第九話 最悪の結末と、予想外の過程(後編)
見慣れたはずの校内。もう一年半も通っている校舎。そこにある違和感。
その正体に、翔太はすぐに気付いた。
校舎内の廊下に、見覚えのない人達がいた。スーツを着た、複数人の男女。スマートフォンで、誰かと連絡を取り合っている。
来客か?
翔太は胸中で呟いたが、それにしては様子が変だった。彼等は、散り散りに校内で動いていた。来客の動きとは思えない。
陽向と一緒に、二階に昇る階段まで来た。
階段近くに、男が一人いた。スーツを着た男。年齢は、四十代中盤、といったところか。髪の毛に少し白髪が交じっている。身長は高い。一八〇位くらいか。肩幅が広く、見るからに鍛えられている。目つきが鋭い。
彼の顔にも、翔太は見覚えがなかった。
隣を歩く陽向の肩が、一瞬だけ震えた。彼女はちらりとスーツの男を見て、すぐに目を逸らした。まるで怯えているかのように。
陽向の様子から、翔太はすぐに気付いた。彼女は、この男を知っている。それなのに、一言の挨拶も交わすことなく、すぐに目を逸らした。
階段を昇って、教室がある二階に来た。
教室に向かう廊下で、翔太は陽向に聞いた。
「知り合いか? さっきの、階段のところにいた人」
案の定と言うべきか。陽向は小さく頷いた。
「私の、先生。義務教育のときの」
「ってことは、公安の人か?」
「うん」
翔太はポケットからスマートフォンを取り出した。時刻を見る。八時二十七分。ホームルーム開始は、八時四十五分。まだ時間はある。
「陽向、ちょっといいか?」
「どうしたの?」
陽向を連れて、翔太は教室の前を通り過ぎた。二階にある水飲み場近くまで来た。
周辺に、あまり人はいない。それでも、念のため小声で話した。
「陽向。簡単でいいから教えてくれ」
「何?」
「さっき階段の近くにいた人、公安の人なんだよな?」
少し躊躇う様子を見せてから、陽向は頷いた。
「うん。義務教育──翔太達で言う幼稚園とか小中学校のときの、私の先生」
吸血鬼の義務教育制度は、以前、陽向から聞いたことがある。一般でいう幼稚園や小中学校。ただし、そこで行う授業のカリキュラムや制度、教育体制は、普通の幼稚園や小中学校とはまるで違う。
一般的な勉強はもちろん行う。ただし、授業は、生徒と先生の一対一。その授業体制で、勉強はもちろん、吸血鬼として守るべきルールや罰則などを学ぶ。
「先生ってことは、あの人が陽向の授業をしてた人か?」
「ううん」
陽向は首を横に振った。
「授業をする先生の他に、複数の先生を統括する先生もいたの。たぶん、普通の学校でいう学年主任とか教頭とか校長みたいな人」
「それが、一階にいた先生か?」
「うん。そう。飯田先生」
つまり、一階にいた飯田先生は、陽向の授業を受け持つ先生の上司に当たる人物。吸血鬼の子供を教育する先生がいて、それを飯田先生が統括する。
「って言っても、一科目だけ、飯田先生が受け持ってたんだけどね」
「一科目だけ?」
「うん。死刑とか──罰則の授業」
思い出すだけでもおぞましいという、吸血鬼が死刑にされる映像。それを見せられて、重罪を犯した吸血鬼がどんな運命を辿るかを教えられる。
「罰則の授業以外だと、飯田先生は別の仕事をしてるの」
「別の仕事?」
「以前にも話したと思うけど、吸血鬼は、定期的に先生と面談をする義務があるの。まあ、行動報告みたいなやつ。それをするのが飯田先生。もし、自分が吸血鬼だって誰かに知られた場合も、飯田先生に報告する必要があるの」
翔太は、陽向が吸血鬼だということを知っている。しかし陽向は、それを飯田先生に報告していない。吸血鬼の存在を知った人間にも、一定以上の監視と面談義務、行動制限ができてしまうから。
だから陽向は、そんな事情を伝えた上で、翔太に強く口止めした。翔太の行動を制限しないために。
「もうひとつ。どうしてさっき、飯田先生に挨拶しなかったんだ? 明らかに他人の振りをしてただろ?」
「そうしろって言われてるから」
公安は、一般的な警察や刑事とは異なる。警察は、地域の生活や安全を取り締まる。刑事は犯罪を取り締まる。それらに対して、公安は、国家体制を脅かすものを取り締まる警察機関だ。そのため、通常の警察職員には許されない盗聴や盗撮などの違法行為も、調査のために行うことがある。それだけに、機密事項が多い。
あくまで「らしい」という程度の情報だが、家族にも自分が公安だと話せない職員もいるという。
だから陽向も、面談などの場合以外では、他人のように振る舞うよう指示されているそうだ。
「なるほどな」
翔太は口元に手を当て、考え込んだ。
学校に来ていた、公安職員。見慣れないスーツ姿の男女。そんな人達が、学校内に複数名いた。翔太が数えただけでも、七名。間違いなく警察関係者だろう。
その事実から推測できることは、ただひとつ。
美智が発見されたのだ。事件に巻き込まれたことが明らかな状態で。
ただし、事件の捜査であれば、通常は刑事が動く。公安職員の仕事は国家体制の維持であり、通常の事件の捜査ではない。
それなのに、公安職員の飯田先生がいた。しかも彼は、公安職員の中でも一定の地位にある人物だ。
そんな人がこの場に来ていたということは――
最悪の予感が、翔太の頭の中に浮かんだ。制服の下で、心臓が早鐘を打っている。試合直前よりも心拍数が多い。もう涼しい季節なのに、背中が汗で濡れてきた。
翔太はポケットからスマートフォンを取り出し、時刻を見た。八時三十八分。
「陽向。教室に行くぞ。ホームルームに遅れる」
「ああ、うん」
教室まで歩く。
歩きながら、翔太は小声で伝えた。
「細かいことを説明してる時間がないから端的に言うけど、ひどくショックなことがあると思う。でも、落ち着いてくれ。大丈夫だと思うけど、取り乱さないようにな」
「?」
陽向は、わけが分らない、という顔を見せた。もっとも、翔太の言葉の意味を、数分後のホームルームで知ることになるだろう。
目にしただけでも七人の刑事がいた。校内を歩いていた。さらに、公安職員までいた。
翔太はもう、覚悟を決めていた。最悪の事実を知る覚悟。
美智は、たぶん殺された。今の状況から、そうとしか思えない。
覚悟を決めた。それでも、簡単に割り切れるものではない。友達が殺されたことを、あっさりと受け入れられるはずがない。
心にある感情が、そんなはずはないと繰り返している。友達の死を信じたくない気持ちが、理論的な考えを否定している。だが、感情の入り込まない正確な思考部分が、甘い考えを許さない。
落ち着けと自分に言い聞かせた。冷静に、思考を巡らす必要がある。状況を正確に分析し、解析し、正解を導く推測をしなければならない。
心にある甘さを、無理矢理隅に押し退けた。
美智は殺された。しかも、間違いなく、ただ殺されただけじゃない。
恐らくは……。
次回の更新は12/4(日)を予定しています。
美智が殺されたという、翔太の推測。
公安職員が学校まで来ている理由。
今に至る前に立てた、美智の失踪に関する翔太の推測。
事件が明るみになったとき、美智の友人である陽向はどうするのか。同じく美智の友人である詩織は。
吸血鬼とその周囲の人達の人生が、大きく変わっていきます。
その着地地点まで、どうかお付合いいただけたら。