夏休みに傷だらけの少女を拾ったら実は天使で、その事に嫉妬した幼馴染が一瞬うざかったけどよく考えたら幼馴染の事が好きだと気付いて、でもその天使が同じ高校に入学してきてハーレムでも始まる予感がしてきた件
町に響く蝉の鳴き声。
ひと夏に悔いを残さぬように鳴く蝉の鳴き声が、今日はやけにはっきりと聞こえる。
昨日襲った台風も、かすかな爪あとを残して夜中のうちに熱帯低気圧へ変わってしまった。
台風一過、その名の通り今日は雲ひとつ無い晴天が頭上に広がっている。
「暑くて溶けちまいそうだ」
俺はダラダラと流れ落ちる汗を無視してつぶやく。
「人間が溶けるわけ無いでしょう」
隣で呆れたような呟きが聞こえる。
三原由香、中学からの付き合いで同じ高校に通い、同じテニス部に所属している。
付き合いと言っても、彼氏彼女の関係ではなくただの友達。いや、もはや親友といっても過言では無いかも知れない。
「知らないのか? 火に焼かれれば人間の皮膚だって溶けるんだ」
ペットボトルに入ったスポーツ飲料を一口飲む。
「そんな生々しい事言うんじゃないわよ」
そういって俺の後頭部を軽くはたいてくる。
「ぶっっ!!」
スポーツ飲料を飲んでいた俺は、その拍子に噴出しそうになった。
「じゃあ、私これからバイトだから」
「あぁ、気が向いたら冷やかしに行ってやる」
住宅街の分かれ道で由香とは別の道を歩き出す。
お互いの家も近い事から、良く一緒に学校へ行ったり、今日みたいに部活の後に一緒に帰ったりしている。
それは夏休みの今も例外ではない。
額の汗を拭い、空を見上げた刹那――
目の前が白く明滅した。
「あれ? ……暑さにやられちまったか?」
目頭を押さえながら目を閉じる。しかしそれはすぐに治まった。
目を開け、天を仰いだ瞬間何かが落ちてきた。
それはゆっくり風に舞いながら落下してくる。
夏の風とダンスを楽しむように、優雅に舞いながら落ちてきたそれは、目の前に落下した。
「羽?」
俺はそれを拾い上げる。
一枚の羽。白ではなく漆黒の羽。
カラスの羽、それとは明らかに違う形をしている。
漆黒、本来は禍々しいはずの色なのになぜだか惹かれる。
俺は、羽を傷つけないようにそっと制服のポケットにしまった。
◆◆◆
俺は幾度となくコンビニに立ち寄って涼もうかと考えたが、足早に家を目指していた。
今は、とにかくシャワーを浴びて汗を洗い流したかったからだ。
家の前に到着すると、俺は思わず立ち止まった。
俺の家は、二階建ての何の変哲も無い一軒家。その玄関先に少女が座り込んでいるのだ。
白いワンピースを着ているものの、裸足の足は傷だらけだ。いや、足だけではなく腕なども傷を負っており服も所どころ破けている。
「……助けて」
その少女は俺と目が合うとそう言葉を発した。震えながら、消え入りそうな程か細い声で。
俺は狼狽した。この少女は何者なのか、その身に何が起こったのか、俺はどうすれば良いのか。
頭の中がひどく混乱していた。
そうだ、警察に……そこで考えをストップする。
俺の家の前には傷だらけの少女、この状況で警察を呼んでも、俺が怪しまれるだけじゃ無いのか?
それに今は傷の手当のほうが先決かも知れない、警察を呼ぶのはそれからでも遅くは無いだろう。
夏のこの暑い中、傷をほおっておいたら化膿しかねないから。
「立てる?」
俺は少女に近寄り手を差し伸べる。少女は恐る恐る手を伸ばし俺の腕を掴んだ。
「今、傷の手当してやるからな」
そういって彼女の腕を引っ張り立たせる。そして彼女を連れ、家の中に入った。
◆◆◆
夏休み中、家には俺以外誰もいない。別に家族がいないわけではない。親父と母親と俺、俗に言う核家族というやつだ。
けれど、親父は北海道に単身赴任している。そして、母親は俺が夏休みの間だけ親父の元へ行っているのだ。
傷だらけの彼女をリビングのソファに座らせ、氷をコップ満杯に入れた麦茶を目の前のテーブルに置く。
「とりあえずこれ飲んで落ち着きなよ」
家の中は外にもまして暑かった。出かけてる間は窓も閉め切っているので、まるでサウナ状態だ。
エアコンのスイッチを入れ、設定温度を最低にあわせる。すぐにエアコンは、唸り声とともに埃っぽい風を吐き出した。
リモコンをそこら辺におき、救急箱を探す。
救急箱はすぐに見つかった。それを持ってソファに座る少女に駆け寄る。
ふとテーブルを見ると、麦茶は出した時のままだった。
救急箱から消毒液とガーゼを取り出す。
「ちょっと染みるからね」
そういって傷口に消毒液を吹きかけ、ガーゼで優しくふき取る。
しかし、彼女は顔色一つ変えなかった。
「俺は、石川雅人。君の名前は?」
消毒を続けながら彼女にたずねる。
「……沙良」
彼女はポツリと言った。
「沙良……ちゃんか、年はいくつなんだ? ちなみに俺は17だけど」
年を言いたくないのか沙良は黙っている。
「あ、女性に年齢聞くのは失礼だったよね、ごめん」
そう言って俺は苦笑いをした。由香曰く俺はデリカシーが無いらしい。以前、女性に対して安易に年齢と体重の話をするなと説教された事を思い出した。
「……わからない」
「え?」
「何もかもわからないの」
その言葉に俺は耳を疑った。
何もかも分からないとはどういうことだろうか。
「住んでる場所も、どこから来たのかとか何もかも?」
沙良は黙って頷いた。
記憶喪失、その言葉が俺の脳裏をよぎった。
ひと段落したら警察に電話しようと思っていたが、記憶喪失ならなお更警察には行けないな。
やはりここは病院へ行くべきだろうか? しかし彼女の保険証もなければ、治療費を払えるほどのお金も無い。
夏休みを不自由なく過ごせるようにと、親からはいくばくかの小遣いを貰っているが恐らく足らないだろう。
あれこれと考えながら俺は手を動かし続けた。小さい傷は消毒のみで、多少大きな傷はガーゼで傷口を覆った。
「怪我してるのは足と腕だけか? 他は平気か?」
俺がそう尋ねると沙良は首を縦に振った。
「……ありがとう」
今まで緊張で張り詰めていた顔が少し緩んだ気がした。
そこで初めて沙良はテーブルに置いてある麦茶に手を付けた。
「なぁ、記憶が戻るまでここにいても良いぞ? まぁ他に行くあてが無ければだけど」
俺は恐る恐る口にした。
「……良いんですか? あたしがいたら迷惑じゃ?」
「いや、今のところこの家には俺しかいないから平気だよ」
そう、両親は今北海道にいる。
「……ありがとうございます」
そういって彼女は頬を赤らめながら俯いた。
「まぁ夏休みが終わるまでには記憶は戻るでしょ。部屋は俺の部屋使って良いからな」
彼女を元気づけようと俺は明るく言った。
まだ夏休みは始まったばかりだ。記憶をとりもどす時間はタップリある。
俺は忘れかけていた事を思い出し、浴室へ向かう。
◆◆◆
シャワーを済まし、いつもならバスタオル1枚を腰に巻いて部屋へ戻るのだが、今は沙良がいるので洗面所で私服に着替えた。
洗面所のドアを開き、頭を拭きながらリビングへ向かう。
その時、リビングの前で立ち尽くす人物が目に入った。
この状況はヤバイ。リビングには沙良がいて、そして俺は風呂上り、明らかに行為前だと思われても仕方ない状況だ。
向こうは俺に気づき、顔だけをこちらに向けた。
「私は、お邪魔だったかしら?」
コンビニの袋を持った由香が皮肉一杯の言葉をぶつけてきた。
「いや、それはお前の勘違いだ。ってかバイトはどうしたんだ?」
俺はなるべく平静を装おうように努めた。
「バイトはね、今日は人が多いから急遽休みになったの」
そう言って、軽くコンビニの袋を軽く上げる。
夏休み中は1人暮らし同然の俺を想ってか、由香は時々家に夕飯を作りに来てくれたり、賞味期限切れの弁当などを持ってきてくれていた。
恐らく今日もそうなのだろう。しかし、タイミングが悪すぎた。
「とにかくまず話を聞いてくれ、お前なら分かってくれるはずだ」
とにかく誤解を解こうと試み、俺は由香に近づいた。ふとリビングに目をやると、沙良はソファで気持ち良さそうに寝ていた。
「まぁ、あんたも年頃の男だからね、女の1人や2人いてもおかしく無いわよね」
「あの子は俺の彼女じゃ無い。ていうか、俺に女がいないのはお前も知っているだろう? しかも2人はまずだろ」
「あんた、ああいう子が趣味なんだ。へぇ~私の知らない間に作るなんてなかなかやるじゃん」
だめだ、俺の話をちっとも聞こうとしていない。
「信じられないかも知れないが、俺の話を聞いてくれ」
そう言って俺はこうなったいきさつを話した。
「ふ~ん、傷の手当をね。んで、しばらくここにいさせるって? あんたのお人よしには呆れたわ」
由香は何とか信じてくれたようだった。流石は俺の親友、と心の中だけで思っていた。
その時、沙良が目を覚まし体を起こした。
そしてこちらを見てキョトンとしている。無理も無いか、起きたらいきなり知らない女が目の前にいるわけだからな。
「おはよう、沙良さん。私は三原由香。話はこっちのバカから全部聞いてるわ」
「は、はじめまして」
一瞬と惑った沙良だったが、そういって由香にお辞儀をした。
というかバカは無いだろバカは。
「そうだ、由香。お前の服を沙良に貸してやってくれないか?」
沙良のワンピースは所々破けていて、そのままではあまりにも可哀想だった。
「あんた、私とこの子じゃ背が違いすぎるでしょう? サイズが合わないに決まってるじゃ無い」
由香が呆れたように言い放つ。
由香の身長は170センチ程でスタイルはかなり良い。もててもおかしくは無いのだが、少しきつめの顔と男勝りな性格からか、男より女からモテているようだった。
逆に沙良の身長は160センチあるかないかぐらいで、童顔とまでは行かないが可愛らしい顔つきをしている。年齢的には1個か2個下ぐらいだろうか。
「まぁ、何とか探してみるわ」
由香はしぶしぶと言った表情で俺の家を出て行った。
程なくして、由香は紙袋を1つ持って帰ってきた。
「こんなものしかなかったけど我慢してね」
そういって由香が取り出したものは、濃いめのジーンズ一本と、黒地に白い髑髏がプリントされたTシャツだった。
「お前、もっと女の子っぽいの無いのかよ?」
「あんた、私が女じゃ無いって言いたいわけ?」
そういって由香が俺をにらみつけて来た。こいつは怒らすと手に負えないからな。
「いや、そういうわけじゃ無いけど。コレは沙良っぽくないだろうが」
「仕方ないでしょ。サイズが小さいのコレしかなかったんだから」
俺と由香のやり取りが面白かったのか、沙良がくすくすと笑っていた。
その時、沙良の笑顔を始めて見たような気がした。
◆◆◆
沙良は洗面所で着替えを済ませ、リビングへ戻ってきた。
「ああ、サイズぴったしじゃ無い。よかった。私はもうそれ着れないから、あなたにあげるわ」
そう言った由香は安堵の顔を見せた。
可愛らしい顔とは不釣合いな髑髏のTシャツ。けど、その不釣合いさが逆に似合っているように思えた。
「それより、お腹空いてるでしょう?」
そう言ってソファに座った沙良の前に弁当を1個差し出す。
「あ……。何から何まで、ありがとうございます」
沙良は本当に申し訳無さそうにお辞儀をした。
「いや、気にしなくて良いよ」
俺は自然とその言葉を発していた。
「あんたはほとんど何もして無いでしょ」
と、するどいツッコミが帰ってきた。
それを見て沙良がまたクスクスを笑っていた。俺はなぜだかその笑顔をみてほっとした。
こうして、俺の家には可愛らしい住人が一人増えた。これからはあまり淋しい思いをしないですむだろう、その時はそう思っていた。
沙良が記憶をとりもどし、ここから去っていくということをすっかり忘れていた。
◆◆◆
彼女が来て、もう二週間がたとうとしていた。あれから何も変わらず、彼女の記憶は戻らなかった。
しかし、意外にも彼女は家庭的で、料理は上手いし、掃除、洗濯など家事全般をこなしてくれていた。
俺は別にそんなことしなくて良いと言ったが、お世話なっている御礼だ、とまるで聞き入れなかった。
しかし、そんな中でも確実に変化したものがあった。それは俺の沙良に対する思いである。
この2週間で俺は彼女に恋をしていた。今まで、ここまで人を好きになったことは無いぐらいに惹かれていた。
「あんた、あの子が来てから変わったよね」
部活の最中に由香が話しかけて来た。
「変わった? どこが?」
唐突に変わったと言われても自分ではどこが変わったか全く分からない。
「なんとなくよ。最近ぼーっとしてる事が多いしね」
「それは夏の暑さにやられてるだけだ」
俺は嘘を言っていた。確かにぼーっとしていることが多いかも知れない。沙良のことを考えている時だ。
「そうそう、知ってる? 鈴村先輩、事故に遭ったらしいよ。右足骨折だってさ」
由香は話題を変えるように言った。
鈴村直樹、この話の超脇役、どうでもいいキャラ……というのはおいといて、1学年上でテニス部の先輩、そして部活の皆からの嫌われ者だ。
性格は悪くて、女子に対して異様なまでにひいきをする男。由香に対しても例外ではない。
そして、由香と仲の良い俺に対して嫉妬があるのか。ものすごい目の仇にされている。
「皆喜んでるんだろ?」
俺も喜んでいる人物の1人だ。人の事故を喜ぶのは不謹慎だとは分かっているけど、彼のやってきた行動を思えば天罰ともいえる。
「そうねぇ、私も結構付きまとわれてたからね」
3年生は夏の大会を最後に部活を引退するが、鈴村のテニスの腕は上手くないので元々試合には出ない。
だから、彼が事故って怪我をしても、部には何の影響も無いのだ。さすが超脇役。
その日は久しぶりに心から部活を楽しめた気がした。
そして、部活が終わり帰路に着く。
沙良が家に来てからは由香と一緒に帰らず、俺は急いで帰宅していた。少しでも多く沙良と一緒にいたいからだ。
家に着くと、俺は鞄を廊下に投げ出し汗を洗い流すべく洗面所のドアを開けた。
「きゃあ!」
その声に俺は一瞬固まる。先客万来…混乱のあまり言葉を間違えてしまう。
「ご、ごめん!」
俺はそういってあわててドアを閉めた。
やってしまった、心臓が早鐘を打つように鼓動している。
ドアの向こうにはバスタオルを巻いた沙良がいた。髪は濡れていたから恐らく上がったばかりなのだろう。
しかし、何か不自然な場所が有った気がしたが、突然の事だったので恐らくは見間違いだろう。
俺は平静をとりもどすためにリビングのソファに座り麦茶を飲んでいた。
しばらくすると着替えを終えた沙良がやってきた。漆黒の髪がまだほのかに濡れている。
「さっきはごめん。まさか入ってるとは思わなかったんだ」
俺はすかさず謝った。
「ううん、あたしの方こそごめんなさい。まさかこんな早く雅人君が帰ってくるなんて思わなかったから」
そりゃそうだ、いつもは昼過ぎまで部活はあるが、今日は台風が近づいているため昼前に終わり、どこにも寄らず急いで帰ってきたのだから。
なんとなくその場が気まずかったので、俺はシャワーを浴びるために浴室へと向かった。
ふと足元を見ると、いつか見た羽が落ちていた。どうやら以前ポケットに入れたものが落ちたらしい。俺はもう一度その羽を制服のポケットにしまった。
シャワーそ浴び終わり、私服を持って来るのを忘れていたので、制服をもう一度着る。
バスタオルで髪を拭きながらリビングに行くと、由香がちゃっかりとソファに腰を下ろしていた。
「おっす、お邪魔様」
どういしていつもこいつは俺の風呂上りにいるのだろうか。それはともかくとして、俺と沙良の邪魔をしに来たのだろうか。
「やっぱり、本当にお邪魔かしら?」
俺のその思いが、どうやら顔に出てしまっていたみたいだ。
「いや、そんなことは無いよ」
そんなことなくは無いが、はっきり邪魔だなんて邪険には扱えない。
「ならよかった」
そういって由香は笑って見せた。笑ってる顔は可愛いんだけどな、本当にそう思う。
性格さえ直せば良い感じになるのに。沙良を見習ってほしいもんだ。
その沙良はというと、キッチンで昼食の準備をしているらしい。
「なんか、あたしの出番は無くなっちゃったみたいね」
残念そうに由香がつぶやいた。
沙良が料理をするようになってからというもの、由香はコンビニ弁当を持ってこなくなった。
由香は沙良ほどではないがそれなりに料理も上手く、たまに夕飯などを作りに来てくれたりもしていた。
今では沙良が全てやってくれているため、由香は確かに出番がなくなっていた。
「そうだな」
あまりにも素っ気無い、あまりにも冷たい言葉を俺は発していた。
「雅人にとって、私って何だったのかな?」
俺は黙っている。いつの間にか上陸した台風が猛威を振るい始め、風が窓を激しく叩いていた。
「あんた、あの子の事、好きなんでしょ?」
「ああ」
俺は否定せずに頷いた。由香なら理解してくれるだろう、そう思って。
「でもあの子、いずれはいなくなるのよ? それを忘れたわけじゃないわよね?」
そう、決して忘れたわけではない、その事をずっと考えないようにしていただけだ。
今の生活が幸せすぎて、彼女が記憶をとりもどし、この家を去るなんてことは考えたくなかった。
「分かってるよ、だけど彼女の記憶が戻ろうが戻りまいが、俺は沙良と一緒にいる」
そう、例えどんな事が起ころうとも俺は沙良と一緒にいると心から決めていた。
「やっぱりあんたおかしいよ、ねぇしっかりと現実を見てよ」
どうしてこいつはこんな事を言う?
「うるさい! そんなの俺の勝手だろう! 大体お前は俺のなんなんだ! 頼んでもいないのに勝手に世話焼きやがって! お前がいなくなれよ!」
俺は立ち上がり由香を怒鳴りつけていた。由香なら俺の気持ちを分かってくれると思ったのに、応援してくれると思ってたのに。
その時左の頬に鋭い衝撃が走った。瞳に涙を浮かべた由香が俺を平手打ちしたのだ。
「あんたなんか死んじゃえ!」
そういって由香は、台風で荒れ狂う外へ走り出て行った。
なぜ俺はあんなことを言ってしまったのだろうか。
呆然と立ち尽くしている俺の横を沙良が走り抜けて行き、由香の後を追っていった。
「あっ、おい! 沙良」
俺もあわてて後を追っかける。急いで靴を履き、傘を持たずに外へ飛び出た。
あたりを見回したが2人の姿はもう見えなかった。
「くそ! 一体どこへ行ったんだ!」
台風の勢いは凄まじく、横殴りに降る雨が肌を激しく叩きつける。気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな風の中を駆け抜け2人の姿を探す。
町中を駆け回りひたすらに探した。途中由香の家も訪ねたがまだ帰ってきていない、とのことだった。
半ば諦めかけて公園のベンチに腰掛ける。そのまま目を閉じ天を仰ぐ。遠くで雷の轟が聞こえていた。
もう、雨に濡れる事に何の抵抗も無かった。むしろ雨に濡れるのが気持ち良いぐらいだった。
その時遠くで悲鳴が聞こえた。台風の音にかき消されそうだったがかろうじて聞こえた悲鳴。気を緩めていたら聞こえなかったかも知れない。
恐らく声の聞こえた方向は公園の上にある神社からだろう。
俺は急いで神社へ向かった。
神社に着き、あたりを見回すが人の姿は見当たらない。
しかし、社の裏手にある小さな崖を見下ろした瞬間人の姿が目に入った。
恐らく足を滑らせて下に落ちたのであろう、うっそうと茂る杉の木に引っかかる様に倒れている。
「沙良!」
俺はそう叫んで崖を駆け下りる。
しかし、そこに倒れていたのは沙良では無かった。
「おい! 由香、大丈夫か」
由香はぐったりとしていた。しかし額から少し出血している以外、見たところ目立った外傷は無かった。
「今助けてやるからな」
そういって由香を肩に担ごうとした時、由香が握り締めているものが目に入った。
それはどこかで見たことの有るものだった。
「黒い羽が、どうしてここに?」
あわてて制服のポケットを探る。そこから出てきたのは、2枚の黒い羽だった。
「そんな、まさか、嘘だろ?」
あの時見たものは幻や見間違いでは無かったのか。
そして俺は、気を失ったままの由香を担いで自宅へ向かった。
◆◆◆
自宅に着くとまず由香をソファに寝かせ、怪我の手当てをしてやる。そして、濡れた衣服を脱がそうとするが躊躇する。
「親友といっても女だからな」
しかしこのままでは明らかに体に良くない、とりあえず上着だけを脱がしバスタオルで体を拭いてやる。
「目が覚めたら、たぶん殺されるだろうな」
思わず苦笑いを浮かべてしまう。恐らくパンチの1発や2発では済まされないだろう。
そして、着せてやるTシャツを取りに自分の部屋へ向かう。
部屋のドアを開けると、そこには沙良がポツリと佇んでいた。
ずぶ濡れのままぼんやりと窓の外を眺めている。
「沙良帰ってたのか、良かった」
俺は胸を撫で下ろした。
沙良はゆっくりと振り向いた。その濡れた漆黒の髪がとても美しい。
「あなたは、あたしとあの人、どっちが好き?」
沙良は静かに聞いてきた。
「え?」
あの人とは由香のことだろうか。一瞬その質問に戸惑ったが、俺の中では答えはもう決まっている。
「沙良に決まっているだろ」
「じゃあ、なぜあの人を助けたの?」
やはり由香を突き落としたのは沙良なのだろうか。いや、助けようとしたが助けられなかったに違いない。
「それは、アイツも大切な人だから」
そう、かけがえの無い友なのだから。
「でも、あなたはあの人に消えて欲しいと言った。そして、あの人はあなたを傷つけた」
「それは、ついカッとなって言ってしまっただけだ。なんであんなことを言ったのか、自分でもわからないんだ」
そう、アレは全部が本心ではない。確かに沙良との間を邪魔して欲しくは無かったが、この世から消えて欲しいなんてことは無い。
「あたしは、あなたの事が好き。だから、あなたを苦しめる物を全て消してしまいたいと思った」
なんだって。
「じゃあ鈴村の件も沙良が?」
「そうよ」
沙良は短くそう答えた。俺はいつか、沙良に鈴村の愚痴を言ったのを思い出した。
「なんで、そんなことを?」
わざわざ自分の手を汚す事はしなくて良いのに。
「それは、あなたを幸せにしたいからよ」
沙良の目は本気だった。本当に俺の幸せを願っているのだろう。
「そんなことをしなくても、俺は沙良といるだけで幸せだ」
「あたしは幸せじゃ無いわ、あなたをあたしだけのものにしたいもの」
その言葉を聞いて俺はぞっとした。俺を自分だけのものにするだと。
「じゃあ、どうしたら君を幸せに出来るんだ? 俺はただ君と一緒にいたいだけなのに」
「それは諦めた方がいい」
突然背後で低い男の声がした。
ふためいて振り向くと、そこにはスーツを着込み、サングラスをかけた男が3人立っていた。
肌は透き通るように白く、外の豪雨にも関わらず一切濡れていない。
そして、ひときわ目を引いたのが彼らの背中にあるものだった。
人間には決して無いもの、純白の翼だ。
「やっと見つけたぞ、ナンバー1254。お前を連行する」
そういって男は1切れの紙をとりだした。
何を言っているんだこいつは、沙良を連行するだと?
「待てよ! 沙良が一体何をしたんだっていうんだ。それに何者なんだよあんたらは」
俺は男の前に立ちはだかる。
「われわれは天上に住む民、地上の民が天使と呼ぶ存在だ」
天使だと? 本当にそんなものが存在したなんて、てっきり神話の作り話とばかり思っていた。
「その天使が沙良に何のようだよ」
「彼女は天上界の民、そして犯罪者なのだ。だから邪魔をしないで貰おうか」
そういって沙良に近づこうとするが俺は食い下がった。
「彼女は犯罪なんて犯さない! それに今は記憶を失っているんだ」
その時けたたましい音の雷が鳴った。それと同時に後ろで「きゃあ」という小さな悲鳴が聞こえた。
俺は沙良の方を振り向いた。沙良の背中には、いつか見間違いだと思ったものがあった。
漆黒の翼だ。
漆黒の翼を纏った沙良は、今までのあどけなさの残る表情ではなく、どこか妖艶な雰囲気を感じさせた。
美しい、心の底からそう思った。
「見ろ、あの翼が何よりの証拠だ」
男は俺を納得させるべく言った。でも、なぜアレが証拠なのだろうか。
「われわれ天上の民の翼は白いものだ。しかし罪を犯したものの翼は、罪を重ねるたびに黒く染まってゆくのだ。そして、その黒い翼は人の心を惑わせるのだ」
男はまるで俺の心の声を読んだかのごとく答えた。
「だからって、何の罪を犯したんだよ!」
俺はまだ沙良が犯罪者なんて信じられない。そもそも天上界では罪を犯したのかも知れないが、こっちでは罪は犯してないじゃないか。
男はやれやれという風に頭を振った。
「われわれ天上の民の主な仕事は、天寿を全うした者の魂を天界へ送り届けることだ。無論、地上の民に対して特別な感情を抱いてはいけないし、抱く事もほとんど無い。しかし、彼女は罪の無い民の命を奪い、そして1人の青年を天使化させようとした」
話が飛躍しすぎていて上手く理解できない。
「天上の民は基本的に死ぬ事は無い、そのため人数を定めているのだ。しかし、たまに法を犯して浄化される民が現れる、その時に初めて新たな天使が誕生するわけなのだ。
しかし、誰でも良いというわけではない。大天使様が認めた、心の清いものの魂が天使となるのだ。だから、一介の天使が地上の民を勝手に天使化させるのは罪になるのだ。それに、君も知っているだろう、彼女が君の友人の命を奪おうとした事を」
由香のことが一瞬頭をよぎる。まさか、本当に沙良は由香を殺そうとしたのか。
「彼女は自分の欲の為に、たぶらかした青年の家族の命を奪い。そして、青年自信の命を奪った。資格の無いものを無理に天使化させようとすれば、命を落すと分かっておきながらな」
俺はとてもその言葉を信じる気にはなれなかった。
「嘘だろ? 沙良」
恐る恐る彼女を見ると彼女は静かに首を横に振った。
「いえ、本当よ」
彼女の瞳は虚空を見つめている。その瞳はとても悲しげだった。
全ての記憶をとりもどしたのだろうか。
「あたしは彼を愛していたわ。いけないことだと分かっていながらね。そして、彼もまたあたしを愛していた。普通天使は、地上の民の目に触れないように姿を隠しているの。けど彼には見えていた、死期が近かったからね。そして、普通ならあたしたちの存在を怖れたり、認めない人達ばかりなのに、彼はあたしを受け入れてくれた」
沙良はまるで遠い昔話のように話している。そして俺は少しその彼に嫉妬していた。
「そして、彼と話すたび触れ合うたびにどんどん惹かれて行ったの。彼はもう、地上には未練は無いと言っていた。死んであたしと一緒になるって言ってくれたのよ。けど普通に死んだだけでは一緒になれない。だから天使化の話をしたの。そしたら彼は、自分も天使になるって言ったわ」
「だからって、周りの人を殺す事なんて無いじゃ無いか」
そうだ、周りの人は関係ない。
「いいえ、関係あるわ。彼が死ねば周りの人が悲しむ、彼はそれを嫌がっていたの。だから、彼に嫌な思いをさせたくないから殺したのよ。そして、彼はあたしの羽を自分の胸に突き刺して天使化した」
「その彼はどうなったんだ?」
どうしてもその彼のことが気になる。
「さっきも聞いたでしょう、彼は一度天使になったけれど、資格が無かったから死んでしまったの。そして、あたしの行動が特務機関にばれて追われる身になった。それで、逃げてる途中に雷に打たれたのよ。丁度あなたと出会う一日前にね」
だからあんな傷を負って俺の家の前にいたのか。俺と沙良が出会う前は、今日みたいな台風が上陸していた。
「それで記憶を失ったのか」
俺はつぶやいた。
「そう。そしてあなたはあたしにすごく優しくしてくれた。今度はあなたを愛し始めてしまった」
「だから、前と同じように鈴村や由香を殺そうとしたのか?」
「ええ、だけど薄々気づいていたのよ、あなたが本当に好きなのは誰かって、だから殺せなかったわ」
俺はその悲しそうな瞳に吸い込まれそうになる。抱きしめたい、そんな感情が湧き上がる。
スーツの天使達は成り行きを静かに眺めている。
「俺が好きなのは沙良だ」
一遍の迷いも無く言う。
「違うわ、あなたは自分の本当の気持ちに気づいてないだけ」
だが、そう言われるとなぜか自信をなくしてくる。
「だからあの人たちを殺せなかった、あなたに幸せになって欲しいから」
「俺は沙良がいないと幸せじゃ無いんだ」
「そうね、でもあの人とあたしがいるから幸せなのよ」
「違う、俺は。俺は沙良のためなら死ねる! だから、天使になってやる」
俺はそう言って漆黒の羽を取り出し胸に突き刺そうとする。
その瞬間、顔に激しい衝撃が走った。俺の体は床に叩きつけられる。
どうやら俺は顔を殴られたらしい。体を起こし、自分を殴った相手を確かめる。
そこには由香が立っていた。上半身は下着姿のままだ。
「目を覚ましなさいよ、このバカ! 何が沙良のためなら死ねるよ。少しは残された方の気持ちも考えなさいよね!」
俺はあっけに取られながら由香を見ていた。
「死んだら何にもなくなるのよ、それが幸せなはず無いじゃ無い」
その声は少し震えていた。
「それにこの女は人殺しなのよ、自分のエゴだけで罪の無い人を殺したの。そんな人といたって幸せになれるはずが無いじゃ無い」
確かに罪の無い人を殺したのは事実かも知れない。しかし、俺には沙良を攻める事は出来ない。
それは一途な愛が歪んでしまったものだから。恐らく俺も、沙良を苦しめる奴がいたら消してしまいたくなるだろう。
でも、それは決してしてはいけない事で、ましてや自分が死んでしまったら、2度と由香や両親に会えなくなってしまう。
「そうだよな、人は生きててこそ意味があるんだよな」
由香は全ての話を聞いていたのだろうか。
「やっと目を覚ましたのね。ったく本当あんたは私がいなきゃダメなんだから」
確かに、由香のいない生活など考えられない。思い返してみれば、いつも俺の傍には由香がいた。
「さて、そろそろいいか」
今まで状況を静観していたスーツの天使の一人がそう言うと、後ろに立っていた2人の天使が沙良に近づき、沙良の手首に光る輪を取り付けた。
沙良は抵抗する様子は無かった。
「沙良をどうする気だ」
俺は立ち上がり、リーダー格の天使に近づく。
「彼女はこれから魂を浄化され、罪を償ってもらう。連れて行け」
リーダ格の天使がそういうと、沙良を拘束している天使達がうなづいた。
天使たちの姿がどんどん透けていく。呆然とその姿を眺めていると、気づいた時には見えなくなっていた。
「ありがとう」
去り際に沙良が残した、たった一言の言葉。その言葉の中に、どれだけの思いが詰め込まれているのだろうか。
「ちゃんと生きて、それから天使になろう」
俺はそうつぶやいていた。
「あんたねぇ~」
その言葉に振り向くと、由香は指を鳴らしながら近づいてくる。
「おいおい、冗談だって」
思わず俺は否定する、これ以上殴られたくない。
「さて、君達には今日の事は忘れてもらおう。後々面倒な事になるのでな」
1人残っていた天使の男はそう言うと、手のひらに光の玉を作り出した。
それを見た瞬間、意識が遠のいていった。
◆◆◆
目を覚ますと俺は、自分の部屋の床に寝ていた。
ずっと変な夢を見ていたような気分だった。
そしてふと隣を見ると、そこには由香が寝ていた。
なぜか上半身が下着姿だ。
「何だ? この状況は」
俺は頭が混乱する。
俺はこいつに何かしたのか? いや、むしろされたのだろうか?
酔った勢いで? しかし、酒を飲んだ痕跡も記憶も無い。そもそも未成年だし。
思い出そうとしても、まるで頭の中が空っぽの様に何も思い出せない。
「う~ん」
俺があれこれ考えているうちに由香が目を覚ました。
「やぁ、おはよう」
俺はあくまでも平静を装い声をかける。頭の中ではかなりの汗を流している。
「あれ? なんで私ここにいるの?」
そういって俺の部屋をキョロキョロと見回す。
俺はというと、かなりの命の危険を感じていた。昔、イタズラでスカートめくりを1回だけしたことが有るが、そのときは半殺しの刑にあった。今回はその程度では済まされないだろう。
「ん?」
その時とうとう由香は気づいてしまった。自分の上半身が下着姿である事に。
俺をにらみつけた瞬間、コブシが飛んで来た。
「この、変態!」
俺は避けきれずにそのコブシをもろにもらう。その強烈な勢いに、俺は壁際まで飛ばされる。
「いてぇ。ってちょっと待て、誤解だって」
片方の腕で胸元を隠しながら近づいてくる由香を制止する。
「この状況で何が誤解だって言うのよ!」
由香は顔を赤らめほんの少し涙ぐんでいるようにも思える。
「目を覚ましたら、お前がその姿でいたんだって」
「変なことしてないでしょうね」
「してないしてない」
俺はなるべく由香の姿を見ないように努めた。
「本当に?」
由香はまだ疑っている。
「本当だってば」
お前に欲情するはずないだろう、と言いかけたがその言葉は飲み込んだ。
言ったら更にひどい目にあいそうだし、体はとても正直だったからだ。
「まぁ、あんたならいっか」
小さくつぶやいた言葉は俺には良く聞こえなかった。
「何か言ったか?」
俺がそう聞き返すと急に頬を赤らめた。
「何でも無いわよ! とにかく出てって!」
そう言われ、俺は追われる様に部屋を出た。
なんで自分の部屋なのに、出て行けと言われなければならないのだろうか。
◆◆◆
そして、俺たちは友達以上恋人未満という微妙な関係のまま高校生活3年目を迎えていた。
「さて、今日も頑張るか」
部室でテニスウェアに着替えコートに向かう。
「今年は新入部員はどれくらいくるのかしらね」
コートで準備運動をしていると、由香が話しかけてきた。
「さぁ、今年も少ないんじゃないか」
俺の高校のテニス部は、部員数が少なく練習はいつも男女合同で行っている。
ほとんどの生徒は帰宅部で、残りはサッカー部バスケ部に入部しているのがほとんどだ。
今日び部活に汗を流し、青春を謳歌しようという若者は少なくなってしまったのだろうか。
「あの~~、すみません」
その言葉に振り向くと、すぐ傍に女子生徒が立っていた。
「入部……したいんですけど」
そういって手渡してきた入部届けに書かれた名前を見る。
1年C組 神代沙良
そして、もう一度彼女を見る。雪のように白い肌、それとは対照的な、肩まで伸びた漆黒色の髪。
いつか夢で見たことのあるような少女にそっくりだった。
俺はなぜだか、残りの高校生活がとても騒がしいものになるだろうと想像していた。
かなり昔に書いた短編です。
タイトルはむしゃくしゃしてやった。反省はしていない。
いい大人が少女を家に連れこんだら犯罪になってしまいますので、くれぐれも真似をしないようにお願いします。
罪の償い方は、人間界におり清い人生を送る事。そのため沙良は再び主人公たちの前に現れました。
果たして沙良にも以前の記憶があるのか無いのか。
ツンデレVSヤンデレの頂上決戦が始まりそうな予感がしますね。
きっと主人公はヘタレです。