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欲しい言葉

「状態保存魔法がかけてあるのね、素敵……本当に昔のままだわ」


「ここが…………なんだか不思議な感じだ」


 アフロディーテは家の中を一回りすると、ダイニングテーブルの小さな傷をそっとひと撫でして席に着く。そしてアルはキッチンへと向かうと、棚を開け、食器を出してコーヒーの準備を始める。


「アル?覚えてるの?」


「覚えているっていうより……なんとなくここにあるような気がするって感じかな」


「そう、なの……」


 静かにアルを見守るアフロディーテ。驚いたのは、初めて立つはずのキッチンで見せる淀みのない動きだけではなかった。


「……ねぇ、その淹れ方って誰かから教わったの?」


 その一つ一つの仕草がこの家で過ごした日々をよみがえらせる。愛する人と二人きりだったころを。そこに息子が加わり、慌ただしくも笑顔に満ち溢れていた時間を。


「最初に一式そろえるときに店員さんに流れだけ教わったけど……なんでそんなことを?」


「ふふ、そっか……そうなんだ」


 アルは質問に全く答える気配のないまま送られる視線に怪訝な表情を浮かべていたが、それとよく似た視線を思い出して口元を緩ませる。


「……セアラもよくそうやって眺めてくるんだよな」


「ふふーん、その気持ちだったら、私にもよく分かるわよ?」


「へぇ?参考までに聞かせてよ」


「穏やかで、優しくて、幸せで……あ~、こんな時間がずっと続けばいいなぁって気持ち。あと……」


「あと?」


「私の旦那さんはかっこいいなぁって」


「なんだそれ」


 照れ笑いをしながらアフロディーテの前にコーヒーを差し出すと、向かい側に着席するアル。


「ブレンドは俺の好みだから」


 猫舌なのか、アフロディーテはふぅふぅと念入りに息を吹きかけ冷ましてからコーヒーをすする。


「うん、おいしいわ……息子にエスコートしてもらって、その上コーヒーまで淹れてもらえる日が来るなんて、長生きしてみるものねぇ」


「そんな大袈裟な」


「うふふ、大袈裟なんかじゃないわよ。それにしても本当に良かったの?ドラゴンの肉なんていう超希少食材を全員に振舞うなんて」


「いいもなにも、ディオネの人たちには俺たちの結婚式ワガママに付き合ってもらったんだから、それなりのお礼をしないと」


 さも『当然だろ?』とでも言いたげなアルに、アフロディーテが苦笑する。

 そもそも二人の結婚式が無ければ、ディオネの住人たちは自分の姿を拝むという格別の機会を得ることは出来なかった。ならばそれがお礼でいいじゃないかと言いたくもなるが、アルからすればそれは自分たちの都合であって、ディオネの人たちのためにしたことではない。


「セアラちゃんはなんて?」


「なんてって……そもそもセアラが言い出したことだから」


 事も無げに言うアルにアフロディーテは目を丸くし、そして思わずほくそ笑む。

 誰からも好かれるその朗らかさ、そして誰もが息を呑むほどの美しさ。それも確かにセアラの魅力だが、先ほどの結婚式で見せた『戦場の女神』の名に相応しい堂々たる姿、芯の強さこそがアフロディーテがセアラを認める理由。あの場で決意表明のようなことをさせられても動じない、それは彼女の中に確固たる信念があるからにほかならない。まさに息子アルを託すに相応しい相手だった。


「ねぇアル、セアラちゃんを大事にするのよ?」


「ああ、もちろんだよ。俺にはもったいない……」


 その言葉を言い終わる前に、アフロディーテが身を乗り出してアルの頬を両手で包む。


「ダメよ、そんなこと言うのはダメ。自慢の妻だって、胸を張って言ったらいいの」


 魔導人形マギドールとは違う生身の感触、そして先ほどまでとは打って変わって真剣な表情の母を間近に見て、アルは思わず美しいと思ってしまう。それは見た者がこうなりたいと憧れるような美しさではなく、畏怖の念を抱いてしまう美しさ。


「し、式の前にさ、少し親父と話したよ」


 アルは赤くなった頬を自覚すると、それを悟られぬように母の両手から逃れて話題を変える。


「そう、じゃあ色々聞いたのね……でも後悔はしてないのよ?私にとっては命を懸けるに値することだったから。だけどね、あの人の涙を初めて見たの……あれはさすがに堪えたなぁ」


 アフロディーテの美しい顔が僅かに歪むと、アルは話題を間違えたことに気が付き、もう一度話題を変えようと思考をフル回転させる。しかし話題を変えるその前に、アフロディーテの頬が恋する少女のように朱色に染まる。


「でもね、あの人は必死に笑顔を作りながら私に言ってくれたの。『よくやった、さすが我の妻だ』ってね」


『笑わせようとした時には全然笑わないのに』と言いながら嬉しそうに語るアフロディーテ。その姿にアルは思い知る、その状況にあって妻が欲しい言葉を言えるアスモデウスと自分の器の差を。そんな息子の心中を察し、アフロディーテはコーヒーをもう一口飲んで優しい声色で語りかける。


「相手の気持ちを考えるのって難しいわよね。でも、他の誰かのことは分からなくても、セアラちゃんのことなら分かるんじゃないの?あなたが見てきたセアラちゃんはどんな娘だったの?」


「セアラのこと……」


 アルは自分が見てきたセアラの姿を思い返す。

 最初は何もできなかったセアラ。それがアルと暮らすなかで、じきに家事をこなすようになった姿。アルに突き放されてもなお繋がりを求めて解体場で額に汗して働く姿。そしてアルの力になりたいと、ハイエルフの力を覚醒させて『戦場の女神』と呼ばれるまでになった姿を。


「ねぇ、アル。それが謙遜だとしても、セアラちゃんがどんな想いで頑張ってきたのかを一番知ってるあなたが『俺にはもったいない』なんて、ちょっと無粋だと思わない?」


 アフロディーテは自らの手をアルの手にそっと重ねて首を傾げる。


(本当に、その通りだ……)


 アルから見たセアラは、いつも努力し成長することを楽しんでいた。そして自惚れなどではなく、その瑠璃色の瞳はいつだって自分を映していた。


「ありがとう、母さん……だけどさ、セアラが俺にはもったいないっていうのは本心なんだよ。だからそんなことを言わなくてもいいように、セアラに相応しいって言われるように、これからも頑張るから」


「ふふ、そうね。それがあなた達らしくていいんじゃない?でも……」


「でも?」


「あなたがもったいないって言うくらいなんだから……セアラちゃん、今ごろどこかの誰かに口説かれたりしていないかしら?」


「いや、いくらなんでも花嫁を口説く奴なんていない……いないよな……?」


 断言出来るはずがなかった。今までセアラが人妻だと聞いてもなお、言い寄って来た者は星の数ほどいたのだから。

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