セアラ
今回はセアラ視点の話です
私はアルさんを見送ると部屋に戻っても泣き続ける。そして彼に買ってもらった鏡台に頬を寄せて彼との思い出を噛み締める。
あの森の前で死を覚悟したことを思い出す。かつてアルさんに横抱きにされた記憶が蘇り、恥ずかしくも嬉しい気持ちに包まれながら死ねるのなら、幸せな事だと思った。それなのに目を覚ますと、アルさんが目の前にいた。あの時は思わず顔がにやけてしまうのを抑えて、知らないふりをするのが大変だった。
見た目が変わっても、変わらず優しい心を持っていたアルさんを思い出す。あの時はその変わらぬ優しさに触れて涙を流しそうになってしまった。
アルさんと一緒にいたい気持ちが溢れて、結婚してほしいと言ったことを思い出す。あの時は苦しい言い訳をしたものだと苦笑してしまう。
アルさんに料理を教えてもらったことを思い出す。あの時はなにも出来ない自分が本当に恥ずかしかった。
アルさんと一緒に眠ったことを思い出す。あの時は心臓の音がうるさくて大変だった。すぐに寝息をたてはじめた彼に少し怒りを覚えたのは内緒だ。でも少しくらい私の方を見て欲しかった。
アルさんが冒険者たちに教われた私を助けてくれたことを思い出す。あの時はあの日と同じように助けてくれた彼が頼もしかった。どうしても町に出てみたくて、お忍びで出た町。そこで冒険者に絡まれたときも彼が助けてくれた。もっとも顔を隠していたこともあって、彼は気づいていないみたいだが。
そしてアルさんにここで暮らすように言われたことを思い出す。今思えば彼も少し寂しそうな顔をしていたような気がする。何で私はあんなことを言ってしまったんだろう。後悔してももう遅い。一度口から出た言葉を無かったことには出来ない。私はアルさんを傷付けてしまった。彼の辛そうな顔が目に焼き付いて離れない。
「アルさん……」
思わず愛しい彼の名前が口をつく。私は彼の名前を呼ぶのが好きだった。私が彼の名前を呼んで、彼が返事をする。それは彼が私の傍にいるということの確認、大仰に言えば儀式のようなものだった。
だけど今、彼はここにいない。彼の名前を呼んでも、彼は答えてくれない。今ではあんなに好きだった彼の名前を口に出すのが辛い。それは彼が傍にいないことの確認になってしまった。
「う……うぅ……」
涙が止まらない。鏡台に私の涙が染み込んでいく。こんなことではいけないのは分かっている。彼を傷付けてしまったのならば、せめて彼が安心できるように頑張らないといけない。だけど、もう少し、もう少しだけ時間が欲しい。今日だけはこうやって彼との思い出に浸っていたい。
翌朝、といってももう昼に近い時間に目が覚める。いつの間にか鏡台に突っ伏して寝てしまったみたいだ。ひどい顔になっている自分に呆れる。
朝起きたら夢だった、なんて、そんな都合のいい事はなかった。ここに彼の姿はない。その事実にまた涙が溢れそうになるがなんとか堪える。泣いてしまったら、また今日一日なにも出来ない気がする。
朝食兼昼食を作ろうと思い立つけれど、食材がないことに気付く。彼から借りた――彼はくれると言っていたがそういう訳にはいかない――お金を持って市場へと向かう。
「セアラちゃん、今日は一人なの?珍しいね」
「ええ、たまには一人で来てみたくて」
顔見知りなった市場の人たちから声をかけられる。もちろん悪気の無い言葉なのは重々承知しているけれど、やっぱり私の心に暗い影を落とす。なんとか作り笑いをして当たり障りの無い返答をしてやり過ごす。
私は目当ての食材や調味料を購入すると調理に取りかかる。このアパートは最低限の調理用具や食器類が備え付けられていたので助かった。彼がいれば買い物をしても持ち歩く必要がないけれど、私一人ではとてもそんな買い物は出来ない。
初めて彼に教わった料理、ベーコンエッグを作る。フライパンを熱してベーコンを焼く。片面が焼けたらひっくり返して卵を静かに投入。ある程度焼けたら塩コショウをふって完成だ。なんて簡単な料理だろうか。本当に自分は何も出来なかったんだなと思い出される。彼があの時作ったスープも作って、焼き立てのパンを合わせたら完成だ。
「いただきます」
一人の静かな食事。彼はあまりしゃべることはなかったが、私の話はちゃんと聞いてくれていた。こうして一人でいると、彼のことばかりを考えてしまう。彼は町での生活に慣れてからの方がいいと言ったが、やはり早く仕事を見つけた方がいいと思う。
実は仕事の目星はつけている。このアパートを選んだのもそれが理由だ。ギルドの解体場で働くことが出来れば、きっと彼の役に立てる。解体してるときは私の傍にいてくれるかもしれない。
我ながら邪な考えだとは思うが、私の生きる意味は彼なのだから仕方ない。そうと決まれば早速モーガンさんのところに行こう。
食事を終えた私は解体場に顔を出す。ちょうどモーガンさんは手隙のようだった。
「こんにちは、モーガンさん」
「おう、セアラちゃんか。アルはどうしたんだ?」
「ちょっと訳あって私だけこの町で暮らすことになりまして……」
私の顔色が曇ったのを見て、モーガンさんはそれ以上詳しく聞いてこない。
「そうか、まあ人様の家庭に首突っ込むわけにもいかねえわな。それで今日はどうしたんだい?」
「実はこちらで働かせてもらえないかと思いまして」
「ここで?本気かい?」
モーガンさんが目を白黒させて聞き返してくる。よほど想定外だったんだろうな。まあ私自身もそう思うんだから、当たり前の反応かな。
「はい、女では無理でしょうか?」
「うーん、無理ってことはねえけど、それなりに力のいる仕事だぜ?」
「それは承知しています。なんとかお願いできませんか?」
私の熱意が伝わったのか、彼が条件付きで折れてくれる。
「なら一ヶ月間試しに働いてみるといい。その間に俺が判断する」
「はい!よろしくお願いします!」
こうして私は解体場で見習いとして働くことになった。ギルドの方に挨拶に行くと、アンさんからはひどく驚かれたが、頑張ってと言ってくれた。私が働くにあたってギルドの承認がいるのかとも思ったが、あくまで別組織らしいので、モーガンさんがOKと言えばそれで済むらしい。
私は必死で働いた。体を動かしていれば、彼のことをあまり考えずに済むので好都合だった。一日中彼のことを考えるのは不健全かもしれないが、夜に彼のことを考えて眠りにつく位であれば、恋をしている人は誰もがしていることだろう。
今日は六月五日。町で暮らし始めて一週間が経った。彼は週に一度くらいは買い物などで町を訪れるので、そろそろ来るかもしれない。私が解体場で働き出したと知ったら、彼は何て言うのだろう?その日は一日ふわふわした気分で、仕事中も集中力を欠いて、初めて怒られてしまった。
「セアラちゃん、残念だったな」
「え?」
「今日辺りアルが来るかもって思ってたんだろ?普段しないようなミスしてたしな」
「す、すみません」
どうやら私の考えは見透かされていたみたいだ。顔が熱くなるのを感じる。彼とは正反対で私は顔や行動に感情が出てしまうのだろう。
今日はどうやら彼は来ないようだ。ただ毎週これでは、せっかく働かせてもらっているのに申し訳ない。明日から頑張ろうと両拳を握ってやる気を奮い立たせていると、見たことのある鎧を着た兵士が五人入ってくる。それを見て私の鼓動が早くなり、肩が震える。
「おまえがセアラだな」
「なんだお前らは?」
「我々はアルクス王国の者だ。我が国の反逆者を捕らえに来た」
「待ちやがれ、ここは自由都市だぞ。勝手な真似はすんじゃねえ」
「我々は正規の手順に則ってここに来ている。連れていけ」
「セアラちゃん!」
私は何も声を発することが出来ない。頭が真っ白になって何も考えられない。ただただ恐怖と不安で押し潰されそうになる。
「アルさん……」
私の口をついて出たのはやはり彼の名前だ。彼はいつでも私を助けてくれる。今は彼のことしか考えられなかった。
私は王国の兵士に連れられて、転移魔法陣を経由して、翌日の朝には王都へと移送される。途中、私がなんの罪で捕らえられたのか聞いた。それによると公爵を誑かし、挙げ句の果てに殺そうとしたということだ。公爵なんて私は話したことすらない。
私に弁明の機会など与えられなかった。そして私を殺したいなら、すぐに殺せばいい話だ。こうしてわざわざ王国に連れてきた理由は一つしかない。
「狙いは彼ですか?」
「……」
間違いない。私は彼を誘き寄せるための餌だ。そして明後日六月八日には処刑が行われるとのことだった。つまり彼が六月七日に私を助けに来るように仕向けたということだ。そして準備万端で彼を迎え撃つつもりだろう。
「……アルさん……来ては……来てはダメですよ……」
彼に聞こえるはずの無い言葉を思わず呟く。
短い間とはいえ、私は十分幸せな時間を過ごすことができた。城の中では決して過ごせなかった愛しい人との時間。たとえ心が通じあっていなくとも私は幸せだった。それがあれば私が生きた意味はあったって言える。
後悔はある。私は彼の支えになれなかった。彼の幸せを他の誰かに託すなんて嫌だ。だけど彼には幸せになって欲しい。矛盾した願いかもしれない。それでもそう願わずにはいられない。
……もしも願いが叶うのであれば、もう一度だけ彼に会いたい。会ってあの時のことを謝りたい。だけどそれを願ってはいけない。彼がここに来るのを望んではいけないのだから。
明日くらいには幸せになるかな……
今日もあと1話投稿します
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もうひとつの連載作品
『異世界で物理攻撃を極める勇者、魔王討伐後は二人の嫁と世界を巡る』
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こちらも併せて宜しくお願い致します。ぼちぼちクライマックスですので是非ご一読下さいませ。





