第二十五話 月明りに照らされる舞台で、後ろ暗い興奮を覚えて
十一月八日の夜。午後八時四十五分。
詩織は、豊平高校のグラウンドにいた。制服の上から、カーキのブルゾンを羽織っている。冬が近付いていて肌寒い。ストッキングは厚めのものにした。
野外競技の部活動はすでに終了しており、グラウンドには誰もいない。サッカーのゴールの白さが、夜の暗がりの中でやたらと目立つ。
校内には、当直の職員がいるだろう。だが、グラウンドで交わす会話が、当直室まで届くとは思えない。
空には、少しだけ雲が見える。晴天と言っていい天気だ。満月の光が、舞台の照明のようだった。
これからグラウンドで行われる、惨劇の舞台。その照明。
「なあ、詩織。そろそろ教えてくれよ。お前以外の吸血鬼って、誰なんだ?」
隣にいる五味が、詩織に聞いてきた。どこかソワソワしているように見えるのは、気のせいではないはずだ。
「それは、その子が来てからのお楽しみ」
詩織は微笑みながら、人差し指を唇に当てた。
「でも、本当に可愛い子だよ。以前も言ったように、おっぱいも大きいの。楽しみにしてて」
五味は、その端正な顔を欲望に歪めていた。詩織の了承のもとで、詩織以外の女を好きにできる。それが、楽しみでたまらないのだろう。
詩織はじっと、五味を見つめた。彼は、もうすぐ死ぬ。陽向の体を好きにすることもなく。それなのに、これから欲求を発散できることに期待している。その姿が、無様で、滑稽で、可笑しかった。
大好きだった、クズ男。
詩織は五味の正面に立つと、彼の首元に両腕を回した。
「じゃあ、そろそろゾンビ化しよう?」
「そうだな。頼むわ」
詩織より背の高い五味は、体を丸めて肩口を近付けてきた。
五味の服をはだけさせて、詩織は、彼の肩付近に牙を突き立てた。
プツリ。詩織の犬歯が、五味の皮膚に刺さった。詩織自身には分からないが、五味によると、吸血鬼に嚙まれてもあまり痛くないらしい。吸血鬼の唾液には、鎮痛作用でもあるのだろうか。義務教育では習わなかったけど。
そんなことを考えながら、詩織は五味の血を吸った。
ずっと、彼を失いたくないと思っていた。彼に捨てられないために、彼の言いなりになっていた。恥ずかしいことも、悲しいことも、辛いことも、たくさんした。友達の命さえ奪った。
手放したくなかった、五味との関係。けれど、失う。五味の死という形で。
それなのに、悲しくも苦しくもない。罪悪感すらない。それはきっと、彼を追うように自分も死ぬからだ。詩織は、そう自己分析していた。
全部壊して、全部メチャクチャにして、自分も死ぬ。
死が確定した身だから、悲しくなんてない。寂しくなんてない。辛くもない。
惨めで無様な自分が、死と引き換えに、全てを壊せる。羨ましいものも、愛しいものも、全て壊せる。それが、たまらなく楽しい。深く深く、どこまでも惨めさを極めてゆく。地の底に落ちてゆく。そんな、自虐に満ちた楽しさ。
五味の血の味が、口の中に広がった。ゴクリと飲み込む。喉から胃に落ちてゆく、生温かい感触。お腹のあたりが熱を帯びてゆく。
吸血鬼は、人間の血を飲むことで一時的に身体能力が向上する。それゆえの発熱。
五味の体から牙を抜いた。口元に、彼の血がついている。
血を拭うこともせずに、詩織は、両手で五味の頬に触れた。彼と視線が絡まる。ゆっくりと、唇と唇が近付いてゆく。
五味と同じように、詩織も興奮していた。気分が高揚していた。
だから、普段はしない大胆なことができた。
詩織は初めて、自分からキスをした。いつも五味がしているように、舌で、相手の唇をこじ開けた。相手の舌に、自分の舌を絡ませた。
舌が絡む水音。誰もいない静かなグラウンドで、やけに大きく聞こえた。
散々舌を絡ませ、互いを味わい合った後に、唇を離した。唾液が糸を引いている。いつもはベッドの上で行なっている行為。興奮を高めてゆく前菜。
メインは、これから始まる惨劇。この場に集まる者達の死。
陽向は、間違いなく翔太を連れて来るはずだ。この場で、今夜、三人の人間と吸血鬼が死ぬ。五味、陽向、翔太。そして後日、詩織も死ぬことになる。
互いの吐息を感じる距離で、詩織は五味に伝えた。以前、彼に話した嘘を。
「この間言った通り、満月の日は、ゾンビ化した人間も全力を出せるの。もちろん人間の身だから、筋肉や骨の痛みはあると思う。でも、普段とは違って、死ぬことはないから」
当然、そんなことはない。月の満ち欠けは、人間の血流、精神性に多少の影響を及ぼす。だが、人間の体を超人化させることなどない。
「ああ。だから、今日は全力で暴れていいんだよな?」
「うん、大丈夫だよ。思い切り暴れて。その吸血鬼の子を動けなくなるくらいまで痛めつけて、あとは好きにして」
五味は唇を舐めた。目が血走っている。彼の目は、詩織とは違う狂気に満ちていた。情欲という名の狂気。
きっと、美智を殺したときも、こんな目をしていたのだろう。
頭の中に浮かんだ想像に、詩織の胸が痛んだ。けれど、そんな痛みなど無視できた。興奮と高揚が、詩織の心を包んでいた。
「今の五味君は、この世で私の次に強いの。私が五味君の味方である限り、五味君は無敵だから」
もう一度、詩織は五味にキスをした。今度は、軽く触れる程度のキス。チュッ、と音を立てた。
「だから、今日は楽しんでね」
次回更新は、明日(2/10)の夜を予定しています。
少し蛇足かな、と思いつつ更新したお話です。
狂った詩織の終着地点。大人しいはずの詩織が、狂い、大胆になった姿。
彼等のもとに、翔汰と陽向は向かっています。
陽向はただ、同じ吸血鬼である詩織と対峙するために。
翔汰は、自分の目的のために。
本日から連日更新して、一気にクライマックスまで入る予定です。
ので、お付合いいただけると嬉しいですm(_ _)m




