第二十一話(中編) 機械的な男を前に、推測を重ねて
飯田先生と向かい合うように、翔太は椅子に腰を下ろした。隣で、同じように陽向も座る。
「宮川翔太。お前には、これから月二回、俺と面談をしてもらう」
翔太達が座ってすぐに、飯田先生は説明を始めた。何の前置きもなく。
本当に機械的な人だ。胸中で呟きながら、翔太は飯田先生の話に集中した。
翔太の隣では、陽向が顔を伏せている。彼女のこんな様子は、滅多に見ることがない。飯田先生に怯えている様子が、ひしひしと伝わってくる。
「延期も予定変更も認めない。毎月の第一日曜と第三日曜。時間は、都度俺から連絡する。もちろん、時間変更も認めない」
「病気、怪我、試験、親族の不幸、その他やむを得ない事情があるときは?」
「それでもだ。それが、吸血鬼に関連した者の義務だ」
「ブラック企業並の扱いだな」
翔太は、嫌味とも皮肉とも取れる言葉を吐き出した。もう、飯田先生に敬意を払う気はない。
隣で、陽向が気まずそうな顔を見せた。この場の空気に息苦しさを感じているような顔。
すぐに翔太は、自分の発言を恥じた。陽向は飯田先生を恐がっている。そんな彼女の前で彼を煽るような発言は、控えるべきだった。
もっとも、飯田先生に、翔太の発言を気にする様子はなかった。
「つまり、俺は、これからどんな状況であってもどんな状態であっても、あんたの指示に従う義務がある、ってことか」
陽向を怯えさせないようにはするが、やはり敬語を使う気はない。
「そうだ」
「例外は?」
「例えば?」
「歩くことすら困難な病気や怪我。もしくは、ロックダウンが命じられるようなパンデミックがあった場合。あるいは、この国が戦火に巻き込まれた場合」
飯田先生の表情は動かない。表情の代わりに体が動いた。顎に手を当てる。
「例外中の例外だな。今まで事例がないから、現時点で明確な回答は不可能だ。その時の状況、環境によって判断が変わる可能性がある。パンデミックや戦火の場合、俺自身が死んでいる可能性もあるからな」
飯田先生の話を聞きながら、翔太は、じっくりと彼を観察した。彼の表情、反応、受け答え。
この短いやり取りで分かった。飯田先生は、しっかりと翔太の発言を考慮して回答している。彼が守るべきルールやマニュアルはあるだろう。ただ、その範囲の外にあるであろう質問に対しても、回答は出なくとも返答はしている。
──ただの機械じゃないってことか。
機械的ではあるが、インプットしたことしかできない人間ではない。
頭をフル回転させながら、翔太は、話の続きを促した。
「その他に、俺の義務は?」
「これから先、一切のスポーツ活動を禁止する。ボクシングをやっているそうだが、当然それも駄目だ。それどころか、学校の体育系行事も禁止する」
「体育の授業は?」
「それはやむを得ない。授業の出席まで禁じたら、あまりに不自然だからな」
なんだか、禁止することと見逃すことの境界線が曖昧だな。まあ、規則なんてそんなものか。
そんなことを思いながら、ふいに翔太は、今の飯田先生の発言に疑問を抱いた。
どうして俺がボクサーだと知っている?
飯田先生には、自分がボクサーであることを一言も話していない。地元の新聞に小さく載ったことはあるが、彼がそんなことを知っているとは思えない。
疑問を抱えた翔太をよそに、飯田先生は、今度は陽向に命じた。
「山陰陽向。お前は、宮川翔太に吸血鬼だということを知られた。それだけ、お前の注意意識が薄いということだ」
飯田先生の視線は、陽向に向けられていた。睨んでいる、と言っていい。ガラス玉のような彼の目が、彼女を映している。
陽向はさらに顔を伏せた。
「……すみません」
「謝罪はいい。だが、これから三ヶ月間、お前には、毎週面談に来てもらう。毎週日曜の、午前十時だ。毎週三時間、講習も含めて注意義務の復習をする」
「……はい」
伏せた顔を沈ませて、陽向は頷いた。
つい、翔太は口を挟んだ。
「陽向は、今までどれくらいの頻度で面談をしていたんだ?」
「これからの翔太と同じ。月に二回」
「時間は?」
「一回に、だいたい一時間くらい」
つまり、時間だけで言うと六倍以上に増えることになる。飯田先生の発言から察するに、それは、翔太に吸血鬼のことを知られたペナルティー。
翔太は再び、飯田先生を睨んだ。
「なあ」
「なんだ?」
「なんで、陽向にペナルティーがあるんだよ? 陽向は、俺を助けてくれたんだぞ?」
翔太が車に轢かれそうだったから、陽向は、吸血鬼の力を使って助けた。だから、吸血鬼だということを知られてしまった。それが、翔太と陽向がつくった設定。
「だからどうした?」
「自分の力を、人を助けるために使うのが駄目なのか? それが悪いことなのか?」
「助けたのが問題なんじゃない。知られたのが問題なんだ」
やはり、飯田先生の表情は変わらない。
「お前も見ただろう、宮川翔太。吸血鬼の力を」
「そりゃあな。だからここにいるんだ」
「山陰陽向が上手いこと利用されて、あの力を私利私欲のために使われたら? 犯罪に使われたら? そのときに、誰が、どう責任を取る?」
「俺が、陽向の力を悪用するとでも言いたいのか?」
「そうは言わん」
眉ひとつ動かさず、飯田先生は即答した。
再び、翔太は違和感を覚えた。どうして彼は、翔太が吸血鬼の力を悪用しない、なんて返答をした? 翔太のことを、ほとんど知りもしないのに。
飯田先生は続ける。
「だが、世の中の人間が皆そうだというわけじゃない。善意だけで誰かと一緒にいる人間ばかりではない」
飯田先生は、再度、その目を陽向に向けた。
「山陰陽向」
「はい」
呼ばれても、陽向は顔を上げなかった。
「お前の父親も、宮川翔太も、善意だけで吸血鬼の側にいる。だが、そんな人間ばかりじゃない。たとえば、吸血鬼と人間が夫婦になったとする。それでも――たとえ夫婦であっても、お前の両親のように本心から仲睦まじい夫婦ばかりではない」
「……はい、すみません」
「圧倒的な力を得られると知ったら、使いたくなるのが人間だ。よく頭に叩き込んでおけ」
「……はい」
飯田先生の話を聞きながら、翔太の頭の中で、違和感が大きくなっていった。先ほどから抱えている違和感。
どうして、飯田先生は――
「!!」
そうか! 翔太の頭の中で、点と点が線で繋がった。
どうして飯田先生は、翔太がボクサーだと知っているのか。どうして飯田先生は、翔太が吸血鬼の力を悪用しないと確信しているのか。どうして飯田先生は、陽向の両親が仲睦まじいと知っているのか。
その答えが、出た。
とはいえ、まだ確証はない。あくまで矛盾がない、という程度に過ぎない。
探りを入れるため、翔太は飯田先生に質問を投げた。
「なあ、飯田先生。いくつか質問したいんだけど」
それでも敬語は使わない。
「何だ?」
飯田先生の視線が、再度翔太に戻ってきた。
「これから俺は、月に二回、あんたと面談するんだよな?」
「そう言ったはずだ。二度言わせるな」
「じゃあ、その面談では、どんなことするんだ?」
「前回の面談からその時の面談までの行動報告だ。俺の質問に、事細かに答えてもらう」
「どんなことを聞かれるんだ?」
「それを今聞いてどうする?」
「聞かれたことに明確に回答できるように、普段から心掛ける必要があるからだ」
「ずいぶん従順だな」
少しだけ、飯田先生の表情が動いた。かすかに、彼のガラス玉のような目が見開かれた。ガラス玉の中にあるレンズで翔太を映し、観察し、分析している。そんな印象を受けた。
質問の意図を悟られたか。飯田先生の表情から、そんな考えが翔太の頭に浮かんだ。
翔太の心中を知ってか知らずか、飯田先生は続けた。
「何を聞くかは、そのときの状況による。今ここで話すことはできない」
目元以外に、飯田先生の表情は動かない。彼の心情を、その様子から探ることはできない。
分からないことを気にしても無駄か。翔太は気持ちを切り替え、再び質問を口にした。
「例えば、だけど。この先恋人ができたり、結婚したときも報告するのか?」
「そうだな。結婚の場合は戸籍等で簡単に知ることができる。ただ、恋人ができたときは報告しろ」
「じゃあ、結婚したり恋人ができたときに、セックスの有無や回数も報告するのか?」
「逆に聞く。なぜそれを聞かれると思う?」
「例えば、俺が陽向と付き合ったり結婚したとする。その場合、子供が――新たな吸血鬼が産まれる可能性があるからだ」
「なるほどな」
飯田先生は肘を机に乗せ、両手を組んだ。表情は変わらない。
「回答はこうだ。女の吸血鬼なら、妊娠している可能性の有無は聞く。男の吸血鬼なら、妊娠させる可能性の有無は聞く。だが、吸血鬼の存在を知っているだけの人間には、今まで質問したことはない」
「なるほど」
ということは、陽向の母親――灯は、妊娠の可能性の有無は聞かれても、セックスの回数までは聞かれたことがない、ということか。もちろん、今の飯田先生の話を信じるのであれば、だが。
翔太の頭の中に、再び、先ほどの疑問が浮かぶ。
――どうして飯田先生は、翔太がボクサーだと知っているのか。どうして飯田先生は、翔太が吸血鬼の力を悪用しないと確信しているのか。どうして飯田先生は、陽向の両親が仲睦まじいと知っているのか。
確証のない回答が出ていた疑問。飯田先生の話を聞いて、それは、確証のある回答に変わった。
間違いない。飯田先生は、陽向や灯の生活を盗聴している。あるいは、盗撮か。通常の警察の捜査では違法とされる行為。公安には許された捜査方法。
そう考えると、飯田先生の発言の全てに辻褄が合う。翔太がボクサーだと知っていることも。翔太の性格から、吸血鬼の力を悪用しないと確信していることも。陽向の両親が仲睦まじいと知っていることも。
盗撮もしくは盗聴をしているのであれば、知っていて当たり前だ。
ただ、盗撮や盗聴の事実に気付くと、翔太の中にもう一つの疑問が生まれた。
どうして飯田先生は、美智を殺した犯人を捕まえない? 吸血鬼を盗撮、あるいは盗聴しているのであれば、すでに犯人を特定しているはずなのに。どうして、刑事に混じって聞き込み捜査などという、回りくどいことをした?
盗撮盗聴という違法捜査で得た証拠では、裁判所から逮捕状が出ないから?
いや、違うな。そもそも、吸血鬼という存在自体が、一部の人間以外には秘匿とされているんだ。吸血鬼を捕まえるために、わざわざ逮捕状を請求するとは思えない。
翔太が頭を働かせている間も、飯田先生の話は続いた。吸血鬼の存在を知った人間が守るべき必須事項。その中身は、吸血鬼の力を悪用されないために必要なこと――という建前を全面に出した、綺麗事だった。
翔太は内心、少し呆れていた。吸血鬼は、戦争時の人体実験の産物。いわば、その存在自体が、人道に反した結果なのだ。それなのに、今さら綺麗事を並べるなんて。
――存在自体が、人道に反した結果――
その言葉を、頭の中で繰り返して。
「!!」
翔太の脳裏で、一つの仮説が生まれた。美智を殺した犯人をすでに特定しているのに、どうして捕まえないのか。その、回答。
なるほどな。だからか。胸中で呟きながら、翔太は舌打ちしたい気分になった。
だから飯田先生は、事実も犯人も知りながら、刑事に混じって聞き込み捜査などを行なったのだ。全てを、都合よく誘導するために。聞き込みの際の質問で、翔太や陽向を上手く誘導しようとして。
飯田先生が企てた目論みも策略も分かった。これなら、全ての辻褄が合う。間違いないと断言できる。
同時に、翔太は対策を考えた。飯田先生の思惑通りに進むと、吸血鬼は誰も救われない。
犯人の吸血鬼も、陽向も、死ぬことになる。
では、どうすべきか。
翔太はすでに、吸血鬼を救う方法を考えていた。美智の殺害に関与した吸血鬼――おそらく、詩織。彼女を救うために、翔太はここに来た。
けれど、飯田先生の思惑が翔太の想像通りなら。
救わなければならないのは、犯人の吸血鬼だけではない。陽向も、守らないといけない。
――絶対に守る。絶対に死なせない。
声には出さずに、翔太は自分に言い聞かせた。口元に手を当て、飯田先生の目を見る。ガラス玉のような彼の目。胸中で吐き捨てる。
――こいつの策略を、逆手に取ってやる。
飯田先生を思い通りに動かすため、翔太は口を開いた。
「飯田先生。もう少し、いくつか質問したいんだけど」
次回更新は1/25(水)を予定しています。
※いつもと予定が異なります。
誰かを守れる人間になりたい。
吸血鬼すら守れる人間になりたい。
それは、翔太が陽向に憧れてからずっと抱えていた思いです。
そのために、今、翔太は飯田先生と向かい合っている。
推測した飯田先生の目論みに対して、翔太は何をどうするのか。
ただの人間――しかもただの高校生に過ぎない翔太が、どう行動するのか。
今回の「飯田先生との初対面編」は少し長めですが、あと一話お付合いをお願いしますm(_ _)m
また、この物語に最後までお付合いいただけると嬉しいです。




