ぬいぐるみにかけられた魔法
懐かしい物が目に飛び込んで来て、わたしは足を止めた。
「シザンサスに似てるな」
わたしはつい、お店に並んでいた茶色いうさぎのぬいぐるみを手に取って頭を撫でていた。
「おーい、行くよ」
向こうから彼氏の声がして、わたしはぬいぐるみを置いて走った。
「すぐ行くー!」
これは今から8年前。わたしが小学4年生だった頃の話。
わたしは10歳の誕生日に、お父さんとお母さんからそれぞれプレゼントを貰った。お父さんからはとっても可愛い茶色いうさぎのぬいぐるみを、お母さんからはとっても綺麗なまるで星空を中に閉じ込めたかの様な雫型の石のペンダントを貰った。どっちも大切だから、うさぎのぬいぐるみの首にペンダントをかけてあげて、一つになったプレゼントと一緒に毎日を過ごした。
夜は一緒にベッドで「おやすみ」
朝になったら「おはよう」ってベッドの上でぬいぐるみの頬にキスをした。
「お母さん、おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい」
リビングで夜のテレビドラマを観終わったわたしは、まだテレビの前のソファーに腰掛けるお母さんと挨拶を交わして2階の自分の部屋に戻った。
リビングは暖房がついていたから暖かかったけど、わたしの部屋は灯りも点いていなくてひんやりとしていた。わたしはぶるっと身体を震えさせながらベッドに入った。もちろん、うさぎのぬいぐるみを抱いて。
わたしはぬいぐるみにいつもの様に「おやすみ」と言ってキスをした。当たり前だけど、ぬいぐるみは何も応えてくれない。
「キミとお喋り出来たら良かったのに」
『ボクもだよ』
わたしの呟きに誰かが答えてくれた気がしたけど、辺りを見回しても誰もいない。わたしは空耳だと思って瞼を下ろした。
深い眠りについた頃、隣から眩しい光が見えた気がしてわたしは重たい瞼を半分上げた。やっぱり眩しい。瞼を完全に上げてその正体を探ると、それはぬいぐるみの首のペンダントだった。白光したペンダントは、ベッドの右方向の窓の前へと一筋の光を伸ばしていた。
窓の前には誰かが居て、何かを言った気がした。背丈からして年齢はわたしと同じぐらい。魔法使いの格好をした女の子だった。
わたしはその子がどうしてわたしの部屋に居るのか、どうやってわたしの部屋に入ったのか分からなかった。
何か反応を示したいけど、声も出なければ身体も動かなかった。唯一動かす事が出来たのは目だけ。まるで、金縛りにあったかの様だった。
女の子は指揮棒みたいな細い棒を持って、わたしの方に向かって円を描く様に回した。軌跡を光がキラキラとなぞって、女の子が棒をひょいっと上にやると光が弾けてわたしに降り注いだ。
ちょっと綺麗だな……。
わたしが光に見とれていると女の子の姿が薄れ、それに比例する様にペンダントの光も薄れていった。
やがて何事もなかったかの様に光は消えて、同時にわたしの意識が途切れた。
再び意識が戻ると、もう朝だった。
いつもは朝目が覚めるとすぐに寒さを感じるのに、今日は心地良い温かさを感じた。数年前、お母さんと同じお布団で寝ていた時の様な……そこで気が付いた。
これは人の温もり。わたしは仰向けのまま顔を横へ動かした。
――――男の子が居る! わたしの知らない、茶髪の肌の白い男の子。閉じられた目元は睫毛が長くて、開けたらきっと綺麗な瞳をしているんだろうな。
なんて……呑気な事考えてる場合じゃない。こんな普通じゃない状況をどうにかしなくちゃ。それに、冷静になっていく度に異性と同じお布団で寝ている事を自覚し、恥ずかしくなって来た。
わたしは上半身を起こして、男の子の肩を叩いた。
「ちょ……ちょっとキミ誰? 早く起きてよ」
「ん……」
男の子はゆっくりと目を開けた。真っ黒で吸い込まれてしまいそうな大きな瞳……わたしの想像してた通りだった。
男の子の瞳はわたしの顔に向けられ、目が合ってしまった。
わたしの心臓がどくんと跳ねる前に、男の子が先に動いた。
男の子は慌てた様子で身体を起こしてベッドを下り、逃げる様に部屋を出て行った。……アレ? 靴、履いてたんだ。
「ええっ!? あなただぁれ?」
1階から聞こえて来たのは、お母さんの声。
ドタバタと走る音が響いて、玄関の扉が開閉された音がした。
階段を駆け上がる一つの足音。わたしの部屋の前でそれは止み、扉が開かれた。お母さんだ。
「今、2階から男の子が下りて来て外へ出て行っちゃったんだけど……あなたのお友達なの?」
「ううん。わたしも知らない子」
「そうなの? じゃあ一体……」
「あ!」
わたしが大声を出すと、お母さんの肩がビクッと上下した。
「な、何?」
「あの子……」
わたしはベッドを指差した。
「泥棒かも」
わたしのベッドの上からうさぎのぬいぐるみが消えていた。
わたしは家を飛び出して、男の子を捜し回った。
近所の公園、路地裏、本屋さん、コンビニ、わたしの通っている小学校。思いつく限りの場所へ足を運んだけど、男の子は発見出来なかった。もしかしたら、バスとか電車とかに乗って遠くへ行っちゃったのかも。
わたしは諦めてトボトボと帰路を歩いた。
川の上の橋の真ん中ぐらいまで来て、わたしは偶然にも男の子を発見した。川辺で体育座りをしているあの子は、わたしのベッドで寝ていた男の子に間違いない。
わたしは急いで男の子のもとへ向かった。
「ねえ」
わたしが真後ろから声を掛けると、男の子は怯えた様に振り返った。黒の瞳が揺れていた。
その様子に何となく男の子がぬいぐるみを盗んだとは思えなかったけど、男の子の胸元で太陽の光に反射して光った物を見て考えを改めた。
「それ、お母さんから貰ったわたしのペンダント! どうしてキミが持っているの? 返してよ!」
わたしは男の子の肩を掴んで、激しく揺すった。
「ち、違うっ……君がボクにくれたんだよ……」
「わ、わたしが? そんなわけない……わたし、お父さんから貰ったうさぎのぬいぐるみにあげたんだもん。キミなんて知らない……。あっ! そういえば、ぬいぐるみはどこにやったの!?」
「えっと……えっと……」
男の子の瞳から涙が零れ、わたしは男の子から手を離した。
男の子は震えた指で自分を差した。
「ボ、ボクなんだ……」
「え?」
「だから、ボクがシザンサスなんだよ」
「なん……で、キミがぬいぐるみの名前を……」
――――じゃあアタシがあなたを人間にしてあげる!
思い出した。あの時、魔法使いの女の子の言った言葉を。と言うか、昨夜の出来事はわたしの夢じゃなかったの?
「それじゃあ、まさかキミは……」
わたしが半信半疑で訊ねると、男の子は涙を拭って大きく頷いた。
「そう。ボクは君の大切なぬいぐるみのシザンサスだよ」
嘘……そんな事って。それでも、確かに男の子にはシザンサスの面影がある。本当にシザンサスなんだ。
「ボクもビックリしちゃった。本当に人間になれるなんて夢みたいだよ。でも、すごく嬉しい。ずっと、君とこうしてお話してみたかったんだ」
シザンサスは頬を赤く染めてにっこりと笑った。
初めて見るシザンサスの笑顔にわたしは嬉しくなって、わたしの顔にも笑みが零れていた。
「わたしもすごく嬉しいよ。いっぱいお話しようよ! そうだ……色んなとこに遊びに行こ?」
「うん!」
私はシザンサスを連れて町へ駆け出した。
近所の公園でブランコに乗ったり、路地裏を駆け抜けたり。本屋さんで立ち読みをしたり、コンビニの中を見て回ったり。最後はわたしの通っている小学校の正門まで来て、閉められて施錠されている門を飛び越えて、こっそり校内へ侵入した。校舎には入れなかったけど、広い運動場で走ったり緑に囲まれた噴水を眺めたりした。
わたしが行く所、する事がシザンサスにとってはとっても新鮮な事だったみたいで、本当に楽しそうにしていた。
そうだよね。ぬいぐるみだったんだもん。どこへも行けず、喋る事も出来ず、ただわたしの部屋に居ただけだったもんね。シザンサスの反応は当たり前だ。