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第七話 好きだと言ってくれるから、言いなりになる(前編)


 数日前の夜。


 詩織は、三人の男に絡まれていた五味を助けた。吸血鬼として生まれ持った、圧倒的な力を使って。


 五味が絡まれていた理由は、男の彼女を寝取ったから。根本的な原因は、五味と、彼の誘いに乗った女にある。


 もちろん、その仕返しに暴力を振るうことは許されない。しかし、もっとも責められるべきは、五味と女なのだ。


 それでも詩織は、五味を助けた。好きだから。自分のことを「好き」と言ってくれた、たったひとりの人だから。


 五味を助ける際に、吸血鬼の力を見せてしまった。自分の正体を明かし、詩織は彼に別れを告げた。


 しかし五味は、再構築を提案してきた。


『惚れ直したんだよ。助けて貰って、詩織に惚れ直したんだ。好きなんだ!』


 明らかに嘘だと分かる、五味の言葉。


 女にだらしない五味には、これから先も今回のようなことが起こるだろう。そのときに使えるボディーガード。詩織のことを、そんな程度に考えているはずだ。


 セックスという特典がついた、便利なボディーガード。


 詩織には、五味の本心が分かっていた。男達に絡まれている彼の姿を見て、その情けなさと不誠実さを実感した。


 それなのに、五味を好きだという気持ちは消えなかった。心が訴えていた。五味を失いたくない。彼と離れたくない。


 もう一度付き合いたい。


 私を好きって言って。可愛いって言って。嘘でもいいから。口先だけでもいいから。


 詩織の願いを、五味はすぐに叶えてくれた。


『好きなんだ』


 五味は詩織を抱き締めてきた。詩織が求めている言葉を言ってくれた。詩織の小さな体を両腕で包みながら、聞いてきた。


『なあ、教えてくれないか。詩織のこと。俺、もっと詩織のことが知りたくなった。もちろん、誰にも言わないからさ』


 だから話した。自分のことを──吸血鬼のことを。


 太陽のもとでも、普通に生きられる。にんにくが苦手だとか、十字架に弱いなんてこともない。


 それでも、吸血鬼と名付けられた。その理由は単純だった。


「人の血を吸うと、力が増すの。ほんの一時間程度の効力だけど」


 義務教育中に学んだ、吸血鬼の体の仕組み。人の血を吸うと、身体能力が約十パーセントほど向上する。


 さらに──


「吸血鬼に血を吸われた人も、効力は一時間程度だけど、身体能力が増すの。噛んだ吸血鬼の四割くらいの身体能力が得られる」

「噛んだ吸血鬼の四割くらい、ってどういうことだ?」


 抱き締めた詩織を離して、五味は疑問を投げてきた。


 普通なら、そんなものか、と聞き流しても不思議ではない話。それでも五味が聞き返してきたのは、彼自身の地頭がいいからだろう。いい加減な生活をしていても進学校に合格できるくらいの知能。


 詩織は説明を続けた。


「吸血鬼は、第二次世界大戦中の人体実験で生れたの。本来は、生物兵器として。それがオリジナルの吸血鬼──つまり、濃度が百パーセントの吸血鬼」

「濃度、ってことは、普通の人間との間に子供を作って、血が薄まるってことか?」

「うん。そう」


 詩織は頷いた。


「そもそも、吸血鬼の繁殖能力は人間よりも遙かに低いの。自然の世界でもそうでしょ? 致死率が低い生き物ほど繁殖力が低くて、致死率が高い生き物ほど繁殖力も高い。ネズミとライオンとじゃ、産む子供の数が全然違うのと同じ」

「つまり、吸血鬼は妊娠しにくいってことか」

「うん。統計だと、純粋な吸血鬼同士で交配した場合の受精率は、普通の人間の1パーセントくらいみたい」


 生々しい話になるのが嫌で、詩織は、あえて「交配」という言葉を使った。たぶん、五味の頭の中では、こう変換されているだろう。


『無避妊でセックスしても、なかなか妊娠しない』


 詩織の考えを肯定するように、五味は一瞬、いやらしい笑みを見せた。彼は普段から避妊具を着けたがらないが、今後はそれに拍車がかかるだろう。少なくとも、詩織とセックスをするときは。


 そんな未来が予測できる。でも、そんなことは気にしたくない。好きだという気持ちだけ感じていたい。


 五味の不誠実さからは目を逸らして、詩織は話を続けた。


「人間と吸血鬼が交配して子供ができた場合、その濃度は本当に単純に薄まるの。純粋な吸血鬼と人間の間に子供ができた場合、その子供の濃度は五十パーセント、みたいな感じで」

「なるほどな」


 詩織の説明に、五味は納得した様子を見せた。


「つまり、噛んだ吸血鬼の四割くらいってのは、その吸血鬼の四割くらいの身体能力になる、ってことか。一〇〇パーセントの吸血鬼に噛まれたら、四十パーセントの吸血鬼の身体能力になる、みたいな」


 やはり五味は地頭がいい。詩織は無言で頷いた。


「吸血鬼に噛まれて身体能力が向上した人間は、『ゾンビ』って呼ばれてる。吸血鬼からゾンビが生れるなんて、冗談みたいだけど」

「なんでゾンビなんだよ? そこは吸血鬼じゃ駄目なのか?」


 深い意図もない様子で、五味が疑問を口にした。この質問に対する回答は期待していないようだ。


 けれど、このゾンビという名称にも理由がある。


「吸血鬼は、さっき五味君が見た通り、人間よりも遙かに身体能力が高いの。だから、体が、持ってる身体能力に耐えられるようにできてる。皮膚も、骨格も、筋肉も──とにかく、全身が」


 言いながら、詩織は、右手で自分の左腕に触れた。外見上は華奢で細い腕。でも、この皮膚も、筋肉も骨格も、普通の人間とは違う。


「とにかく全身の密度が高いの。だから、外見上は普通の人間と同じでも、重さが全然違うの。私なんて、この身長で、この体型で、体重が七十七キロもあるんだよ」


 五味は驚いた顔をしながら、口の中で「嘘だろ」と呟いた。しかし、すぐに納得したような顔になった。詩織に顔を近付けてくる。今にも唇が触れ合いそうな距離になった。


「なるほどな。だからか」


 五味は、悪戯っぽい笑みを見せていた。整った顔立ちをしている。こんな顔を近付けられたら、どうしても胸が高鳴ってしまう。その整った顔の奥にある、薄汚い本性を知っていても。


「何が?」


 唇が触れそうな距離で、詩織は五味に聞いた。頬が熱い。きっと、顔は、薄らと赤いはずだ。


 悪戯っぽい笑みを崩さずに、五味は(ささや)いた。


「だから詩織は、セックスのとき、上に乗るのを嫌がってたんだな。見た目よりも遙かに重いから」


 詩織の頬が、さらに熱くなった。


 何度しても、セックスのときは恥ずかしかった。嫌われたくなくて、いつも受け入れた。避妊具を着けたくないという五味の要望にも応えた。ただ、上に乗ってくれという要望だけは、絶対に聞き入れなかった。


 五味の言う通りだった。上に乗ると、見た目よりも遙かに重いのがバレてしまう。しかも、常識外に重いのが。


 顔を真っ赤にしながら、詩織は小さく頷いた。五味を上に乗せるのはいい。お尻を向けるのだって、彼に言われて何度かやった。でも、上に乗るのだけは駄目。


 近い距離のまま、五味は、詩織の頬に触れてきた。


「可愛いな、詩織は」


 間近にある、五味の甘い外見。互いの吐息を感じる距離。囁かれる、甘美な言葉。


 頬に触れた五味の手から、彼の体温を感じる。触れ合う心地よさを教えてくれた、彼の手。中毒にでもなりそうな、溶けてゆく快楽。


 唇を重ねた。五味の舌が詩織の中に入ってきた。淫靡(いんび)な音を立てて、舌と舌が絡んだ。少しだけ、血の味がした。殴られたことで、五味の口の中が切れていた。


 義務教育で習った、吸血鬼がゾンビを作り出す過程。人間の体の中に、吸血鬼の唾液が入ることで発生するらしい。ゾンビ化、という名称だと習った。


 当然ながら、ゾンビ化を発生させることも禁忌とされている。意図的、もしくは過失でそれを行った吸血鬼に対しても、厳しい罰則が科せられる。


 五味の血の味を舌で感じた瞬間、詩織の体が熱を帯びた。これは、先ほどまでの熱とは違う。恥ずかしさや愛おしさが原因のものではない。物理的な意味で体に変化が起こった熱だ。


 慌てて、詩織は五味から唇を離した。本当は、もっと触れていたかった。もっと、舌を絡めていたかった。


 でも──


 心地よい快楽すら手放すほどの危機感に、詩織は包まれていた。


 何もしなくても、感覚で分かる。五味の血によって、詩織の身体能力が向上した。


 それはつまり、五味にもゾンビ化が発生したということだ。


次回の更新は11/20の昼頃を予定しています。


ここまで、いかがでしたでしょうか。


自己評価が低く、自分を好きになれない人は、自分を認めてくれる人に縋ってしまいます。

それこそ、絶望の中で救いを求めるように。


陽向には、翔太がいた。悪意も下心もなく接してくれる翔太がいたから、幼い頃から植え付けられた自己否定を振り払うことができた。


では、詩織は。

五味に縋ってしまった詩織は、これからどうなるのか。


彼女のことを好きな翔太は、何を思うのか。

翔太の気持ちを知っている陽向は、何を感じるのか。


どうか、彼等を最後まで追っていただけたら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 美智の不在。 なんかヤバい気がする。 やはり我等のゴミくんの仕業か! そしてゴミくん、確かに地頭は良いですな。 吸血鬼の概念をきちんと理解している。 単純な成金や暴力タイプのDQNじゃなく…
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