前だけを見て
いつもありがとうございます!
今回はセアラ視点の話です
目を覚ました私は何もない真っ白な空間に立っていた。いや、立っていたという表現が正しいのかさえ分からない。足元を見ても地面があるわけではないし、遥か先まで見渡しても白い空間があるばかり。
あの時、私はみんなを守るために禁術に手を出した。それは自分の魂を贄にして魔力を得る方法。それは術者の命を確実に奪う方法。つまり私はあのとき死んだはず。だとするとここは、
「あ、起きた?」
「ひゃあっ!?」
ふいに後ろから声をかけられて間の抜けた声が出てしまう。
「あ、あなたは?それに……もしかしてここって死後の世界?」
私の目の前に立っているのはシルと同い年くらいの男の子。金髪で、私と同じ瑠璃色の瞳。それに……どことなくアルさんの面影を感じる。
「似たようなものだけど、正確に言うとその一歩手前。平たく言えば、精神世界っていうことになるかな」
誰かと言う問いには答えずに、場所の説明をしてくれる男の子。いつも素直で可愛らしいシルと違って、大人っぽい印象がする。
「じゃあ私はまだ死んでいないっていうことなの?」
「うん、そうだよ。でもここから先に行くと、本当に死んじゃうから気を付けてね」
男の子がそう言うや否や、彼の後ろに幅五メートルほどの小川とそれに架かる木製の橋が現れ、男の子は一切の躊躇無くそれを渡ろうとする。
「ま、待って!それを渡ったら死んじゃうんでしょ?」
「うん、そうだよ。でも僕が渡らないとお母さんが死んじゃうから」
「え……?」
私は一瞬で血の気が引いていくような感覚を覚える。聞き間違いなんかじゃない。今この子は確かに私を見てお母さんと言った。
「…………じゃあ……あなたは……私とアルさんの息子、なの?」
「……うん。あの時、僕はお母さんのお腹の中にいたんだよ」
突如突きつけられた言葉が私の胸を抉る。この子が言っていることが真実なら、自分の魂を犠牲にするつもりが、まだ産まれてもいないこの子を犠牲にしたということになる。
胸が痛い、苦しい、涙が溢れて止まらない。私は知らないうちに息子を手にかけていた。殺したんだ……
「あ……あ……ごめん、なさい……許してなんて……言えないけど……ごめんなさい……」
まともに目を合わせることが出来ず、俯いて、膝をつき謝罪を繰り返す私の頭を、彼がそっと抱き締めてくれる。その確かな温もりはここが現実世界じゃないなんて思えない。凍えて震える私の心をゆっくり、ゆっくりと溶かしていく。
「謝らないで、あの時はそれしか方法がなかった。そうでしょ?」
「で、でも!だからってそんな……そんな風に割り切れない……私だけが生き残るなんて……それなら私も一緒に!」
彼はアルさんによく似た微笑みを見せると、私の頭を撫でながらふるふると頭を振って否定する。
「ねえお母さん。輪廻転生って知ってる?」
「……生まれ変わるってこと?」
「うん、僕は今回は産まれることは出来なかった。だけどね、僕はまたお母さんのところに戻ってくるよ」
私には彼の言っていることが真実かどうかなんて分からない。私の罪悪感を和らげようと、嘘を言っているのかもしれない。だけど……例えそうだとしても、弱い私はそれにすがりたい。
「…………本当に?」
「うん、本当だよ。何せお父さんとお母さんは特別だからね、普通の魂じゃあ二人の子供になんてなれないんだよ。こうやって最期に話をしたり、お母さんの代わりに向こう側に渡ることだって、普通は出来ないことなんだ。だからまた僕が二人の子供になるよ。でも……性別とか容姿は変わっちゃうかもしれない。輪廻転生はあくまでも魂の話だからね」
不思議だ。私が信じたいっていうだけじゃない。何故だか分からないけれど、彼の言っていることは私の中にすうっと入ってきて、本当のことだって分かる。
「アルさんは、お父さんは生きているの?みんなは?」
「うん、みんな無事だよ。だけど……お父さんはまだ目を覚ましていない。あの槍には呪詛が込められていたから……」
「呪詛……?ねえ、あなたはどうしてそんなことまで知っているの?」
「僕もハイエルフだからね、しかもお父さんの血まで混ざった特別製。来世でお父さん、お母さん、お姉ちゃんに教えてもらえることが予知夢で見えるんだ。それでお父さんの呪いはお姉ちゃんなら解けるはずだよ」
「アルさんの血?それにシルが呪いを解くの?どうやって?」
「お父さんのことは、お母さんが目を覚ましたらある人が説明してくれると思うよ」
「ある人?それって誰……」
私の理解が及ばないままに、彼は話を進めていく。
「それでお父さんの呪いを解く方法なんだけど、僕からは言えないんだ。いや、言っても意味がないって言った方が正しいかな。具体的な指示をすることは、未来を歪めることになるから出来ないんだ。今無理矢理ここで言ったとしてもお母さんには聞き取れない。それに多分お姉ちゃん自身が、気づかないと意味がないから。あと……お母さんに言ったらお姉ちゃんに怒られそうだからね」
彼が初めて子供らしい笑顔を見せてくれると、私はそんな彼が愛おしくてたまらず、彼の頭を撫でて抱き締める。
「ごめんね、迎えてあげられなくて……」
「もう!お母さんもしつこいよ、僕がいいって言っているんだからいいでしょ?」
「でも……」
「……じゃあ、約束してほしいことがあるんだ」
彼は少しだけ悩んだのち、まっすぐに私の目を見てお願いをしてくる。私の心は決まっている。どんなことでも構わない、私に出来ることなら何だってやってあげたいって思う。
「いいよ、どんなことなの?」
「ずっと……ずっと前だけを見て生きて欲しいんだ。悲しんだり、後悔したりするのは仕方のないことだし、辛くて立ち止まってしまうこともあると思う。だけど覚えておいてほしいんだ、後ろを振り返っても僕はいないってことを。お母さんが前だけを見てくれれば、必ず僕はまたお母さんとお父さんのもとに戻ってこられるから」
「前だけを……」
「うん、言葉で言うほど簡単じゃないけどね。でも、お母さんなら出来ると思うよ」
「……分かった、約束する」
「良かった!ありがとう」
彼の人懐っこい笑顔に私の涙腺が緩む。本当はずっと彼のそばにいてあげたい。一人きりで向こうになんて行かせたくない。だけどそれはダメだって、もうすぐお別れをしないといけないって分かっている。
「ねえ、もっと顔をよく見せて」
「うん……」
私は体を離して彼の頬を両手で包む。私と同じ金髪。ハイエルフの証である瑠璃色の瞳。幼いながらもアルさんを思わせる精悍な顔つき。そのどれもが私たちの子供であることを物語っている。
「ふふ、やっぱり私の思った通りね。男の子はアルさん似がいいな。だってとっても格好いいもの」
「そ、そうかな?」
彼は顔を赤くして、頭をぽりぽりと掻く。
「きっと……ううん、いつか絶対、絶対に幸せ一杯の家庭で……アルさんと私とシルであなたを迎えてあげるからね!」
「うん、待ってる!」
私は彼の頬にキスをして別れを告げる。
「じゃあ私は行くね、絶対私たちのところに戻って来てね!」
「うん、頑張ってね。未来はちょっとしたことでも変わっちゃうから。だけどお父さんとお母さんなら絶対大丈夫だよ!」
「ありがとう!」
手を振る私に、彼が手を振り返すと、真っ白な世界が崩れていった。





