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本日2話目です。
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「セアラ、上がったぞ」
アルがセアラが座っているはずのソファに向けて声をかけるが、彼女は読みかけの小説を豊かな胸の上に置いたまま、横になって寝息をたてている。
「もう寝たのか……」
今日は久しぶりに外に出たのだから疲れたのだろうと納得し、仕方がないと思いながらセアラを抱き抱えて二階へ向かう。
セアラの寝巻きは扇情的なものとはいえないが、下着の上に薄い寝巻きを着ているだけなので体のラインが良く分かってしまう。セアラは細身ではあるが、出るところは出ており非常にスタイルがいい。
女性の体重など分からないアルは、それなりに重いのかと思い少し力を込めて持ち上げるが、想像よりも驚くほど軽かったため、思わずバランスを崩しそうになってしまう。それでも抱えると痩せ細ったような感触ではなく、女性特有の柔らかな感触をしっかりと感じられるので不思議なものであった。
アルはベッドの奥側に彼女を横たえ布団をかけると、さてどうしたものかと考える。恐らくこのままソファに戻ったら彼女は怒るだろう。それはそれで少し面倒だと思ったので、奥の手の魔法を使って心を落ち着ける。
『精神安定』
この魔法は文字通り精神の安定に寄与する。戦闘中に混乱や恐慌状態に陥ったときに使うが正しい用法だが、精神を落ち着けたいときにも使うことができる。もっともこんな使い方をするのはアルだけだろうが。
アルはなるべくセアラの体に触れないようにベッドの端ギリギリに体を横たえる。彼女の姿を見ないように仰向けで目を閉じる。
「……アルさん」
アルは思いがけずに掛けられた声に少し驚くが、目を閉じたまま返答する。
「……起きていたのか」
「はい、運んでいただいているときに気付きました」
「そうか」
「すみません」
「気にするな。大して重くもなかったしな」
「……恥ずかしいです」
「すまん」
「……アルさん」
「なんだ?」
「好きです」
「……そうか」
「はい、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
セアラはアルの左腕をとって、その体で包む。アルはわずかに眉間にシワを寄せるが、魔法をかけているので動揺すること無くそのまま眠りにつく。
翌朝、アルが先に目を覚まし、隣を見ると幸せそうな顔で寝息をたてるセアラがいる。まだ無理に起こすような時間でもないので、静かに部屋を出てリビングへと向かう。
朝食の準備を始めようかと思ったが、一人でやってしまうとセアラは怒らずとも、残念がるだろうと思いコーヒーを飲むことにする。アルは少しばかりカフェイン中毒なところがあり、時間が空けばコーヒーを飲む。こちらの世界では貴族の嗜好品という扱いではあるが、他に趣味も無く酒もそこまで飲まない彼にとっては特に痛くもない出費だ。
カップに注いだコーヒーが無くなったときにセアラが降りてくる。
「アルさん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「いい香りですね、コーヒーですか?私も頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、俺ももう一杯飲むからな。ついでに淹れるよ」
「はい、お願いします」
決して手伝うとは言い出さないセアラ。コーヒーに関してアルに任せている理由は二つある。
一つは、彼女はコーヒーを淹れているときのアルの表情が好きだということ。表情を滅多出すことがないアルではあるが、コーヒーの香りを嗅いだときには少し嬉しそうな顔をすることをセアラは知っている。
もう一つの理由はアルが好きなものなので、自分で好きに淹れたいのだろうという気遣いだった。これはアルの唯一の趣味と言ってもいいのかもしれない。
丁寧にミルでコーヒー豆を挽くアルを眺めるセアラ。思わず顔が綻んでしまい、それに気づいたアルから怪訝な目を向けられてしまう。それでも彼女は気にしない。彼のその様子を眺めるのは彼女にとっては幸せな時間なのだから、そうなってしまうのも仕方のないことだと開き直る。
「いい香りですね」
「ああ、そうだな」
「アルさんは好きな豆とかあるんですか?」
「特にはないな。色々試している」
「そうですか。アルさんの淹れてくれるコーヒーはいつも美味しいです」
「そうか」
少しだけ頬を緩めるアルにセアラは気付く。それは恐らく彼女でなければ気付かないほどの変化。
セアラは自分でも色々と強引な手を使っているという自覚はある。その甲斐あってか、少しずつアルとの距離を縮められているような気がしていた。
「なんだか贅沢な時間ですね」
「そうだな」
「お城にいるときも紅茶やコーヒーを頂きましたが、そのときよりも幸せです」
「そうか」
「きっとアルさんが一緒だからだと思います」
「……そうか」
「はい」
アルは少し困惑する。昨日の町の噴水での一件以来、彼女は自分への好意を全く隠そうとしない。それがダメというわけではないが、彼女の気持ちに今の自分では答えることはできない。将来的に答えることが出来るとも言えないので、果たしてそれで彼女はいいのかがよく分からない。
恐らくそれでも良いと彼女は言うのだろうとアルは思う。だがいつまでも自分を見てくれない人を想い続ける、そんなことは出来るはずがない。彼女はいつか自分に愛想をつかせて出ていくだろう。少しの寂しさはあるが、彼女にとってはその方がいい。この生活はそれまでの一時的なものだと思っておけばいいとアルは考えている。
「アルさん、コーヒーを飲んだら朝食の準備をしましょうか」
「そうだな」
アルは今しがたの思索を悟られぬよう、いつもの無表情で返答する。
「今日の朝食は何にしましょうか?」
「昨日腸詰め肉を買っただろう。あれと卵を焼いてパンを用意すればいい」
「野菜は食べないんですか?」
「昨日の夜のスープが残っている。それでいいだろう」
「そうでしたね、分かりました」
アルは収納魔法で残った料理を保存している。収納空間のなかでは物が腐ることがないので冷蔵庫いらずだ。本来コーヒー豆も毎回挽かなくても保存しておけばよいのだが、挽いているときの香りと時間を楽しみたいのでそれはしない。
「アルさん、今日は私が卵を取りに行ってもよいでしょうか?」
「ああ、それは構わないが、俺もついていこう」
「やはり慣れている人の方がよいでしょうか?」
「どうだろうな」
「ふふ、ご心配していただき、ありがとうございます」
セアラが先を歩きアルが後ろについていく。
「おはようございます。卵いただきますね」
彼女は昨日のアルの要領で鶏たちに餌をやり二個の卵をもらい受ける。鶏たちも特に興奮すること無く卵を明け渡してくれる。
「アルさん、出来ました!」
「ああ」
ニコニコして鶏を撫でてから家に戻るセアラ。
しっかりと手を洗ってからアルとともに料理を始める。昨日の失敗を受け、彼女はコンロ型魔道具の使い方をしっかりとマスターしようと躍起になっているので、今日も彼女に目玉焼きの調理をお願いする。腸詰め肉は焼くのではなくボイルすることにした。
結果として今日の食事の用意は、何のトラブルも起こること無く、滞りなく終えることができた。
「「いただきます」」
「うまく焼けているのでしょうか?」
「ああ、問題ない」
「良かったです。アルさんは昔から料理をされていたんですか?」
「向こうの世界では孤児院にいたからな、当番制だったんだ」
「……そうだったんですか……すみません」
セアラの顔がわずかに曇る。
「気にするな。別に辛い過去というわけではない」
「……不躾かとは思いますが、少しお聞きしてもよろしいですか?」
「何だ?」
「その……ご両親の記憶はないのですか?」
アルは一つの漢字を書いてセアラに見せる。
「無いな。ただ俺が孤児院に捨てられていたときに、この字『有』と書いた紙が一緒に入っていたらしい。だから院長は俺をユウと名付けた。アルはその字の別の読み方なんだ」
「そうでしたか。ではそのお名前はご両親からいただいたものということでしょうか?」
「そういうことになるだろうな」
「どちらもとても素敵なお名前だと思います」
「そうか……セアラは誰につけられた名前なんだ?」
「私は……母、ですね」
「そうか」
アルはその時セアラの顔がわずかに悲しみに染まったのを見て、それ以上話を続けることはしなかった。
明日も朝と昼に1話ずつ更新します。
来週からは基本的に平日朝に1話ペース、ストック次第で2話更新の予定です。
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もうひとつの連載作品
『異世界で物理攻撃を極める勇者、魔王討伐後は二人の嫁と世界を巡る』
https://ncode.syosetu.com/n8101gq/
こちらも併せて宜しくお願い致します。ぼちぼちクライマックスですので是非ご一読下さいませ。