ありがとう、さようなら
いつもありがとうございます!
「セアラ、大丈夫か?」
アフロディーテが去り、立ったまま意識を失っているセアラを支えながら、アルが声をかける。
「……アルさん。良かった……上手く行ったみたいですね……」
「ああ、ありがとう。助かったよ」
先程までとは明らかに違う、いつものセアラの雰囲気が戻っているのを確認すると、アルはホッと胸を撫で下ろし、華奢なその体を自分にもたれかからせる。
「いえ、また女神様にお礼を言いに行かなければなりませんね」
「そうだな、いつでも来てくれと言っていたよ。少し歩けるか?シルのところに行こう」
「はい。何とか大丈夫です」
アルはセアラの手を引いて、ドラゴンから解放された魂を追って、魔法学園の北側に隣接する妖精族の区画へと向かう。シルはアルたちの無事を確認したのち、一足先にリタたちと両親の無事を確認しに行っていた
「あ、シル」
セアラが両親と抱き合い互いに涙を流すシルを見つけると、唐突に思い出す。多少の変化があるものの、今この瞬間がエルフの里で見た夢の内容に沿ったものだと。
「セアラ、どうした?」
肩を震わせ、真っ青になっているセアラの顔をアルが覗き込む。
「アルさん!気を付けてください!まだ敵がいるかもしれません、障壁を展開をします!」
「敵だって!?」
セアラが詠唱を始めようとすると、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちる。
「あ、あれ……?どうして……?」
「恐らく魔力切れだろう、神の力を使ったんだから仕方ない。障壁を展開すればいいんだな?」
「は、はい。物理障壁で大丈夫だと思います」
半信半疑ながらも、アルはセアラに言われるがまま物理障壁を展開する。
「アル、どうしたんだい?こんなところで障壁を展開するなんて」
ドロシーが声をかけてアルがその方向を向いた瞬間、雷の速度でアルの胸を一本の槍が貫くと、まるでその体に溶け込むように消滅する。
「ぐっ……かはっ」
セアラの顔に生暖かいアルの鮮血が飛び散る。
「え……どうして……?アルさん!いや……いやぁぁぁぁぁぁ!!」
「アル!」「アル君!」「アルさん!」
セアラたちの叫び声で、異変に気付いた妖精族の視線がアルに向く。
「……パパ?え……?あ……あ……やだ……す、すぐに治すから!」
シルが両親の胸から飛び出し、足をもつれさせながらアルの方に駆け出すと、それを邪魔するように転移魔法陣が出現し、かつて見えた紫色のローブを纏ったダークエルフが姿を現す。
「そうはいかん、やつを殺すために貴重な手駒を犠牲にしたのだ。既に使い物にはならんだろうが、ここで確実に死んでもらう」
「う……あ……」
ダークエルフから放たれる魔力のプレッシャーに晒され、シルが一歩後ずさる。
「させない!『風刃乱舞』」
ドロシーの手から無数の風の刃が放たれ、砂煙を巻き上げながらダークエルフへと殺到する。
「ちっ、面倒な」
魔法障壁で絶えず襲いかかる風刃を防ぐと、そこにクラウディアの魔法『水龍』が上空から襲いかかり、障壁ごとダークエルフを丸呑みする。
「シルちゃん、今のうちにアルさんのところに!」
「う、うん!」
シルは何とか迂回してアルのもとへたどり着くと、その傍らには魔力が枯渇し、意識がもうろうとしながらも必死でアルに呼び掛けるセアラと、不得手ながらも回復魔法をかけるリタ。
「アルさん!アルさん!お願い、目を覚まして……」
「アル君、しっかり!」
「ママ、おばあちゃん、私が治すから!」
「シル……うん、お願い……アルさんを助けて……」
シルが精霊に祈りを捧げて、アルの治療を始めると、かつてセアラが暴走させたものよりも一際強い魔力の奔流がダークエルフから発せられる。
「きゃあぁぁ!」「ああっっ!」
ドロシーとクラウディアが弾き飛ばされて転がると、ダークエルフを足止めをしていた魔法が解除される。
「な、なんだ……この魔力は……」
ダークエルフから放たれているのは、術式が付与されていないただの魔力の奔流。しかしそれはドロシーとクラウディアに加勢をしようと、周りを固める教師陣と妖精族たちの戦意を奪うのには十分過ぎるものだった。皆一様にまるで金縛りにあったかのように、身動きをとれずにいる。
「アル君の治療の邪魔は……させないから!」
リタが震える膝を叱咤しながらアルたちの前に立ち、魔法障壁を展開するが、魔力をぶつけられると次第に障壁にヒビが入り始める。
「無駄な足掻きだ。お前らでは私の相手にはならん、そこの愚かな男さえ居なくなれば、最早我々の宿願を阻む者はいない」
「愚かですって……?アルさんを……悪く言わないで!」
アルに向けられた嘲笑と侮蔑の言葉にセアラが怒りを露にする。
「なぜだ?そやつならば最初からドラゴンを倒すつもりであれば、そのような深手を負わずに済んだはずだ。そしてさっさとあれを倒してしまえば、不意打ちも防ぐことも、妖精族以外を救うことも出来たであろう。最初から私が裏で糸を引いていたことにも、気付いていたのだろう?」
「アルさんは優しい人なの!誰かを犠牲にするなんて出来ない人よ、あなたなんかとは違う!」
「ああ、そうだな。だから愚かだと言っている。誰も犠牲に出来ずに、結局何も守れない。それが愚かでなくて何だと言うのだ?」
「……そんなことない!アルさんは……アルさんは誰も守れなくなんかない!アルさんが守りたいものは、私が一緒に守るから!」
自身を睨みながら放たれるセアラの言葉に、ダークエルフは呆れ返る。
「まるで子供の駄々だな、お前が守るだと?確かに女神なんぞがしゃしゃり出てくるのは計算外だったが、ハイエルフと言えど地上の者が神族の魔法を使えば魔力が枯渇するのは当然のこと。そんな状態で何を守ると?」
「……ええ、私のとっておきを見せてあげるわ…………アルさん、シル、お母さん。ごめんなさい……」
突然自分達に向けられた謝罪、意味が分からずにシルとリタがセアラを見やると、セアラが詠唱を始める。
その詠唱を紡ぐ言葉は誰も理解することが出来ない。理解できないはずなのに、不協和音を聞かされているように不快感だけが増していく。
「まさか……お前も禁術を使えるというのか!?」
この場において、唯一それに携わったことのある者が見当をつける。
それはエルフの里で力を取り戻したそのとき、セアラの記憶の片隅に甦った禁術の記憶。ハイエルフの矜持を守るため、他者の魂を贄にするのではなく、己の魂を代償とすることで魔力を得る奥の手。セアラ自身、今この瞬間まで使うことはないと思っていたし、周りを心配させるだけなので、誰にも言う必要は無いと思っていた術。
「ダ……ダメだ……誰か、セアラを……止めて、くれ」
傷は塞がったものの、混濁する意識の中でアルがうわ言のように呟くと、呆然とそれを眺めていたシルとリタが、ハッとしてセアラを止めにかかる。
「ママ!ダメ!!」
「セアラ!止めなさい!」
二人にはセアラが今から何をするつもりかなど分からない。それでも魔力が枯渇したはずの彼女から感じる魔力量が、みるみるうちに膨らんでいくことを考えれば、ただことではないのは明らかだった。
しかし力尽くで止めようにも、この場にいる誰一人として体を動かすことが出来ない。セアラの魂を代償にした魔力が完全に場を支配していた。
「ぐっ、何故だ!?体が……動かん!」
「絶対に逃がしません、あなたにはここで私と死んでもらいます!……アルさん、愛しています。誰がなんと言おうとも、あなたは勇者です。英雄の器だと、この世界の希望となれる人だと私は信じています。あなたの行く末を見られないのはとても残念ですが、たくさんの思い出を、ありがとうございました。シルを、私たちの娘をよろしくお願いしますね」
「ママっ!いやだ、いやだよぉ……」
微かに目を開いたアルと、今から起こることを察し大粒の涙をこぼすシルに向けて、セアラがいつものニコニコとした笑顔を見せる。
「あ……あぁ……セアラ……行くな……行かないでくれ……俺を、置いていかないでくれ……」
「さようなら、アルさん。大変なことも一杯ありましたが、あなたの優しさと愛情に包まれて、私はずっとずっと幸せでした。短い間でしたが……本当に……」
満面の笑みのまま、セアラの頬を一筋の涙が伝う。
「……幸せな結婚生活でした」
「セアラっ……!」
徐々に薄れ行く意識の中、アルが力を振り絞って手を伸ばした次の瞬間、セアラの体から放たれた魔力の奔流は、ダークエルフをその魔力ごと呑み込んでいった。
説得力皆無かもしれませんが、安心安全のハピエンですので……
というわけでよろしければ明日もお楽しみに





