第二十一話(前編) 機械的な男を前に、苛立ちを募らせて
翔太が陽向の家に泊まった日の、翌日。飯田先生に会いに行く日。
家を出たのは、午前九時二十分だった。
飯田先生に指定された警察署までは、徒歩で三十分ほど。約束の時間の十分くらい前に着けるはずだ。
陽向と一緒に歩きながら、翔太はほとんど喋らなかった。どんな状況でどんな面談になるのか。何を聞かれ何を指示されるのか。自分はどう発言し、これからどう動くべきか。そんなことを、ずっと考えていた。
陽向も無言だった。飯田先生に会うのが憂鬱なのだろう。暗い、彼女らしくない表情を見せていた。
今日は晴天。太陽の光が眩しいくらいだ。そんな天気に反するように、二人の間の空気は曇っていた。
目的地の警察署に着いた。入口のドアを通ると、すぐ右側に管理室のようなものがあった。中には、来訪者に対応する警察官がいる。
陽向は手慣れた様子で、受付の警察官に声を掛けた。
「山陰陽向といいます。飯田真一郎さんとの約束で来ました」
陽向は、飯田先生のことを「先生」とは言わなかった。考えてみれば当然か、と思う。彼を先生と呼ぶのは、吸血鬼として。吸血鬼のことを知らない一般的な警察官の前で、その呼び名は適していない。
受付の警察官が呼び出したのか、すぐに飯田先生が来た。記憶力に自信のある翔太は、彼の顔をはっきりと覚えていた。長身で肩幅が広く、目つきが鋭い。
「早かったな、山陰陽向。お前にしては珍しい」
「はい」
怯えと不快が混じったような顔で、陽向は声を出した。
彼女の様子を気に掛けることもなく、飯田先生は翔太に視線を向けた。
「お前が宮川翔太か」
初対面の相手に「お前」とか言うか、普通。つい、翔太は胸中で毒付いた。その辺のチンピラよりチンピラみたいな人だな。それでも一応、目上の人間への対応を心掛けた。
「はい。そうです」
「そうか。それじゃあ、ついて来い」
翔太や陽向の返答も待たず、飯田先生は歩き始めた。彼の後を追って、警察署内に入る。
入ってすぐに、何かの記入用紙がある机。ちらりと見ると、住所変更の記入用紙だった。恐らく、免許証の住所変更用紙だろう。
さらに中に進むと、自動販売機がある廊下。所内の造りや雰囲気は、市役所に近いかも知れない。初めて入る警察署に、翔太はそんな印象を抱いた。
廊下を歩いていくと、階段があった。
飯田先生は無言で昇り始めた。翔太と陽向も彼に続く。
二階にある部屋の前で、飯田先生は立ち止まった。部屋の名前を示す札には、男子更衣室とあった。
「入れ。まずは着替えだ」
飯田先生が更衣室に入った。次に陽向が入り、翔太も続いた。
更衣室の入口付近には、篭が無造作に置いてあった。中には、透明なビニールに入った服がある。二着。
飯田先生は篭から服を取り出すと、一着ずつ、陽向と翔太に投げ渡した。後ろ手で更衣室の鍵を閉め、指示してくる。
「それに着替えろ。服や下着も含めた手荷物は、全て俺が預かる」
「は? 下着も、ですか?」
つい、翔太は聞き返した。下着も預けるということは、全裸になって渡された服を着ろということだ。
驚いた声を出した翔太に対して、飯田先生の表情は、まったく動かない。目は、とても人間のものとは思えなかった。機械的に作業を行なう無機物。まるでガラス玉のようだ。
「そうだ。早くしろ」
さすがに翔太は、少なくない苛立ちを覚えた。
「じゃあ何ですか? ここで、あんたの前で、全裸になれと?」
「そうだ」
機械的な飯田先生の返答。
翔太の苛立ちが大きくなった。
「あんたそれ、セクハラだろ? 俺はともかく、陽向は女なんだぞ?」
つい、敬語が抜けてしまった。一応「目上」と言っていい相手を「あんた」呼ばわりしてしまった。それに気付いたが、翔太は、詫びる気になどなれなかった。
飯田先生の作り物のような目は、一切変化がない。翔太の敬語が抜けたことも、あんた呼ばわりされたことも、まるで意に介していないようだ。
「だからどうした? これから話す内容は、国家機密に関わることだ。それ相応の対応と準備をする。男も女もない」
「この……っ」
つい、飯田先生に掴みかかりそうになった。そんな翔太を、陽向が止めた。肩の上に、彼女の手の感触。
「いいよ、翔太。大丈夫だから」
「いや、でもな」
「いつものことなの。面談のときは、何も持ち込めないように見張られながら着替えるの。いつものことだから、大丈夫」
「いつものこと?」
つまり陽向は、定期的に行なわれている面談の度に、飯田先生の前で全裸になり、着替えているということか。いや、陽向だけではなく、母親の灯も。
それだけじゃない。もし本当に詩織が吸血鬼なら、彼女も。
翔太の肩に手を置いたまま、陽向は笑顔を見せた。明らかに、無理に浮かべた笑顔だった。
「ただ、できれば、あんたは後ろを向いて着替えてくれると有り難いかな。さすがに、翔太に見られるのは恥ずかしいし……」
「……」
何も持ち込めないように、見張られながら着替える。まるで犯罪者だ。
理不尽な扱いに苛立ちを募らせながらも、翔太は陽向に背を向けた。そのまま、服を脱ぐ。渡されたビニールの袋を破いて、服を取り出した。
後ろから、衣擦れの音が聞こえた。すぐ側で、陽向が全裸になっている。
翔太は、以前のことを思い出した。陽向が自慢げに言っていたこと。
『Fカップになったよー! 私、凄くない? 高校二年にして、この発育』
そのときは呆れながら苦笑したが、今は笑えなかった。すぐ近くで、陽向が、全裸になっているのだ。仕切りも目隠しもない場所で。
少し後ろを振り向けば、彼女の全裸を見ることができる。
翔太だって男だ。高校二年――十六歳。性的欲求は持て余すほどにある年頃。当然のように、女の裸を見たいとも思う。たとえ好きな人がいたとしても、その人以外に欲求を覚えないわけではない。
だからといって、親友を悲しませたくない。尊敬する人を失望させたくない。
自分の欲求を振り払うように、翔太は手早く着替えた。肌触りのいい布でできた服だった。やや薄手で、この季節には少し寒い。色は黒。透ける心配はない。ボタンなども一切ない。ウエスト部分は紐で締めるようになっている。
「陽向、終わったら教えてくれ」
「うん。ありがとう」
気を遣ったのか、陽向も手早く着替えた。
「いいよ、翔太」
言われて、翔太は振り返った。
陽向も着替え終えていた。翔太と同じ、黒い服。ただし、下に何も着けていないので、体の線がはっきりと出ている。彼女の大きな胸が、その存在をはっきりと主張していた。
着ていた服や財布、スマートフォンなどを、二人は飯田先生に渡した。彼はそれを更衣室の中にあるロッカーに入れ、鍵を閉めた。
「それじゃあ、着いて来い」
飯田先生は更衣室の鍵を開け、廊下に出た。翔太と陽向も彼に続いた。
二階の廊下を歩き、飯田先生は、第一会議室という札がある部屋の前で足を止めた。
「ここだ。少し待て」
ドアを開け、飯田先生が先に部屋に入る。ドアを開けっぱなしにしたまま、二人を招き入れた。
部屋の入口付近――飯田先生の隣には、空港で見かけるようなゲートがあった。翔太にとって、見覚えのあるゲート。金属探知機だ。
「ここを通れ」
端的に、機械的に飯田先生が指示した。
もう不機嫌を隠そうともせず、翔太は舌打ちした。
「全裸にされて服一枚だけ着せられて、さらに金属探知機かよ」
敬語ももう使わない。
「人間の体は、物を隠そうと思えばいくらでも隠せる。黙って指示に従え」
この飯田先生の発言に、翔太は心当たりがあった。肛門や女性器から袋詰めの麻薬を体内に入れ、飛行機内に持ち込む。そんな犯罪者がいたという話を聞いたことがある。
飯田先生の態度に苛立っていたが、翔太は少しだけ冷静になった。今、自分が直面しているのは、これほどの警戒をすべき機密ということか。
最初に陽向がゲートを通り、次に翔太が通った。当然のように、警報は鳴らなかった。
「いいだろう。では、そこの椅子に座れ」
会議室は、学校の教室くらいの広さだった。その中央に、長机がひとつ置いてある。その机を挟むように、椅子。翔太から向かって右側に一脚。反対側に二脚。よく見ると、その長机は、学校で聞き込みを行なった際に使った物だった。
指示をした飯田先生は、右側にある椅子に座った。
翔太と陽向も続いた。隣り同士で座り、机を挟んで飯田先生と向かい合う。
腰を下ろしてすぐに、飯田先生が口を開いた。
「では、宮川翔太。これから、お前の今後の生活について説明する」
音が出ないように、翔太は固唾を飲んだ。緊張が走る。頭を働かせる。
さて。
これからどうやって、この機械的な男から、色々と情報を引き出すか。
次回更新は1/22(日)を予定しています。
ここまでいかがでしたでしょうか。
翔太にとって、飯田先生の印象は最悪でした。
それでも、自身の目的のために対面し、思考を巡らせます。
翔太の目的は、吸血鬼と思われる詩織を救うこと。陽向を守ること。
そのために、何を考え、何をするのか――
引き続き、次回以降もお付合いいただけると嬉しいですm(_ _)m




