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第十四話 罪悪感よりも、強いもの(前編)


 今日の授業は全て中止。刑事の聞き込みが終わると、生徒全員が下校させられた。


 時刻は、午後三時半。


 詩織は、ひとりで家電量販店に来ていた。街中にある、大型の店。学校帰りにそのまま足を運んだ。


 今日は五味と一緒ではない。彼は、しばらく大人しくすると言っていた。ゾンビ化したときの体の痛みが、まだ若干残っているらしい。筋肉痛や、骨のきしみ。人間の身でありながら、人間を超えた力を使った反動。


 体が完治したら、またゾンビ化したい。五味はそう言っていた。二人でひっそりと入った、職員用トイレの個室で。詩織と唇を重ねた後に。


『いいだろ? 少しでも詩織と同じ感覚を味わいたいんだ』


 五味は、詩織に共感したくてゾンビ化したいわけではない。それは、詩織自身がよく分かっている。


 五味は知ってしまったのだ。美智を乱暴し、殺したことによって。人間を超えた力を使って、自分の欲求を満たす快感を。


 友達が殺された。あまりにも残酷で、無残な死。涙が出るほど悲しくて、自殺したいほど苦しい。自分のせいで美智が殺された。詩織から罪の意識が消えることは、決してない。


 反面、どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、五味の頼みを断れない自分がいる。彼に嫌われたくない自分がいる。


 五味が今回のような犯行を重ねれば、いつかは公安に真相を掴まれるだろう。詩織は逮捕され、無残な形で死刑になるだろう。


 それは分かっている。分かっているけど、どうにもできない。


 今の幸せを、手放したくない。


 だから、五味の頼みを聞き入れたい。彼の望むようにしたい。


 偽りだと断言できる、幸せ。絶望が待ち受けている、かりそめの幸福。


 たとえ偽物でも、手に入れてしまった。

 手に入れてしまったから、離せない。


 それならば、少しでも長く幸せを感じていたい。何もない人生を長く生きるよりも、わずかな時間の幸せな人生を送りたい。


 だから詩織は、飯田先生の会話を盗み聞きしようと思った。彼の意図を少しでも正確に把握し、捜査網に掛からないように。わずかでも、逮捕までの時間を遅らせるために。


 自分の聞き込みが終わって教室に戻った後、詩織は、裁縫セットを持って生物準備室に行った。


 生物準備室には、誰もいなかった。先生達は職員会議中。誰かが入ってくる可能性は低い。


 生物準備室内で、詩織は、裁縫セットの中から縫い針を取り出した。


 側の壁をじっと見つめた。乳白色の壁。目の前の壁一枚を挟んで、向こう側は進路指導室。飯田先生達が、聞き込みを行なっている場所。


 壁に耳を当てても、隣の会話ははっきり聞こえない。けれど、壁に穴でも空いていれば話は別だ。音の通り道があれば。


 吸血鬼である詩織がダーツのように針を投げれば、簡単に壁を貫通させることができる。一般的な建物の壁に使われる石膏ボードは、それほど固い物ではない。普通の人でも殴り壊すことができる程度の物だ。


 針が貫通したら、当然だが進路指導室内に落ちることになる。落下した針の存在を、飯田先生に気付かれるわけにはいかない。


 詩織は、飯田先生達がいた場所を思い浮かべた。壁を貫通した針が彼等の背後に落ちるように、位置を計算した。


 ゆっくり深呼吸をして、集中力を高めた。大きく振りかぶって、詩織は、針を壁に向かって投げた。ヒュンという空気を切る音がして、針は壁に吸い込まれた。


 普通の人間が投げたなら、壁に刺さる程度だっただろう。しかし、詩織が投げた針は、想像よりも簡単に壁を貫通した。まるで、豆腐でも貫くように。


 針が床に落ちる金属音は、詩織の耳に届かなかった。生物準備室の壁を貫通し、そのまま進路指導室の向こうの壁まで届いたのかも知れない。


 生物準備室の壁には、直径一、二ミリ程度の穴が空いた。


 穴に耳を当ててみる。飯田先生の声が聞こえた。彼等に、針に気付いた様子はない。


 詩織は、隣の会話の内容に聞き入った。


 聞き込みを受けているのは、翔太だった。


 翔太は優しく、頭がよく、努力家だ。陽向に聞いたのだが、彼の家は母子家庭らしい。母親に負担をかけないため、新聞配達のアルバイトをしている。ボクシングジムの会費も自分で稼いでいるという。


 そんな翔太に、詩織は好感を抱いていた。


 きっと、陽向と付き合っているんだろうな。幼馴染みらしいけど、本当に仲がいいもんな。元気な陽向と、気は強いけど優しくて頭のいい翔太。いいな。理想の恋人同士だな。


 二人に対して、詩織は常にそんなことを思っていた。見ていると、気持ちが温かくなる。嫉妬してしまうほどの、二人の関係。


 壁に開けた小さな穴から、飯田先生の質問が聞こえてきた。


「先週の水曜日の夜は、どこで何をしていたか」

「花井美智と親しかったのは誰か」

「花井美智に恋人はいたか」

「花井美智の女友達の中で、恋人がいた者はいるか」


 五味は、美智をレイプした。美智の遺体には、その痕跡があったはずだ。飯田先生は、犯人が男だと断定しているだろう。


 聞き込みの内容を耳にしながら、詩織は、飯田先生の考えを推測した。


 実行犯は男。飯田先生は、二つのケースを考えているはずだ。一つは、詩織の父が犯人であるケース。もう一つは、詩織か詩織の母が、誰かをゾンビ化させたケース。該当人物を特定するために、飯田先生は聞き込みを行なっている。


 頭の中で思考を広げながら、詩織は冷や汗をかいていた。吸血鬼の数は少ない。だから、犯人を絞り込むのは難しくない。


 どうやって、飯田先生や刑事達の捜査を攪乱(かくらん)するか。どうやって、彼等が真相に辿り着くのを遅らせるか。質問をする飯田先生。受け答えする翔太。彼等の声を聞きながら、詩織は必死に頭を働かせた。

 

 やがて、翔太の聞き込みが終わった。彼が進路指導室から出て行った。


 次の出席番号の人は、誰だっけ。考えて、思い出した。翔太の次は陽向だ。


 翔太が進路指導室から出て行くと、残された二人が小声で会話を始めた。


「飯田さん、どう考えてますか?」

「何がだ?」

「そりゃあ、犯人ですよ。被害者の両腕と首の骨は、握り潰されていました。どう考えても普通の人間の仕業じゃない」

「そうだろうな」


 二人の会話を聞きながら、詩織は口元を押さえた。こうしないと、嗚咽が漏れそうだった。


『被害者の両腕と首の骨は、握り潰されていました』


 彼等の言葉から、美智の無残な亡骸が思い浮かんだ。骨が握り潰され、あらぬ方向に曲がった美智の両腕、首。涙を流しながら命を失い、生気が消えた顔。


 詩織の両目から、自然と涙が流れてきた。


 美智の殺害状況は、五味から聞いていた。無残に殺された彼女。改めて聞くと、より一層苦しさが増した。耳の奥に、美智の悲鳴と泣き声が響いた気がした。


 心の中で、何度も「ごめんなさい」と繰り返した。


 こんな私と仲良くしてくれたのに! 友達だったのに!


 自分が、五味をゾンビ化させたから。そのせいで、美智は殺された。


 ――私のせいで、美智ちゃんが……。


 罪悪感で、頭がおかしくなりそうだった。


 つい先程までは、逮捕までの時間をできるだけ先延ばしにしたいと思っていた。少しでも、好きな人と過ごす時間を得たかった。


 それなのに、改めて美智が殺された状況を耳にすると、考えが変わってきた。


 私に、人並みの幸せを求める権利なんてない。たとえそれが、わずかな時間であったとしても。たとえそれが、偽りの幸せだったとしても。私は、人殺しなんだから。友達を殺したんだから。


 許されるなんて思っていない。それでも、心の中で謝罪を繰り返した。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 何度も何度も謝罪をして。


 謝罪の言葉を重ねるごとに、心境が変化した。わずかな幸せを求める気持ちから、贖罪(しょくざい)の気持ちへ。


 決意は、すぐに固まった。


 もう、自首しよう。償うことなんてできないけど、罰を受けることはできる。一般人の殺害に関わったとなれば、死刑になるだろう。それでもいい。できるだけ苦しんで死ぬことで、可能な限り美智に詫びよう。


 壁の穴から耳を離し、進路指導室に行こうとした。事件の真相を飯田先生に告白するために。


 そんな詩織の足を、飯田先生の言葉が止めた。


本日夜に、もう一話更新します。

よろしくお願いいたしますm(_ _)m

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