第十二話 複雑な気持ちを抱えながら、自分の気持ちには気付けない(前編)
美智が行方不明になったのは、翔太が国体に行っていたときだった。先週の水曜日の夜。
陽向は、美智が殺された事件について翔太と話していた。刑事の聞き込み捜査の、順番を待ちながら。
このクラスの聞き込み捜査は、進路指導室で行なわれている。
今は、詩織が進路指導室に行っていた。痛々しいほど落ち込んでいた彼女。その表情から、どれほど悲しんでいるのかが伺い知れた。
詩織が心を痛めるのも当然だ、と思う。
失礼かも知れないが、陽向の目から見ても、詩織は友達が少なかった。大人しく引っ込み思案で、社交的とは言えない。まるで、翔太に出会う前の陽向のようだった。強い劣等感を抱えていて、上手に人付き合いができない。
そんな詩織にとって、美智は、数少ない友達だった。数少ない友達を、唐突に失った。永久に。詩織の悲しみの深さは相当なものだと、容易に想像できた。
本当は、詩織を慰めたかった。慰め合いたかった。陽向だって悲しい。翔太だってそうだろう。三人で一緒に、友達を失った悲しみを分かち合いたかった。
でも、できなかった。吸血鬼が絡んでいると思われる、美智の死。陽向の心にあるのは、単純な悲しみだけではない。
『人間の仕業とは思えない何かが、花井さんの殺害現場にはあったはずだ。だから、飯田先生が来たんだ』
そう、翔太が言っていた。人間の仕業とは思えない何か。つまりは、吸血鬼が関わっていると思われる痕跡。
当初の翔太の仮説は、外れていたんだな。頭の片隅で、陽向はそんなことを考えた。五味が、美智の失踪に関連しているという仮説。
もっとも、翔太がその仮説を立てたのは、吸血鬼が関連している可能性を知る前だ。彼自身も、可能性のひとつに過ぎないと言っていた。彼の発想が的外れだったわけではない。
吸血鬼が関連している事件。
それは、陽向が容疑者の一人であることを意味している。たとえ美智の死にまったく関与していなくても、飯田先生には疑われているだろう。だから彼は、この学校に来た。
容疑者として疑われている自分。純粋に悲しみに暮れることができない。自分は、詩織とは違う。ただ悲しんでいる詩織と、容疑者である自分。そんな自分が、彼女に声を掛けられるはずがない。
きっと、翔太も、陽向と同じ気持ちのはずだ。話しながらチラチラと詩織の方を見ていたが、声を掛けようとはしなかった。
詩織が教室に戻ってきた。彼女の頬には、涙の痕があった。聞き込みのときに、悲しくて泣いたのだろう。赤い目でこちらを見て、近付いてきた。
「宮川君。次、宮川君の番だよ」
詩織の次の出席番号は、翔太だ。
「ああ。分かった。ありがとう」
翔太は椅子から立ち、教室から出て行った。
戻ってきた詩織も、すぐに教室から出て行った。その手には、彼女がいつも持ち歩いている裁縫セットがあった。小さな巾着袋に入った、裁縫セット。あれで、美智のジャージを修繕していたことがあった。
きっと、どこかで一人になって、泣くんだろうな。出て行く詩織を見て、陽向はそんなことを思った。美智のことを思い出して、泣くんだろうな。
ひとりになった陽向は、机の上に顔を伏せた。目を閉じる。真っ暗になった視界の中で、考えた。
翔太が言っていた。犯人は吸血鬼である可能性がある。そう思える痕跡が、殺人現場にあったはず。
では、その痕跡とは何なのか。人の力でやったとは思えないほど、美智の遺体が損壊していたのか。あるいは、彼女の遺体の周囲に、吸血鬼がやったとしか思えない破壊の痕跡があったのか。
顔を伏せながら考えたが、明確な推測など浮かばなかった。
やっぱり、翔太って賢いんだな。ふいに、陽向はそんなことを思った。
翔太は、飯田先生のことを知った時点で、吸血鬼が関与している可能性に気付いていた。飯田先生の知人である陽向でさえ、どうして彼が来ているのか、わからなかったのに。
美智が殺された事件に、吸血鬼が絡んでいる。ということは、この近隣には、自分や灯の他に吸血鬼が生息しているということか。
吸血鬼の生存数は決して多くない。もともと少数なうえに、その数は世界的に見ても減っているという。それなのに、こんな近くに。
一体、どんな吸血鬼なんだろう? どんな両親から生まれたんだろう? 陽向のように、吸血鬼と人間の間に生まれたのか。それとも、奇跡のような確率で吸血鬼同士が出会い、結婚し、生まれたのか。
どんな身の上であったとしても、犯人である吸血鬼には、幸せな未来などないはずだ。一般人を殺害した吸血鬼は、過去の事例から考えて間違いなく死刑になる。地獄のような苦痛の中で死ぬことになる。
美智が殺されたことは悲しいし、悔しい。当然、犯人のことが憎い。それなのに、陽向の心の中には、どこか犯人に同情的な部分もあった。
吸血鬼という、特異な存在に生まれてしまった。幸せに生きる普通の人達を尻目に、特殊な教育を受けた。自分達は、本来、生きてはいけない生き物。一般人に危害を加えれば、どのような理由があっても厳罰が科せられる。英雄視されるアスリートよりも遙かに優れた身体能力を持ちながら、英雄どころか差別される生き物。
幸せな人生を送れる者など、滅多にいない。たとえ結婚し、子供ができたとしても、その子供にも辛い人生を歩ませることになる。
陽向や、その母親である灯が幸せに生きられるのは、奇跡と言っていい幸運に恵まれたからだ。
灯は、父親に出会えた。娘である陽向が赤面するほど、父親に愛されている。
陽向は、翔太に出会えた。背中がこそばゆくなるほど、彼は自分を尊敬してくれている。
そんな奇跡とも言える幸運に恵まれない限り、吸血鬼が幸せになることなどない。
だから考えてしまう。美智を殺めた吸血鬼は、どんな気持ちだったのか。どんな理由があって、どんな葛藤があって、美智を殺めたのか。
憎むべき犯人のはずなのに、どこか同情してしまう。純粋に、美智の死を悲しむことができない。
真っ暗な視界。暗いからこそ、自分の感情が鮮明に分かる。泣きたくなるほど悲しい気持ちと、胸が痛くなるほどの同情心。
相反する感情。それが、同じ場所にある。頭も心も、グチャグチャになりそうだった。
「陽向」
声を掛けられて、陽向は顔を上げた。暗かった視界に急に光りが差し込んできて、少し眩しい。
教室に戻ってきた翔太が、目の前にいた。
「あ、おかえり、翔太」
「次、お前だぞ」
「え」
そうだ。出席番号順の聞き込み。翔太の次は、自分だった。
「そうだ。そうだね」
陽向は椅子から立ち上がった。
「じゃあ、行ってくる」
「ああ」
複雑な心情を抱えながら、陽向は教室の出口に足を運んだ。教室から出て行った詩織は、まだ戻ってきていなかった。
小さく唾を飲み込んだ。
これから、飯田先生と顔を合わせる。彼に聞き込みをされる。
陽向は、飯田先生が恐かった。理由は分からない。もしかしたら、死刑の授業を彼に受けたせいかも知れない。
そんなことを思いながら教室を出て、進路指導室に向かった。
次回の更新は12/18(日)を予定しています。
ここまで、いかがでしたでしょうか。
互いに互いの正体を知らない、陽向と詩織。
詩織は美智の殺害に関わった。
陽向は、友達が殺されたことを悲しみながらも、犯人に同情的。
彼女達が互いの正体に気付いたとき、どんな選択をし、どんな行動をするのか。
そのとき、翔太はどうするのか。
これから、お話が大きく動いていきます。
どうか、その結末までお付合いいただけたらm(_ _)m




