第十一話 どれほど最低であっても、失いたくない(前編)
刑事による聞き込みのため、クラスメイトが出席番号順に呼ばれていた。
詩織のクラスの聞き込みは、進路指導室で行われている。そこに、クラスの生徒が一人ずつ行き、話を聞かれる。聞き込みが終わった生徒は、教室に戻って次の生徒を進路指導室に行かせる。
聞き込みを行う刑事は、二人いるそうだ。
詩織は、ほんの少し前まで五味に会っていた。彼から、美智が殺された真相を聞いた。ショックを受けながら教室に戻り、席についた。そこでじっと、自分の聞き込みの順番を待った。
聞き込みの時間は、ひとり約十分くらいだった。詩織のクラスの人数は三十四人。単純計算で、六時間弱で全員終わることになる。
このクラスの聞き込みを行うのは、飯田先生のはずだ。詩織はそう確信していた。
私が――吸血鬼がいるから。
通常の事件として刑事が捜査を行い、飯田先生が吸血鬼との関連性を調べる。そうすることで、二方向から事件を詰めていくのだろう。
聞き込みを行う飯田先生に、どう受け答えすべきか。目を閉じ、詩織は考え込んだ。けれど、闇に包まれた視界に浮かんできたのは、聞き込みへの対策ではなかった。
美智。失ってしまった、友達。
胸が痛い。窒息しそうなほどに。美智が殺されて悲しい。自分に話しかけてくれた、数少ない友達。友達が少ないからこそ、そのひとりに対する思い入れは強い。
涙が出そうになって、詩織は顔を伏せた。泣くことなんて許されない気がした。自分のせいで、美智を死なせてしまったのだから。
友達が、好きな人に殺されて。
それなのに。
それでも。
こんなに悲しんでいても、好きな人を失いたくない。
そんな自分には、美智の死を悲しむ資格などない。涙を流す資格もない。
──私、最低だ。
でも、最低でも、最悪でも、五味を失いたくない。だから、彼が犯人だと知られるわけにはいかない。
そのために、どうすべきか……。
クラスメイトがひとり、進路指導室から戻ってきた。詩織の、ひとつ前の出席番号の生徒。一度も話したことがないクラスメイトだった。それでも今だけは、声を掛けてきた。
「三田さん。次、三田さんの番だから。進路指導室に行ってきて」
「うん。ありがとう」
詩織は席から立った。視界が少し歪んでいた。薄らと、目に涙が浮かんでいる。
小さく息を吐いて、詩織は教室から出た。
進路指導室は、教室と同じく二階にある。生物準備室の隣。生物準備室からは、誰の声も聞こえない。ここでは、刑事の聞き込みは行われていないようだ。
進路指導室の前に立って、詩織はノックをした。二回。コン、コン。
「どうぞ」
低く重い声が返ってきた。聞き覚えのある声。義務教育を終えた後も、吸血鬼は定期的に公安職員と面談をする。その面談の際に、毎回聞く声。
やっぱり、飯田先生だ。
胸中で呟きながら、詩織は、進路指導室のドアを開けた。
「失礼します」
進路指導室は、教室や各教科の準備室と比べて、明らかに狭い。入り口から見て右側に本棚があり、そこに、大学や専門学校の資料が並べられている。普段は机などないのだが、今は、部屋の中央部に置かれていた。横長の机。机の奥──窓側に、背もたれのある椅子が二つ。入り口側には椅子が一つ。
窓側の二つの椅子には、すでに二人の人物が座っていた。そのうちの一人は、詩織の顔見知りだった。飯田先生。
詩織は進路指導室に入り、入口のドアを閉めた。中央部まで足を運ぶ。
「座れ」
詩織から見て右側に座っている飯田先生が、指示してきた。やや白いものが混じった短髪。スーツの上からでも分かる、明らかに鍛えられている体。鋭い目つき。
詩織は吸血鬼だ。当然、身体能力は飯田先生よりも遙かに高い。たとえ彼が銃を持っていたとしても、戦えば詩織が勝つだろう。圧倒的に、小動物を握り潰すように。
それでも詩織は、飯田先生が恐かった。昔から、ずっと。
飯田先生の指示通り、詩織は、入口側にある椅子に腰を下ろした。
「さて。三田詩織」
飯田先生は、人の名前を常にフルネームで呼ぶ。
「どうして俺がここにいるのか、お前なら、概ね想像がついているだろうが。まずは形式的に、俺達の紹介から始める」
飯田先生の手元には、クラスメイトの名前が書かれた紙があった。出席番号順に並んだ、クラスメイトの名前。聞き込みを終えた生徒の名前には、横線が引かれている。
「とはいえ、俺の紹介などは不要だろう。一応、手帳は見せるが」
飯田先生は、警察手帳を詩織に向けた。顔写真の下に、飯田真一郎と名前が記載されている。公安職員の彼も、普通の警察官のような手帳を持っているのか。そんな疑問が、詩織の頭に浮かんだ。
飯田先生の隣にいる警察官も、同じように警察手帳を詩織に向けた。
「私は竹山宗一といいます」
名乗り、竹山が小さく頭を下げた。物腰は柔らかそうだが、体つきは違った。少しふくよかではあるものの、明らかに鍛えられている。オールバックの髪の毛。中年と言っていい年頃のようだ。
「飯田さんの対応から概ね分かっているでしょうが、私も公安の人間です。なので、吸血鬼のことを話していただいても構いません」
吸血鬼の存在は、一部の者しか知り得ない。世界的に見れば、国連の一部機関の人間や、世界各国の一部機関の人間。国内では、公安を含む一部行政機関の人間。
飯田先生と竹山は、他の生徒にはただの刑事として対応したのだろう。しかし、吸血鬼である詩織の前では、自分の身分を明かしてきた。
詩織は、二人に聞こえないように小さく深く息を吐いた。自分を落ち着かせる。思考を巡らせる。自分に疑いがかからないようにするには、どうしたらいいか。五味が犯人だと知られないためには、どんな対応をすべきか。
「まずは形式的だが、アリバイを聞きたい。先週の水曜日の夜は何をしていた?」
低い、飯田先生の声。その口から出る言葉の一つ一つに、圧を感じた。彼に対する恐怖が染みついている。きっと、吸血鬼が罪を犯した際の罰について、彼に教育されたからだろう。あの、残酷な死刑のシーンが思い浮かぶ。
詩織は固唾を飲み込むと、質問を返した。
「先週の水曜のアリバイってことは、美智ちゃんが殺されたのは、そのときなんですか?」
知っていることを、あえて聞いた。その日、詩織は五味をゾンビ化させた。彼はその足でサラリーマンと美智を拉致し、殺した。
「質問に質問を返すな」
飯田先生の鋭い目線は、まっすぐ詩織に向けられていた。恐い。
「聞かれたことに答えろ」
飯田先生の返答を、詩織は概ね予測していた。彼は効率的で、規律を重んじ、冷淡に物事に対応する。無駄な会話をするつもりなどないのだ。
「……家にいました。放課後は、一歩も外に出ていません」
「事実だな?」
「はい」
自分の質問に飯田先生が答えてくれることなど、期待していなかった。これは、ただの布石だ。これからの会話を不自然にしないための。
「お前は、花井美智と親しかったそうだな?」
「仲良くしてくれました。クラスの人とほとんど話さない私に、積極的に話しかけてくれて。遊びにも連れて行ってくれて。数少ない友達でした。美智ちゃんには、私以外にもたくさん友達がいましたけど」
「花井美智から、何か気になることは聞いていないか? 何か事件に巻き込まれるようなことだ」
「特に聞いていません」
これは事実だ。五味は、美智に言い寄っていた。詩織という恋人がいながら。しかし、美智は、そのことを詩織には話さなかった。美智は物事をはっきり言うタイプだったが、さすがに「あんたの彼氏に口説かれてる」とは言いにくかったのだろう。
詩織は、今度は大きく息を吸った。飯田先生の視線が恐い。でも、勇気を出す必要がある。少しでも、自分や五味から疑いを外すために。
「飯田先生がここにいるってことは、私が疑われてるってことですよね? 美智ちゃんが殺された状況に、吸血鬼が絡んでいるような痕跡があったとか」
「質問を許可した覚えはない」
冷たく切り捨てる、飯田先生の言葉。
それでも詩織は、質問を続けた。背中には、冷たい汗が浮き出ていた。
次回更新は12/11(日)を予定しています。
ここまで、いかがでしたでしょうか。
詩織が、少しずつ変わってきています。
勇気を振り絞り、行動しようとしている。
その原動力は、決して報われない想い。
報われないと分かっている、歪んだ想い。
詩織が好きな翔太は、今後、彼女にどう関わってゆくのか。
常に翔太とともに行動する陽向は、何を思うのか。
事件を機に大きく進展してゆくお話に、どうか最後までお付合いいただけたらm(_ _)m