第十七話 物的証拠のない推測は、確信へと変わってゆく(前編)
朝刊の配達を終えて、帰ってきた。
平日──金曜日の朝。
翔太はいつものように、帰宅後すぐにシャワーを浴びた。テレビを点けて、朝食のパンを食べる。
母親は、昨夜から今日にかけて夜勤だった。今は不在。帰ってくるのは昼頃だろう。
リビングのテレビでは、朝のニュースが放送されている。アナウンサーの声を耳にしながら、朝食を食べ終えた。
翔太は、ダイニングにある電子ジャーの蓋を開けた。予約設定で炊いておいた米が二合。しゃもじを使って、半分ほど丼に入れた。軽く塩を振り、適度な大きさに握る。おにぎり。昼食用に三個握った。
母親がいるときは、彼女が弁当を作ってくれる。不在のときは、こうして自分で昼食を用意している。
握ったおにぎりを少し冷まして、アルミホイルで包んだ。中に入れた具は鮭フレークと梅干し。
そういえば、と思う。詩織は、いつも弁当を持ってきてるよな。自分で作ってるのかな。たぶん、自分で作ってるんだろうな。裁縫もできるし、料理も得意なんだろうな。
早朝に起きて、新聞配達までしてきた。眠気なんて、今は微塵もない。それなのに翔太は、少し夢を見た。詩織が、自分の弁当を作ってきてくれる。そんな想像を頭に浮かべた。
昼休みに、詩織が、作った弁当を翔太のところに持ってきてくれて。彼女の作る弁当は、やっぱり美味しくて。素直に「美味しい」と言うと、彼女は遠慮がちに、でも心から嬉しそうに微笑んで。一緒に昼食を食べている陽向に、からかわれたりして。
翔太の想像は、今のところ現実にはならない。
一年生の頃から、翔太は詩織が好きだった。気になり出したのは、去年の初夏。でも、まだ明確に「好き」という自覚はなかった。無意識のうちに彼女を見つめる時間が増えた。
授業中でも集中力を欠くほど、詩織を見つめるようになった。そんな自分を自覚して、翔太は初めて気付いた。自分は詩織が好きなんだ、と。
翔太が自分の気持ちに気付いたのは、一年生の初冬の頃だった。
そのとき、詩織はすでに五味と付き合っていた。自分の気持ちを自覚した途端に、翔太は失恋した。
失恋したといっても、好きだという気持ちは簡単に消えない。詩織が五味と付き合っていることを知りつつも、翔太は彼女を想い続けた。
五味の女癖の悪さは、学年内では有名だ。あんな奴なんかよりも、自分の方がはるかに詩織のことを大切にできる。翔太はそう断言できる。しかし、行動に移せなかった。五味を悪く言うことで詩織に嫌われるのが、怖かった。
こんなとき、陽向ならまず行動するんだろうな。隣に住む親友を思い浮かべて、つい、翔太は苦笑した。
朝のニュースで、天気予報のコーナーが終わった。画面に映し出される風景が変わる。アナウンサーが、天気予報担当の女性から、事件担当の男性に変わった。
テレビのチャンネルは、ローカルの放送局。放送されるニュースも、地元のものが多い。
テレビに映し出されているのは、翔太の知っている場所だった。近所とは言えないが、見覚えのある風景。市内を流れる川が通る地域。
「昨日昼頃──」
アナウンサーがニュースを読み上げた。
「──で、女性の遺体が発見されました」
割と近いな。事件か。そうだとしたら、物騒だな。制服に着替えながら、翔太はニュースを見た。
遺体には、ところどころ損傷があったという。どのような損傷かは、詳しくは述べられなかった。
たぶん、事件性があるんだろうな。報道の内容から、翔太はそう判断した。事件性があるから、犯人しか知り得ない情報を報道しないように規正されている。
ニュースを見ながら、翔太は美智のことを思い出した。殺されてしまった友達。吸血鬼が絡んでいると思われる事件。
思い当たる、吸血鬼と思われる人物。でも、自分の脳裏に浮かんだその可能性を、翔太は必死に否定していた。自分の好きな人が殺人に関与しているなんて、思いたくなかった。
テレビに映る画面が変わった。現場の風景から、一枚の顔写真になった。
遺体で発見された、被害者の写真。
「!?」
画面に映し出された女性を見た瞬間、翔太は目を見開いた。そのまま、フリーズしたパソコンのように固まった。
顔写真の背景に、アナウンサーの声が流れる。
「遺体は、市内に住む無職、狩野里香さんと見られ──」
画面の写真には、里香の名前と年齢が表示されていた。
『狩野里香さん(17)』
見覚えのある顔だった。翔太は、記憶力には自信がある。一度見た顔はなかなか忘れない。印象的な状況で見た顔は、特に。
金色に近い茶髪。目元を意識したメイク。写真の里香の髪は綺麗に染められていたが、以前翔太が見たときは、根元が地毛で黒くなっていた。
五味と一緒に、美智に絡んでいた女だ。
五味に関連性のある女性が、短期間で二人も死んだ。美智と、里香。しかも、二人とも他殺だと考えられる。
――ただの偶然だ!
翔太は胸中で吐き捨てた。すぐに、自分に反論した。
――こんな偶然があるかよ!
美智は、吸血鬼が関連していると思われる状態で殺された。状況から、吸血鬼にゾンビ化させられた男に殺されたのだと考えられる。翔太の推測では、犯人の有力候補は五味。
仮に五味が犯人だとして。
彼をゾンビ化させたのは誰か。
死刑になる可能性があると知りつつも、五味をゾンビ化させた吸血鬼は誰か。
思い当たる人物は、ひとりしかいない。少なくとも、翔太の知る限りでは。
三田詩織。五味の彼女。翔太の、好きな人。
テレビの時刻が、午前八時を表示した。もう学校に行く時間だ。
通学用の鞄を持って、翔太は家を出た。トレーニングウェアが入った鞄は、持たなかった。放課後に練習をする気になどなれない。ジムに通い始めて四年半。サボるのは初めてだ。
家を出てから、隣の家のインターホンを押した。いつもと同じように少しだけ待たされて、陽向と一緒に通学した。
道中、翔太はほとんど無言だった。陽向が話しかけてきたが、上の空だった。
空には、どんよりとした雲がかかっていた。雨が降るほどではない。
「ねえ、翔太。大丈夫? 調子悪いの?」
学校が見えてきた頃に、陽向が心配そうな顔で聞いてきた。
翔太の頭の中は、グチャグチャだった。そんな気分が表情に出ていたのだろう。どうしたらいいか分からない。つい、大きく息をついた。自分の推測に、物的証拠があるわけではない。確証はない。けれど、状況証拠は十分だと思えた。
五味は確かにモテる。色んな女と遊んでいる。けれど、彼のために命をかけられる女性が、どれだけいるか。翔太には、ひとりしか思い浮かばない。
詩織。五味と付き合っている、というよりも、服従しているという印象を受ける女性。それは、別の言い方をすれば、それだけ五味を好きだということだ。それこそ、彼のために死刑すら覚悟できるほどに。
考えれば考えるほど、詩織が吸血鬼だという可能性に行き着いてしまう。五味に嫌われたくないから彼をゾンビ化させた。ゾンビ化した五味が、美智を乱暴した末に殺した。さらにゾンビ化した五味は、痴情のもつれか何かで里香も殺した。そう考えれば、美智の殺害も里香の殺害も辻褄が合ってしまうのだ。彼女達が殺された理由。動機。
隣を歩く陽向は、心配そうに翔太を見ている。吸血鬼として差別とも言える教育を受けながら、正義感が強く、明るくて優しい女の子。翔太の尊敬する人。
自分の推測を陽向に話すべきだろうか。考えて、思い止まった。陽向は直情的なところがある。彼女に話したら、すぐに詩織を問い詰めてしまうかも知れない。
尊敬する女の子と、好きな女の子。彼女達のことを思い浮かべていると、翔太の心に、何かが引っ掛かった。
何が引っ掛かっている? 胸中で、翔太は自問した。
まるで違う二人。強く明るい陽向と、自信なさげに俯いていている詩織。
正反対に見える二人。でも、どこか……。
「!」
ふいに、翔太は気付いた。頭の中で、陽向だけ、昔の姿に変化させた。翔太を助ける前の──五年以上前の、陽向の姿。
昔の陽向と、今の詩織を並べた。見比べてみた。
二人は、そっくりだった。いつも俯いていて、自分に自信がなさそうで。何かに怯えるように、暗い顔をしていて。誰かに話しかけることもできない。挨拶すら難しい。おどおどした様子。
それはまさに、吸血鬼として差別的な教育を受けた結果ではないか。今ではまったく違う二人が、時間軸をズラすと、こんなにそっくりだ。
詩織が吸血鬼だという推測が、どんどん現実味を帯びてくる。証拠も確証もないのに。
この推測は、まだ陽向には話せない。けれど、現状から先に進むには、彼女の協力が必要不可欠だと思った。何をどうすべきかは、翔太自身にもまだ分からないが。
「陽向」
心配そうに見てくる陽向に、翔太は聞いた。
「今日の放課後、少し時間もらえるか? ちょっと相談したい」
「?」
心配そうな表情を崩さないまま、陽向は首を傾げた。
「いいけど。じゃあ、夜? 練習終わった後だよね?」
「いや。今日はジムには行かない。俺も考えがまとまらなくて、少し混乱気味だけど。でも、放課後までには考えをまとめて、ちゃんと話すから」
「……? ……うん」
翔太が練習を休むことに、陽向は少し驚いたようだ。心配に困惑を混ぜたような顔をしながら、彼女は小さく頷いた。
次回更新は明日(1/5)を予定しています。
自分の好きな人が、自分以外の人と付き合っている。
自分の好きな人が、自分以外の男のために、犯罪に手を染めている。
そんなとき、人はどんな気持ちになるのか。
相手への気持ちが薄れるのか。手を差し伸べたいと思うのか。あるいは、愛情が反転するのか。
物的証拠はなくても、状況証拠は十分。
それを踏まえた上で、翔太はどんな行動に出るのか。
陽向に憧れて自分を鍛え続けた翔太。その動向に、次回以降もお付合いをお願いいたしますm(_ _)m




