プロローグ「風だけが知っている」
50代半ばの男性神職と30歳前後の女性神職、それから未だ少年のあどけなさの残る若い神職に巫女姿の稚児が、質素な夕食を囲む。
穏やかに黙して、ただ食する。
不意に、女性神職がハッと顔を上げ、それまでの穏やかな表情から一転、険しい視線を東の縁側へと通ずる障子へと向けるや否や立ち上がり、若い神職と稚児の腕を掴んで引きずり強引に押入れへと押し込むと、しゃがんで2人と目の高さを合わせ、
「2人共、朝日が昇るまで、ここから出てはダメよ」
言ってから、若い神職へ向け、
「幸二、明日からはあなたが桃太郎を名乗りなさい。安寿のこと、お願いね」
そして稚児に、
「安寿、幸二の……叔父さんの言うことをよく聞いて、頑張って大きくなりなさい。生きていくと色々あるけれど、負けんじゃないわよ。歳が大きくなるにつれて楽に生きられるようになるから、心配いらないからね」
2人の目を交互に真っ直ぐに見つめる女性神職。腕を放して2人まとめて胸へと包み込み、
「大好き……」
最後にそう言い、名残を惜しむ眼差しを残して、押入れの襖を閉めた。
男性神職もゆっくりと立ち上がりつつ、障子のほうを向く。
女性神職が部屋の隅にあった大幣を手に男性神職の隣へと移動。
刹那、障子がスパンと音をたてて大きく開き、真夏の夜のなま温かい風がブワッと勢いよく吹き込む。
同時、男性神職の首が飛び転がった。
大幣を前方へ向けて構え、風の向こう側を見据える女性神職。
年の頃30代前半ほどの少し灰色がかって見えるくらいに白い肌をした和装の華奢な男が、市松人形のようななりの幼女を抱え、姿を現した。
吹き荒ぶ風に黒の短髪を洗わせる程度の影響しか受けず縁側に佇む男は、静かに、
「共に来い」
しっとりと色香を纏った声。甘やかな微笑みで女性神職を見つめる。
「誰が行くか! 」
鋭く返す女性神職。
「…そうか。残念だ……」
四散する女性神職の体。大幣だけが、その場にパタンと落ちた。
風が止む。
男は部屋の中へと進み、大幣を足でそっと除けて、ヨッコラショと小さく漏らしながら、その場に腰を下ろし、膝の上に幼女を落ち着かせた。
虚ろな表情で男性神職の頭部へと弱く手を伸ばす幼女。
「ああ、そっちじゃないよ」
言って、男は手近にあった女性神職の肉片を拾い、幼女の口元へ。
条件反射的にポカンと開いた口に含ませると、幼女の瞳に光が宿った。
散っていた肉片が宙を幼女の前へと集まって来、山となる。
男の胸にもたれ気味であった姿勢から身を起こし、幼女は両の手を使って自ら肉片を口へ。
…パキパキ……グチュグチュ……。
上品に、しかし没頭して。
男はその様子を、この上なく優しい面差しで見守る。
ややして手を止め、祈るような形に顔の前で合わせて、幼女は幸せの吐息。
「ごちそうさまかな? 」
男の問いかけにコクリ無言で頷く。
笑みで返した男は胸元からハンカチを取り出して、血液で汚れた口元を拭いてやり、何処から出したのかタッパーに食べ残しを丁寧に詰めて風呂敷で包むと、片腕に幼女を抱き、もう片の手に風呂敷包みをぶら下げ、またヨッコラショと漏らして立ち上がり回れ右。縁側の向こうの穏やかな闇へと消えた。
ごく細く細く開けた押入れの隙間から、若い神職は見ていた。
とてもではないが見てなどいられぬ惨劇の一部始終。
強い吐き気に襲われるも気づかれることを恐れて堪え息さえ殺してなお、視線だけは貼りついたように動かせなかったのだ。
稚児の目は自身の胸に押しつけることで塞ぐ。
……時間が、止まっているのか……?
否、確かに動いていた。
約束の朝日が昇る。
「…と、うさん……。…ねえ…さ…ん……」
ほぼ聞き取れない酷く掠れた低い声で呟きながら、フラフラと押入れから出る若い神職。
頭部と体の分離した男性神職の亡骸の転がる血溜まりに膝をつき、
「ぅあああああああああああああああああああああー!!! 」
障子が開け放たれたままの縁側から差す熱を持たない早朝の陽光に照らされ叫ぶ彼の髪は、精神的苦痛のため一夜のうちに真っ白になっていた。
*
「行ってきます」
通学のため徒歩で家を出た犬吠埼新一16歳・高校2年生。
自宅前の道路から近所の神社の側面に面した道に出たところで、時間に充分な余裕があるにもかかわらず、いっきに歩調を速める。
他に無いため仕方なく通行しているが出来れば避けたい道なのだ。
神門神社。
犬吠埼の肩の高さまで盛土され、その上に、まるで隠そうとするように高低の樹木が生い茂ってツル性の植物まで絡みつき、敷地内の様子が全くと言っていいほど分からない場所。
これが、犬吠埼を足早にさせる原因。
もともと邪教気味というか、どうも一般的な神社とは違う雰囲気を醸し出していて何をやっているか分からない、気味が悪いと付近の住民から敬遠されていた神社ではあったが、昔は今ほどではなかったと記憶している。
かつては木々の手入れもキチンとされ普通に陽も差し、境内の様子が見て取れる程度で、実際、親はあまり良い顔をしなかったが、幼い犬吠埼は幼稚園のお友達と、よくこの神社で遊んでいた。
変わったのは、5年ほど前の事件以降。
当時50代の神職の男性が何者かに惨殺され、同じく神職であった彼の娘が行方不明となっている事件。
警察は行方不明の娘が何らかの事情を知っているものとして捜査をしているらしいが、未解決のまま。
現在でも被害男性の親族が、この神社敷地内に暮らしていると噂に聞くが、少なくとも犬吠埼の周囲では、その姿を見掛けた人はいない。
(…殺されちゃったとか、気の毒だとは思うけど……)
犬吠埼は神社が視界に入らないよう、無意味に、5月上旬の爽やかな空を仰いだ。
(でも、やっぱ不気味なもんは不気味なんだよね……)