第十九話 立場が逆転して、彼を手の平の上で踊らせて
放課後になった。
金曜日――週末。
ホームルーム後の教室。
自分の席に座りながら、詩織はドアの方を見た。翔太と陽向が、一緒に教室から出て行くところだった。
ここ最近、詩織は、彼等とあまり話していない。話したとしても、その会話にぎこちなさを感じていた。特に翔太との会話は。
もしかして、と思った。
――もしかして宮川君は、私が関わってるって気付いてる?
詩織が美智殺しに関わっている、と。つまり、詩織が吸血鬼だと。
可能性としては十分に考えられた。
五味は、美智に言い寄っていた。そのことを詩織に告げた者は、誰もいない。だが、五味の素行に気付かないほど、詩織は盲目ではない。
美智と五味の関わり。彼の言いなりになっている詩織。刑事に混じって聞き込みに来た公安職員。美智殺しに吸血鬼が絡んでいること。
それらを総合的に考察した場合、詩織が吸血鬼だと気付いても不思議ではない。翔太ほど賢い人であれば、なおさら。
とはいえ、詩織に焦りはなかった。別に気付かれてもよかった。どうせ、そう遠くないうちに事実は明かされ、捕まるのだから。
そして、死刑になる。
でも、それでもいい。どうでもいい。
詩織は、すでに達観していた。
自分は死ぬ。どうせ死ぬなら、ただ死ぬだけじゃつまらない。最後に好きなように生きる。自分を不快にさせた奴を殺す。吸血鬼なのに幸せに生きている友達も殺す。吸血鬼を幸せにした友達も殺す。好きな人も道連れにする。
手始めに、一昨日、里香を殺した。詩織を見下して嘲笑っていた女が、最後は必死に許しを乞いていた。川に落としたら、必死に助かろうとしていた。手足の関節が外れて身動きすら取れず、まるで芋虫のようにもがきながら死んだ。
次は、陽向と翔太の番。
大事な友達を殺す。こんな自分と仲良くしてくれた、大切な友達。大切だけど、憎い。
いや、憎いというより、妬ましいのだ。
だから殺す。彼等も、美智のいる場所に送る。友達に再会させてあげる。
殺す手順もすでに決めていた。確実に殺す自信があった。陽向は五十パーセントの吸血鬼。詩織より約二十五パーセントも濃度が薄い。
仮に、陽向が翔太をゾンビ化させたとする。ゾンビ化した翔太が、陽向と二人がかりで詩織と戦ったとする。それでも、大した脅威はない。五十パーセントの陽向と、ゾンビ化して二十パーセントの吸血鬼と同等程度の力を得た翔太。二人合わせても、詩織の濃度に及ばない。
──でも、せっかくだから。私一人でも、十分殺せるだろうけど。
帰り支度を終えて、詩織は席から立ち上がった。少しだけ、口の端を上げた。
──どうせなら、五味君にも手伝ってもらおう。
詩織は教室から出た。
廊下には、五味がいた。詩織を待っていたようだ。
「ごめんね、五味君。お待たせ」
今日の昼休みに、五味から、チャットアプリで連絡を受けていた。
『聞きたいことがある。今日、一緒に帰れるか?』
一言だけの返信をした。『うん。大丈夫』と。
詩織を待っていた五味は、どこか浮かない表情をしていた。こんな顔の彼を見るのは、初めてだった。いつも自信に満ちあふれていて、ニヤニヤしているのに。今日は、どこか思い詰めているようだ。
玄関に向かって歩きながら、詩織は五味に聞いてみた。
「どうしたの? なんか、元気ないみたい」
「ああ。ちょっと、な」
五味は、言いたいことを我慢するように言葉を飲み込んだ。彼らしくなかった。
これじゃあ、いつもと全く逆だね。
今の自分達を客観的に見つめてみて、詩織はなんだか可笑しくなった。いつもは、詩織が言葉を飲み込んでいる。言いたいことも我慢して、五味の言いなりになっていた。彼をゾンビ化させたときも。彼が美智を殺したときも。
ずっとずっと、我慢していた。ずっとずっと、心の声を吐き出せなかった。
でも、今は違う。確実に迫っている死が、詩織を開き直らせていた。束縛から解放されたように、自由な気分だった。生まれて初めて、心から楽しいと思える。前を向いて、堂々と歩ける。
五味と一緒に玄関まで行き、靴を履き替えた。校舎から出た。
五味は無言のままだった。やっぱり、いつもの彼じゃない。
学校から出て、しばらく歩いた。五味の家に向かっている。詩織の家はまったく違う方向なのだが、構わない。彼が話し始めるまで、一緒に歩こう。
学校から出た直後は、周囲に、豊平高校の生徒がたくさんいた。当然だが、学校から離れるごとに、その数は少なくなっていった。
学校から出て、十分ほど歩いただろうか。もう、豊平高校の生徒は周囲にいない。
ここまで来て、ようやく五味が口を開いた。
「詩織。ひとつ聞いてもいいか?」
五味がこんな物言いをするなんて、珍しい。普段の傲慢な様子が、まるで感じられなかった。
彼に違和感を覚えつつ、詩織は聞き返した。
「何?」
「里香って、覚えてるか?」
「うん、覚えてるよ。五味君の友達でしょ?」
セックスもする、五味の友達。
「以前に私が五味君にフラれたとき、一緒にいた子だよね」
「……!」
五味の表情が、少し動いた。不快とも不安とも取れる顔。
こんな言い方は、以前の詩織にはできなかった。けれど、今ならできる。なんだか、自分が自分じゃないみたいだ。詩織は、自分が高揚していることを自覚した。
ゾンビ化したときの五味は、こんな気分だったのだろうか。浮かれて、興奮して、なんだか大声で笑いたくなる。
今まで感じたことのない幸福感。
詩織は、隣を歩く五味を見上げた。自然と、口元に笑みが浮かんでいた。
詩織と目が合って、五味は歩く足を止めた。
彼に合わせて、詩織もその場で立ち止まった。
「どうしたの? 五味君」
詩織と視線を合わせている五味。その額には、汗が浮かんでいた。もう、気温はすっかり低くなっているのに。パクパクと、少し唇を動かしている。いつも笑っているその口は、震えているように見えた。
五味の様子を見て、詩織は気付いた。彼は地頭がいい。だから、分かっているんだ。
詩織が、里香を殺したのだと。
分かっているから、震えているんだ。
五味は、少し開いていた唇を閉じた。ゴクリと、唾を飲み込んだ。額から流れてきた汗が頬を伝い、顎先まできて、地面に落ちた。
「五味君、大丈夫? すごい汗かいているよ? こんなに寒いのに」
彼が汗をかいている理由を知りながら、詩織はあえて聞いてみた。彼と付き合い始めて約一年。そこそこ長い付き合いだが、初めて思った。
可愛い。怯えている猫みたい。
詩織はポケットからハンカチを取り出し、五味の汗を拭いてあげた。詩織の手が頬に触れた途端に、彼はビクッと震えた。その振動で、閉じていた彼の口が開いた。
「私に聞きたいことがあるんだよね? 何? 言ってみて」
「あ……」
間の抜けた声が、五味の口から漏れた。それを皮切りに、ようやく彼は言葉を発した。
「お前が、やったのか?」
少し詰まった、五味の言葉。声。恐怖が増してきたのか、彼の体全体が震え始めた。
本当に、いつもと逆だね。いつもは、私の方が、言いたいことも言えなかったのに。別れを切り出されるのが恐くて、言いなりだったのに。
でもね、私は五味君に冷たくしたりしないよ。突き放したりしないよ。優しくしてあげる。慰めてあげる。あんな子が死んだことくらい何でもないんだって、教えてあげる。
詩織は意図的に、慰めるような顔を見せた。
「うん、そうだよ」
五味は「里香が死んだ」とは一言も言っていない。もちろん詩織も。けれど、簡略化された言葉の意味は、互いに理解し合っていた。
「どうして……?」
震える唇から漏れた、五味の言葉。
素直な疑問を、詩織は口にした。
「どうしてそんなに恐がってるの?」
詩織がしたことは、五味と変わりない。五味は、自分の欲求を満たすためだけに美智を殺した。詩織は、里香に嘲られたから彼女を殺した。二人とも、人外の力を使って。
「そもそも、五味君には、あんな女なんてもう必要ないよね? だって五味君は、ゾンビ化すれば、誰でも好きなようにできるんだから。だったら、セックスだけの関係の女なんて、必要ないでしょ?」
五味を見つめながら、詩織は、笑みの色を濃くした。優しく笑いかけて、彼に聞いた。
「でしょ?」
五味の肩が大きく震えた。ほんの数瞬の沈黙。その後に、彼はコクコクと何度が頷いた。
ゾンビ化して得た力に、有頂天になっていた五味。高揚感に任せて、美智を殺した五味。彼女を殺したことを、嬉々として語っていた五味。
それなのに、自分の友達が殺されたことを知り、恐怖で震えている。
今の五味を見ていると、詩織の心はさらに高揚した。興奮した。今は怯えているけど、ゾンビ化して人外の力を得たら、また有頂天になるのだろう。目をつけた女で好き勝手に自分の欲望を見たし、挙げ句に殺すのだろう。
美智のように。
あまりに身勝手な、クズ男。詩織の手の平で踊っている、クズ男。
「ねえ、五味君」
少し背伸びをして、詩織は五味に顔を近付けた。二人の唇の距離は、約十五センチほど。互いの吐息が感じられる。
五味の呼吸が荒い。怯えている姿は可愛いけど、可哀相だから、少し慰めてあげよう。
「私達の力があれば、何でもできるんだよ。だから、楽しもう? 五味君が望むなら、いくらでもゾンビ化させてあげる。好きにさせてあげる」
「……」
五味の震えが止まった。彼の頭の中でどんな思考が巡っているのか、手に取るようにわかった。
「私を好きでいてくれるなら、楽しませてあげるから。だから、恐がらなくていいんだよ」
「……」
少し前まで震えていたのが嘘のように、五味はいやらしい顔を見せた。冷や汗は浮き出たまま。だが、その目には、恐怖ではなく欲望が浮き出ていた。
やっぱり、可愛い。
逆転した、自分達の立場。詩織が飼い主。詩織にとって五味は、拾ってきた野良の子猫。怯えながらも、空腹を我慢できずに餌に食らいつく、子猫。
可愛がってあげる。もうすぐ、私と一緒に死んじゃうんだけど。それまでは好きにさせてあげる。
恍惚。高揚。興奮。幸福。あらゆる心地よい感情に、詩織は包まれていた。どうして、今までこうしなかったんだろう。
私は、今まで、何に怯えていたんだろう。
今はもう、何も恐くない。自分の力も。飯田先生も。拷問のような死刑も。この世から消え失せることも。
詩織の頭の中は、快楽に近い感覚に包まれていた。フワフワとして、心地いい。微睡み、眠ってしまいそうだ。
けれど、眠ったりしない。ここは道ばただから――ではない。眠気を覚ます小さな心配事が、頭の中を過っていた。
私が死んだら、福はどうしよう?
一年半ほど前に助けた猫。大切に可愛がっている猫。
私が死んだら、お父さんとお母さん、面倒見てくれるかな。
次回更新は1/15(日)を予定しています。
ここまで、いかがでしたでしょうか。
陽向と翔太。
詩織と五味。
同じ日に、違う場所で、同じように帰り道で話している二組。
けれど、その様子や関係性は、まったく異なっています。
二組が自分達の思うままに行動すると、必ず対峙することになる。そういった道を選んでいる。
そのときの結末がどうなるかまで、どうかお付合いをお願いいたしますm(_ _)m




