表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/57

第三十四話 自分の気持ちを自覚して、好きな人の前では綺麗な自分でいたくて


 泣きたくなるほどの激痛。右足と左腕が折れている。


 秋の冷たい空気が、痛みをさらに大きくしているように感じる。


 飯田先生達に囲まれたこの状況が、痛みに加えて恐怖も生み出していた。


 薄暗い、夜のグラウンド。


 陽向から少し離れたところで、翔太と飯田先生が言葉を交わしている。単純暴力ではない、思考と言葉の戦い。


 彼等の姿を目にして。彼等の言葉を耳にして。


 陽向は、不思議な気分に包まれていた。翔太と飯田先生の会話が進むごとに、痛みも恐怖も薄れていく気がした。


 それくらい、翔太が頼もしい。


「いいから答えろ!」


 飯田先生が、大声を張り上げた。あんな様子の彼は、今まで見たことがなかった。冷徹で冷酷で、冷静な機械。そんな彼の仮面が、剥ぎ取られていた。翔太によって。


 ――凄いな。


 痛みも忘れて、陽向は胸中で呟いた。思い出すのは、小学校六年の出来事。三人の高校生から、翔太を助けたときのこと。


『なあ、どんなふうに鍛えたらそんなふうになれるんだ!? 俺も、えっと──山陰?──みたいになりたい! 教えてくれよ!』


 少年らしい純粋さと素直さで、翔太は陽向を絶賛していた。暗い日陰の世界で、(うつむ)いて生きていた陽向。そんな陽向を、尊敬してくれた。


 陽向が吸血鬼だと知っても、翔太は変わらなかった。陽向を尊敬し続けてくれた。


『俺はただの人間だからな。それでも──ただの人間でも、得られる強さがあるはずだから』


 翔太は、自分なりのやり方で、できる限りの努力で、自分を高め続けていた。努力が実って強く賢くなっても、陽向を尊敬してくれた。


 ――凄いな、翔太は。


 骨折の痛みを忘れている。翔太のお陰で、もう、飯田先生達に対する恐怖もない。それなのに陽向は、なんだか泣きそうだった。


「どうする? 飯田先生。陽向や三田さんを罰して、吸血鬼の存在を世界レベルで拡散するか? それとも、陽向と三田さんと、ついでに俺の安全も保証して、今まで通り機密保持に努めるか」


 翔太の言葉に、飯田先生は何も言い返せなかった。言葉に詰まって、顔を歪ませている。あの飯田先生が。


 無意識のうちに、陽向の声が漏れた。静かな、冷たい空気に消えてしまいそうな声。


「翔太」


 陽向はずっと思っていた。翔太のお陰で、自分は明るく生きられるようになったと。翔太のお陰で、生きていることが楽しいと。


 翔太は、自分にとって恩人であり、掛け替えのない親友。そう、思い続けていた。


 だけど、それだけじゃない。


 陽向の目から、一筋の涙が流れてきた。


 自分はあまり泣かないと、陽向は自覚している。正確に言うなら、人前で泣くのが嫌なのだ。だから、泣きそうになっても堪えている。


 それなのに今日は、二回も泣いてしまった。先ほどは、翔太が殺されると思って、怖くて。


 そして、今は……。


 翔太は恩人であり親友。それは間違いない。間違いではないが、正解でもない。恩人と親友のほかに、もうひとつの大きな気持ち。今まで見えていなかった自分の気持ちに、陽向は初めて気付いた。


 飯田先生達が姿を現す前。翔太は胡座をかいて、自分の足に詩織の頭を乗せていた。彼女と語りながら、キスをした。自分の気持ちを伝えていた。


 大切な親友が、好きな女の子に気持ちを伝えた。告白された詩織も「嬉しい」と言っていた。恩人であり親友である翔太の、恋愛の成就。本来なら、祝福すべきこと。


 でも、喜べなかった。苦しかった。右足の痛みよりも、左腕の痛みよりも、胸の痛みの方が大きかった。


 ギュッと締め付けられるような、胸の痛み。胸の痛みで、鼻の奥がツンと染みる。堪えても、涙が出てしまう。


 ようやく、陽向は気付いた。気付いてしまった。


 ――私は、翔太が好きだったんだ。


 好きな人が頼もしくて、嬉しい。

 好きな人が自分を守ろうとしてくれて、嬉しい。

 親友の恋愛が成就しそうで、嬉しい。


 でも、その親友を好きだと気付いてしまって、苦しい。


 翔太に守られて、安心して、もう恐怖は感じない。治っているわけではないのに、腕や足の痛みも感じない。


 けれど、胸の痛みはどんどん強くなる。苦しくて、苦しくて、涙が止まらない。


「……時間をよこせ、宮川翔太。俺の一存で決定できることではない」


 飯田先生が、翔太に要求した。彼らしくない口調と声。ガラス玉の目を持つ機械は、そこにはいなかった。


「じゃあ、とりあえず、陽向の治療をしてくれ。腕と足が折れてるはずだ。あと、三田さんも休ませろ」

「ああ」

「もちろん、治療するフリをして殺すなんて、厳禁だ。そんなことがあったら、動画は、予約を待たずに拡散する」

「分かってる。俺達が乗ってきた車があるから、乗れ」

「ああ、あと」

「なんだ?」

「ついででいいから、俺の治療もしてくれると有り難い。右手がぶっ壊れた」

「……いいだろう」


 飯田先生は、どこか疲れているように見えた。初めて見る、人間らしい彼。人間らしい表情で、周囲の公安職員に、車をグラウンドに入れるよう指示していた。


 飯田先生に背を向け、翔太は、横になっている詩織に手を差し出した。当然、左手。


「三田さん。大丈夫か? 立てるか?」

「……うん」


 ゆっくりと上半身を起こし、詩織は目元を拭いた。彼女も泣いていたのだろう。


 詩織の涙の理由に、陽向は、なんとなく気付いていた。


 詩織が翔太の手を握り、立ち上がった。少しだけ翔太と見つめ合った。すぐに、ハッとしたように陽向の方を向いた。


 陽向と詩織の目が合った。


 陽向は慌てて涙を拭いた。


 詩織は、陽向に駆け寄ってきた。すぐ近くに来て、足を止めた。横になっている陽向を、じっと見つめた。やがて、陽向の目の前で、両膝を付いた。


「謝って許されることじゃないけど……ごめんなさい、陽向ちゃん」

「……」


 気にしてない。大丈夫だ。そんなことなど、言えなかった。


 美智が殺されたことを責めるつもりはない。もちろん、彼女が無残な死を遂げたことは悲しいし、悔しいし、許せない。けれど、諸悪の根源は五味だ。五味にいいように使われた詩織は、ある意味で被害者とも言える。


 何より陽向は、詩織の気持ちが分かるのだ。吸血鬼として生まれ、自分を否定する価値観を擦り込まれ、常に俯きながら生きる人生。そんな中で自分を認めてくれる人に出会えたら、縋りたくもなる。依存したくなる。


 もし陽向が、翔太に出会わず、五味に出会っていたら。もし、詩織のように五味に口説かれていたら。もしかしたら、陽向も、詩織と同じことをしたかも知れない。


 詩織にとっての五味は、陽向にとっての翔太だったのだ。自分が求めているものを、くれた人。詩織に共感できるから、陽向は、彼女を責めることなどできない。


 けれど、翔太を殺そうとしたことだけは許せない。結果として翔太は生き延びたが、それでも。


「……ごめんなさい……」


 無言の陽向に、詩織は謝り続けた。


「陽向ちゃんが私を殺したいなら、殺してもいい。それだけのことをしたから。私だって、陽向ちゃんを殺そうとしたから。だから……」


 詩織に遅れて、翔太もすぐ側まで来た。彼は何も言わない。謝罪する詩織と、無言の陽向を見守っていた。その目は、誰よりも苦しそうだった。


 陽向は小さく溜め息をついた。悲しそうな詩織と、苦しそうな翔太。彼等を見て、気付いてしまった。


 詩織を許せないのは、翔太を殺そうとしたから――だけじゃない。そんな、利他的な気持ちだけじゃない。


 ――詩織に嫉妬してるんだ、私。


 胸中で呟いて、また泣きたくなった。流れ落ちそうになる涙を、なんとか堪えた。もうこれ以上泣きたくない。


「ねえ、詩織」

「……はい」

「とりあえず私さ、右足と左腕が折れてるんだわ」

「……ごめんなさい」

「いや。謝らなくていいからさ。頼まれてくれる?」

「何でも言って」


 嫉妬はある。でも、それを理由に、詩織を責めたくない。美智のことでも責めたくない。翔太を殺そうとしたことは、確かに許せない。でも、翔太本人が許しているなら、陽向に責める資格はない。


 陽向の胸に渦巻く、嫌な気持ち。利己的な嫉妬。詩織を見つめながら、陽向は、自分の気持ちを抑え込んだ。自分を尊敬してくれる人の前で――好きな人の前で、醜い自分になりたくない。


「とりあえずさ、肩貸して。ひとりで歩くの、大変だから」

「……うん」


 詩織は、ボロボロと涙を流した。悲しさと罪悪感。そんな気持ちが見て取れる涙だった。大粒の涙で顔を濡らしながら、それでも立ち上がって、陽向を立ち上がらせた。肩を貸してくれた。


 今の詩織は、陽向の知っている詩織に戻っていた。大人しくて、優しくて、自信なさげで、可愛らしい。翔太が、ずっと想い続けていた女の子。


 二台の車が、グラウンドに入ってきた。公安職員の車。


 詩織の肩を借りながら、陽向は、車まで足を進めた。左足だけで前進するのは、なかなか難しい。


 詩織は、陽向の怪我に負担をかけないよう気を遣っていた。涙はまだ止まっていない。それでも彼女は、陽向の足下や腕を注意深く見ている。


 いい子なんだ。本当に。だからこそ、翔太にこんなに好かれているんだ。


「詩織」


 詩織の肩を借りながら、陽向は声をかけた。


「何?」

「もうひとつ、頼んでいい?」

「うん。何でも言って」


 ふう、と陽向は息をついた。嫉妬を理由に詩織を責めたくない、とは思う。でも、これくらいは。


「怪我が治ったら、一発、引っ叩かせて」


 これくらいの八つ当たりは、許して欲しい。


次回更新は、明日(2/21)を予定しています。


自分の気持ちを自覚した陽向。

陽向の気持ちに気付かず、ただ理想を追い、好きな人に手を伸ばす翔太。

罪悪感と後悔で涙を流す、本当は優しい詩織。


公安の――政府側の決定はまだ出ていませんが、この夜については決着しました。


この後は、どうなるのか。


それについては、次回以降の二つのエピローグでm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 翔太くんめちゃくちゃ賢いですね!頭脳派でもあるとは! そんなキャラクターを書けてしまう一布さんもすごいです! 陽向ちゃんの気持ちが切なすぎて……! でもいい子なんですよねぇ。泣けます。 エ…
2023/02/21 00:01 退会済み
管理
[良い点] 視点チェンジを繰り返す事で 各キャラの心情が重なる演出が憎いですね。 陽向からすれば、このシチュエーションはきついですね。 でもなんとか長い夜は終わった。 さあこの後どうなる? 少しは救い…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ