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第3話「『行ってきます』の意味と『ただいま』の幸せ」


 下校中の犬吠埼は、以前のように足早になることなく、神門神社側面に面した道を歩いている。

 相変わらず木々は鬱蒼としているし、5年ほど前の事件についても解決したとかではないのだが、ここに住んでいる人に直接会い、また、その人たちが特別変な人物ではなかったことでか、不気味さを感じなくなっていた。

「桃太郎のバカ! 大嫌いっ! 」

 神社内から安寿の声。

(? 何? ケンカ? )

 神社のほうへと目をやる犬吠埼。

 と、

(っ! )

 もはや壁である木々の間を突き破るようにして、数日前に初めて出会った時と同じく巫女装束の安寿が、飛び出して来た。道路との高低差のため宙に浮いた状態。

 軽く驚いて立ち止まり見上げる犬吠埼と、目が合う。

 錯覚か、逆光ではないのに安寿の色が黒一色に変化した。

 直後、装束の袖が犬吠埼のほうへと勢いよく伸びて来、驚きも何も思う間もなく地面に対して水平のかたちで首に当たる。

 感触は微か。視界がジェットコースターの如くクルリと1回転してから、顎のあたりを中心に強い衝撃があった後、アスファルトにごく近い高さで安定した。

 何故か目の前に、頭部の無い自身の体が赤い液体に濡れて立っている。

 スウッと寒くなったのを感じると同時、

端境拡張はざかいかくちょう! 」

 本当に少し聞いたことがあるだけで自信は無いが、桃太郎のものと思しき声。

 それまで道路だったはずの場所が神社の中のような景色になったのと、安寿に色が戻ったのを見たのを最後に、犬吠埼の視界は暗転した。




                *




「お母さん、家庭訪問のプリント書いてくれた? 」

 出掛けに、台所のテーブルの上に折り畳みの鏡とメイク道具を広げて出勤前の身支度をしている母へと、声を掛ける犬吠埼。

 週明けから始まるクラス担任による家庭訪問の際にスムーズに進むよう、家庭側からの質問があれば事前に受け付けておくためのプリント。金曜の今日が締切だ。

 母は、あ、と小さく漏らして立ち上がり、

「ごめんね、すぐ書くから」

 言いながら、マグネットで冷蔵庫に貼りつけてあったプリントを手に取り、おそらくはボールペンを求めて自身の通勤用のカバンの中を漁る。

「いいよ別に」

 いつものこと。この母は忙しすぎるのだ。

(質問は特に無いだろうし……。

 プリント自体は全員提出だけど、内容が無いから、先生には口でそう伝えればいいかな……)

 そんなふうに考えつつ、母に背を向け玄関を出る犬吠埼。

 出てしまってから、「行ってきます」を言っていなかったことと、目の端に映り込んだ、母の寂しげとも悲しげともとれる表情に気がつき、一旦、足を止めるが、

(…いいか……)

 アパートの金属製の階段を、カンカンカンカンと下りていく。




 下りきったところで、

(……? )

 再び足を止める犬吠埼。

 本来なら隣家のブロック塀とその上部からはみだした瓦屋根と庭木があるはずのところに、見知らぬ木製の天井。和紙と木で作られた和風の四角い照明器具が吊り下がり、明かりが点いている。

 体勢も、立っていたはずが横になり、感触から、布団に寝かされているのだろうと分かった。

(夢……? )

 だが今朝の実際の出来事。

 不意に安寿の顔に頭頂側至近距離から覗き込まれ、目が合う。

 安寿は、犬吠埼にニカッと明るく笑って見せてから顔を上げ、

「桃太郎ー! ワンちゃんが起きたよーっ! 」

 ややして視界右側に桃太郎が現れた。

 視界内に他に動くものが無いための自然な反応として目で追うと、右の枕元で足を止め、正座する。

 桃太郎は伏し目がちの疲労困憊している様子、泣いているようにさえ見える表情で、

「…あの……。調子は、どうかな……? 」

 恐る恐るともとれるくらいに遠慮したふうに口を開いた。

(…調子……? って、何の話……? )

 起き上がろうとする犬吠埼に、桃太郎が咄嗟に手を貸す。

 ありがとうございます、と返してから、犬吠埼、

「ここは、どこですか? どうして、いつから、僕はここで寝てたんですか? 」

辺りを見回す。

 6畳の畳が敷かれた土壁の部屋。桃太郎の背後と犬吠埼の左手側には襖、寝ていた時に頭側だった面には障子があり、残る面の壁に寄せて、金属の装飾の施された古い箪笥が置かれていた。

 神社の中ではなさそうだ。

 犬吠埼の問いに桃太郎、ここは自分と安寿の住居であり犬吠埼が寝ていたのは2時間ほど前からであると答え、それから、息を大きくひとつ吐いて、真っ直ぐに犬吠埼を見つめ、

「犬吠埼君」

「…は、はい……? 」

 改まった態度に、犬吠埼はちょっと緊張する。

 桃太郎は深く頭を下げ、

「…ごめんなさい……」

 そこから続いた話は、到底信じられないような……そもそも全く入ってこない話だった。

「君は、死んでしまったんだ……。…安寿に、襲われて……。…オレの、力が足りなかったせいで……。

 本当に、ごめんなさい……」

 色々と説明も受けたが、何ひとつとして入ってこない。

・安寿は神社の外へ出ると黒い化け物となって人を襲うこと。

・神門神社が安寿を封じ込める端境となっていること。

・犬吠埼が死亡しているにもかかわらず現状動いているのは「祈美きびぎょく」という神門神社に古くから伝わる眷属神の依代である翡翠製の勾玉の力によるもので、それは今、犬吠埼の体内にあること。

・生き返ったのではなく、あくまでも肉体の形が維持されているだけであること。

・4年前に犬吠埼と同じく安寿に襲われ命を落とし祈美の玉により肉体を維持されている人物が1名おり、その彼は、体が腐る等、何らかの問題の発生することなく現在に至っているが、とにかくその1例のみであるため、それが犬吠埼にも当てはまる保証は無いこと。またその彼も、たった1秒後さえ、どうなるか分からない状況であること。

 ……その、何ひとつ。


 桃太郎の家で暮らすよう勧められたが、犬吠埼は、もう1名もそうしていると聞くように、自宅で暮らし1日1回桃太郎を訪ねてメンテナンス的なことをしてもらうことを選んだ。

 桃太郎宅玄関を出ると、そこは、神社本殿の真裏。ほぼ神社敷地内と言っていい、神社を囲う樹木に一緒に囲われ同様に手入れされていない高めの生垣で区切られただけの場所。左隅に、神社へ行き来の出来る切れ目がある。

 既に辺りは暗く、空には月が昇っていた。

 「桃太郎と話してばっかで全然遊べなかった」と不貞腐るので玄関先でちょっと遊んでやると満足したのか無邪気な笑顔で手を振る安寿と、今にも死んでしまいそうな顔で謝り続ける桃太郎に見送られ、犬吠埼は歩き出す。

 今朝、出掛けに目の端に映り込んだ、母の寂しげとも悲しげともとれる表情が、見上げた月に浮かんでいた。




 アパートの階段を自宅のある2階へと上ると、自宅玄関のドアのすぐ右、キッチンの窓である磨りガラスから明かりが漏れていた。

(お母さん、帰って来てる……。もう、そんな時間なんだ……)

「ただいま」

 言いながらドアを開け、外に漂っていたハンバーグの匂いが自分の家からのものだったと知る。

 珍しく台所に立っている母の後ろ姿。家事は犬吠埼の仕事だから。

 振り返った母は、ホッとした表情で笑む。

「お帰りー。丁度ごはん出来たところだよ。すぐ食べる? 」

「あ、うん」

(…食事も普通にして大丈夫、って、桃太郎さんが言ってたし……。腐る前に取り出せば問題無いから次に桃太郎さんを訪ねた時に処置をしてくれる、って……)

「じゃあ、うがい手洗いしてくるね」

 母に断りを入れ、犬吠埼は浴室へ。洗い場に設置された小さな洗面台で手を洗いつつ、正面の鏡に目をやる。

 何てことない、いつもの自分の顔。桃太郎宅で目覚めてから、初めて見た。

(全然、変わり無いのにな……)

 自分は本当に死んでいるらしい、と、桃太郎宅からの帰り道に、2つのことを確かめてみて思った。

 1つは、呼吸をしていない。2つ目は、脈が無いこと。

 目は見えているし耳も聞こえてる。喋れるし、においも感じる。物に触れる感触もある。手足も、ちゃんと指先まで動く。

 それらと、どう違うんだろう?

 何故、呼吸と脈は無いんだろう?

 他のどこが動いていても、その2つがあることが基本のような気がするから。

 うがいも済ませ、台所へ戻ると、母が皿にハンバーグを盛りつけているところだった。

(…お母さん、僕、死んでるらしいんだ……)

 小学2年生の時に父が病気で亡くなって以降、女手ひとつで育ててくれた。頼れる親戚もいなくて大変だったはず……。

(僕がいなくなったら、お母さんは自由になれるけど、でも、きっと、すごく泣くんだろうな……。そんな気がする……。

 …それは、嫌だな……)

「手伝うよ」

 言って、茶碗に白飯をよそい始めた犬吠埼に、母、

「今日、お母さん、『行ってらっしゃい』って言いそびれちゃったでしょ? だから心配だったの。行ってらっしゃいは無事に帰って来れるおまじないの言葉だから」

(…そっか……。それなら『行ってきます』は、無事に帰って来るよ、っていう約束の言葉だな……。今朝は、言ってなかった……)

「だからね、『お帰り』って言えて嬉しかった」

(うん、僕も、『ただいま』が言えて、よかったよ……)



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