表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/57

第十二話 複雑な気持ちを抱えながら、自分の気持ちには気付けない(後編)


 廊下を歩く足の速度は、遅かった。


 ゆっくり動く自分の足。陽向は、自分の心情を自覚していた。飯田先生に会いたくない。顔を合わせたくない。話したくない。


 恐い。


 体は、自分の心に正直だった。それでも、行かなければならない。


 それなら、とっとと行ってとっとと終わらせよう。陽向は、意図的に歩く速度を上げた。生物準備室を通り過ぎて、進路指導室の前に着いた。


 大きく深呼吸をして、陽向はドアをノックした。


「どうぞ」


 低い声が、進路指導室内から聞こえてきた。


「失礼します」


 陽向はドアを開けた。


 進路指導室内の中央部には、長机が置かれていた。机の向こうに、飯田先生と、もう一人の男が座っている。机を挟んで彼等と向かい合う位置に、椅子が一つある。


 陽向は入口のドアを閉めた。


「早く座れ」


 飯田先生に促されて、陽向は椅子まで足を運び、腰を下ろした。


 飯田先生の目が、陽向をじっと見ている。幼い頃、彼に、吸血鬼の罰則に関する授業を受けた。死刑の映像を見せられた。


 無残に殺される吸血鬼を、飯田先生は、無機質な冷たい目で見ていた。そのときからずっと、彼の目が恐い。この、冷たい視線が。


「まずは形式的に見せておく。自己紹介は不要だろう」


 飯田先生は、陽向に警察手帳を見せてきた。


 飯田先生の隣に座っている男も、陽向に警察手帳を見せてきた。


「私は、竹山宗一といいます」


 竹山は小さく頭を下げた。口調と物腰は柔らかそうだ。


「飯田さんと同じく、私も公安の人間です。なので、吸血鬼のことを話していただいても構いません」


 公安の人間。ということは、竹山も、吸血鬼の子供の授業をしているのだろうか。それとも、普段は吸血鬼と関連のない仕事をしているのだろうか。


 素朴な疑問が浮かんだが、陽向は、それを口にする気になれなかった。一刻も早く、この聞き込みを終わらせたい。無駄なことはしたくない。


「さて、山陰陽向。俺達が、どうして刑事に混じってここに来ていると思う?」


 飯田先生は、常に、人の名前をフルネームで呼ぶ。その呼び方が、陽向は嫌いだった。まるで、自分の名前が単なる記号のように感じるのだ。


 陽向という名前は、記号なんかじゃない。父と母が、陽向の幸せを願ってつけてくれたものだ。太陽のもとで、明るく幸せに生きてほしい。物語の吸血鬼のような、暗闇で生きる人生を歩んでほしくない。陽向の名前の由来を、両親はそう語っていた。


 陽向の心に湧き出る、飯田先生に対する不快感と恐怖。緊張で、喉が乾く。


 口の中を、唾液で湿らせた。小さく息を吸って、陽向は回答した。翔太が推測していたこと。


「人間の仕業とは思えない何かが美智の殺害現場にあったから、ですか?」


 つまり、吸血鬼が関連していると思われる痕跡。


 飯田先生の表情が少し動いた。


「そうだ。よく分かったな。分かっているなら、それを前提に話を進める」


 自覚しているが、陽向はそれほど地頭がよくない。この高校に入学するために、自分でも驚くほど勉強をした。翔太と一緒にいたい一心で、必死に頑張った。


 そんな陽向が、飯田先生がここにいる理由に気付いていた。それに、彼は驚いたのだろう。


「まずは、アリバイの確認だ。花井美智が殺された先週の水曜の夜に、お前はどこで何をしていた?」

「家にいました。何をしていたかまでは覚えていません。たぶん、いつも通りだと思います。テレビ見たり、スマホで動画見たり」

「証人は?」

「お父さんとお母さんです」

「では、後々、お前の両親にも話を聞くとしよう」


 陽向の父親は、陽向の母親──灯が吸血鬼であるということを知っている。知ったうえで、全てを受け入れて結婚した。知ったうえで、今でも灯を愛している。


 一般人が吸血鬼の存在を知った場合は、公安への報告義務が生じる。そのうえで、行動制限と行動報告が課せられる。


 行動制限の一例として、吸血鬼の存在を知っている一般人は、一切のスポーツ活動を禁じられる。理由は単純で、ゾンビ化して出場する可能性があるからだ。


 義務や制限に違反した場合、吸血鬼とその存在を知った者には、罰則が科せられる。ただ、陽向は、どんな罰則なのかまでは知らない。義務教育で習ったかもしれないが、覚えていない。


 父は、罰則や監視という義務を課せられても、灯と一生を共にする道を選んだ。それほどまでに父は灯を愛し、灯も父を愛している。


 今でも、ほぼ毎晩、二人の情事の声が聞こえてくる。普段はうっとおしいと思うその声も、吸血鬼に関する厳しい規則を()の当たりにすると、微笑ましいと感じてしまう。


 現在、陽向は、吸血鬼の規則に違反している。翔太に吸血鬼であることを話したが、飯田先生に報告していない。報告したら、翔太はボクシングの試合に出られなくなる。だが、賢い彼に吸血鬼の存在を隠し通すのも難しかった。だから、絶対に他言しないよう頼み、彼に話した。


「では、話を続ける」


 飯田先生は相変わらず、冷たい目を陽向に向けていた。息苦しささえ感じる、彼の視線。


「お前が言っていた通り、花井美智の殺害現場には、吸血鬼が関与したとしか思えない痕跡があった。人間の力では、たとえ力士やプロレスラーでも難しいと思える痕跡だ」


 この聞き込みを長引かせたくない。早く終わらせたい。そう思っているのに、陽向の口から、ほとんど条件反射で疑問が漏れた。


「どんな痕跡ですか?」


 美智は友達だ。彼女が殺されて悲しいし、悔しい。だからこそ、殺害に関する事実は知りたい。そんな気持ちから、つい聞いてしまった。


 口にした直後に、陽向は失敗したと思った。


「質問を許可した覚えはない。俺の質問にだけ答えろ」


 ざわりと、陽向の背筋に鳥肌が立った。冷や汗が背中に流れる。唇を、強く結んだ。恐い。飯田先生の目も、声も、言葉も──彼の存在そのものが恐い。


「それで、だ。現場には吸血鬼の仕業としか思えない痕跡があった。だが、お前は犯人ではなくアリバイもあるという。もちろん、それを完全に信用しているわけではない。だが、仮に、お前が犯人ではないと仮定して──」


 飯田先生は、机に身を乗り出してきた。陽向に顔を近付ける。


 反射的に、陽向は体を後ろに引いた。椅子の背もたれが、キシリと小さな音を立てた。


「──お前は、誰かに、自分が吸血鬼だということを話したか?」


 ドクンッと、陽向の心臓が強く脈打った。自分が吸血鬼であることを、翔太に話している。でも、それを飯田先生に知られるわけにはいかない。体が震えてしまわないよう、陽向は必死に自制した。


 飯田先生が問い詰めてくる。


「例えば、親しい男に、とかな」

「どうして、そんなふうに、思うんですか?」


 声が震えないように、陽向はゆっくり言葉を返した。


 飯田先生の表情は変わらない。作り物のような彼の目は、相変わらず陽向を見つめている。ガラス玉のように、陽向を映し出している。


「惚れた相手に自分の秘密を打ち明けるなんてのは、恋愛にありがちなことだろ」


 違う。陽向は胸中で反論しつつ、口を開いた。


「誰にも話してません」


 緊張で乾く喉。湿度が落ちた口内。陽向は唇を舐めると、心の中で否定を繰り返した。


 違う。惚れた相手なんかじゃない。翔太は、私にとって、そんな相手じゃない。あいつは、私を尊敬して慕ってくれてる。翔太がそんなふうに私を見てくれたから、私も、生きていて楽しいと思えるようになった。


 だいたい、あいつは、詩織が好きなんだ。だから私は、二人に付き合ってほしいと思ってる。詩織と五味を別れさせて、翔太と付き合ってほしいと思ってる。その方が、二人にとって絶対にいいはずだから。


 幸せになってほしいんだ。翔太は、私に、色んなものをくれた人だから。


 だから一緒にいたいし、幸せになってほしい。


 それだけなんだ。

 本当に、それだけ。


「そうか」


 飯田先生は、深く追求してこなかった。陽向の言葉を信じたのか。それとも、疑っているが別の方法で突き詰めようとしているのか。彼の考えていることが分からない。


 陽向も、必要以上のことは喋らなかった。ボロが出るのが恐い。


 汗で、陽向の背中は冷たくなっていた。いやに時間が長く感じる。すぐにここから逃げ出したい。


 当然だが、そんなことなどできるはずがない。


 飯田先生は、たっぷり十分ほど、陽向に質問を続けた。美智と仲の良かった友人は誰か。付き合っている男はいたのか。彼女と仲のいい友人の中に、男はいたのか。彼女と仲のいい女友達に、彼氏がいる子はいるか。


 後半の質問は、吸血鬼にあまり関連性を感じないものだった。少なくとも陽向は、そう感じた。もし意味のない質問なら、しないでほしい。飯田先生と話しているだけで冷や汗が止まらない。


 聞き込みを終えて進路指導室を出る頃には、陽向の背中は、汗でビッショリになっていた。


 たった十分ほどの時間だが、何時間にも感じられた。


次回更新は12/22(木)を予定しています。


ここまでいかがでしたでしょうか。


普段は明るい陽向が、恐怖を感じ縮こまる。吸血鬼として教育されたことを思い出す。そんな場面。


幼少期の教育と生活環境は、人生に大きな影響を及ぼします。


本来であれば、暗く内気で、内向的に育てられる吸血鬼。


陽向がそんな性格にならなかったのは翔太がいたから。


だから、同じ吸血鬼である詩織とは、まるで違っている。


そんな二人の人生が、この事件を通じて大きく変化していきます。


その変化の先に、何があるか。

どうか次回も、行く末を見守っていただけるようm(_ _)m


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ