表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/57

第十七話 物的証拠のない推測は、確信へと変わってゆく(後編)


 放課後に相談したいことがある。

 登校時に、陽向にそう伝えた。


 学校に着いて、ホームルームが終わって、授業が始まった。


 翔太は、ひたすら考えていた。


 美智が殺された事件。里香が殺された事件。


 殺された人物から考えて、五味と詩織が関連している可能性はかなり高い。


 しかし、物的証拠があるわけではない。ただの高校生である翔太は、証拠を掴むための捜査などできない。


 状況は、彼等の犯行だと示している。もちろん、五味と詩織のような人物が他にいるなら、話は別だが。そんな可能性は非常に低い。


 だからこそ翔太は、詩織が吸血鬼であるということを前提に思考を展開した。


 詩織が吸血鬼で、五味をゾンビ化させた。

 五味はゾンビ化の力を使って、美智を(もてあそ)んだ末に殺害した。

 里香と痴情のもつれか何かで争った五味は、ゾンビ化して彼女も殺した。


 ──この推測が正しいとして、俺はどうすべきだ? どうしたいんだ?


 繰り返し自問した。けれど、正しい答えなんて見つからない。


 自席から詩織を見つめた。翔太の斜め前の席。少しだけ見える、彼女の横顔。


 一年のときから、ずっと詩織を見てきた。彼女が気になり出した去年の初夏から、ずっと。彼女が好きだと自覚すると、その姿を見るだけで心が温かくなった。反面、彼女が自分以外の男と付き合っていることに、胸が痛くなった。


 今は、これまでとは違った気持ちで詩織を見つめていた。好きだから見ている。確かにその気持ちもある。けれど、それだけじゃない。


 詩織が吸血鬼だとして。これから、どうすべきか……。


 ふいに、翔太は違和感を覚えた。今の詩織の姿に。


 詩織は、大人しく引っ込み思案な子だ。自分に自信がなさそうで、いつも俯いていた。好きな人をこんなふうに表現したくないが、暗い、と言っていい。


 そんな詩織の雰囲気が、変わっていた。俯いていたその顔は、今までよりも上を向いていた。可愛らしい顔立ちが、はっきりと見えていた。


 とはいえそれは、明るくなった、ということとは違っていた。


 翔太の目に映る、詩織の横顔。自分に自信のない雰囲気は薄れている。しかし、表情は暗い。暗いのに、薄笑いを浮かべているようにも見える。


 翔太には、今の詩織を表現する言葉が見つからなかった。切れ味の鋭い刃物のような雰囲気。反面、簡単に壊れてしまいそうな様子。まるで、尖ったガラスのようだ。落としたら、カシャンと音を立てて割れてしまいそうな。


 再度、翔太は自問した。


 もし本当に、詩織が吸血鬼なのだとして。彼女によってゾンビ化した五味が、美智や里香を殺したのだとして。


 俺は、どうしたいんだ? 


 事実を突き止めて公安に捕まえさせたいのか? 罪に対する罰を与えたいのか?


 正直なところ、五味はどうなってもいいと思う。彼が犯人で死刑になったとしても、知ったことではない。彼のような人間が吸血鬼のことやゾンビ化のことを知ったら、悪用しかしないだろう。人を傷付けても命を奪っても、反省をするような奴ではない。だったら、命をもって償い、二度とこんな犯行をできないようにすべきだ。


 では、詩織は? 五味と同じように、罰を受けさせるべき人間か? 美智を殺したことを償わせるべきか?


 美智は、翔太の友達だ。そんな彼女を無残に殺したことは、決して許せない。


 でも、と思う。詩織は本来、自分の悦楽のために人を傷付ける人ではない。五味なんかとは違う。もし自分のせいで友達を失ってしまったなら、例えようもないほど深く傷付き、悲しんでいるはずだ。


 それなら、手を差し伸べたい。自分に何ができるかは分からない。何もできないかも知れない。それでも、助けたい。


 その思いは、翔太の理想であり目標でもあった。人を守れる人間になりたい。助けられる人間になりたい。人だけではなく、吸血鬼すら助けられる人間になりたい。


 翔太は知っている。詩織が、どれだけ優しい人なのかを。去年の初夏に、彼女が気になり始めたときから。ずっとずっと、あの時の彼女が頭から離れない。毎日見続けて、彼女への気持ちはどんどん強く大きくなる。


 忘れられない、去年の初夏の日。


 あの日、翔太は、インターハイ予選を終えたばかりだった。試合後の休養期間。練習は休み。放課後になると、まっすぐ帰路についた。


 陽向は、少し前のテストの点数が悪くて、補習を受けていた。帰り道で、翔太はひとりだった。


 夕方近くだというのに、日差しが強くて暑かった。


 帰り道の、国道沿いの歩道。反対車線の歩道の近くに、翔太は、倒れた子猫を見つけた。小さな黒猫だった。


 おそらく、道路を渡ろうとして()かれたのだろう。ぐったりとして、口から血が出ていた。足の付近が濡れて、アスファルトに染みを作っていた。轢かれた拍子に失禁したのだと想像できた。


 たぶん、生きてはいないだろう。


 反対車線の歩道を歩く人達は、気味悪そうな顔で子猫を見ていた。小さな命を哀れむ人は、誰もいない。薄汚れた野良の子猫に手を差し伸べる人は、一人もいない。


 これも何かの縁だから、墓くらいは作ってやるかな。そんなことを思って、翔太は国道を横切ろうとした。


 国道には、多くの車が走っている。


 翔太が国道を横切れないでいると、ひとりの女の子が、子猫の前で立ち止まった。翔太と同じ、豊平高校の制服。見覚えのある子だった。同じクラスだが、存在感が薄い子。はっきり言ってしまえば、暗い子。


 三田詩織だった。


 詩織は子猫をじっと見た後、ハッとしたように駆け寄り、抱きかかえた。躊躇(ためら)う様子など、少しもなかった。子猫は血を吐いて、失禁までしているのに。


 もしかして、あの子猫、生きているのか? 


 翔太の疑問を肯定するように、詩織は、子猫に声を掛けていた。何を言っているのかは分からない。聞こえない。


 ただ、遠目から見る詩織の様子は、優しさに満ちていた。失われようとしている命を助けたい。そんな気持ちが溢れ出ていた。


 子猫の血と小便で、詩織の制服が汚れている。そんな状態の子猫だから、異臭だってするだろう。それを証明するように、周囲の人達は、顔をしかめて詩織を見ていた。


 そんな詩織の姿に、翔太は見とれた。無意識のうちに思った。


 ――綺麗だ。


 昔、陽向に助けられたときは、彼女のことを格好いいと思った。こんなふうになりたいと憧れた。


 それとは別の意味で、翔太は詩織から目を離せなかった。


 あのときの陽向が英雄なら、消えかかっている命に手を差し伸べる詩織は、聖母のようだと思った。弱く小さな命を守ろうとする、神聖さすら感じる姿。


 子猫を抱いたまま、詩織は早足で歩き出した。近くの動物病院にでも行くのだろうか。後を追いたかったが、車通りの多い国道を横切れなかった。信号まで走り、国道を渡った。しばらく彼女を探したが、完全に見失ってしまった。


 あの子猫が結局どうなったのか、翔太は今でも聞けずにいる。


 ただ、あの綺麗な姿に見とれて。それ以来、詩織のことが気になって。それからずっと、彼女の姿を追うようなって。


 詩織が好きなんだと自覚したときには、もう遅かった。彼女は五味と付き合っていた。


 詩織への想いと、その気持ちが叶わない痛み。叶わないと知りながらも、好きだという気持ちは消えなかった。それどころか、ますます大きくなる。


 その、好きな人が。聖母のように綺麗な詩織が。小さな命を守ろうとした彼女が。


 恋人の下劣な行動のせいで、追い詰められているかも知れない。彼女自身も、壊れかけているのかも知れない。


 翔太は、現在に意識を戻した。心に、一年ほど前の詩織の姿を残したまま。現在の彼女を見つめた。


 詩織を助けたい。そう、強く思った。授業などそっちのけで、翔太は、ただそれだけを考えた。どうすれば彼女を助けられるか。


 人が二人死んでいる。そんな事件に関与している吸血鬼は、どうなるか。死刑は間逃れないだろう。


 あの陽向が怯えるような方法で、詩織が殺される。彼女の死が現実になることを想像するだけで、翔太は身震いした。


 絶対にそんなことはさせたくない。どんなことがあっても助けたい。


 吸血鬼の管理は公安が行なっている。その上には、政府がある。つまり、吸血鬼の生殺与奪については、国に決定権があると言える。詩織を助けるということは、国の意思に反するということだ。決して大げさではなく。


 翔太はただの高校生だ。どんなにボクシングで優秀な成績を修めていると言っても、どんなに勉強で優秀な成績を修めていると言っても。そんな自分が、詩織を守れるのか。国の意思に反することを実現できるのか。


 現実的に考えれば、到底不可能だ。仮にただの高校生でなかったとしても、たったひとりで国を敵に回すなど、できるはずがない。


 詩織から目を離し、翔太は顔を伏せた。小さく弱い自分が、悔しくてたまらない。陽向に助けられ、彼女に憧れ、強くなるために必死だった。昔に比べれば、少しは強くなれたかも知れない。けれど、全然足りない。


 悔しさが、胸の奥でにじみ出ていた。


 俺は、守れないのか。自分の好きな人すら、守れないのか。


 強くなりたかった。誰かを守れる人間になりたかった。吸血鬼すら守れる人間になりたかった。


 机の下で、拳を握った。小柄な自分の、小さな拳。どんなに鍛えても、この拳でできることなんて、たかが知れている。どんなに学んでも、ひとりの知識と知能でできるのは、せいぜい──


「……」


 自分の知識と知能でできること。そこまで考えて、翔太の頭に光明が走った。


 できるかも知れない。確かに、自分一人の力では無理だ。けれど、周囲の力を借りれば。公安やこの国の方針を、利用すれば。


 詩織を守ることができるかも知れない。


 翔太の頭の中で、詩織を守り切るまでの道筋ができあがってきた。頭の中で、自分がすべきことを点のように打ち出してゆく。その点に至るまでの行動を、線として結んでゆく。点と点が線で結びつき、詩織を守るという目的地までの道のりができた。


 目的までの困難は多い。難しいこともある。際どい駆け引きも必要だろう。


 何より、翔太自身もいくつかの犠牲を払う必要がある。


 目的を達成するためには、すぐにでも行動しなければならない。詩織が事件に関連しているという確証すら、まだ得ていないのに。


 もし、万が一、翔太の推測が外れていたなら。もし、詩織が事件に関与していないのなら。彼女を守るために翔太が払う犠牲は、全て無駄ということになる。


 翔太は、伏せていた顔を上げた。再び、詩織を見つめた。


 もし、自分が払った犠牲が全て無駄になったとしても、後悔しないか。彼女は、自分以外の男と付き合っているのに。


 詩織に振り向いてもらえなくても、後悔しないか。ただ彼女を好きだという気持ちだけで、自分を犠牲にできるのか。


 自分でも意外なほど、自問に対する回答が出た。


 ――できる。やれる。


 翔太の視界の中に、詩織がいる。明らかに、今までとは違う様子の彼女。


 翔太の中で、詩織は聖母のような女の子だった。健気で、優しくて、小さな命を守ろうとする。


 できれば、そんな詩織の笑顔を見たい。心からの笑顔が見たい。自信なさげに俯いた顔ではなく、真っ直ぐに前を見る彼女。


 太陽の下で明るく笑う詩織を見たい。


 ──そのためなら、俺はきっと、何だってできる。


次回更新は1/8(日)を予定しています。


詩織と翔太。

互いの気持ちを知らない二人が、まったく逆方向とも言える行動を開始しました。


守るため。

壊すため。


方向性は逆でも、必ず交わる二人の行動。


二人が交差したときに、どうなるのか。

翔太のもとにいる陽向は、何を思い、どうするのか。


どうか、この先もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで読みました。 いつも通りの一布ワールドながら、よくこんなやるせないものが緻密に書けるなぁ……と感心しますm(_ _)m [一言] これからこれ、どうなるんだろう……( ‘ᾥ’ )…
[良い点] 詩織が福を救ったのは一年の初夏。 詩織が五味に口説かれ付き合い始めたのが一年の秋。 翔太がもう少し早く恋心を自覚していたら。 告白していたら。 絶対に覆らない現実に、「もしこうだったら…
[気になる点] 考えてみると陽向の翔太に対する『思い』が定まっていないので三角関係にまだなっていない。 [一言] 普通に考えると詩織と翔太の思いはすれ違ったまま対決の時を迎える・・・。 しかしもし『思…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ