無性に泣けたりしたときの快感ときたら……」


 しみじみと耽るように奏斗は語る。


「あと愛華とZ級見たりするな」


 続いた言葉に玲は唇を尖らせた。


「私とも行こうね」

「マジでクソつまんないけど……まぁ、いいか。案外好きそうだしな」


 雑談はこれくらいに二人は連れ立って中に入る。


 券売機の気の抜けたタップ音を鳴らして入場券を買う。またしても奏斗の奢りだ。


「ねねっ、私サメ見たい!」

「順番にな」


 ゲートをくぐり、いつに無くはしゃぐ玲に引っ張られながら先へと進む。


 水槽の前へ着くと手を繋いだまま玲がしゃがみ、ゆらゆらと泳ぐ魚を眺めていた。


(可愛ええ……)


 奏斗が眺めていると、彼女はカメラを取り出す。水槽へ向けて数回シャッターを切った後、今度は奏斗を見上げてもう一度シャッター切る。


 そして、彼女はカメラを顔からずらして見上げながら言った。


「淡水魚ってさ、地味だよね」

「なんてこと言うんだ」

「だって地味じゃない? 海ならクマノミやらナンヨウハギやらいるじゃん」

「確かにそうだけど、淡水の熱帯魚は綺麗だぞ」

「熱帯魚って大体派手じゃん」

「君が言ったのだって熱帯魚だろ」


 玲は奏斗の指摘を気にせず泳ぐ魚を追う。


「ってか、そう言う割にじっくり見るんだな」

「それとこれは別。地味でも面白いし」


 じっくりと解説パネルを読む玲。奏斗は何度も来ているため暗記済みである。


「ねね、ピラルクは居ないの、ピラルク」

「古代魚んとこに居るよ。ちょっと先行ったとこ」

「淡水魚の真価って古代魚だと思うんだよね」


 またしても玲に引っ張られる奏斗は、期待に溢れる彼女の背を見て言った。


「それにしても、楽しそうだな」

「私、水族館って初めてなんだよね」

「そっか。連れて来た甲斐があったよ」


 微笑む奏斗に振り返らず更に進む。


「うおでっか。アマゾンって怖い」

「ホント。いつ見てもデカい」

「食べてみたいなぁ」


 悠然と、威風堂々と泳ぐピラルク。その姿に二人は息を漏らす。


「古代魚好きなの?」

「好きだよ。ロマンあるじゃん。サメも同じ」


 解説パネルを読みながら玲は答える。


「あとねぇ、クラゲも好き」

「俺も。ここのクラゲのコーナーがお気に入りなんだ」


 語らいながら順に見ていくと、アロワナの水槽の一際目立つ一匹に玲の視線が釘付けになる。


「アルビノ……私と同じだ」


 目を丸くして、ガラスに手のひらをびったりと合わせて顔を近づける玲。奏斗は一歩引いたところでそれを眺め、手を握る力が強くなるのを感じていた。


「この子は馴染めてるんだね。……行こうか、次」


 玲が何を感じたのか、奏斗はそれを努めて読み取らないように目を逸らした。


 沈黙が二人を包むように、少しずつ館内が暗くなっていく。


 館内の濃紺色の照明が仄かな光で水槽を照らすと、たくさんのクラゲが見えてくる。彼、彼女らが漂っているのか流れているのかは判然としない。


「奏にぃは何の魚が好き?」


 真っ白な体を今だけは濃紺に染めて、こてんと傾げながら玲は尋ねる。


「それって魚類ってこと?」

「うわ細か。水棲生物ならなんでもいいよ」

「だったらクジラかな」

「へぇ。なんか意外かも」

「玲は52ヘルツのクジラって知ってるか?」


 濃紺の中で問う奏斗に玲は首を傾げる。


「"世界で最も孤独なクジラ"っていうあだ名が付いたクジラなんだ。というのも同種のクジラと比べて圧倒的に周波数が高いせいで、そのクジラの歌は誰の耳にも届かず、たった一頭で海を彷徨い続けてるらしい」


 奏斗の話を聞いた玲は思わず笑みが漏れる。


「なんだか親近感湧くなぁ……」


 自嘲気味の表情に奏斗は思い出す。初めてこの話を聞いたとき、自分も同じような笑みを浮かべて同じことを言った。


「君は……そのクジラがいつか仲間に巡り逢えると思うか?」


 それは奏斗が幼い頃に話を聞いてからずっと思い続けて来たことだった。


 しかし、玲は迷わず、悩まず、奏斗を見つめる。


「私達が出逢えたんだから、きっと――その時は美しい出逢いになるんだろうね」


 少し冷たい手のひらを感じながら奏斗は目を見開く、そしてすぐに己を恥じた。


(ったく俺はネガティブがすぎるな)


 玲に見られないよう気を遣いながら乾いた笑みを浮かべ、しんみりとした空気にため息を漏らした。


 そこからしばらく無言のまま、揺れるクラゲ達を眺めていると、不意に玲が呟いた。


「なるほどね。こうしておセンチな気分に浸るのか。そりゃ稀沙羅ちゃんは連れて来れないね」


 揶揄いが混じった微笑み。奏斗は内心でドキッとした。


「私を連れてきたってことは、少しは甘えられるようになったってことなのかな」

「どうだろうな。ただ君に見せたいって思ったんだ」


 クラゲの水槽を抜け、一方通行で薄暗いだけの通路を抜けると天井高く広い空間へと出た。


「わぁ……きれい」


 サメやエイも含む様々な魚が泳ぐ大水槽。生態系が共存するガラスの壁は雄大に、青白く輝いていた。


「話すなら今がロマンティックなんじゃない?」

「なんか俺と似てきてるな」


 イタズラっぽく笑う玲。先を読み出鼻を挫くやり方が自分と重なり鬱陶しい。


 エイの間の抜けた腹がガラスの壁を登る。


 奏斗は手を握り直して言った。


「君はなんで、努力を続けるんだ」


 奏斗の問いに迷いは見せずに玲は言葉を紡いだ。


「私って人の気持ちとか理解できないんだよね」


 自嘲気味に奏斗に笑いかける。


 玲は奏斗に関しては多少敏感なのだが、その他には共感や理解がしずらかった。その事を「いじめで心を閉ざした」と、言い訳をしてみるけれど、やはり他人に興味がないだけだと玲は思う。


 そして、それは傍で見て奏斗もよく知っていた。


「だから、私がなんで虐められてるのかもわかんなかった。最初は認められてないからだと思ってたから、更に上を目指した。でも、私がいじめられてたのはアルビノ天才美少女ちゃんだからだったんだよ」


 これは笑えばいいのか。奏斗は当惑した。


「要するに嫉妬ね。私のしたことは逆効果だったってワケ」

「それじゃあ、なんで君は原因がわかったあとも続けたんだ?」

「そんなの貴方があの日に暴いたことじゃん。私が正しいからだよ。間違ってないって証明するため」


 玲は水槽の遥か先を力強く見つめる。


「つい最近まではそうだった。でも、それも貴方が変えてしまった」

「じゃあ、今は」

「今はマスターベーションだね」

「急にぶっこむじゃん……」


 奏斗の肩の力が抜ける。手は固く繋いだままに。


「ただ続けてるだけ。まぁ、自分を磨くのは悪いことじゃないし、上があるなら私は目指したい。義務二ーだよ」

「ここ一応水族館ね……しかも大水槽の前」


 奏斗が半目で呆れていると、遠くを見つめていた視線が外れ、真っ直ぐに注がれる。


「何より頂上には貴方が居る」


 奏斗は目を見開き、胸が高鳴るのを感じた。


「自分を高めると貴方に近づく。その度、快感と喜びが感じられるの。その歩みは微々たるものだけど、着実に距離は縮まる。貴方といると本当に楽しくて、愉しくて――貴方と同じ目線に立ちたいと何度も思った。この美しい世界を一緒に見下ろしたいと思った」


 玲は前を向いて、そっと水槽に手を添える。


「要するに、君は徹頭徹尾負けたくないんだな」

「そう、そういうコト。意地汚い負けず嫌い」


 右耳のチェーンを揺らしながらニカッと笑った。


 すると、水槽の奥の方から一匹のサメがすいーっと泳いでくる。


「サメだ。シロワニかな」


 眼前に来ると、自身の体を見せびらかすように方向転換をして奥へと帰ってゆく。


「奏にぃも話してよね」

「え?」

「努力を止めた理由その他諸々」


 奏斗は虚をつかれたように固まる。


「今は無理だろうけど、いつか必ず。いつでも待ってるから」


 子供のような無邪気さを見せたと思ったら、余裕な大人の笑み。結局、主導権はいつだって玲が握っている。


 奏斗は彼女の言葉には答えず、ただ目の前を眺めた。


 ―――


 夜になり、時刻は午後11時半頃。


 私は昨夜と同様に眠れずにいた。だが、今度は不眠症とは別の理由だった。


(結局、あの子はなんだったんだろ)


 数時間前――


「いやー、楽しかった〜。写真もいっぱいだ」


 それは玲が水族館の端から端まで見て回って充分に満足した帰り道のことだった。


 奏斗が右腕の時計を確認したとき、針は四時半を指していた。


「ぁ、、あっ、あのっ……!」


 玲が突然背後から肩を叩かれ、上擦り気味な声を掛けられる。


 振り返ると、おそらく同年代の幸薄そうな顔をした女の人が立っていた。


 その人は自信なさげにショルダーバックの紐を握りしめ、言葉を選んでいるのか目を泳がせて口をもごもごと小刻みに動かしていた。


 二人は互いを見合わせて、お互いに言いたいことと訊きたいことを汲み取った。


「奏にぃの友達じゃないの」

「いや違うよ。逆に玲の……うん」

「今、私に友達が居るはずないって思ったでしょ」


 奏斗は顔ごと視線を逸らす。彼の代わりに玲が尋ねた。


「あの、人違いじゃないですか? どこかで会ってたら申し訳ないんですけど……」


 玲は本当に知人だったときの事を思いながら頬をポリポリと掻いて言った。


 その考えの通りだったのか、目の前の女の人は玲の言葉を聞いて若干俯く。そして、数拍間を置いてから口を開いた。


「……すっ、、すみません……人違い、でした」


 小さく言い捨てて足早に去ってゆく。疑念と共に二人はその場に取り残された。


 ――なんて事があったのだ。


(よくよく考えれば私達を誰かに間違うことなんてある?)


 アルビノは二万人に一人と言われているし、私の場合眼帯も着けている。それに、奏にぃみたいなイケメンを誰かと見間違うだろうか。


(奏にぃの記憶力で人の顔を忘れるなんてあるとは思えないし、やっぱり私の?)


 確かに見覚えがないことも無い。じゃなければこうやって寝れないほど悩んでいないのだから。


 とりあえず記憶を遡ってみる。不本意だが。


 黎明の生徒では無いことは確かだ。となると中二以前? 或いは小学校? ともすれば両方の可能性だってある。保育園は――通ってなかったんだった。


(うーむ。虐めの記憶しかないな)


 掘り返しても嫌な記憶しか出てこない。諦めて寝ようと、瞼を閉じたその時だった――脳裏にあの顔が浮かび上がる。その顔が誰かと重なった。


(加藤……さん?)


 加藤彩花(さやか)。気弱な子だった。でも優しかった。虐められる私を陰で心配してくれていた。


(はぁ……私は吹っ切れてんだけどな。奏にぃがどうにかしてくれたし)


 嫌な記憶なのは確かだが、こうやって冷静に思い出せるくらいには私は前を向いている。改めて彼には感謝しかない。


(これ以上蒸し返しても意味は無い。とにかく彼女のことは忘れて寝よう)


 明日も奏にぃとイチャイチャするのだ。早く起きねば。


 私はタオルケットを頭まで被って今度こそ寝ようと瞼を閉じる。


(おやすみ奏にぃ)

すみません……一万字を超えてしまいました。

ちなみに私はチンチロフサゴカイが好きです。

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