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第十話 いつだって、現実は想像より残酷(後編)


 全校集会が終わった後、生徒全員が教室に戻された。


 詩織の耳には、ずっと、周囲の話し声が聞こえていた。全校集会が行なわれた体育館でも、移動中の廊下でも、戻ってきた教室でも。

 

 周囲がザワつくのも当然だ、と思う。校内の生徒が、他殺体で発見されたのだから。


 教室に戻ってくると、担任はすぐに出て行った。


「刑事さんの聞き込みに呼ばれるまでは、自習をしているように」


 そう言い残して。これから、緊急の職員会議が開かれるという。


 当たり前だが、真面目に自習をする生徒など、ほとんどいなかった。進学校であっても、授業が中止になった状況で勉強をする生徒は少ない。


 クラスメイト達は、仲のいい友人同士で集まっていた。集まる顔ぶれは異なっていても、話の主題はみんな同じようだ。美智が殺されたことについて。中には、推理小説の探偵めいた考察まで始める生徒もいた。教室から出て、別のクラスに足を運ぶ生徒もいる。


 周囲の話し声を耳にしながら、詩織は席を立った。


 詩織が何をしても、気にする生徒はほとんどいない。クラスの中でまるで存在感がない。友人が少ないことは寂しかったが、今は好都合だった。


 詩織は何食わぬ顔で教室から出た。五味のクラスに足を運んだ。真相を確かめたい。本当に、彼が美智を殺したのか。


 五味のクラスに来て、教室を覗き込んだ。彼は椅子に座りながら、クラスメイトと談笑していた。


 同じ学年の生徒が殺されたのに、当たり前のように笑っている人達がいる。それを詩織は、不思議だとも不謹慎だとも思わなかった。自分と近しくない者の死を悲しめるほど、人は優しい生き物ではない。むしろ、美智のような美人で目立つ女子が殺されたことは、格好の話のネタなのだろう。


 ただ、五味の表情や笑い方は、周囲の生徒とはどこか違うように見えた。同級生の死について語り合う者達とは違う。美智が殺された状況について、下劣な想像をしている笑みとも違う。


 五味の目の色は、どこか狂気を帯びているように見えた。


 五味が吸血鬼やゾンビ化のことを他言するとは思えない。それを他言したときの不利益については説明した。地頭がいい彼は、よく理解しているはずだ。吸血鬼のことを他言しても自分に利益はない、と。


 では、どうして五味は、あのような狂気を帯びているのか。どこか有頂天になっているような目。表情。


 詩織はおずおずといった様子で、五味のクラスに足を踏み入れた。


 教室内の視線が、詩織に集まってきた。さすがに、別のクラスに入ると注目されてしまう。


 五味も、詩織の存在に気付いたようだ。こちらに視線を向けてきた。笑みを型取った口から、大きな声が出た。


「詩織!」


 五味は席を立ち、詩織のもとに駆け寄ってきた。


「どうしたんだよ?」

「うん。今、ちょっといい?」


 詩織が五味と話している間に、三人の男子生徒が近くに来た。彼の友人達。


「五味。誰だよ、その子」

「新しい彼女か?」


 進学校だからといって、品のいい生徒ばかり集まるわけではない。人が一定数以上集まれば、必ず力関係のピラミッドが生まれる。その上位に位置する者は、力の大きさに応じて横柄で下品になる傾向がある。


 新しい彼女、という五味の友人の言葉に、詩織は気分が悪くなった。五味の女癖の悪さを知っていても、他人に言われると不愉快だ。


「馬鹿野郎」


 五味は鼻で笑った。


「新しい彼女って何だよ? 俺とこいつ──詩織は、もう一年も付き合ってるんだよ」


 五味の言ったことは事実だ。もっとも、詩織と付き合っていると言っても、彼は平気で他の女と浮気をしているが。


「ああ、悪い悪い」


 まったく悪いといった様子もなく、五味の友人達はヘラヘラと笑っていた。


「で、どうしたんだよ? 詩織」

「五味君、ちょっといい? ここだと、話しにくいことだから」

「ああ、わかった。じゃあ、ちょっと出るか」


 五味は詩織の肩を抱き、教室の出口に足を進めた。彼の友人達のからかう声が、後ろから聞こえた。


 教室から出ると、詩織は、できるだけひと気のない場所を探した。飯田先生が校内を歩いている可能性もある。これから話す内容は、彼に聞かれるわけにはいかない。


「ちょっと入りにくいかも知れないけど、着いて来て」

「? ああ」


 詩織は、職員用のトイレに五味を誘導した。職員用の、女子トイレ。ここなら、飯田先生が来る可能性は極めて低い。


 職員用女子トイレの、個室。そこに二人で入った。二人とも立ったままだと、必然的に身を寄せるような状態となった。


 五味は、蓋をしたままの洋式トイレに腰を下ろした。


「で、どうしたんだ? こんなところに連れて来て」

「あの、ね。ちょっと聞きたいことがあるの」

「何だ?」

「その前に、前提として聞いてほしいことがあるんだけど」


 五味には、吸血鬼の教育環境のことは話している。公安職員が運営していること。その教育内容の概要。吸血鬼の存在を知られることが禁忌であること。


「美智ちゃんが殺されて、警察の人が、校内にたくさん来てたでしょ?」

「ああ、いたな」


 頷きながら、五味は不敵な表情になった。教室内でも見せていた、有頂天になっている笑顔。


「ただの人間が殺人事件の捜査ってのも、大変そうだな。探してる犯人に、逆に殺される可能性だってあるのにな」


 間違いない。美智を殺したのは、五味だ。彼の言葉を聞いて、詩織は嫌でも思い知らされた。


 五味は明らかに、ゾンビ化した自分の力に浮かれている。自分が無敵の存在にでもなったような気分になっている。詩織の一噛みで得られる力に、心が支配されているのだ。


「その点俺は、詩織に頼めば、どんな奴にだって勝てる。詩織に言われた通り、ゾンビ化した次の日は凄ぇ筋肉痛になったし、体中が痛かったけど。ていうか、まだ痛いけど。まあ、あんな力を使えるなら仕方ないよな」

「……」


 今さらながらに、詩織は理解した。政府が作った、吸血鬼を教育するカリキュラムの目的を。目の前の五味を見て。


 誰でもそうだが、自分が周囲の者よりも遙かに優れている場合、少なからず有頂天になる。自分が特別な人間だと思い込む。周囲の人間を見下し、自分が何でもできる人間だと錯覚してしまう。


 学校内にいる喧嘩自慢の男子が、周囲の生徒に対して横柄になるようなものだ。


 だから吸血鬼は、教師役の公安職員に、徹底的に劣等感を植え付けられる。幼い頃から、ずっと。吸血鬼の圧倒的な力に、有頂天にならないように。


 さらに、吸血鬼には、一般人に危害を加えると厳しい罰が与えられる。残酷な死刑の映像を、トラウマになるくらい見せられる。罰に対して恐怖を抱かせ、その圧倒的な力を悪用しないように。


『お前は──吸血鬼は、本来、生まれてきてはいけない存在だ』

『温情で生かされているだけだ』

『だから、社会に出ても、可能な限り人と関わらず生きろ』

『吸血鬼は、人間にとって害でしかない生き物なのだから』


 今でも脳裏に焼き付いている、先生の言葉。見せられた、吸血鬼の死刑執行のシーン。


 幼い頃から吸血鬼に劣等感と恐怖を植え付け、卑屈で臆病な性格に育てる。そうすることでしか、政府は、吸血鬼の暴走を予防できなかったのだ。


 詩織は、今でも、自分から人に話しかけることができない。心に根付いた気持ちが、他者と関わることに恐怖を覚えさせる。


 もっとも、だからこそ、親しくしてくれる人には簡単に心を奪われてしまう。痛いほどの辛味の中で、突如得た甘味のように。舌の上に落ちた蜂蜜のように、甘く広がってゆく。その味を、忘れられない。


 詩織は、自分が五味を好きになった理由を理解していた。それでも、理論的に自分の感情を理解できても、好きだという気持ちは消せなかった。


 五味を失いたくない。彼と別れたくない。


 そのためには、事実を知り、対策を練る必要がある。


「あのね、五味君」

「ああ、何だ?」

「ここに来てる刑事さんに混じって、公安の人がいたの」

「公安って、詩織の先生がいるやつか?」

「うん。そう。実際に、ここに来てるのは、私の先生だった」

「へえ。で、それがどうしたんだ?」


 五味は、まだ詩織の話の意味が分らないらしい。彼は勉強はできないが、地頭はいいのに。それだけ、ゾンビ化で得た力に浮かれているということか。


 ゾンビ化で得た力に浮かれているということは、その力がどれほどのものかを体験したということだ。では、どこで、どんなふうに体験したのか。


 答えは、もう出ていた。


「美智ちゃんが殺された事件には、吸血鬼が絡んでる可能性があるって思われてるはずなの。そうじゃなきゃ、普通の事件に公安の人が来たりしない。普通の人間の仕業とは思えない痕跡が、現場にはあったはずなの」


 じっと、詩織は五味を見つめた。


『あなたが殺したの?』


 声にできない言葉。そんなことを直接聞いて、嫌われてしまったら。そう思うと、恐かった。


 詩織と数秒ほど視線を交えた後、五味は、吹き出すように笑った。


「そういうことか。いや、失敗した。確かに、あれはやり過ぎた。でも、上手く力の加減ができなかったんだよな」


 ははっ、と声を出して五味は笑った。


 詩織は慌てて、自分の口に人差し指を当て、声を落とすように頼んだ。こんな会話をしているところを、人に見つかるわけにはいかない。


「ああ、悪い」


 浮かれた笑みを顔に張り付けながら、五味は、詩織の顔を覗き込んだ。


「もう、詩織も分ってるんだろ? 花井を殺したの、俺だよ」


 声のトーンを落として、五味は、美智を殺した状況を話し始めた。


 美智が殺されたあの日。五味は、詩織にゾンビ化させてもらうよう頼んだ。


 ゾンビ化した後、五味はすぐに、部活後の美智に絡みに行った。彼女をゾンビ化した力でさらい、好きにするために。


 だが、目立たずに人を運ぶには、どうしても車がいる。担いで連れ去るわけにはいかない。ひと気のない場所に連れ去るための車がほしい。


 学校近くの本屋の駐車場で、ワゴン車に乗り込もうとするサラリーマンを見つけた。あの男に、運び屋の役割をさせよう。軽く痛めつけて、脅して、運転させた。


 帰宅途中の美智を見つけ、強引に車に乗せた。彼女が悲鳴を上げる余裕すら与えず、ドアを閉めて走り出した。


 後部座席に放り込んだ美智が暴れないよう、押さえ込んだ。当然、彼女と密着することになる。五味の鼻に入ってくる、美智の匂い。密着している感触。


 五味は、自分の欲求を抑え切れなかった。サラリーマンに運転させたまま、車の中で美智を犯した。


 暴れる美智を押さえ付けるため、彼女の両手首を掴んだ。少し強く握ったら、彼女の両手首は簡単に折れた。どの程度力の加減をすればいいか、分からなかった。


 両手首が折れた激痛によって、美智は大人しくなった。車が郊外の山の近くに着くまで、犯し続けた。


 ひと気のない場所に来ると、二人を車の外に出した。


 目的地に着くまでに、美智の体で欲望を発散し続けた。五味は、すでに満足していた。本来は、ここに来てから犯すつもりだったが。でも、もう十分だった。


 満足したから、この二人は用済みだ。


 美智の首を右手で、サラリーマンの首を左手で握った。少し力を入れて締めた。


 窒息する前に、二人の首は簡単に折れた。


 いとも簡単に人間を壊せる力。人の腕も首も、枯れ枝のように折れた。


 その翌日は、すさまじい筋肉痛になった。加減を誤れば自分の体をも壊してしまう力。もっとも、どの程度加減をして力を使えばいいかは、概ね理解できた。ゾンビ化した後の筋肉痛を経験したことによって。


 ──美智とサラリーマンを殺した話を、五味は、面白おかしく語った。


「本当に凄ぇ力だよ、これは」


 詩織は震えていた。目の前の、熱病にうなされているような五味。彼にそんな狂気を与えたのは、間違いなく自分なのだ。


「なあ、詩織」


 五味は洋式トイレから立ち上がり、詩織に接近してきた。彼の顔が近い。整った、彼の顔立ち。相反する、(よど)んだ目の色。


 五味の瞳に、詩織が映っている。彼に従順で、忠実で、彼から離れられない、都合のいい女。


「凄い女だよ、お前は。本当にいい女だ。たとえ体で他の女を抱いたとしても、俺の心は、お前だけのものだ」


 身勝手な、五味の言葉。


「何をしても、他の女を抱いたとしても、俺が好きなのはお前だけだよ」


 嘘つき。


 心の中で、詩織は、五味の言葉に反論した。でも、口には出せない。


「だからまた、俺をゾンビ化させてくれよ。ちゃんと、公安とか刑事にはバレないようにするからさ。もちろん、この後の聞き込みのときも」


 五味の指が、詩織の顎に触れた。顔を上に向けられた。そのまま、キスをされた。


 口先だけの、五味の「好き」という言葉。彼が詩織に向ける、偽りの愛情。


 嘘だと分っている。全部嘘だと分っている。


 大切な、数少ない友達を失った。殺された。それも、あまりに残酷な形で。


 どうしてこんなことになったのか。私はただ、この人と付き合っていたいだけなのに。ただこの人が好きで、ただこの人に好かれたいだけなのに。


 重なる唇。閉じている詩織の唇をこじ開けるように、五味の舌が入ってきた。舌と舌が絡まる。ヌルリとした、淫靡(いんび)で情欲に満ちた感触。


 ほとんど無意識のうちに、詩織は五味に抱きついた。


 偽りだと分っていても、決して失いたくない愛。捨てることも諦めることもできない、歪んだ愛。


 こんな私に「好き」って言ってくれる人は、この人以外にいない。


 こんな紛い物を失わないために、美智を殺させてしまった。どうしようもない葛藤と絶望が、詩織の心を包んでいた。


 それでも、離せなかった。


 五味を抱き締める腕を、離せなかった。


次回更新は12/8(木)の夜を予定しています。


子供の成長において、幼少期~思春期までどんなふうに過ごしたかというのは非常に重要だと思います。


その時期に、自分を肯定することができたか。肯定してもらえたか。善悪の区別をつけられるようになったか。何も学ぶことなく生きたか。


陽向と詩織は、互いに吸血鬼。

でも、同じ教育を受けたはずなのに、まるで違う生き方をしている。


詩織は、このままズルズルと五味のいいなりになって生きるのか。

美智が殺された事件について翔太は何を考え、陽向は何をするのか。


どうか結末まで、お付合いいただけたらm(_ _)m

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