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第十六話 狂気で歩み出した、第一歩(後編)


 詩織と目が合った途端に、里香は声を絞り出した。


「何!? 何なの!? あんた!!」


 声が裏返っていた。驚きとも恐怖とも感じられる声。


 詩織は、口元に薄い笑みを浮かべた。自然とこぼれた笑みだった。ゆっくりと一歩二歩、里香に近付いた。


「里香さん、だっけ? 私が誰だか分からない?」


 手が届く位置まで近付いて、詩織は里香に聞いてみた。


「私のこと、根暗そうとか言ってたよね? 私の裸の写真を見て、笑ってたんだよね? もう忘れちゃった?」


 里香は眉間に皺を寄せて、詩織をじっと見た。ハッとしたように、目を見開いた。


「五味の、彼女?」

「うん、そう。思い出してくれたんだ」


 里香の顔から、恐怖が消えてゆく。詩織を詩織と認識した途端に、強気な顔を見せた。


「ははっ」


 鼻で笑いながら、里香は立ち上がった。詩織に近付いてくる。見下すような目で、詩織を睨んできた。


「何してくれてんの、あんた。仕返しでもするつもり?」


 詩織は小柄だ。喧嘩になっても勝てると、里香は踏んだのだろう。手の届く位置まで来ると、詩織の顔を覗き込んできた。圧をかけるように。


「ずいぶん大胆なことしちゃったね。そんなに私にムカついてた?」


 顔を近付けてきて、里香は吐き捨てた。


「でも、残念。ここで裸にひん剥いて、川に捨ててあげる。んで、五味に言って、あんたの裸をネットでばら撒いてあげる」


 里香の顔が、月明りに照らされている。意地の悪い、人を蔑んで悦ぶ顔。毒となる言葉を吐き出す、よく動く唇。


 なんて醜悪な姿だろう。里香に対する嫌悪感が、詩織の心に湧き出た。


 挑発的な里香を見ながら、考える。どんなふうに殺してやろうか。手加減なんて必要ない。同情する気もない。


 私以上に惨めにしてあげる。私以上に無様にしてあげる。


 詩織は右手を素早く振った。ビンタ。人間の動体視力では捕らえようのない速度で、里香の左顎に当たった。


 直後、糸の切れた操り人形のように、里香はその場に膝をついた。口がだらしなく開いて、下顎がだらりと垂れ下がった。顎の関節が外れたのだろう。


「──? ──!?」


 次の瞬間、里香は、自分の口元を押さえて(うずくま)った。強烈な痛みが彼女を襲っているはずだ。言葉にならない呻き声を漏らしている。目から、大量の涙が出ていた。口元を押さえたままの手――その指と指の隙間から、(よだれ)がこぼれ落ちてきた。


 詩織は里香の前でしゃがみ、痛みに苦しむ彼女を見つめた。


「そんなに痛いんだ。可哀相」


 クスクスと笑って見せた。先ほど里香に向けられた嘲りを、そのまま返すように。


「残念だったね。そんなんじゃ、私を裸にひん剥くなんて、絶対に無理だね」


 里香は何も反論してこない。反論できないのだ。顎が外れて、まともに喋れないはずだ。震えているのは、決して寒さのせいではない。涙を流す目には、恐怖が色濃く出ていた。


 でも、と思う。口元を押さえているせいで、怯えている顔が半分しか見えない。


 この手、邪魔だな。


 詩織は、里香の両手首を握った。右手で左手首。左手で右手首。握る手に、力を込めた。


 グシャッ。固い物が潰れる感触。里香の手首の骨が砕けた。その感覚が、詩織の両手にはっきりと伝わってきた。


 あまりの痛みに、里香は身を縮めた。でも、これだけじゃ済まさない。掴んだ彼女の両手首を振り上げ、勢いを付けて振り下ろした。


 カコンッという音が、骨伝導となって詩織に聞こえた。里香の両肩と両肘の関節が外れた。


「────!!」


 ビクンビクンッと、里香の体が痙攣した。彼女の体から力が抜け、仰向けに倒れた。強烈な痛みで失神したらしい。


 投げ捨てるように、詩織は里香の両手首を離した。今度は、仰向けに倒れた彼女の両足首を掴んだ。下腹部に右足を当てて固定する。そのまま、掴んだ両足首を引っ張った。


 ガコンッと、またも鈍い音。里香の両足の股関節が外れた。


 凄まじい痛みによって失神した里香は、今度は、凄まじい痛みで目を覚ましたようだ。体を痙攣させて、声にならない声を漏らしている。悲鳴も上げられないほどの痛み。喉から漏れる苦悶の呻き。


 両腕の関節が外れた。両足の股関節も外れた。さらに、顎も外れている。里香はもう、自分で動くことも助けを呼ぶこともできない。ただ、耐えがたい苦痛に身を委ねるしかない。自分が壊される恐怖を感じながら。


 詩織は里香の目の前に立ち、ゆっくりとその場に腰を下ろした。顔に張り付けた微笑みはそのまま。凍り付くような冷笑。


 今の自分の姿が、里香の目にはどんなふうに映っているのだろうか。それを想像すると、なんだか可笑しかった。滑稽だった。


 詩織を嘲笑っていた里香が、今は詩織に恐怖を抱いている。


 詩織は、里香の顔をじっくりと見下ろした。五味にフラれたときに彼女に言われた言葉を、思い出していた。


『あれー? もしかして泣いちゃってるの? かっわいそー』

『ざんねーん。ご愁傷様ー』


 あのときとは、立場がまるで逆になっている。今は、里香が絶望の淵にいる。


「あれー? もしかして泣いちゃってるの? かっわいそー」


 口調まで真似て、詩織は、里香の言葉を再現してみた。言う側と言われる側が逆になった言葉。


「ざんねーん。ご愁傷様ー」


 里香の目から、さらに大粒の涙が流れてきた。顎が外れて動かない口で、必死に何かを訴えてきた。


「……ひ……ひぇ……おへ……ひゃひ……」

「ごめんね、何言ってるか分からない」


 これは正直な感想だ。里香は、まともに言葉を喋れていない。


「……ひゃ……ふ……ひぇひぇ……」


 とはいえ、里香が何を言いたいのかは分かる。詩織に何を訴えているのか。


『許して。お願い』

『助けて』


 もちろん、聞き入れるつもりなどない。


 目の前の、耐えがたい恐怖と苦痛に涙する里香。彼女を見ていると、詩織の脳裏に、友達のことが思い浮かんだ。もう二度と会えない、自分のせいで殺されてしまった友達。


 もしかして、と思った。


 もしかして、美智も、こんな気持ちだったのだろうか。五味に殺されたときに、こんな気持ちになっていたのだろうか。今の里香のような気持ち。自尊心すら殺すほどの、苦痛と恐怖と絶望。


 自暴自棄になっていた詩織の心に、罪悪感が芽生えた。自分のせいで死んでしまった友達。美智への、懺悔。


 待ってて、美智ちゃん。私ももうすぐ、そっちに行くから。


 何もかもメチャクチャにした後に。全部壊した後に。


 一瞬だけ笑みを消して、詩織はキュッと唇を結んだ。目の前で苦痛に悶えているのは、ただの下衆だ。悲しんでいる人を嘲笑うことができる、下衆。そんな女から美智を連想したことに、詩織はさらに罪悪感を覚えた。


 ごめんね、と胸中で詫びる。もし本当に、あの世なんてものがあるのなら。そっちに行ったときに、額を擦り付けて謝るから。許してなんて言えないけど。償えるなんて思わないけど。


 美智に語りかけると、詩織は再び、里香に意識を戻した。


 結んだ唇の端を、再度上げた。月明かりの影をまとって、詩織は冷たく笑った。里香の恐怖を(あお)るように。


「ねえ、里香さん。あなた、もう動けないよね?」


 分かり切ったことを、あえて聞いた。里香の絶望を底上げするために。さらなる絶望の淵に叩き落とすために。


「じゃあ、ここで問題。そんな状態で、うつ伏せで川に捨てられたら、どうなると思う?」

「──!?」


 里香が目を見開いた。瞼に引っかかっていた涙が流れ落ちてきた。


「溺死って、もっとも苦しい死に方のひとつなんだって。どれくらい苦しいんだろうね? 私には、ちょっと想像つかないけど」

「……ひゃめ……おへ……ひゅひゅひへ……」


 何もしなくても激痛が走っているはずなのに、里香は必死に声を出していた。許しを乞いていた。


「でも里香さんは、これから体験できるんだよ。人生でたった一回の貴重な経験だね」

「……ひや……ひゃめ……ひゃめへ……」

「うん。何言ってるか分からないけど、じっくり味わってね」


 詩織は、里香の足を掴んだ。そのまま彼女を、ズルズルと川まで引き摺った。


 月に照らされた、詩織の冷たい微笑み。里香に、恐怖と絶望を与えた表情。自暴自棄に満ちあふれた、狂気。


 でも。


 ──詩織は気付かない。自分が、微笑みながら泣いていることに。


次回更新は1/4(木)を予定しています。


惨めさと悲しさから狂気に走った詩織は、とうとう自分の手で人を殺めた。

死刑となることを知りながら。


自暴自棄になり、それ故の高揚に包まれている詩織。

彼女は、陽向や翔太も道連れにすることを考えています。

翔太の気持ちに気付くこともなく。


詩織が吸血鬼だと薄々気付いている翔太は、どう対応し、どう行動するのか。

詩織よりも確実に弱い吸血鬼である陽向は、どうするのか。


(たぶん)物語は折り返しです。

どうか、この先もお付合いをお願いいたしますm(_ _)m

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